――翌朝。
「走れぇぇぇぇぇ!!」
山中に桑島慈悟郎の怒声が響き渡った。
「「はいっ!!」」
獪岳と善逸は、山道を全力で駆けていた。
「はぁっ……はぁっ……!」
善逸は涙目。
一方の獪岳は、額から汗を流しながらも歯を食いしばって走っている。
「獪岳兄貴ぃ……!」
「何だ!」
「これ……本当に修行……!?」
「当たり前だ!」
「昨日も走ったよ!?」
「今日は昨日より速く走れ!」
「無理ぃぃぃ!」
「無理じゃねぇ!」
獪岳は振り返る。
「雷の呼吸を使うなら、まず足腰を鍛えろ!」
「雷の呼吸って刀の技じゃないの!?」
「刀だけで戦えると思うな!」
「ひぃっ!」
その後ろから。
「口を動かす暇があるなら足を動かせぇぇぇ!!」
桑島の怒声。
「「はいぃぃぃ!!」」
二人はさらに速度を上げた。
◇
午前。
走り込み。
昼。
素振り。
午後。
型の反復。
夕方。
階段昇降。
夜。
体幹鍛錬。
そして――。
「まだ終わりではないぞ」
桑島が言った。
善逸の顔が絶望に染まる。
「……え?」
「呼吸の鍛錬じゃ」
「まだあるの!?」
「当たり前じゃ!」
獪岳も額の汗を拭う。
「……これは、想像以上だな」
前世の記憶があっても。
原作知識があっても。
実際に体験する修行は別物だった。
雷の呼吸。
それは単なる剣術ではない。
全身の筋肉。
瞬発力。
呼吸。
足運び。
集中力。
すべてを極限まで高める必要がある。
「獪岳」
「はい」
「雷の呼吸とは何じゃ」
「……一瞬にすべてを懸ける呼吸です」
「違う」
「……?」
「一瞬にすべてを懸けるだけなら、ただの無謀じゃ」
桑島は木刀を構える。
「雷の呼吸とは――一瞬を作り出すために、千の鍛錬を積むものじゃ」
「…………」
獪岳の目が鋭くなる。
「一撃のために、千回振る」
「そうじゃ」
「一歩のために、千回走る」
「そうじゃ」
「……なるほど」
獪岳は木刀を握り直した。
「なら、やります」
「うむ」
「千回でも一万回でも」
桑島は満足そうに頷いた。
「それでこそ獪岳じゃ」
◇
夜。
善逸は完全に床に倒れていた。
「もう……動けない……」
「立て」
「無理……」
「立て」
「死ぬ……」
「死んでない」
「兄貴ぃ……」
「何だ」
「水……」
「自分で飲め」
「冷たい……」
「なら飲め」
「優しくして……」
「修行中だ」
「鬼ィ……」
獪岳は呆れながら水を渡す。
「ほら」
「……ありがとう」
善逸が水を飲む。
「兄貴は疲れてないの?」
「疲れてる」
「嘘だ」
「本当だ」
「顔が平気そう」
「平気な顔をしてるだけだ」
獪岳は自分の手を見る。
震えている。
指先が僅かに痙攣していた。
善逸がそれに気づく。
「……兄貴も大変なんだ」
「当たり前だろ」
「じゃあ、俺も頑張る」
「…………」
獪岳は少し驚いた。
「お前……」
「何?」
「いや」
獪岳は視線を逸らす。
「……その調子で続けろ」
「うん!」
善逸は笑った。
◇
翌日。
桑島は二人を道場へ呼んだ。
「今日は型を覚える」
獪岳は背筋を伸ばす。
「はい」
善逸も緊張した顔で構える。
「雷の呼吸・壱ノ型」
桑島が一歩踏み出す。
次の瞬間。
――バンッ!!
轟音。
一瞬で距離が消えた。
獪岳の目が見開かれる。
「…………!」
速い。
分かっていた。
原作知識として知っていた。
だが。
実際に見ると全く違う。
「これが雷の呼吸じゃ」
桑島が戻ってくる。
「やってみろ」
「はい!」
獪岳は構える。
足に力を込める。
呼吸を整える。
「雷の呼吸――」
踏み込む。
「壱ノ型!」
――ドンッ!!
しかし。
「遅い」
桑島の木刀が獪岳の肩を打った。
「ぐっ!」
「力みすぎじゃ」
「……はい」
「速さを求めるあまり、身体全体が硬くなっておる」
「…………」
獪岳は歯を食いしばる。
「もう一度」
「よし」
再び構える。
「雷の呼吸――壱ノ型!」
――ドンッ!
「遅い!」
「もう一度!」
「遅い!」
「もう一度!」
「遅い!」
何度も。
何度も。
何度も。
獪岳の身体が地面に転がる。
それでも。
「立て」
「……はい」
「もう一度」
「はい」
「もう一度」
「はい!」
「もう一度!」
「はいッ!!」
夕暮れ。
獪岳は泥だらけになっていた。
腕は震え。
脚は感覚がない。
それでも。
木刀を握っていた。
「……まだ」
桑島が眉を上げる。
「まだやるのか?」
「やります」
「何故じゃ」
獪岳は答える。
「……守りたいからです」
「誰を?」
「全員です」
「…………」
「寺の子供たちも」
「うむ」
「悲鳴嶼さんも」
「うむ」
「善逸も」
「…………」
そして。
獪岳は静かに言った。
「これから出会う人たちも」
桑島は黙っていた。
「俺は……原作通りになんかならない」
小さく呟く。
「誰も死なせない」
桑島には、その言葉の意味までは分からない。
だが。
そこにある覚悟だけは伝わった。
「……ならば」
桑島は木刀を構えた。
「もう一度じゃ」
「はい!」
獪岳も構える。
「雷の呼吸――!」
踏み込む。
――ドンッ!!
今までとは違う。
僅かに速い。
桑島の目が細くなる。
「……そうじゃ」
獪岳は止まらない。
「もう一度!」
――ドンッ!
「もう一度!」
――ドンッ!
「もう一度!」
――ドンッ!
その横では。
善逸も必死に構えていた。
「俺も……!」
震える足。
怖い。
苦しい。
逃げたい。
それでも。
「俺だって……兄貴に置いていかれたくない!」
善逸が踏み込む。
――ドンッ!
小さな身体が、一瞬だけ雷のように走った。
「…………!」
獪岳が振り返る。
「善逸……」
善逸は転んでいた。
「痛ぇぇぇ!」
「…………」
獪岳は呆れた。
「お前なぁ……」
だが。
その顔には笑みが浮かんでいた。
「……今のは悪くなかったぞ」
「ほんと!?」
「ああ」
「やった!」
桑島は二人を見る。
雷の呼吸。
一人は未来を変えるため。
一人は自分自身を変えるため。
二人の少年が。
同じ道を歩いている。
「……さて」
桑島は腕を組む。
「明日は、今日の倍じゃ」
「「え?」」
「走り込みも、素振りも、型も倍じゃ」
「「ええええええ!?」」
山中に二人の絶叫が響いた。
桑島は満足そうに笑った。
「まだまだこれからじゃ!」
◇
その夜。
獪岳は布団に入った。
身体は限界だった。
しかし。
眠りにつく直前。
ふと思う。
――少しだけ。
ほんの少しだけ。
原作の自分とは違う。
ここにいる自分は。
善逸と笑っている。
桑島に教えを受けている。
寺には帰る場所がある。
悲鳴嶼さんが待っている。
「……悪くねぇな」
獪岳は目を閉じた。
そして。
明日もまた。
地獄の修行が始まる。
【大正コソコソ噂話】
桑島慈悟郎の修行初日。
善逸は三回泣いた。
二日目。
五回泣いた。
三日目。
なんと一回しか泣かなかった。
獪岳が、
「お前、少し根性ついたな」
と褒めたところ。
善逸は嬉しさのあまり泣いた。
結果。
「結局泣くのかよ!」
と獪岳に怒鳴られたという。
ちなみに桑島は。
「泣くのも修行のうちじゃ」
と、妙に納得していたそうだ。
――大正コソコソ噂話・終。