「ヒヒヒヒヒッ……! ふざけるなァァァッ!!」
刀鍛冶の里を覆う森の中に、玉壺の狂笑が響き渡る。
無数の木々がなぎ倒され、地面には巨大な亀裂が走っていた。そこに立つのは、脱皮によって醜悪な外殻を捨て、硬質な鱗を全身に纏った玉壺の完全体。
しかし、その余裕に満ちた顔には、明らかな異変が生じていた。
「この私が……この玉壺がァ! 貴様らのような羽虫ごときに追い詰められるなど、あってはならんのだァァッ!!」
顔面を走る紫色の斑点。
しのぶの毒が、確実に玉壺の体内を侵食している証拠だった。
「芸術とは永遠! 美とは不滅! 私の作品は未来永劫語り継がれるのだ! それを貴様らは――!」
「……長いな」
ぽつり。
玉壺の怒号を遮ったのは、時透無一郎だった。
「え?」
「君の話、長いよ。しかも、ちっとも面白くない」
無一郎は淡々と刀を構える。
「だから、もう終わりにしよう」
「き……貴様ァァァッ!!」
玉壺の顔が怒りで歪んだ。
「ならば、この至高の芸術をその身で味わえェェェッ!!」
ドォン!!
完全体となった玉壺が大地を蹴る。
その速度は、先ほどまでとは比較にならない。
「陣殺魚鱗!!」
無数の打撃が嵐のように放たれた。
ドガガガガガガッ!!
巨木が砕け、岩盤が抉れ、土砂が宙へ舞い上がる。
一撃一撃が必殺。
まともに受ければ柱といえど致命傷は免れない。
だが――。
「霞の呼吸……漆ノ型」
無一郎の姿が、ふっと消えた。
「朧」
シュッ――。
玉壺の視界から無一郎が消える。
右。
いや、左。
次の瞬間には背後。
さらに前方。
霞が濃くなったかのように、無一郎の姿が幾重にも揺らめいていく。
「なっ……どこだァッ!?」
「ここだよ」
ザシュッ!
玉壺の腕が斬り裂かれる。
「ぐおっ!?」
振り向いた瞬間には、無一郎はすでに消えていた。
「こっちです」
今度は背後から声。
「な――」
シュッ!
さらに一閃。
玉壺の鱗が切り裂かれる。
「おのれェェェッ!! 小賢しい真似をォォッ!!」
玉壺が周囲をめちゃくちゃに殴りつける。
しかし、無一郎の姿を捉えることができない。
「焦っていますね」
そこへ、しのぶが静かに入り込んだ。
「な……!?」
「失礼します」
「蟲の呼吸――蝶ノ舞・戯れ」
シュシュシュシュッ!!
幾つもの鋭い突きが玉壺の身体へ叩き込まれる。
一撃。
二撃。
三撃。
すべてが毒を仕込んだ突き。
「ぐぎゃああああっ!!」
玉壺の身体が大きく痙攣する。
「貴様……! また毒をォォッ!!」
「ええ。先ほどより濃くしてあります」
しのぶが微笑む。
「あなたの再生速度に合わせて、毒の濃度も調整しました」
「ふざけるなァァッ!!」
玉壺が腕を振り上げる。
だが――。
「今です、獪岳さん!」
しのぶの声が響いた。
「言われなくても分かってんだよォッ!!」
バリィィィィッ!!
森の奥から、漆黒の雷光が炸裂した。
地面が爆発する。
獪岳だった。
全身は傷だらけ。
遊郭で負った傷も完全には癒えておらず、さらに玉壺の配下との戦闘によって肉体は限界へ近づいている。
それでも――。
「ハァ……ハァ……!」
獪岳は刀を握り締めた。
指先から血が滴る。
呼吸をするだけで肺が焼ける。
筋肉が悲鳴を上げる。
それでも、その瞳だけは死んでいなかった。
むしろ――燃えていた。
(あのガキに……)
無一郎を見る。
霞を纏いながら玉壺を翻弄する天才剣士。
(遅れを取るわけにはいかねえ……!)
次に、しのぶを見る。
自分の傷を気遣いながらも、戦場では一切の躊躇なく毒を叩き込んでいる恋人。
(ましてや、しのぶの前で……情けねえところなんざ見せられるかよ……!)
獪岳の口元が歪む。
「俺は……!」
バリバリバリバリッ!!
雷鳴が森を震わせる。
「誰よりも上に行くんだよォォォッ!!」
ドクンッ!!
心臓が大きく脈打った。
全身の血液が沸騰する。
肺が裂けそうになるほど呼吸を深くする。
そして――。
黒紫だった雷が、徐々に色を失っていく。
紫。
黒。
漆黒。
最後には、光そのものを呑み込むような暗黒の雷へと変貌した。
「獪岳さん!」
しのぶが叫ぶ。
「無茶は――!」
「うるせえッ!!」
獪岳が吼える。
「ここで無茶しなくて、いつ無茶するんだよォォッ!!」
無一郎が玉壺の動きを完全に封じる。
「獪岳さん」
霞の向こうから声が届く。
「今なら、斬れるよ」
「上等だ……!」
獪岳が腰を落とした。
足元の大地が、ミシリと沈む。
「雷の呼吸――」
玉壺が振り返る。
「な……なんだ、その構えは……!?」
しのぶが静かに笑った。
「玉壺さん」
「な、なんだァッ!?」
「あなたの敗因は、一つです」
しのぶの瞳が細くなる。
「私たち三人を、最後まで別々に戦う相手だと思っていたことでしょう」
無一郎が霞を広げる。
しのぶが玉壺の再生を毒で縛る。
そして獪岳が――。
「異形――」
世界が静止した。
風が止まる。
木々の葉が止まる。
玉壺の叫びすら、遠くへ消えたように感じられる。
「帝釈天――ッ!!」
ドカアァァァァァンッ!!
森が爆ぜた。
漆黒の雷光が一条の神槍となり、大地を一直線に駆け抜ける。
その速度は、玉壺の視認能力を完全に超えていた。
「な……っ!?」
玉壺の瞳が見開かれる。
「消え――」
次の瞬間。
獪岳は、玉壺の懐にいた。
「――遅ぇんだよ」
ギィィィンッ!!
日輪刀が振り抜かれる。
硬質な鱗を。
筋肉を。
骨を。
すべてをまとめて断ち切る。
「そ……そんな……!」
玉壺の首が宙へ舞った。
「あ……ああああああッ!!」
頭部だけになった玉壺が絶叫する。
「私の首がァァッ!! この美しい私の首がァァァッ!!」
ドサッ。
地面へ落ちた頭部を、無一郎が静かに見下ろす。
「……美しくないよ」
「な――」
「全然」
「き、貴様ァァァァッ!!」
怒号を上げる玉壺。
だが、すでに首から下の肉体は崩壊を始めていた。
しのぶの毒。
無一郎の霞。
そして獪岳の『帝釈天』。
三柱の連携によって、上弦の伍・玉壺の再生能力は完全に限界を迎えていた。
「俺たち三人を相手にして……」
獪岳が血まみれの刀を肩へ担ぐ。
「よく粘ったじゃねえか、バケモノ」
「貴様……! 私を誰だと――」
「知るか」
獪岳は吐き捨てる。
「俺が知ってるのは一つだけだ」
漆黒の雷が、刀身から静かに散った。
「上弦だろうが何だろうが――俺の前に立つなら、叩き斬る」
その言葉と同時に、玉壺の身体が大きく崩れた。
「ぎ……ぎぎ……!」
上弦の伍。
玉壺。
その命の灯火は、ついに消滅寸前まで追い詰められていた。