朝。
山の空気は冷たかった。
獪岳は道場の中央に立ち、木刀を握っている。
その隣には善逸。
二人とも汗だくになっていた。
「今日は何をするんですか?」
善逸が恐る恐る尋ねる。
桑島慈悟郎は腕を組んだ。
「今日は――壱ノ型を完成させる」
「……!」
獪岳の目が鋭くなる。
雷の呼吸。
その基本にして、最も重要な型。
――壱ノ型・霹靂一閃。
「獪岳」
「はい」
「お前はすでに壱ノ型の形だけなら出来ておる」
「……はい」
「だが、まだ完成しておらん」
獪岳は黙って頷いた。
桑島は木刀を構える。
「雷の呼吸・壱ノ型――」
一瞬。
桑島の姿が消えた。
「霹靂一閃」
轟音。
木刀が道場の端にある藁束を正確に打ち抜いた。
善逸が目を丸くする。
「速っ……!」
獪岳も息を呑んだ。
何度見ても凄まじい。
ただ速いだけではない。
踏み込み。
重心。
呼吸。
刀を抜く角度。
すべてが一つになっている。
「これが霹靂一閃じゃ」
桑島が言う。
「お前たちもやってみろ」
「はい!」
獪岳は腰を落とした。
呼吸を整える。
「雷の呼吸――壱ノ型」
足に力を込める。
「霹靂一閃!」
――ドンッ!!
「……!」
獪岳が一気に駆け抜ける。
しかし。
「遅い」
「……!」
桑島の声。
獪岳は振り返る。
「今のでは、ただの速い斬撃じゃ」
「…………」
「霹靂一閃とは違う」
「何が足りませんか?」
「覚悟じゃ」
「……覚悟?」
「ああ」
桑島は獪岳を見る。
「一歩目に全てを懸ける覚悟じゃ」
獪岳は黙った。
「霹靂一閃は、迷えば遅くなる」
「…………」
「恐れれば遅くなる」
「…………」
「躊躇えば遅くなる」
「…………」
「一瞬だけ、自分の全てを信じる」
桑島は木刀を下ろした。
「それが霹靂一閃じゃ」
獪岳は目を閉じた。
自分の中にあるもの。
焦り。
恐怖。
原作の未来。
死ぬ仲間たち。
鬼になる自分。
善逸に殺される未来。
――全部。
「…………」
獪岳はゆっくり目を開いた。
「俺は……」
拳を握る。
「もう逃げない」
◇
「もう一度!」
「はい!」
獪岳は構える。
「雷の呼吸――壱ノ型!」
踏み込む。
「霹靂一閃!!」
――ドォンッ!!
先ほどより速い。
桑島の眉が僅かに動く。
「……まだじゃ」
「はい!」
再び構える。
「霹靂一閃!」
――ドンッ!!
「まだじゃ!」
「はい!」
「もう一度!」
「はい!」
「もう一度!」
「はい!」
何十回。
何百回。
獪岳は繰り返した。
足が痛む。
肺が焼ける。
筋肉が悲鳴を上げる。
それでも止まらない。
「まだ!」
「はい!」
「遅い!」
「はい!」
「もっと速く!」
「はい!」
「迷うな!」
「はい!」
やがて。
夕暮れ。
獪岳は膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
手が震えている。
桑島が近づく。
「今日は終わりじゃ」
「……まだです」
「何?」
「まだ……出来てない」
「十分じゃ」
「嫌です」
獪岳は立ち上がろうとする。
「俺は……」
足に力を込める。
「霹靂一閃を……」
その瞬間。
足が崩れた。
「獪岳!」
桑島が支える。
「無茶をするな!」
「…………」
「型を極めることと、身体を壊すことは違う!」
「……すみません」
桑島はため息を吐いた。
「お前は本当に頑固じゃな」
「よく言われます」
「誰に?」
「……悲鳴嶼さんに」
「なるほど」
桑島は納得した。
「ならば、その頑固さを正しく使え」
「…………?」
「自分を壊すためではない」
「…………」
「強くなるために使え」
獪岳は黙っていた。
そして。
「……はい」
小さく頭を下げた。
◇
一方。
「霹靂一閃!」
善逸が走る。
――ドンッ!
「遅い!」
「うぅぅ……!」
「もう一度じゃ!」
「はい!」
善逸は目を閉じた。
怖い。
失敗したら怒られる。
遅かったら笑われる。
でも。
――獪岳兄貴に置いていかれたくない。
善逸は足に力を込める。
「……俺だって」
息を吸う。
「俺だって、出来る!」
踏み込む。
「霹靂一閃!!」
――バァンッ!!
一瞬。
善逸の身体が消えた。
桑島の目が見開かれる。
「…………!」
次の瞬間。
善逸は道場の壁に激突した。
「ぐへっ!」
「…………」
獪岳は無言。
「…………」
桑島も無言。
「……痛い」
善逸が顔を上げる。
「今の、どうだった?」
獪岳が近づく。
「……速かった」
「本当!?」
「ああ」
善逸の顔が輝く。
「やった!」
「ただし」
「え?」
「止まり方を覚えろ」
「…………」
「壁に突っ込む奴があるか」
「ごめんなさい……」
獪岳はため息を吐いた。
「まあ、初めてなら上出来だ」
「兄貴……!」
「だから兄貴って呼ぶな」
「兄貴ぃ!」
「……ったく」
だが。
獪岳は笑っていた。
◇
その夜。
獪岳は一人で庭に出た。
月明かり。
静かな夜。
木刀を握る。
「…………」
目を閉じる。
桑島の言葉。
――一歩目に全てを懸ける。
獪岳は呼吸を整えた。
自分の未来を思い出す。
鬼になる。
仲間を裏切る。
善逸に殺される。
悲鳴嶼に見捨てられる。
――そんな未来。
「……認めるかよ」
目を開く。
「雷の呼吸――」
足に力を込める。
「壱ノ型」
世界が静かになる。
「霹靂一閃!!」
――轟!!
獪岳の身体が弾丸のように駆け抜けた。
木刀が藁束を斬り裂く。
「…………」
獪岳は振り返る。
今までとは違う。
明らかに速い。
「……これが」
獪岳は自分の足を見る。
「霹靂一閃……」
背後から声。
「まだまだじゃ」
「……師匠」
桑島が立っていた。
「今のは良かった」
「……!」
獪岳の顔が僅かに緩む。
「ありがとうございます」
「だが」
「はい」
「まだ完成ではない」
「分かっています」
桑島は頷く。
「いつか、お前はもっと速くなる」
「……はい」
「その速さで何をする?」
獪岳は迷わず答えた。
「守ります」
「誰を?」
「全員です」
「……そうか」
桑島は微笑む。
「ならば、鍛えろ」
「はい!」
「もっと速く」
「はい!」
「もっと強く」
「はい!」
「そして――」
桑島は静かに言った。
「誰よりも優しい雷になれ」
獪岳は目を見開いた。
「……優しい雷」
「ああ」
「…………」
その言葉は。
後の獪岳の生き方を、大きく変えることになる。
雷は。
人を焼き殺すだけではない。
暗闇を照らすこともできる。
獪岳は木刀を握り直した。
「……俺は」
夜空を見上げる。
「そんな雷になります」
――霹靂一閃。
それは。
ただ速く斬るための技ではない。
自分の迷いを断ち切り。
守るべきものへ、一瞬で駆けつけるための一歩。
この日。
転生獪岳は。
その意味を初めて理解した。
【大正コソコソ噂話】
獪岳が霹靂一閃を初めて成功させた翌朝。
善逸が嬉しそうに言った。
「兄貴! 俺も昨日ちょっと速くなった!」
「そうか」
「見てて!」
「……嫌な予感がする」
「霹靂一閃!」
――ドンッ!!
善逸は庭を横切り――。
そのまま木に激突。
「ぐえっ!」
「…………」
獪岳は頭を抱えた。
「だから止まり方を覚えろって言っただろ!」
「痛いよぉぉぉ!」
その後。
桑島は二人に、
「速さだけでなく、制御も鍛えよ」
と厳しく指導。
この日から二人の修行には、
「霹靂一閃で速く走る」
だけでなく、
「霹靂一閃で安全に止まる」
という謎の課題まで追加されたという。
――大正コソコソ噂話・終。