「お兄ちゃぁぁんッ! こいつらが私をいじめるのぉぉッ!!」
堕姫の悲鳴が、夜の吉原を震わせた。
その声に呼応するように、彼女の背中から何かが這い出してくる。
ズル……ズルズル……。
肉を引き裂くような不気味な音。
堕姫の背中から溢れ出した血肉が人の形を取り、やがて一人の男へと変貌していく。
異様なまでに痩せ細った身体。
病的なほど白い肌。
血走った眼。
そして両手に握られた、巨大な二本の鎌。
その姿を見た瞬間、炭治郎の鼻を猛烈な鬼の臭いが襲った。
「……っ!」
息が詰まる。
堕姫だけでも十分に強大だった。
だが、今現れた男から放たれている気配は、それとはまるで別物だった。
「お兄ちゃん……!」
堕姫が嬉しそうに駆け寄る。
「私、こいつらに酷いことされたの! 顔も焼かれたし、帯もいっぱい斬られたの!」
「そうかぁ……そうかぁ……」
男――妓夫太郎は、妹の傷を眺める。
その顔に浮かんでいたのは、妹を心配する感情だけではない。
憎悪。
嫉妬。
そして、底なしの醜い執念。
「可哀想になぁ……」
妓夫太郎は、ゆっくりと顔を上げた。
「俺の妹を傷つけるなんてなぁ……」
ギロリ。
黄色く濁った瞳が、獪岳たちを捉える。
「いい顔してるなぁ、お前ら」
舌なめずり。
「恵まれた身体……いい顔……強そうな身体……」
その声が次第に震えていく。
「妬ましいなぁ……」
ギリッ。
妓夫太郎が鎌を握り締める。
「羨ましいなぁ……」
そして――。
「なぁぁぁぁッ!!」
ブンッ!!
二本の血鎌が同時に振り抜かれた。
「血鬼術――飛血鎌!!」
シュババババババッ!!
空間そのものを埋め尽くす、無数の血の刃。
円を描くように飛び散った血の斬撃が、屋根を、壁を、柱を、何もかもまとめて切り刻んでいく。
「ッ……!」
獪岳の表情が険しくなる。
「なんつう数だ……!」
バリィッ!!
黒紫の雷気を爆発させ、獪岳がその場から飛び退く。
すぐ横を血の刃が通過し、屋根瓦を粉々に吹き飛ばした。
だが――。
「チッ!」
獪岳が首筋を押さえる。
ほんの僅かな傷。
血が一筋、流れていた。
「……毒か」
傷口から、猛烈な熱と痺れが広がっていく。
獪岳の眉間に皺が寄った。
「へへへ……気づいたかぁ」
妓夫太郎が嬉しそうに笑う。
「俺の血鎌はなぁ……斬っただけで終わりじゃねえんだ」
鎌を舐めるように見せつける。
「猛毒が身体中を巡るんだよぉ……」
「……」
「じわじわ苦しんで、最後には死ぬ」
妓夫太郎は、楽しそうに笑った。
「お前みたいな美人さんが苦しんで死ぬところ……見てみてぇなぁ」
「誰が美人だ」
獪岳の声が低くなる。
「俺は男だ」
「……は?」
妓夫太郎が固まる。
堕姫も固まる。
「男……?」
「今さらかよ」
獪岳が苛立たしげに吐き捨てる。
「その目は節穴か?」
「……」
妓夫太郎の顔が引きつる。
「お前……男なのか……?」
「だからそう言ってんだろうが!」
「兄ちゃん、この人男なの!?」
堕姫まで驚愕している。
「俺だって今知ったよぉ!!」
「何でだよ!」
「知るかぁ!!」
緊迫した戦場に、一瞬だけ奇妙な沈黙が流れた。
だが――。
「……まあ、いい」
妓夫太郎の表情から笑みが消える。
「男だろうが女だろうが関係ねぇ」
両手の鎌がギラリと輝いた。
「俺の妹を傷つけた奴は、みんな殺す」
その瞬間。
「四の五の言ってんじゃねえ!!」
轟音と共に、宇髄天元が跳び込んだ。
「ド派手に首を叩き落としてやるぜぇぇッ!!」
二本の日輪刀が大きく振り下ろされる。
ガキィィィィン!!
妓夫太郎の血鎌と天元の二刀が激突した。
火花が夜空へ散る。
「ほぉ……!」
妓夫太郎の口元が歪む。
「力もあるなぁ……!」
「そりゃどうも!」
天元が二本の刀を交差させ、一気に押し込む。
「だがな――!」
ドンッ!!
「俺は音柱だ! 上弦だろうが何だろうが、派手にぶった斬る!」
その背後から、堕姫の帯が伸びる。
「お兄ちゃん!」
「分かってるよぉ!」
妓夫太郎が天元の刀を弾き飛ばし、同時に堕姫の帯が天元の背後へ迫る。
「天元さん!」
炭治郎が叫ぶ。
「させるか!」
バリバリバリッ!!
獪岳が雷光となって割り込んだ。
日輪刀が帯を薙ぎ払い、そのまま妓夫太郎へと斬り込む。
「雷の呼吸――!」
「おっとぉ!」
妓夫太郎が身体を捻る。
獪岳の刀が頬を掠め、血が飛び散った。
「へへっ……!」
妓夫太郎の笑みが深くなる。
「速ぇなぁ……!」
「だったら――もっと速くしてやるよ!」
獪岳の全身から黒紫の雷気が噴き上がる。
だが、首筋の傷から毒がさらに体内へ侵入していく。
「……っ」
一瞬だけ、獪岳の膝が揺らいだ。
炭治郎はそれを見逃さなかった。
「獪岳さん、毒が……!」
「黙ってろ!」
獪岳は荒い息を吐きながら刀を構え直す。
「こんな毒……俺が克服できねえとでも思ってんのか?」
「へへへ……強がるねぇ」
妓夫太郎が鎌を構える。
「でもなぁ……毒ってのは、強がりじゃ止まらねぇんだよぉ」
堕姫も左右から帯を展開する。
「お兄ちゃん、あいつ殺して!」
「ああ」
兄妹の殺気が、一気に膨れ上がった。
天元も二刀を構え直す。
「来るぞ、炭治郎!」
「はい!」
炭治郎が刀を握り締める。
夜空には無数の帯。
屋根には血の刃。
そして、その中心に立つ二人の上弦。
対するは、音柱・宇髄天元と鳴柱・獪岳、そして竈門炭治郎。
「上弦の陸が兄妹で一組ってわけか……」
獪岳が不敵に笑う。
「だったら――二人まとめて叩き潰すだけだ」
「派手に同感だ!」
天元が叫ぶ。
「行くぞ、獪岳!」
「命令すんじゃねえ!」
「ハッハッハ! そういうところも気に入ったぜ!」
次の瞬間。
雷鳴と爆音が、吉原の夜を再び引き裂いた。
上弦の陸――堕姫と妓夫太郎。
兄妹二人を同時に相手取る、死闘の幕が今、切って落とされた。