壱ノ型を極めた翌日。
獪岳はいつもより早く道場へ来ていた。
まだ空が薄暗い。
朝露が草を濡らし、山の静寂だけが辺りを包んでいる。
獪岳は一人、木刀を握っていた。
「…………」
目を閉じる。
呼吸を整える。
「雷の呼吸――壱ノ型」
踏み込む。
「霹靂一閃」
――ドンッ!!
一瞬で藁束の前へ。
そのまま止まる。
「……よし」
昨日よりも速い。
そして、何より身体が軽い。
「基礎はできた」
背後から声がした。
「師匠」
桑島慈悟郎が立っている。
「壱ノ型は合格じゃ」
「ありがとうございます」
「ならば次へ進む」
桑島は木刀を手に取った。
「雷の呼吸――全ての型を覚える」
獪岳の目が輝く。
「……全て」
「ああ」
「俺に、できるでしょうか」
「出来るかどうかではない」
桑島は厳しく言った。
「出来るようになるまで鍛える」
「……はい!」
その返事には迷いがなかった。
◇
雷の呼吸。
その基本は壱ノ型。
しかし、壱ノ型だけではない。
雷の呼吸には複数の型が存在する。
それぞれが異なる動き。
異なる距離。
異なる敵への対応。
桑島は一つずつ教えていく。
「まずは弐ノ型」
木刀を構える。
「稲魂」
――シュンッ!
鋭い連撃。
「一撃で終わらせる壱ノ型とは違う」
「複数の斬撃……」
「そうじゃ」
獪岳は目で動きを追う。
「相手が回避した場合や、間合いが近い場合に有効」
「理解が早いな」
「見た動きを分析するのは得意なんです」
「ならば身体でも覚えろ」
「はい!」
◇
弐ノ型。
稲魂。
獪岳はひたすら繰り返した。
一撃。
二撃。
三撃。
連続する斬撃。
「もっと滑らかに!」
「はい!」
「腕だけで振るな!」
「はい!」
「足も使え!」
「はい!」
「腰を回せ!」
「はい!」
「呼吸を乱すな!」
「はい!」
木刀が空気を裂く。
「雷の呼吸――弐ノ型!」
――ザッ!
藁束が何度も切り裂かれる。
「……まだだ」
獪岳自身が言う。
「もう一度」
◇
次は参ノ型。
「聚蚊成雷」
桑島が説明する。
「相手を翻弄するための動きじゃ」
複雑な足運び。
方向転換。
連続攻撃。
獪岳の眉が寄る。
「これは……難しい」
「そうじゃ」
「壱ノ型とは全然違う」
「雷の呼吸は、一つの型だけで戦うものではない」
桑島は言った。
「状況に応じて型を使い分ける」
獪岳は頷いた。
「なるほど」
「壱ノ型だけに頼るな」
「分かりました」
◇
修行は続く。
肆ノ型。
遠雷。
距離を取った敵への攻撃。
獪岳は遠間から一気に踏み込む。
「雷の呼吸――肆ノ型!」
――ドンッ!
木刀が藁束を捉える。
「良い」
桑島が頷く。
「次じゃ」
伍ノ型。
熱界雷。
より強烈な攻撃。
獪岳の刀が空気を唸らせる。
「……重い」
「力任せではない」
「はい」
「雷の呼吸は速さだけではない」
「…………」
「速さの中に、力を乗せる」
獪岳は何度も試す。
失敗。
修正。
失敗。
修正。
そして。
「雷の呼吸――伍ノ型!」
――ズドンッ!!
藁束が大きく吹き飛んだ。
「……できた」
「よし」
◇
そして。
陸ノ型。
「電轟雷轟」
桑島が技を披露する。
一瞬。
道場の中を雷が走ったように見えた。
獪岳は目を見開く。
「…………」
「どうじゃ」
「凄い」
思わず本音が漏れる。
「これが雷の呼吸……」
「そうじゃ」
「俺も……」
獪岳は刀を握り直した。
「俺も出来るようになります」
「うむ」
◇
それから数週間。
獪岳は一つずつ型を覚えていった。
壱ノ型。
霹靂一閃。
弐ノ型。
稲魂。
参ノ型。
聚蚊成雷。
肆ノ型。
遠雷。
伍ノ型。
熱界雷。
陸ノ型。
電轟雷轟。
そして――。
「漆ノ型」
桑島が言った。
「……」
獪岳は息を呑む。
「雷の呼吸・漆ノ型は――」
桑島が言葉を止める。
「善逸」
「はい?」
「お前にはまだ教えん」
「え!?」
「今のお前には早い」
「そんなぁ!」
善逸が泣きそうになる。
獪岳は黙っていた。
原作知識がある。
善逸の漆ノ型。
「火雷神」。
善逸が自ら生み出す型。
そして――。
獪岳自身にも。
いつか自分だけの漆ノ型を作る未来がある。
だが。
まだ、その時ではない。
「師匠」
「何じゃ」
「漆ノ型は……自分で作るものなんですか?」
桑島の目が細くなる。
「ほう」
「雷の呼吸を極めた先にあるのは、そういうものなのかなと」
「……面白いことを考える」
桑島は微笑んだ。
「お前なら、いつか自分だけの型を生み出すかもしれんな」
獪岳の胸が熱くなる。
「……俺だけの型」
「そうじゃ」
「…………」
獪岳は空を見上げる。
まだ名前すらない。
まだ形すらない。
それでも。
自分だけの雷。
「……作ります」
「何?」
「俺だけの型を」
獪岳は強く言った。
「いつか必ず」
桑島は頷いた。
「楽しみにしておる」
◇
その夜。
善逸が縁側で獪岳に尋ねた。
「ねえ、兄貴」
「何だ」
「兄貴は、どの型が一番好き?」
「…………」
獪岳は少し考える。
「壱ノ型だな」
「やっぱり?」
「ああ」
「なんで?」
獪岳は月を見上げた。
「一番最初に覚えた型だからだ」
「それだけ?」
「それだけじゃねぇ」
獪岳は笑う。
「一歩目に全部を懸ける技だからな」
善逸は黙って聞いていた。
「俺は……一歩目を間違えたくない」
「…………」
「昔の俺は、きっと間違えた」
善逸には、その言葉の意味は分からない。
だが。
「じゃあ、今度は俺も一緒に走るよ」
「……」
「兄貴がどこに行っても」
獪岳は目を見開く。
「……馬鹿」
「え?」
「勝手についてくるな」
「でも――」
「……置いていくつもりはねぇよ」
「!」
獪岳は前を向く。
「お前も俺も」
「うん」
「雷の呼吸を極める」
「うん!」
「鬼殺隊に入る」
「うん!」
「そして――」
獪岳は拳を握った。
「誰も死なせない」
善逸も拳を握る。
「うん!」
二人の声が。
夜の山に響いた。
◇
翌朝。
獪岳は一人、道場の中央に立っていた。
「雷の呼吸――」
一つずつ。
型を繋いでいく。
壱。
弐。
参。
肆。
伍。
陸。
それぞれの型を状況に合わせて繋げる。
速さ。
力。
技術。
判断。
全てが一つになっていく。
「…………」
桑島は道場の外から見ていた。
「見事じゃ」
獪岳は止まる。
「ありがとうございます」
「お前は、雷の呼吸を極めようとしておる」
「はい」
「だが」
桑島は続けた。
「本当に極めるというのは、型を全部覚えることではない」
「…………」
「その型を使って、誰かを守れるようになることじゃ」
獪岳は静かに頷いた。
「……はい」
そして。
刀を握る。
「俺は、そうなります」
雷の呼吸。
全ての型。
それは獪岳にとって。
過去を変えるための力ではない。
未来を守るための力。
そして。
まだ誰も知らない。
この少年がいつか。
既存の六つの型を極めた先で――。
「帝釈天」
という、自らの名を冠する雷を生み出すことを。
【大正コソコソ噂話】
桑島慈悟郎の弟子になってからしばらく経った頃。
善逸は獪岳に尋ねた。
「兄貴って、全部の型使えるようになったんだよね?」
「ああ」
「じゃあ俺も全部覚える!」
「そうしろ」
「兄貴より速くなる!」
「上等だ」
「でも……」
善逸が少し考える。
「兄貴の雷って、なんか怖いよね」
「……は?」
「なんていうか……雷が怒ってる感じ」
「…………」
獪岳は少し考えた後。
「そうか?」
「うん」
善逸は笑う。
「でも、俺は嫌いじゃないよ」
獪岳は一瞬だけ黙って。
「……そうかよ」
と、そっぽを向いた。
なお、後に獪岳が「帝釈天」を完成させた際。
善逸は、
「やっぱり兄貴の雷、龍になったぁぁぁ!?」
と驚愕することになる。
――大正コソコソ噂話・終。