朝。
山道を走る二人の少年の姿があった。
「はぁ……はぁ……!」
善逸が息を切らしながら走る。
その少し前を、獪岳が走っていた。
「遅いぞ、善逸!」
「待ってよぉぉぉ!」
「鬼殺隊に入ったら鬼は待ってくれねぇぞ!」
「それはそうだけどぉ!」
「なら走れ!」
「兄貴鬼ぃぃぃ!」
獪岳は振り返らない。
だが、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
雷の呼吸。
全ての型を一通り修得した。
壱ノ型・霹靂一閃。
弐ノ型・稲魂。
参ノ型・聚蚊成雷。
肆ノ型・遠雷。
伍ノ型・熱界雷。
陸ノ型・電轟雷轟。
型を覚えるだけなら、獪岳は人並み以上に早かった。
前世の知識。
獪岳自身が持つ身体能力。
そして、未来を変えるという執念。
その三つが合わさっていたからだ。
しかし。
桑島は褒めなかった。
いや。
正確には、褒めた上で必ずこう言った。
――まだ足りん。
◇
その日の午後。
道場。
「今日は実戦形式じゃ」
桑島の言葉に、獪岳と善逸が顔を見合わせる。
「実戦……?」
善逸の顔が引きつる。
「鬼と戦うんですか!?」
「まだ鬼とは戦わせん」
桑島は木刀を二本用意した。
「儂が相手をする」
「え……」
善逸の顔が青ざめた。
獪岳は木刀を手に取る。
「分かりました」
「獪岳」
「はい」
「今日は、型を使うことを禁止する」
「……!」
「型を使わずに、儂から一本取ってみろ」
善逸が叫ぶ。
「無理だよぉぉぉ!!」
桑島が睨む。
「始めるぞ」
「ひぃっ!」
獪岳は構えた。
桑島も構える。
空気が変わった。
先ほどまでの穏やかな老人ではない。
鬼殺隊の元柱。
雷の呼吸を極めた剣士。
獪岳は一瞬で理解した。
――隙がない。
「…………」
桑島が踏み込む。
「ッ!」
獪岳は横へ跳ぶ。
木刀が頬を掠めた。
「速い……!」
「遅いぞ」
次の一撃。
獪岳は受ける。
――ガンッ!
腕が痺れる。
「ぐっ!」
さらに追撃。
「くっ……!」
獪岳は後退する。
型を使えない。
ならば。
身体能力だけで戦う。
「……!」
桑島の木刀が迫る。
獪岳は紙一重でかわす。
そして。
反撃。
「はっ!」
木刀を振り下ろす。
だが。
桑島は軽く受け流した。
「…………」
獪岳は舌打ちする。
「もう一度!」
「何度でも来い」
獪岳は踏み込む。
右。
左。
下段。
突き。
しかし。
全部読まれる。
「なぜじゃ」
桑島が言った。
「……!」
「お前は型を使えば強い」
「…………」
「しかし、型を使えなくなった途端に動きが単調になる」
「……」
「技に頼りすぎておる」
獪岳の表情が険しくなる。
「……もう一度」
「よし」
再び。
何度も。
何度も。
何度も。
獪岳は挑んだ。
しかし。
一度も勝てない。
◇
夕方。
道場の外。
獪岳は地面に座っていた。
汗だく。
腕も足も震えている。
「……勝てねぇ」
隣で善逸が呟く。
「兄貴でも勝てないんだ……」
「当たり前だ」
「でも、兄貴は全部の型を使えるのに」
「だから何だ」
獪岳は善逸を見る。
「型を全部覚えたからって、強くなるわけじゃねぇ」
「…………」
「技術は武器だ」
獪岳は自分の手を見る。
「だが、武器を持ってるだけで勝てるほど甘くない」
その時。
桑島が道場から出てきた。
「その通りじゃ」
二人が振り返る。
「獪岳」
「はい」
「お前には才能がある」
「…………」
「善逸にも才能がある」
善逸が驚く。
「俺にも!?」
「ああ」
桑島は頷く。
「だがな」
その声は厳しかった。
「才能だけでは鬼には勝てん」
獪岳は黙って聞く。
「才能のある者ほど、己の才能に溺れる」
「…………」
「少し出来れば、自分は強いと思う」
「…………」
「少し勝てば、努力など不要だと思う」
桑島は二人を見る。
「だが、鬼はそんなに甘くない」
「…………」
「鬼は人間より強い」
「…………」
「傷ついても死なぬ」
「…………」
「首を斬らぬ限り、何度でも立ち上がる」
獪岳は拳を握る。
「だからこそ――」
桑島は言った。
「人間は、努力し続けるしかない」
静かな言葉だった。
だが。
獪岳の胸には深く響いた。
◇
夜。
獪岳は一人で道場に戻った。
月明かりが差し込んでいる。
木刀を握る。
「…………」
今日の敗北を思い出す。
桑島の一撃。
避けられなかった。
受けきれなかった。
反撃も通じなかった。
――自分は強い。
そう思っていた。
雷の呼吸を全て覚えた。
壱ノ型も極めた。
身体能力も高い。
前世の知識もある。
だから。
もっと簡単に強くなれると思っていた。
「……馬鹿だな」
獪岳は自嘲する。
「そんな簡単な話じゃねぇ」
鬼殺隊の隊士は。
毎日命を懸けている。
柱は。
その何倍もの鍛錬を積んでいる。
そして。
上弦の鬼は。
それ以上の時間を生きている。
「才能だけで……勝てるわけがねぇ」
獪岳は木刀を構える。
「なら」
一歩。
「努力するしかない」
振る。
「一回」
もう一度。
「十回」
さらに。
「百回」
木刀が空気を切る。
「千回」
汗が落ちる。
「一万回でも――」
腕が痛む。
足が震える。
それでも。
「やる」
獪岳は振り続ける。
「俺は……」
刀を振る。
「誰も死なせない」
振る。
「悲鳴嶼さんも」
振る。
「善逸も」
振る。
「師匠も」
振る。
そして。
まだ出会っていない人々の顔を思い浮かべる。
胡蝶カナエ。
胡蝶しのぶ。
栗花落カナヲ。
炭治郎。
伊之助。
村田。
名もなき隊士たち。
「全員だ」
獪岳は木刀を振り下ろす。
「俺が守る」
◇
翌朝。
桑島が道場へ入る。
「……!」
目を見開いた。
そこには。
朝まで鍛錬を続けていた獪岳がいた。
「獪岳」
「……師匠」
「まさか……」
獪岳は息を切らしながら立ち上がる。
「昨日の続き、お願いします」
桑島は黙っていた。
「もう一度、俺を倒してください」
「…………」
「今度は」
獪岳は構える。
「昨日より、一歩でも強くなった俺を」
桑島の表情が変わった。
厳しい顔。
だが。
その奥には、確かな喜びがある。
「……よかろう」
桑島も木刀を構えた。
「来い」
「はい!」
獪岳が走る。
昨日とは違う。
僅かに。
ほんの僅かに。
身体の使い方が変わっている。
桑島の木刀が迫る。
獪岳は避ける。
反撃。
受けられる。
だが。
「……!」
昨日とは違う。
桑島が一歩下がった。
「ほう」
獪岳は息を整える。
「……今の」
「昨日より良い」
「……!」
「たった一晩でここまで変わるか」
獪岳は笑った。
「一晩じゃありません」
「何?」
「今までの全部です」
「…………」
「寺で生き残ったことも」
「…………」
「悲鳴嶼さんと過ごしたことも」
「…………」
「善逸と修行したことも」
「…………」
「師匠に教えてもらったことも」
獪岳は木刀を握り直す。
「全部、俺の力です」
桑島は目を細める。
「……そうじゃ」
「だから」
獪岳は踏み込む。
「俺は、もっと強くなります!」
「来い!」
木刀と木刀がぶつかる。
――ガァン!
山中に乾いた音が響いた。
才能。
努力。
経験。
そして。
誰かを守りたいという意志。
それらが重なって。
少年は少しずつ強くなっていく。
才能だけでは勝てない。
だからこそ。
努力する者は。
昨日の自分を超えていける。
【大正コソコソ噂話】
この日の修行後。
善逸が桑島に尋ねた。
「じいちゃん、獪岳兄貴って才能あるの?」
「ある」
「じゃあ俺は?」
「ある」
「じゃあ、どっちが才能ある?」
桑島は少し考えた。
「獪岳は努力する才能がある」
「……!」
「お前は眠る才能がある」
「なんで!?」
「寝ている時のお前は、恐ろしく強いからじゃ」
「それ褒めてる!?」
その会話を聞いていた獪岳は。
「善逸」
「何?」
「お前は起きてても強くなれる」
「兄貴……!」
「だから、まず寝坊するな」
「そこ!?」
なお翌朝。
善逸は寝坊した。
獪岳は無言で布団をひっぺがしたという。
――大正コソコソ噂話・終。