『霹靂、そして慈雨。転生獪岳の鬼殺隊無双ルート』   作:夜幻

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第四話 蟲柱・胡蝶しのぶ、恋人を心配する

吉原遊郭が夜の華やかな喧騒に包まれている頃。

 

その遥か遠く、鬼殺隊の療養施設である蝶屋敷には、対照的な静けさが流れていた。

 

薬研部屋の障子越しに月明かりが差し込み、薬草を煎じる香りがほのかに漂っている。

 

胡蝶しのぶは文机に向かい、いつものように薬の調合を続けていた。

 

「……すり、すり……」

 

乳鉢の中で薬草を細かくすり潰す。

 

一定のリズム。

 

普段ならば乱れることなどない、しのぶの精密な作業だった。

 

しかし――。

 

「……はぁ」

 

小さな溜息が漏れた。

 

しのぶ自身も、それに気づいて僅かに眉を下げる。

 

「……困りましたね」

 

手を止め、窓の外へ視線を向ける。

 

そこにいるはずのない人物の姿を、無意識に探してしまう。

 

「獪岳さん……今頃、どうしているでしょうか」

 

脳裏に浮かぶのは、漆黒の羽織を纏い、雷を操りながら戦場を駆け抜ける恋人の姿。

 

そして――無限列車での死闘。

 

上弦の参・猗窩座との戦い。

 

限界を超えて放った『帝釈天』。

 

その代償として、獪岳の全身は凄まじい損傷を負った。

 

筋肉。

 

血管。

 

神経。

 

身体中の至るところが悲鳴を上げ、しのぶ自身が治療を施しても、完全に回復するまでには相応の時間が必要だった。

 

それなのに。

 

「少しくらい大人しくしていてください、と何度言えば分かるのでしょう」

 

しのぶは頬杖をつき、困ったように笑った。

 

「『誰の下にもつかない』」

 

「『俺が一番上に立つ』」

 

「『俺はまだ戦える』……ですか」

 

獪岳の口癖を真似るように呟く。

 

「まったく……本当に意地っ張りなんですから」

 

口では呆れている。

 

けれど、その瞳に浮かんでいるのは怒りではない。

 

深い心配だった。

 

獪岳という男は、決して器用な人間ではない。

 

誰かに弱みを見せることを嫌い、助けられることを嫌い、何よりも「弱者」と見られることを嫌う。

 

だからこそ、どれほど傷ついても立ち上がる。

 

泥をすすってでも前へ進む。

 

その不器用な生き方を、しのぶは誰よりも知っていた。

 

「……でも」

 

しのぶは静かに微笑む。

 

「私は、そんなあなたが好きなんですよ」

 

その瞬間だった。

 

バサッ!

 

「?」

 

窓辺へ、一羽の鎹鴉が舞い降りた。

 

「カァ! カァ!」

 

「まあ。こんな時間に報告ですか?」

 

しのぶは立ち上がり、鎹鴉から小さく折り畳まれた文を受け取る。

 

任務中の獪岳に関する報告だろう。

 

そう思って、何気なく紙を開いた。

 

そこには簡潔な文字が並んでいた。

 

『鳴柱・獪岳』

 

『吉原・京極屋へ潜入』

 

『女遊女として潜入捜査中』

 

「…………」

 

しのぶの笑顔が止まった。

 

「…………女遊女?」

 

さらに読み進める。

 

『名は獪子』

 

『容姿端麗』

 

『京極屋最高位の遊女として人気急上昇』

 

『連日、多数の男性客から指名が殺到』

 

「…………」

 

しのぶのこめかみに、ピキッ、と小さな青筋が浮かぶ。

 

「……なるほど」

 

静かな声だった。

 

だが――怖い。

 

「獪岳さんは、怪我が治りきっていない身体で……」

 

一枚の添付資料が落ちる。

 

そこには、天元が描いたと思われる似顔絵があった。

 

漆黒の髪を美しく結い上げ、豪華な振袖を身に纏った絶世の美女。

 

切れ長の瞳。

 

整った鼻筋。

 

艶やかな唇。

 

そして、見る者を射殺しそうなほど鋭い眼差し。

 

『獪子姐さん』

 

「…………」

 

しのぶは似顔絵をじっと見つめる。

 

「…………綺麗ですね」

 

それは紛れもない本音だった。

 

獪岳の顔立ちが整っていることは、恋人であるしのぶ自身がよく知っている。

 

しかし――。

 

「ですが」

 

笑顔が戻る。

 

にっこり。

 

あまりにも可憐な笑顔。

 

「『男性客から指名が殺到』ですか」

 

ミチ……。

 

手元の乳鉢に亀裂が走った。

 

「……ふふ」

 

ミシッ。

 

「ふふふふ……」

 

ミシミシッ。

 

「そうですか……」

 

乳鉢が限界を迎え、パキンッと音を立てて砕けた。

 

「なるほど……獪岳さんは、吉原でとても人気なのですね」

 

鎹鴉が、なぜか一歩後ずさる。

 

「カァ……」

 

「心配して損をしました」

 

しのぶは立ち上がる。

 

その笑顔は穏やかだ。

 

あくまでも穏やか。

 

「無限列車であれほど無茶をして、身体がまだ完全ではないというのに……」

 

棚から薬箱を取り出す。

 

「女装して」

 

薬箱を閉じる。

 

「遊郭へ潜入して」

 

藤の花の毒薬を数本、懐へしまう。

 

「しかも男の人たちに囲まれて……」

 

さらに一本。

 

「人気者になっている、と」

 

最後の薬を懐へ入れた。

 

「……少し、お話し合いが必要ですね」

 

笑顔。

 

だが、その背後には禍々しい何かが見える。

 

「お仕置き……ではありませんよ?」

 

誰に言うでもなく、しのぶは微笑んだ。

 

「ちゃんと怪我を治してもらって、無茶をしないようにお願いするだけです」

 

――その言葉とは裏腹に。

 

懐の毒薬が、月明かりを反射して怪しく輝いていた。

 

一方、その頃。

 

吉原・京極屋。

 

「へっくしょい!!」

 

最高位の遊女『獪子』こと獪岳が、突然くしゃみをした。

 

「……?」

 

客たちが一斉に振り返る。

 

「獪子姐さん、風邪ですか!?」

 

「触るな。近づくな。暑苦しい」

 

「たまらねえ!」

 

「もっと罵ってくれ!」

 

「……死ね」

 

「最高だぁぁぁ!!」

 

獪岳のこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「……なんだ、このクソみてえな客どもは」

 

その時。

 

理由もなく、獪岳の背筋に猛烈な悪寒が走った。

 

「…………」

 

「……嫌な予感がする」

 

獪岳は知らない。

 

自分が今、鬼よりも恐ろしい存在――愛する恋人の『お仕置き』を呼び寄せていることを。

 

そして、吉原の潜入任務が始まったばかりだということを。

 

夜の遊郭には、上弦の鬼だけではない。

 

恋人の怒りという、もう一つの脅威が静かに迫っていた。

 

 

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