「僕の家族を……壊させはしない……!」
月明かりに照らされた那田蜘蛛山の森に、累の低い声が響いた。
父蜘蛛を失い、さらに目の前には鳴柱・獪岳と蟲柱・胡蝶しのぶ。二人の柱によって退路を塞がれた累だったが、その表情から余裕が消えることはなかった。
むしろ――追い詰められたことで、その瞳には異様な執念が宿っていた。
「家族は僕が守る……僕が作った家族は、僕だけのものだ……!」
累が両手を大きく広げる。
次の瞬間。
ピンッ――。
空気が震えた。
一本、また一本。
木々の間に張り巡らされていた赤い糸が、月光を反射しながら急速に密度を増していく。
「……来ますよ」
しのぶが笑みを消した。
「気をつけてください、獪岳さん。あれは先ほどまでの糸とは別物です」
「ああ。見りゃ分かる」
獪岳の眼光が鋭くなる。
累の血鬼術によって生み出された糸は、鋼よりも遥かに硬く、触れただけで肉を断ち切るほどの殺傷力を秘めていた。
「血鬼術――殺目篭!」
ギュオオオオッ!!
無数の赤い糸が一斉に走った。
一本一本が刃物。
それが幾重にも重なり、巨大な籠のように戦場そのものを包み込んでいく。
「炭治郎、伊之助! 下がれ!」
獪岳が叫ぶ。
炭治郎は反射的に禰豆子の手を取り、伊之助と共に後方へ飛び退いた。
「獪岳さん!」
「振り返るな! 自分の身は自分で守れ!」
獪岳の足元から、青白い雷気が爆発的に噴き上がった。
「雷の呼吸――」
柄に手を掛ける。
だが――。
サァァァァ……。
突然だった。
森を覆っていた殺気が消えた。
まるで荒れ狂っていた水面が、一瞬で凪いだかのように。
「……?」
累が目を見開く。
次の瞬間。
パラ……。
パラパラパラッ――。
空中を舞う赤い糸。
先ほどまで鋼鉄のような硬度を誇っていた糸が、細かな切れ端となって地面へ落ちていく。
「な……?」
累の顔から初めて明確な動揺が浮かんだ。
「僕の糸が……?」
炭治郎も、伊之助も、しのぶも、そして獪岳までもが一瞬だけ視線を向けた。
森の奥。
静かな足音が響く。
ザッ……。
月明かりの中へ歩み出した男は、半々模様の羽織を静かに揺らしていた。
「……遅えぞ、義勇」
獪岳が呆れたように言う。
「いいところを横取りしやがって」
「すまない」
水柱・冨岡義勇。
彼はそれだけ告げると、静かに刀を鞘へ収めた。
「周囲の隊士の救助に時間がかかった。だが、全員の安全は確保した」
「そうかよ」
獪岳は鼻を鳴らす。
「なら問題ねえ」
一方、累は自分の糸が切り刻まれたことを理解できず、震える指を見つめていた。
「ありえない……」
累の声が震える。
「僕の糸は、どんな刃物よりも硬い……それを……」
義勇は累をまっすぐ見つめる。
「水の呼吸――拾壱ノ型」
刀を抜く。
「凪」
シン――。
静寂。
炭治郎は思わず息を呑んだ。
「……すごい」
義勇の周囲には、まるで水面が広がっているかのような静けさがあった。
累が放つ糸がその領域へ侵入した瞬間、次々と切断されていく。
斬撃の軌跡すら見えない。
ただ、糸だけが消えていく。
「これが……水柱……!」
炭治郎の胸が大きく高鳴った。
手鬼との戦いで自分たちが命懸けで繰り出した技。
それとは次元が違う。
これが柱。
長い鍛錬の果てに呼吸を極限まで磨き上げた者だけが辿り着く領域だった。
「……ふざけるな」
累の声が低くなる。
「僕の家族を……僕の絆を……!」
「絆?」
義勇が静かに問い返した。
「お前が作ったものは絆ではない」
「……!」
「恐怖で相手を縛り、逆らえば殺す。それを家族とは呼ばない」
累の顔が歪む。
「黙れ……!」
「本当の絆は、相手を支配するものではない」
義勇の刀が月明かりを反射する。
「互いに相手を思い、守ろうとするものだ」
「黙れぇぇぇぇっ!!」
累が絶叫した。
無数の糸が再び森を埋め尽くす。
だが――。
その前に、青白い雷光が走った。
バチィィッ!!
「そう怒鳴るなよ、クソガキ」
獪岳が義勇の隣に立つ。
「お前のご自慢の糸なら、俺が全部叩き斬ってやる」
反対側には、しのぶがふわりと舞い降りた。
「では、私は隙を見つけて毒を入れましょうか」
「三人……」
累が後退する。
目の前にいるのは、鳴柱。
水柱。
そして蟲柱。
さらに、その背後には炭治郎、禰豆子、伊之助。
これまで自分を恐れ、逃げ惑っていた人間たちとは違う。
累は初めて理解した。
自分が――完全に追い詰められたのだと。
「……家族を守る」
それでも累は拳を握り締める。
「僕は……絶対に負けない……!」
獪岳が口元を吊り上げた。
「その意地だけは嫌いじゃねえ」
青白い雷気が刀身を包み込む。
義勇も静かに構えた。
しのぶの細い刀にも、月明かりが鋭く輝く。
「だがな――」
獪岳の瞳が鋭く光る。
「ここから先は、柱三人を相手にするってことを覚悟しやがれ」
ゴロゴロゴロ……。
遠くで雷鳴が轟いた。
水が静かに流れ、雷が空気を震わせ、毒を宿した刃が月光を照らす。
那田蜘蛛山の決戦は、ついに最終局面へと突入した。
下弦の伍・累。
その前に立ちはだかったのは、三人の柱だった。