「……ねえ。そこ、邪魔なんだけど」
刀鍛冶の里、その裏手に設けられた広い鍛錬場。
朝から響いていた刀鍛冶たちの槌音も一段落し、山から吹き下ろす涼やかな風が木々を揺らしていた。
その静かな場所で、獪岳は一人、日輪刀を手にしていた。
まだ修復中の愛刀ではない。
里から借り受けた訓練用の刀だ。
「……ふっ!」
振り下ろす。
ヒュンッ!
空気が裂ける。
もう一度。
さらにもう一度。
獪岳は黙々と刀を振り続けていた。
遊郭での戦いによって、自分の力がまだ足りないことを痛感していたからだ。
妓夫太郎。
堕姫。
そして、あの二人を相手に放った『帝釈天』。
勝利はした。
だが、紙一重だった。
「……まだ足りねえ」
額から流れる汗を乱暴に拭う。
「もっと速く。もっと強く……」
その時だった。
「だから、そこを退いてって言ってるんだけど」
背後から、淡々とした声が響いた。
獪岳の動きが止まる。
ゆっくり振り返った先。
そこに立っていたのは、長い黒髪を風に揺らす少年だった。
霞柱・時透無一郎。
鬼殺隊最年少の柱にして、若くして柱の座へ上り詰めた天才剣士。
無一郎は感情の薄い瞳で獪岳を見つめていた。
「……あぁん?」
獪岳の眉が跳ね上がる。
「後から来たガキが、何ぬかしてんだ?」
「僕が先に使いたかったんだけど」
「俺が先にいるだろうが」
「だから退いてほしいんだよ」
「……」
数秒の沈黙。
二人の間を、山風が吹き抜ける。
「お前……」
獪岳のこめかみに青筋が浮かんだ。
「相変わらず、人を小馬鹿にしたようなツラしてやがるな」
「そう?」
無一郎は首を傾げる。
「別に馬鹿にしてないよ」
「余計に腹が立つんだよ、その態度が!」
獪岳の身体から、バチッと小さな雷が弾けた。
無一郎の瞳がわずかに細くなる。
「……雷の人」
「誰が『雷の人』だ」
「前に見たときも怒ってたから」
「俺は鳴柱だッ!」
「そうだったっけ」
「忘れんな!」
「ごめん」
まったく悪びれていない。
「……こいつ」
獪岳の拳が震える。
そこへ――。
「獪岳さん! 時透さん!」
鍛錬場の入口から、炭治郎が慌てた様子で駆け込んできた。
その後ろには、からくり人形・縁壱零式の整備をしていた小鉄の姿もある。
「また喧嘩ですか!?」
「喧嘩じゃねえ!」
「喧嘩だよ」
「お前は黙ってろ!」
「ほら、やっぱり喧嘩じゃん」
「時透さんまで……!」
炭治郎が頭を抱える。
「獪岳さん、ここは里の鍛錬場なんですから、刀鍛冶の皆さんに迷惑をかけちゃ駄目です!」
「俺は迷惑なんざかけてねえ」
「でも時透さんと睨み合ってます!」
「こいつが喧嘩を売ってきたんだよ!」
「僕は場所を譲ってほしいって言っただけだけど」
「それが喧嘩売ってんだよ!」
「……よく分からないな」
「テメェ……!」
獪岳が一歩踏み出した、その瞬間。
「まあまあ。二人とも、落ち着いてください」
鈴を転がすような声が響いた。
全員が振り返る。
そこには、湯上がりの浴衣姿で立つ胡蝶しのぶがいた。
蝶の髪飾りが朝日に照らされ、濡れた髪からわずかに水滴が落ちている。
「しのぶさん!」
炭治郎が安堵の声を上げる。
「ちょうどよかったです。獪岳さんと時透さんが……」
「ふふ。大体分かりました」
しのぶは微笑みながら二人の間へ歩み寄る。
そして獪岳を見上げた。
「獪岳さん」
「……なんだよ」
「時透くんは、縁壱零式を使いたいのでしょう?」
「だから何だ」
「でしたら、少し譲ってあげてください」
「俺だって鍛錬中だ」
「ええ。ですから、私と一緒に別の場所へ行きませんか?」
「……」
「あなたの刀が完成するまで、私がお相手しますよ」
その言葉に、獪岳の表情が少しだけ変わった。
「……お前が?」
「はい」
しのぶはニッコリ笑う。
「恋人との鍛錬なら、獪岳さんも文句はないでしょう?」
「……チッ」
獪岳は舌打ちしながら刀を肩に担いだ。
「仕方ねえな」
そのまま立ち去ろうとする。
しかし――。
「でも」
無一郎がぽつりと言った。
「君、僕より弱いのに、なんでそんなに偉そうなの?」
「…………」
空気が凍った。
炭治郎の顔から血の気が引く。
小鉄がそっと後ずさる。
しのぶは笑顔のまま額に手を当てた。
「時透くん……」
「だって事実でしょ?」
「……テメェ」
獪岳の肩が震える。
「誰が……誰より弱いだと?」
「僕」
「知ってるわ!」
獪岳の足元で雷が爆ぜる。
「今すぐここで白黒つけてやろうか、クソガキィィィッ!!」
「獪岳さん、めっ、ですよ」
「しのぶ! こいつだけは許せねえ!」
「駄目です」
「なんでだ!」
「ここは刀鍛冶の里ですから」
「……チッ!」
しのぶが笑顔のまま指を一本立てる。
その笑顔の奥に漂う、妙に圧のある気配。
獪岳は渋々、雷気を収めた。
「……覚えてろよ、時透」
「うん」
「いつか必ず叩き潰してやる」
「そのときは相手するよ」
無一郎は興味が薄れたように、すぐさま縁壱零式へ視線を戻した。
「……あの野郎」
獪岳が忌々しげに振り返る。
だが、その瞳にあるのは単なる怒りだけではなかった。
(天賦の才だけで柱になったようなツラしやがって……)
無一郎の剣技を思い出す。
あの若さ。
あの落ち着き。
そして、底の知れない才能。
(気に入らねえ)
拳を握る。
(俺は泥をすすって、血を吐いて、ようやくここまで這い上がったんだ)
だからこそ。
才能だけで自分より高い場所へ立つ者を、獪岳は認められなかった。
(いつか絶対に追い越してやる)
それは獪岳にとって、怒りであると同時に新たな原動力でもあった。
「獪岳さん?」
「……なんだ」
「行きましょう」
しのぶが手を差し出す。
獪岳は一瞬だけその手を見ると、乱暴に掴んだ。
「……俺はもっと強くなるぞ」
「ええ。知っています」
「次に会ったときは、あのガキを絶対に黙らせる」
「ほどほどにしてくださいね」
「無理だな」
二人が鍛錬場を離れていく。
その背中を、無一郎は一瞬だけ見送った。
「……雷の人」
そして、何かを思い出しかけたように眉を寄せる。
「……前にも、会ったことがあるような……?」
だが、その記憶は霞の向こうへ消えていく。
一方――。
刀鍛冶の里を取り囲む深い森。
そこでは、二人の異形が静かに里を見下ろしていた。
一人は、上弦の伍。
もう一人は、上弦の肆。
「……柱がいるねぇ」
「うん。面白そうだなぁ」
笑い声が、誰にも届かない森の奥で響く。
穏やかな里の一日。
その裏側では、鬼舞辻無惨が送り込んだ上弦の鬼たちが、確実にその牙を研いでいた。
そして獪岳と時透無一郎。
二人の柱の再会もまた、間もなく始まる壮絶な戦いの前触れに過ぎなかった。