那田蜘蛛山の奥深く。
これまでとは明らかに空気が違っていた。
木々の隙間から月明かりが差し込む開けた場所。その中央に、一人の幼い少年が立っている。
白銀の髪。
蜘蛛の巣を思わせる模様が刻まれた顔。
そして、少年の指先から伸びる無数の糸。
一本一本が月光を反射し、鋼の刃のような殺気を放っていた。
「……家族の絆は、尊いものだ」
少年――下弦の伍・累は、淡々とした声で言った。
「父さん、母さん、兄さん、姉さん……僕たちは家族だ。だから僕は、家族を守る」
累の周囲には、蜘蛛の鬼たちが控えている。
だが、その表情には恐怖が滲んでいた。
家族と呼ばれている者たちが、累を恐れている。
それを見た炭治郎は、強く眉を寄せた。
「それが……家族?」
隣では禰豆子が身構えている。
「違う」
炭治郎は累を真っ直ぐ見据えた。
「本当の家族なら、そんなふうに相手を脅して従わせたりしない!」
累の指が、ぴくりと動いた。
「……何?」
「家族っていうのは、互いに助け合って、守り合うものだ!」
炭治郎の脳裏に浮かぶのは、亡き家族の姿だった。
父の温かな背中。
母の優しい笑顔。
弟妹たちと過ごした、かけがえのない日々。
そして今、鬼となってしまった禰豆子。
「苦しい時には支えて、嬉しい時には一緒に喜ぶ。それが俺の知っている家族だ!」
累の瞳から、温度が消えた。
「……不愉快だ」
指先がゆっくりと動く。
「君に僕たちの何が分かる?」
シュルルルルッ!!
次の瞬間、周囲の木々から大量の糸が飛び出した。
赤く染まった糸。
それらが複雑に絡み合いながら、炭治郎と禰豆子へ迫ってくる。
「禰豆子!」
炭治郎が咄嗟に刀を抜いた。
「水の呼吸――!」
ザンッ!!
水流を纏った刃が糸を迎え撃つ。
しかし――。
ギィンッ!!
「なっ!?」
刀が弾かれた。
糸が切れない。
それどころか、刀身に深い傷が刻まれている。
「硬い……!」
炭治郎が後退する。
「これが僕の糸だ」
累は無表情のまま告げた。
「僕の血鬼術によって強化された糸は、鋼よりも硬い。君程度の刃では切れないよ」
無数の糸が再び迫る。
「死ね」
炭治郎は禰豆子を庇うように前へ出た。
「ぐっ……!」
逃げ場がない。
その瞬間――。
バリバリバリッ!!
轟音と共に、空から青白い雷光が降り注いだ。
ドォン!!
地面が爆ぜ、猛烈な風圧が林を駆け抜ける。
累の糸が、一斉に細切れになって宙へ舞った。
「……え?」
炭治郎が目を見開く。
その前に、漆黒の羽織が翻った。
「おいおい」
男がゆっくりと刀を構える。
その刀身には、青白い電光が絶え間なく走っていた。
「人の後輩を殺そうとしてるってのに、随分と余裕こいてやがるじゃねえか」
「獪岳さん!」
炭治郎の顔が明るくなる。
鳴柱・獪岳。
その姿を見た瞬間、周囲の鬼たちが本能的に後退した。
「鳴柱……」
累が初めて僅かに目を細める。
「君が、この山に来ていたのか」
「来てたんじゃねえ」
獪岳は刀を肩に担ぐ。
「呼ばれたんだよ。山にいる鬼どもが妙な動きをし始めたからな」
そして、累を睨みつけた。
「……それに、俺の後輩が危ねえ目に遭ってるなら、放っておくわけにもいかねえだろ」
「獪岳さん……」
炭治郎の胸が熱くなる。
一方、累は静かに手を掲げた。
「僕の邪魔をするなら、君も切り刻む」
シュルシュルシュルッ!!
周囲の木々から、さらに大量の糸が飛び出した。
鋼鉄すら容易く切断する血鬼術。
それが幾重にも重なり、獪岳を包囲していく。
「僕の糸は、どんな刃よりも硬い」
「……ハッ」
獪岳は鼻で笑った。
「硬い?」
刀を握る手に力が込められる。
「笑わせんな」
青白い雷が、刀身から地面へと走った。
「俺が今まで相手にしてきた絶望に比べりゃ、お前の糸なんざ――」
一歩。
獪岳の足が地面を踏み抜く。
「蜘蛛の巣以下だ」
ドンッ!!
姿が消えた。
「雷の呼吸――」
累の瞳が僅かに見開かれる。
「壱ノ型――」
次の瞬間。
バリィィィッ!!
雷光が林を横切った。
「霹靂一閃――疾風!!」
ギャギャギャギャッ!!
獪岳の刀が、累の糸を真正面から切り裂いていく。
一筋。
二筋。
十筋。
百筋。
鋼より硬いはずの糸が、青白い雷光の中で次々と断ち切られていった。
「な……!?」
累の表情が初めて崩れる。
「僕の糸が……!」
「だから言っただろ」
獪岳は雷光の中から姿を現した。
すでに累の眼前。
「俺を舐めるなってな」
「速い……!」
累が反射的に後退する。
だが、獪岳は逃がさない。
「炭治郎!」
「はい!」
「禰豆子を連れて下がれ!」
「でも、獪岳さん!」
「いいから行け!」
鋭い怒声。
炭治郎は一瞬だけ迷ったが、すぐに頷いた。
「……分かりました!」
禰豆子の手を取り、後方へ下がる。
累はそれを見送りながら、静かに呟いた。
「……君は、仲間を守るんだね」
「当たり前だろ」
獪岳は刀を構え直す。
「俺が育てた後輩だ。簡単に殺させるわけねえだろうが」
「……家族」
累の瞳に、奇妙な感情が浮かんだ。
「君も……家族を求めているの?」
「くだらねえこと聞くな」
獪岳の雷気が膨れ上がる。
「家族だろうが仲間だろうが、守りたい奴は自分の手で守る。それだけだ」
「……理解できない」
累の指先から、再び赤い糸が伸びる。
「なら、殺して確かめる」
「上等だ、下弦の伍」
獪岳の口元が不敵に吊り上がった。
「お前の偽物の家族ごっこも、ここで終わらせてやる」
青白い雷光と赤い蜘蛛糸。
二つの異質な力が、月明かりの林の中で激しく衝突する。
那田蜘蛛山の戦いは、ついに鬼殺隊の鳴柱と下弦の鬼による、本当の死闘へと突入した。