東の空から昇った朝日が、長い夜を終わらせるように荒野へ差し込んでいた。
横転した無限列車の車体は黒く焼け焦げ、周囲には砕けた木々と大量の土煙が残っている。激しい戦闘の爪痕はあまりにも凄惨だった。
それでも――。
生きている。
二百人を超える乗客も。
炭治郎も、善逸も、伊之助も。
そして三人の柱も。
誰一人として、この夜に命を奪われなかった。
「煉獄さん……!」
炭治郎は、煉獄の姿を見つけた瞬間、堪えていた涙を一気に溢れさせた。
「よかった……本当によかった……!」
ボロボロと涙を流しながら、炭治郎は地面に膝をつく。
「煉獄さんが……生きてる……!」
「うわぁぁぁん! よかったよぉぉぉ!!」
善逸も泣き崩れた。
「俺、絶対死ぬと思ったんだからなぁぁぁ!」
「ガハハハハッ!!」
伊之助も泣いているのか笑っているのか分からない顔で叫ぶ。
「生き残ったぞォォォ!! 俺様は死なねえんだ!!」
そんな三人を見つめながら、煉獄杏寿郎はいつもの力強い笑みを浮かべていた。
「泣くな、少年たち!」
腹部の傷には深い包帯が巻かれている。
決して軽傷ではない。
それでも、煉獄の声には衰えを感じさせない力があった。
「我々は生き残ったのだ! それならば、まずはその生を喜ぼう!」
「……はい!」
炭治郎は涙を拭った。
「はい……!」
煉獄は笑った。
しかし、その笑顔の奥には、誰にも見せない深い実感があった。
――もし、獪岳がいなければ。
――もし、胡蝶が駆けつけてくれなければ。
自分は今、この朝日を見ることができなかった。
そう理解しているからこそ、煉獄は素直に感謝していた。
「まったく……」
その隣で、しのぶが包帯を締め直す。
「無茶にも程がありますよ、煉獄さん」
「うむ!」
「もう少し到着が遅れていたら、本当に危なかったんですからね」
「承知している!」
「……本当に分かっています?」
しのぶは笑顔のまま、煉獄の腹部を軽く押した。
「ぐっ……!」
「痛いでしょう?」
「うむ! かなり痛い!」
「なら、もう無茶はしないでくださいね」
「……努力しよう!」
しのぶは呆れたように息を吐いた。
しかし、その瞳には隠しきれない安堵が浮かんでいた。
仲間を失わずに済んだ。
その事実が、何より嬉しかった。
一方――。
少し離れた場所では、別の戦いが続いていた。
「動かないでください!」
「うるせえ……触んな……!」
隠たちが獪岳の身体を固定し、必死に止血を続けている。
獪岳の状態は、煉獄とは比べものにならないほど酷かった。
全身の筋肉が裂け。
血管が破れ。
『帝釈天』の反動によって、身体そのものが限界を超えて損傷している。
指一本動かすだけでも激痛が走る。
それでも獪岳は、目を閉じなかった。
「……クソが」
朝日を見上げる。
「生き残った……か」
その声には疲労が滲んでいた。
だが、口元には僅かな笑みが浮かんでいる。
上弦の参。
あの化物に、自分の雷を叩き込んだ。
そして――生きている。
「獪岳」
聞き覚えのある声がした。
「……あ?」
振り返る。
そこには、隠の肩を借りながら歩いてくる煉獄がいた。
「おい……怪我人が動くんじゃねえ」
「君にだけは言われたくないな!」
「……チッ」
獪岳が顔を背ける。
「何の用だよ」
煉獄は獪岳の前で足を止めた。
そして――。
深々と頭を下げた。
「ありがとう、獪岳」
「……」
獪岳の眉が僅かに動く。
「君の雷がなければ、俺はあの場で命を落としていただろう」
煉獄はまっすぐに獪岳を見つめた。
「君が命を削って放った『帝釈天』が、猗窩座の力を大きく削いだ。そして、俺たちが夜明けまで戦い抜くための時間を作ってくれた」
「……」
「俺だけではない」
煉獄は炭治郎たちへ視線を向ける。
「竈門少年たちも、胡蝶も、君のおかげで生き残った」
「やめろ」
獪岳が低く呟いた。
「そういう綺麗事は聞きたくねえ」
「綺麗事ではない!」
「……!」
「俺は心から感謝している!」
煉獄の声が荒野に響いた。
獪岳はしばらく黙っていた。
やがて――。
「……ハッ」
鼻で笑う。
「勘違いすんじゃねえよ」
「うむ?」
「俺は誰かを助けるために帝釈天を撃ったんじゃねえ」
獪岳は血に濡れた手を握り締める。
「俺は俺自身のために戦ったんだ」
「……」
「誰にも負けたくねえ。誰の足元にも伏したくねえ。泥をすすってでも這い上がって……最後には俺が一番上に立つ」
それが獪岳の生き方だった。
誰かに認められるためではない。
誰かに褒められるためでもない。
ただ、自分が踏みつけられてきた過去を否定するために。
「だから……」
獪岳は煉獄から目を逸らした。
「お前を助けたなんて、勘違いすんな」
煉獄は黙って獪岳を見つめ――。
「そうか!」
突然、豪快に笑った。
「ならば、それでいい!」
「……は?」
「君が自分のために戦った結果、俺たちの命が救われた。それもまた君の力だ!」
「……」
「俺はその事実に感謝する!」
獪岳は何も言えなかった。
ただ、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……変な奴だな、お前」
「よく言われる!」
その二人を、少し離れた場所からしのぶが見ていた。
「ふふ……」
そして、朝日に照らされる獪岳の姿へ目を向ける。
昨夜、獪岳が放った黒紫の雷。
あれは決して美しいものではなかった。
怒り。
憎しみ。
執念。
己の限界を超えるほどの、凄まじい負の感情。
けれど――。
その雷が、結果として一人の炎柱を救った。
一人の炎を守り。
若き剣士たちの未来を守り。
二百人以上の命を守った。
「……不思議ですね」
しのぶが小さく呟く。
「あなたの雷は、とても荒々しいのに……」
獪岳が振り返る。
「なんだよ」
「いえ」
しのぶは微笑んだ。
「とても優しい結果を残したんだな、と」
「……」
獪岳はしばらく黙り――。
「うるせえよ」
そう言って顔を背けた。
しかし、その耳はほんの少し赤くなっていた。
「獪岳さん、照れてるんですか?」
「殺すぞ、胡蝶」
「ふふふ」
荒野に、久しぶりの穏やかな空気が流れる。
遠くでは隠たちが乗客の救護を進めている。
炭治郎たちは互いの無事を喜び。
煉獄は朝日を見つめ。
しのぶは静かに微笑み。
獪岳は悪態を吐きながら、それでも確かに生きていた。
昨夜、那田蜘蛛山で炭治郎が祈ったように。
鬼との戦いであっても――。
すべてが憎しみだけで終わるわけではない。
誰かを守ろうとして放った炎。
自分自身のために振るった雷。
命を救うために突き刺した毒。
それぞれ違う力が重なり合った結果、一つの奇跡が生まれた。
「……朝だな」
獪岳が呟く。
「うむ!」
煉獄が答える。
「実に美しい朝だ!」
東の空から差し込む陽光が、三人の柱を照らした。
炎は消えなかった。
雷も消えなかった。
そして――。
その二つを繋いだ慈雨のような奇跡も、決して消えることはない。
無限列車での戦いは終わった。
だが、鬼殺隊の戦いは続く。
そして彼らはまだ知らない。
この夜を生き延びたことが、やがて訪れるさらなる激闘へ向けた――大きな転機となることを。