「ヒヒヒヒッ! 毒だと!? この玉壺に毒を盛ったつもりかねぇ!? 愚か! 実に愚かですぞ、人間どもォ!」
刀鍛冶の里、その一角。
幾重にも破壊された家屋の間を、異様な笑い声が響き渡っていた。
そこに立っているのは、もはや先ほどまでの玉壺ではない。
脱皮によって醜悪な肉体を脱ぎ捨てた上弦の伍は、全身を硬質な鱗で覆い、まるで異形の魚を思わせる姿へと変貌していた。
「この肉体は芸術そのもの! 並の刃など通しはしない! まして毒など、この玉壺には――」
玉壺が勝ち誇ったように両腕を広げる。
その瞬間だった。
「……あ?」
ぽつり。
玉壺の頬に、紫色の斑点が浮かび上がった。
一つ。
二つ。
三つ。
それは瞬く間に顔面全体へと広がり、硬質な鱗の隙間から黒紫色の血管が浮き上がっていく。
「……な、なんだ……これは?」
次の瞬間。
「ぎゃああああああああッ!!」
玉壺の絶叫が里中に轟いた。
「身体が……ッ! 私の身体が内側から腐っていくぅぅッ!? こんな毒、いつの間にィィッ!?」
「まあ。ようやく効いてきましたか」
鈴のように涼やかな声が響く。
玉壺が弾かれたように顔を上げた。
月明かりを背に、ひらり、ひらりと蝶の羽ばたきを思わせる動きで樹上から降りてくる人影。
紫色の瞳。
蝶の髪飾り。
そして、微笑みを浮かべた細身の剣士。
「蟲柱……胡蝶しのぶ……!」
しのぶは地面へ音もなく着地すると、手にした日輪刀を静かに構えた。
「ええ。こんばんは、玉壺さん」
その声には、いつもの柔らかな響きがある。
だが、その瞳には一切の笑みがなかった。
「あなたの鱗は想像以上に厄介ですね。普通の藤の花毒では、効果が出るまでに時間がかかりすぎます」
刀身に塗布されているのは、藤の花から精製した毒。
さらに刀鍛冶の里に自生していた薬草を組み合わせ、しのぶ自身が即座に調整した対・上弦用の特殊毒だった。
「毒を一種類だけだと思っていただいては困りますよ」
「き、貴様ァ……!」
玉壺が怒りに顔を歪める。
その瞬間。
「――おい」
低い声が響いた。
「余計な口出しすんじゃねえと言ったはずだぞ、しのぶ」
黒紫の雷が地面を走った。
バリ……バリバリバリッ!!
獪岳だった。
先ほどまで玉壺の配下を相手に戦い続けていたため、その身体には無数の傷が刻まれている。
さらに遊郭で受けた妓夫太郎の毒も完全には抜け切っていない。
それでも彼は、日輪刀を握ったまま立っていた。
「一人で片付けるつもりだったんだよ」
「そう言うと思っていました」
しのぶは微笑む。
そして、獪岳の隣まで歩み寄った。
「ですが、獪岳さん」
「なんだよ」
「あなたのお体は、もう十分すぎるほど無茶をしています」
「……うるせえ」
「遊郭で上弦の陸と戦い、その直後に刀鍛冶の里まで来て、今度は上弦の伍と交戦。しかも、先ほどから傷口が開いています」
「だからどうした」
「どうした、ではありません」
しのぶが獪岳の腕を掴む。
「これは重傷です」
「……チッ」
素早く薬布を取り出し、傷口へ巻きつける。
その手つきは驚くほど優しかった。
「痛みますか?」
「痛くねえ」
「嘘ですね」
「……」
「あなたは痛くても『痛い』と言わないでしょう?」
「……余計なこと言うな」
獪岳は顔を背ける。
その耳が、ほんの僅かに赤くなっている。
しのぶはそんな恋人の横顔を見つめ、小さく笑った。
「ふふ。そういう意地っ張りなところも、私は好きですよ」
「……戦場で惚気てんじゃねえ」
「惚気ではありません。事実を言っただけです」
「同じだろうが!」
「おやおや」
二人のやり取りを眺めていた無一郎が、ぽつりと呟いた。
「仲良いんだね」
「どこがだッ!」
獪岳が即座に怒鳴る。
「僕にはそう見えるけど」
「時透くん。今はあまり刺激しないほうがいいですよ」
「分かった」
無一郎は素直に頷き、刀を構え直した。
その瞬間だった。
「貴様らァァァァッ!!」
ズドォォォン!!
玉壺が大地を叩き割った。
「私を無視して恋人ごっこだと!? 許さん! この玉壺を愚弄する者は、全員私の最高傑作にしてくれるわァァッ!」
無数の壺が地面から出現する。
そこから巨大な魚の化け物たちが次々と飛び出し、鋭い牙を剥き出しにして三人へ殺到した。
「来ます!」
しのぶが跳躍する。
「蟲の呼吸――蝶ノ舞・戯れ!」
シュッ!!
紫電のような軌跡を残し、しのぶの刀が魚鬼の身体を次々と貫く。
「ギャアアアッ!」
「数が多いね」
無一郎も霞のように姿を消した。
「霞の呼吸・肆ノ型――移流斬り」
ヒュンッ!
次の瞬間には、無数の魚鬼の首が宙を舞っていた。
「チッ……俺に雑魚の相手をさせるな!」
そして獪岳。
全身から、漆黒に近い黒紫の雷が爆発的に噴き上がる。
「雷の呼吸――陸ノ型・電轟雷轟!!」
バリバリバリバリィィィッ!!
大地を走った雷撃が一瞬で周囲を覆い、残っていた魚鬼をまとめて吹き飛ばす。
爆発。
轟音。
そして静寂。
三人が同時に着地する。
霞。
蟲。
雷。
異なる戦い方をする三柱が、初めて完全に同じ敵へ刃を向けた。
「ヒ……ヒヒ……!」
玉壺の笑みが引きつる。
「三人がかりだと……? この私を相手に……?」
「ええ」
しのぶが刀を構える。
「三人がかりです」
「僕も、もう逃がすつもりはないよ」
無一郎の瞳から迷いが消える。
そして獪岳が、刀を低く構えた。
「三人で十分だ」
「な……なんだ、その目は……!?」
獪岳の瞳に宿るのは、凄まじい殺気だった。
「俺はな……上弦に負けるためにここへ来たんじゃねえ」
バリ……バリバリ……。
黒紫の雷が日輪刀へ集束していく。
「俺より上にいる奴を、全部叩き落とすために来たんだよ」
「生意気な人間めェェェッ!!」
玉壺が怒号を上げる。
同時に、しのぶと無一郎が左右へ散開。
獪岳が正面へ踏み込んだ。
「行きましょう、時透くん」
「うん」
「俺に合わせろ、二人とも!!」
「「はい!」」
三つの殺気が、一つの標的へ収束する。
毒によって蝕まれた上弦の伍。
記憶を取り戻した霞柱。
そして、己の限界を超え続ける鳴柱。
「来るなァァァァッ!!」
玉壺の絶叫とともに、無数の壺が一斉に割れた。
「雷!」
黒紫の閃光。
「霞!」
白い霧が視界を覆う。
「蟲!」
蝶のような斬撃が舞う。
次の瞬間、刀鍛冶の里を震わせる三柱の猛攻が、上弦の伍へと一斉に襲いかかった。
――上弦の伍・玉壺。
その命運は、いよいよ風前の灯となっていた。