ゴオオオオオッ――!!
夜の闇を裂きながら、無限列車は疾走していた。
屋根の上を猛烈な風が吹き抜け、蒸気と煙が渦を巻く。その中で、炭治郎は両足を踏ん張り、日輪刀を構えていた。
対する魘夢は、まるで舞台の上に立つ役者のように、楽しげな笑みを浮かべている。
「おやおや……もう起きてしまったのかい?」
魘夢の瞳が細められる。
「せっかく、あんなに素敵な夢を見せてあげたのに。家族と再会できる夢なんて、人間なら誰だって喜ぶものだろう?」
「ふざけるな!」
炭治郎の怒声が夜空を震わせた。
「夢だからって、人の大切なものを踏みにじっていい理由にはならない!」
脳裏に浮かぶ家族の姿。
母の笑顔。
弟妹たちの声。
そして、笑顔の禰豆子。
あまりにも温かく、あまりにも優しい夢だった。
だからこそ――。
「俺は、あの夢を捨ててでも現実に戻る!」
炭治郎は一気に踏み込んだ。
「水の呼吸――!」
しかし。
「フフフ……」
魘夢が笑う。
「そう簡単にはいかないよ」
パチンッ。
魘夢が指を鳴らした。
その手甲に浮かんでいた無数の目が、一斉に見開かれる。
「血鬼術――」
ゾワッ。
空気が変わった。
「強制昏倒催眠・眼(きょうせいこんとうさいみん・まなこ)」
「――眠れ」
その一言。
ただそれだけで、炭治郎の意識が急激に沈み始めた。
「な……っ!?」
足から力が抜ける。
刀を握る指が震える。
視界が暗くなっていく。
「くそっ……!」
炭治郎は必死に意識を繋ぎ止めようとする。
だが、眠気は凄まじかった。
「眠れ……眠れ……」
魘夢の声が遠ざかっていく。
「もう一度、幸せな夢を見ようじゃないか」
そして――。
世界が暗転した。
「……っ!」
気がつけば、炭治郎は再び家の前に立っていた。
「兄ちゃん!」
「炭治郎、おかえり!」
懐かしい声。
暖かな光。
そこには、死んだはずの家族がいる。
「……またか」
炭治郎は拳を握った。
「俺は……ここにいちゃいけない」
しかし、胸の奥が叫んでいる。
ここにいたい。
家族と暮らしたい。
禰豆子と笑いたい。
母に「おかえり」と言ってもらいたい。
「炭治郎」
母が微笑む。
「もう、どこにも行かなくていいのよ」
「……!」
その言葉に、炭治郎の心が揺らぐ。
だが。
「違う……」
炭治郎は唇を噛み締めた。
「俺には、帰る場所がある」
家族の笑顔が揺らぐ。
「現実に……帰らなきゃ……!」
炭治郎は夢の中で刀を抜いた。
「目を覚ませ!」
ザシュッ!!
自らの首を斬る。
「――ハッ!!」
現実。
炭治郎が飛び起きる。
だが。
「眠れ」
「――っ!」
再び意識が落ちる。
夢。
「起きろ……!」
自分の首を斬る。
現実。
「眠れ」
夢。
「起きろ!」
現実。
「眠れ」
夢。
「起きろ!」
現実。
何度も。
何度も。
何度も。
「ぐっ……!」
精神が削られていく。
現実なのか。
夢なのか。
境界が分からなくなる。
「フフフフ……」
魘夢の笑い声だけが響いていた。
「どうだい? 自分の首を斬り続ける気分は」
炭治郎の呼吸が乱れる。
「君はもう、自分で自分を殺すことすら恐れなくなっている」
「……違う」
「あと少しだよ」
「違う……!」
「君の心が壊れるまで――」
「黙れぇぇぇ!!」
炭治郎が刀を振り抜いた。
だが、その瞬間。
現実と夢の境界が崩れた。
「……あれ?」
炭治郎の目の前に、魘夢がいる。
そして自分の手には、日輪刀。
「今度こそ……!」
振り下ろす。
しかし。
「待て、炭治郎!!」
遠くから声が響いた。
「――そのまま斬るな!!」
「え……?」
次の瞬間。
バリバリバリバリッ!!
ドゴオオオオオオンッ!!
猛烈な雷光が夜空を切り裂いた。
無限列車の屋根を青白い雷が貫き、鉄板が爆発する。
「なっ!?」
魘夢が飛び退く。
炭治郎も衝撃で吹き飛ばされる。
そして。
紫煙の中から、一人の男が歩み出た。
黒地に金の雷模様。
鋭く吊り上がった眼。
全身から迸る青白い雷気。
「……ったく」
獪岳だった。
その顔には、隠しきれない怒気が浮かんでいる。
「人の頭ん中に勝手に入り込みやがって……」
バチッ。
足元で雷が弾ける。
「しかも、しょうもねえ過去まで好き勝手に弄りやがって……」
さらに強烈な雷気が噴き上がる。
「舐めた真似してくれたなぁ……クソ鬼が」
「獪岳さん!」
炭治郎が驚きの声を上げる。
「目を覚ましたんですか!?」
「ああ」
獪岳は首を鳴らした。
「何度眠らされようが、夢を見せられようが――」
その脳裏には、夢の中で見せられた光景があった。
幼い頃。
実弥との確執。
自分の弱さ。
敗北。
惨めさ。
泥をすすりながら、それでも這い上がった日々。
そして、今の自分。
「俺はな……」
獪岳が刀の柄を握る。
「何度でも地獄から這い上がってきたんだよ」
バチバチバチッ!!
「眠りごときで、俺の意志を折れると思うな!!」
雷鳴が轟いた。
魘夢の笑顔が引きつる。
「そ、そんな馬鹿な……!?」
「強制睡眠だぁ?」
獪岳が鼻で笑う。
「ぬるすぎるんだよ」
一歩。
獪岳が前へ出る。
その瞬間、屋根の鉄板が蜘蛛の巣状にひび割れた。
「俺の怨念も、執念も、泥臭い生存本能も――」
青白い雷が日輪刀へ収束していく。
「眠らせられるほど安くねえんだよ!!」
「雷の呼吸――」
炭治郎も刀を構える。
「獪岳さん!」
「炭治郎!」
獪岳は振り返らない。
「ここからは二人で行くぞ!」
「はい!」
魘夢が大量の触手を伸ばす。
「生意気な……! 僕の夢から逃げた程度で、勝ったつもりになるなぁぁ!!」
無限列車の車体が大きく蠢く。
ズズズズズ……。
車両そのものが巨大な生物のように変形し始める。
「僕の血鬼術は、夢だけじゃない!」
魘夢が狂喜の笑みを浮かべた。
「この列車そのものが、僕の肉体なんだよ!!」
無数の肉塊と触手が車内から噴き出す。
炭治郎が息を呑む。
「列車全体が鬼に……!」
「だったら話は簡単だ」
獪岳が刀を構える。
「デカくなっただけの害虫なら――」
雷気が爆発的に膨れ上がる。
「まとめて叩き潰す!!」
ゴロゴロゴロゴロ……!!
夜空に巨大な雷雲が集まり始めた。
炭治郎はその背中を見つめる。
(これが……獪岳さん)
夢すら打ち破る、不屈の意志。
どれほど絶望的な状況でも、泥をすすって前へ進む男。
「行くぞ、炭治郎!」
「はい!!」
若き水の剣士と鳴柱。
二人の刃が、無限列車を支配する悪夢へ向けて構えられた。
その時――。
列車の最後尾。
誰にも気づかれぬ場所で、煉獄杏寿郎の瞳がゆっくりと開いた。
「……む!」
炎柱が立ち上がる。
「どうやら、俺も寝坊している場合ではないようだな!!」
無限列車の夜は、いよいよ激闘の幕を開けようとしていた。