「雷の呼吸――壱ノ型・霹靂一閃、疾風!!」
バリィィィン!!
青白い雷光が夜の森を一直線に駆け抜けた。
獪岳の姿が消えた次の瞬間、累の周囲を覆っていた赤い糸が次々と切断されていく。鋼鉄をも容易く断ち切るはずの糸が、雷を纏った日輪刀の前では紙のように裂けていった。
「……!」
累が目を見開く。
獪岳の刃が、その首へ迫る。
「もらった!」
「――僕の首は、ここだ」
累は咄嗟に自らの首へ糸を走らせた。
スパッ!
自分自身の首を切断する。
飛び散った血とともに頭部が宙へ舞い、身体だけが後方へ跳躍した。
「チッ!」
獪岳の刃が僅かに空を切る。
次の瞬間、累の頭部と胴体が糸で繋がり、瞬時に元へ戻った。
「自分で首を切りやがったか。気色悪ぃ芸当しやがる」
「君も、簡単には僕を殺せないようだね」
累の瞳に、冷たい光が宿る。
「僕の家族を傷つける者は……誰であろうと許さない」
指が動く。
その瞬間だった。
ドォォォン!!
山奥から凄まじい地響きが轟いた。
木々が薙ぎ倒され、巨大な影が月明かりの中へ飛び出してくる。
「グオオオオオオオッ!!」
現れたのは、巨大な身体を持つ父蜘蛛だった。
炭治郎と伊之助が同時に身構える。
「なんだ、こいつ……!」
「でけぇぇぇ!!」
父蜘蛛は二人へ向かって拳を振り下ろした。
「うおおおっ!」
炭治郎が横へ跳ぶ。
伊之助も二刀を交差させて受け止める。
ガギィィン!!
「ぐっ……!」
「ぬおおおおっ!?」
二人の身体が地面を滑る。
「伊之助!」
「分かってる! こんなデカブツ、俺様が――!」
だが、父蜘蛛の身体がさらに膨れ上がった。
バキバキバキッ!!
皮膚を破るようにして、巨大な身体が脱皮する。
「なっ……!?」
「まだデカくなるのかよぉぉ!?」
脱皮を終えた父蜘蛛は、先ほどとは比較にならないほど巨大な姿へ変貌していた。
「グオオオオオオッ!!」
巨大な腕が振り下ろされる。
炭治郎は刀を構える。
(受け止めたら潰される……!)
逃げ場がない。
その瞬間――。
ふわり。
どこからともなく、藤の花を思わせる甘い香りが夜風に乗って漂ってきた。
「まあまあ。ずいぶん大きな蜘蛛さんですね」
場違いなほど穏やかな声。
「……え?」
炭治郎が振り返る。
月明かりを背に、一人の女性が木の枝からふわりと舞い降りてきた。
蝶の髪飾り。
紫と白の羽織。
そして、細身の日輪刀。
「胡蝶……しのぶさん!」
「はい。お久しぶりですね、炭治郎くん」
しのぶはにこりと微笑んだ。
「伊之助くんも。ずいぶん頑張っていますね」
「お、おう! あのデカブツを俺様が倒すところだったんだ!」
「それは頼もしいですね」
しのぶが笑う。
だが、その視線はすでに父蜘蛛へ向いていた。
「……ですが、少しだけ私にもお手伝いさせてください」
しのぶの身体が沈む。
「蟲の呼吸――」
父蜘蛛が腕を振り下ろす。
「蝶ノ舞――戯れ」
ヒュンッ!!
しのぶの姿が消えた。
次の瞬間、父蜘蛛の巨体を無数の突きが襲う。
「グオッ……!?」
一撃。
二撃。
三撃。
その細身の刀からは想像もできないほど正確で高速な連続刺突。
刃に塗られた藤の花の毒が、鬼の身体へ次々と注ぎ込まれていく。
「ガ……ガアアアアッ!?」
父蜘蛛が身体を震わせた。
毒が血管を駆け巡る。
筋肉が痙攣し、巨大な身体が崩れ落ちていく。
「すごい……!」
炭治郎が息を呑む。
「一瞬で……!」
伊之助も目を見開いた。
「なんだあの女……!?」
しのぶは静かに刀を払った。
「大丈夫ですか、二人とも?」
「はい!」
「俺様は全然平気だ!」
「ふふ。それなら安心しました」
その一方。
「遅えぞ、しのぶ」
累と対峙していた獪岳が、苛立たしげに声を飛ばした。
「随分と楽しそうにしていたようですね、獪岳さん」
「楽しんでねえよ」
「そうですか?」
「後方の連中はどうした?」
「もちろん救護を済ませています。善逸くんも無事ですよ。毒が強かったので、少し眠ってもらっていますが」
「そうか」
獪岳の表情が僅かに緩む。
だが、それも一瞬だった。
視線は再び累へ向けられる。
「なら問題ねえな」
獪岳が日輪刀を構え直す。
青白い雷が刀身を走る。
「炭治郎、伊之助。しのぶと一緒に下がれ」
「獪岳さん、俺も――!」
「駄目だ」
獪岳が鋭く遮る。
「こいつは下弦の伍だ。今のお前らが無理に相手する必要はねえ」
炭治郎は唇を噛んだ。
「……分かりました」
「いい返事だ」
獪岳は不敵に笑う。
「ここからは――柱の仕事だ」
しのぶも刀を構えた。
「ええ。私もお手伝いしますよ」
累は二人の柱を見つめていた。
これまで冷静だった瞳が、僅かに揺れている。
「柱が……二人……」
獪岳が一歩踏み出す。
「どうした、クソガキ。さっきまでの威勢はどこへ行った?」
「……僕は、家族を守る」
「なら来い」
バチバチバチッ!!
獪岳の周囲に雷気が渦巻く。
しのぶも静かに腰を落とす。
「あなたの言う『家族』が本当に守る価値のあるものなのか……少し確かめてみましょうか」
「……僕は負けない」
累の周囲に赤い糸が展開する。
月下の森。
鋼より硬い蜘蛛の糸。
青白い雷。
そして、毒を宿した細身の刃。
二人の柱が揃ったことで、那田蜘蛛山の戦況は大きく動き始めた。
下弦の伍・累。
その顔から、初めて隠しきれない恐怖が滲み始めていた。