第三話 操られた鬼殺隊士たち
那田蜘蛛山の奥へ進むほど、森は異様な静けさに包まれていた。
風が吹いているはずなのに、木々の葉はほとんど揺れない。
聞こえてくるのは、どこからともなく響く――。
カサ……。
カサカサ……。
蜘蛛の糸が擦れ合う、不快な音だけだった。
炭治郎は刀を構えたまま、ゆっくりと息を吸い込む。
「……いる」
「何がだ?」
伊之助が左右を見回す。
炭治郎は鼻を利かせた。
血。
汗。
恐怖。
そして――生きた人間の匂い。
「前方に誰かいる!」
二人が木々の間を抜けた瞬間だった。
「うあああああッ!!」
絶叫が森を震わせた。
飛び出してきたのは、一人の鬼殺隊士だった。
隊服はボロボロ。
額から血を流し、片腕は不自然な方向へ曲がっている。
それでも、その隊士は自分の意思とは無関係に刀を振り上げた。
「来るな……!」
「えっ?」
「俺を斬るな! 頼む……逃げてくれ! 俺の体が……勝手に……!」
ギギギギッ――。
隊士の手足が、何かに引っ張られるように動く。
炭治郎の目が見開かれた。
「糸……!」
木々の隙間に、ほとんど見えないほど細い蜘蛛の糸が張り巡らされていた。
それが隊士の手足に食い込み、まるで操り人形のように身体を動かしている。
「くそっ!」
伊之助が刀を振り上げる。
「こんなもん、まとめて斬りゃ――」
「待て、伊之助!」
炭治郎が腕を掴んだ。
「斬ったら駄目だ! この人は操られてるだけだ!」
「じゃあどうすんだよ!」
伊之助が吠える。
「こいつを殺さずに止める方法を考えろってのか!? 俺たちが殺されちまうぞ!」
言葉通りだった。
一人だけではない。
森の奥から、次々と隊士たちが姿を現していく。
十人。
二十人。
それ以上。
全員が傷だらけで、蜘蛛の糸に身体を縛られていた。
「嫌だ……!」
「動きたくない……!」
「誰か……止めてくれ……!」
「俺たちを殺してくれ……!」
悲鳴が重なっていく。
炭治郎の胸が締めつけられた。
彼らは敵ではない。
鬼殺隊の仲間だ。
それなのに、刃を向けなければこちらが殺される。
「……っ!」
炭治郎は歯を食いしばった。
そのときだった。
脳裏に、あの男の言葉が蘇る。
――泥をすすってでも足掻け。
――絶望して足を止めるのが、一番の愚か者だ。
獪岳。
柱合会議で兄妹を守り、最終選別では自分たちの生還を信じて送り出してくれた鳴柱。
炭治郎は周囲を見渡した。
糸。
隊士。
木々。
そして――頭上。
「……そうか!」
「何だ、炭治郎!」
「糸を切るだけじゃ駄目なんだ!」
炭治郎は上空を指差した。
「操っている糸そのものを全部追いかけるんじゃない! 隊士たちを木の枝に引っかけて、動きを止めるんだ!」
「なるほどな!」
伊之助の口元が獰猛に吊り上がる。
「面白ぇ! 俺様に任せろ!」
「伊之助、傷つけるなよ!」
「分かってるってんだ!」
二人は同時に駆け出した。
操られた隊士が刀を振り下ろす。
「水の呼吸――弐ノ型、水車!」
炭治郎が身体を回転させながら相手の懐へ潜り込み、刀ではなく腕を掴む。
「失礼します!」
「うおおおおっ!」
伊之助が別の隊士を抱え上げた。
「そらぁぁぁっ!」
ぶんっ!
隊士の身体が宙を舞う。
その身体が大樹の枝に引っかかった。
「今だ!」
炭治郎が糸を斬る。
プツッ。
隊士の身体から力が抜けた。
「……止まった!」
「次だ!」
一人。
二人。
三人。
二人の連携によって、操られた隊士たちが次々と救出されていく。
だが――。
「まだ来るぞ!」
伊之助が叫ぶ。
森の奥から、さらに大量の隊士たちが現れた。
「多すぎる……!」
炭治郎の額に汗が滲む。
その瞬間。
「――フン」
低い声が森の上から降ってきた。
炭治郎と伊之助が顔を上げる。
大樹の枝。
そこに、黒地に雷の意匠を纏った男が立っていた。
鳴柱・獪岳。
「やっと頭を使い始めたじゃねえか、炭治郎」
「獪岳さん!」
「その調子だ。敵の数にビビって全部斬ろうとするんじゃねえ。守るべき奴と、斬るべき奴を見分けろ」
獪岳の視線が、森全体を走る。
目には見えない。
だが、彼には分かっていた。
無数の蜘蛛の糸が、森全体を巨大な網のように覆っている。
そして、その糸には明確な流れがあった。
「……なるほどな」
獪岳が呟く。
「糸の流れが一箇所に集まってやがる」
「本当ですか!?」
「ああ。あっちだ」
獪岳が指差した先。
那田蜘蛛山のさらに奥。
そこから、これまでとは比較にならないほど濃密な鬼の気配が漂っていた。
炭治郎の鼻にも、凄まじい悪臭が届く。
「……鬼がいる」
「十二鬼月の可能性もありますね」
木の上へ登ってきたしのぶが静かに呟いた。
その隣には冨岡義勇も立っていた。
「ならば、俺たちが向かう」
義勇が刀の柄に手を置く。
しかし、その瞬間――。
「シャアアアアアッ!」
森の奥から巨大な影が飛び出した。
頭部は蜘蛛。
胴体は人間。
太い腕には無数の蜘蛛の糸が絡みついている。
「柱ぁぁぁ!!」
巨大な蜘蛛鬼が獪岳へ襲いかかった。
「喰わせろぉぉぉ!!」
獪岳は動かない。
ただ、静かに刀の柄へ手を置いた。
「……うるせえな」
次の瞬間。
バチンッ!!
青白い閃光が走った。
誰も、獪岳が刀を抜いた瞬間を捉えられなかった。
蜘蛛鬼の身体が空中で止まる。
無数の糸も、腕も、そして鬼の首も――すべてが一瞬で断ち切られていた。
「な……に……?」
ドサッ。
鬼の身体が地面へ落ちる。
そのまま灰となって消えていった。
獪岳は刀を納める。
「雑魚に構ってる暇はねえ」
そして炭治郎たちを振り返った。
「炭治郎、伊之助。ここに残って隊士たちを救出しろ」
「えっ?」
炭治郎が驚く。
「獪岳さんは……?」
「俺と冨岡、しのぶで糸の本体を叩く」
「でも……!」
「勘違いすんな」
獪岳がニヤリと笑う。
「お前らを信用してるから任せるんだよ」
その言葉に、炭治郎の目が大きく見開かれた。
「……はい!」
「任せろおおお!」
伊之助も胸を張る。
獪岳は満足そうに鼻を鳴らした。
「よし。なら――泥をすすってでも、一人残らず生かしておけ」
「はい!」
「おう!」
三人の声が重なる。
獪岳、義勇、しのぶは森の奥へ駆けていく。
炭治郎はその背中を見つめながら、刀を握り直した。
守られているだけではない。
自分たちにも、自分たちにしかできない戦いがある。
「伊之助! 次が来るぞ!」
「任せろ炭治郎! 俺様たちで全員助け出す!」
蜘蛛の糸に支配された那田蜘蛛山。
その中心へ向けて、鬼殺隊の反撃は二つに分かれた。
糸の根源を断つ柱たち。
そして、操られた仲間たちを救う若き剣士たち。
それぞれの戦いが、やがて一つの大きな決戦へと繋がっていく――。