夜の帳が下りた蝶屋敷。その庭に、ひときわ豪快な怒声が響き渡っていた。
「いいか、よく聞け! 俺は神だ! お前らは塵だ! まずはそれを叩き込め!」
「……何を言ってるんですか、あの人」
「派手派手うるせぇな……」
「俺様は神より偉いぞ!」
庭の中央で仁王立ちしているのは、派手な装束に身を包んだ大男。
音柱・宇髄天元。
その両腕には巨大な二振りの日輪刀が携えられ、額には宝石をあしらった額当て。全身から漂う圧倒的な存在感は、まさに「派手」という言葉を人間にしたような男だった。
そして、その前に並んでいるのは、無限列車での激戦を乗り越え、ようやく傷を癒した竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人。
さらに少し離れた場所には、腕を組みながら不機嫌そうに宇髄を睨みつけている男がいた。
「……で? 朝っぱらから俺たちを呼び出して、何の用だデカブツ」
鳴柱・獪岳。
無限列車で上弦の参・猗窩座との死闘を経験した彼もまた、凄まじい負傷から回復し、すでに任務へ復帰できるまでになっていた。
宇髄は獪岳を見て、ニヤリと笑う。
「ほう。相変わらず威勢がいいねぇ、鳴柱!」
「褒めてねえで用件を言え」
「せっかちだなぁ。まあいい。今回の任務は、かなり重要だ」
宇髄は懐から一枚の地図を取り出した。
「場所は吉原遊郭」
「遊郭……?」
炭治郎が首を傾げる。
宇髄は地図を広げながら、普段の派手な態度から一転、真剣な表情を見せた。
「そうだ。昼間は華やか、夜になれば人間の欲望が渦巻く場所。表向きはただの歓楽街だが……そこに鬼が潜んでいる可能性が高い」
その言葉に、炭治郎たちの表情が引き締まった。
「実は俺の嫁三人が、そこへ潜入捜査に入っている」
「お嫁さんが三人!?」
善逸が飛び上がる。
「三人も!? 宇髄さん、どういう人生送ってるんですか!?」
「細かいことを気にするな! 俺は派手な男だからな!」
「そこは細かいことじゃないだろうが!」
獪岳が呆れたように吐き捨てる。
しかし宇髄の表情は再び険しくなった。
「その嫁たちから、しばらく連絡がない」
空気が変わった。
「雛鶴、まきを、須磨。三人とも優秀なくノ一だ。普通なら消息を絶つような連中じゃねぇ」
「つまり……鬼に何かされた可能性があるんですね」
炭治郎が尋ねる。
「ああ。だから俺自身が遊郭へ潜入する。お前らには、その手伝いをしてもらう」
宇髄は三人を指差した。
「まず、お前ら三人には女装してもらう」
「…………は?」
炭治郎が固まった。
「女装……ですか?」
「そうだ。遊郭の店に入り込むなら、男のままじゃ目立ちすぎる」
「嫌だぁぁぁぁぁっ!!」
善逸の絶叫が蝶屋敷中に響き渡った。
「俺は絶対嫌だ! なんで俺が女装なんかしなくちゃいけないんだよぉぉぉ!!」
「俺は構わん!」
伊之助は即答した。
「むしろ面白そうだ!」
「猪子は黙ってろ!」
そして炭治郎は困ったように頭を掻く。
「俺も……任務ならやります」
「お前は真面目だな、炭治郎!」
「俺は神だ! 任務のためなら女装くらい派手にやれ!」
「お前がやるんじゃないだろうが!」
獪岳が即座に突っ込んだ。
「俺は絶対にやらねえからな」
「何だと?」
宇髄の眉がピクリと動く。
「お前も潜入するんだよ、鳴柱」
「俺は男の姿のままでいいだろ」
「お前は強すぎる。真正面から乗り込んだら、遊郭の鬼が警戒する。裏から探ってもらう」
「……なるほどな」
獪岳は少し考えた後、鼻を鳴らした。
「なら俺は別行動だ。表に出て騒ぎを起こすより、周辺の気配を探った方が効率がいい」
「話が早くて助かるぜ!」
宇髄は満足げに笑った。
「よし! 潜入開始だ!」
そして数時間後。
「…………」
「…………」
「…………」
三人の少年は、見事なまでに女装させられていた。
炭治郎は『炭子』。
善逸は『善子』。
伊之助は『猪子』。
化粧まで施された三人の姿を見た瞬間、獪岳はしばらく無言になった。
「…………ぷっ」
「笑うなぁぁぁぁぁっ!!」
善逸が顔を真っ赤にする。
「アンタもやれよ! なんで俺たちだけこんな目に遭ってんだよ!」
「断る」
「卑怯者ぉぉぉ!!」
「うるせえ。俺まで女装したら、潜入どころか遊郭の客全員が逃げるだろうが」
「自覚あるんだ!?」
炭治郎も複雑そうな表情を浮かべる。
「獪岳さん……似合うと思いますよ」
「お前、俺を怒らせたいのか?」
「す、すみません!」
一方、伊之助は鏡を見ながら満足そうに胸を張っていた。
「どうだ! 俺様は美しいだろう!」
「お前は猪のままでいいんだよ!」
「何だと善子ォ!」
「やめろ二人とも!」
そんな騒ぎを横目に、宇髄は腕を組んで満足げに頷く。
「よし。これなら十分潜入できるな」
「本当にこれで大丈夫なのか……?」
炭治郎は不安そうに呟いた。
やがて一行は吉原へ向かった。
夜。
巨大な門をくぐった瞬間、炭治郎たちは目を見開いた。
無数の提灯。
華やかな着物。
客を呼び込む声。
酒の匂い。
香水の匂い。
そして、その華やかさの裏側に漂う、言葉では説明できない異様な空気。
「ここが……吉原遊郭……」
炭治郎は周囲を見渡した。
だが、その鼻が捉えたのは人間の匂いだけではなかった。
「……鬼の匂いは……まだ分からない」
「無理もねえ。これだけ人間の匂いが混じってりゃ、簡単には見つからねえさ」
宇髄が低い声で答える。
「だからこそ、潜入する価値がある」
そして三人は、それぞれ別々の店へと送り込まれていくことになった。
炭治郎は荻屋。
善逸は京極屋。
伊之助はときわ屋。
「いいか。無理に鬼を探すな。まずは情報を集めろ」
宇髄が最後に念を押す。
「そして何か妙なことがあれば、すぐに俺へ知らせろ」
「はい!」
「了解!」
「任せろ!」
三人がそれぞれの店へ入っていく。
その背後。
屋根の上では、獪岳が一人、夜の街を見下ろしていた。
「……妙だな」
風が吹く。
獪岳の髪が揺れ、鋭い瞳が遊郭全体を睨みつける。
「人間の街にしちゃあ……鬼の気配が濃すぎる」
彼は目を閉じた。
聴覚を研ぎ澄ます。
足音。
話し声。
三味線の音。
酔客の笑い声。
その全てを雷の呼吸によって整理し、異常な音を探る。
「……どこだ」
その瞬間。
遠く離れた一角から、ほんのわずかな違和感が伝わってきた。
獪岳の目が開く。
「……見つけた、か?」
しかし、その気配は一瞬で消えた。
「チッ……」
獪岳は日輪刀の柄に手を置く。
「待ってろよ。必ず引きずり出してやる」
華やかな光に包まれた吉原。
その地下深くでは、上弦の鬼が静かに笑っていた。
そして、炭治郎たちの知らないところで——。
「今夜も、いい子が入ってきたわね」
花魁の瞳が、妖しく細められる。
眠らない街を舞台に、鬼殺隊と上弦の鬼。
新たなる死闘の幕が、静かに上がろうとしていた。