――鬼殺隊本部、産屋敷邸。
普段ならば穏やかな空気に包まれている屋敷が、この日ばかりは張り詰めた緊張感に満たされていた。
広間に集められたのは、鬼殺隊を支える柱たち。
炎柱・煉獄杏寿郎。
音柱・宇髄天元。
霞柱・時透無一郎。
恋柱・甘露寺蜜璃。
風柱・不死川実弥。
岩柱・悲鳴嶼行冥。
そして、蟲柱・胡蝶しのぶ。
さらに、その中にはもう一人。
漆黒の羽織を纏い、腕を組んだまま不機嫌そうに座る男がいた。
鳴柱――獪岳。
無限列車。
遊郭。
刀鍛冶の里。
幾度もの死闘を乗り越え、そのたびに上弦の鬼へ食らいついてきた男である。
「……禰豆子が太陽を克服した」
産屋敷耀哉の静かな声が広間に響く。
「これは、鬼舞辻無惨にとって千年に一度とも言える好機であり、同時に……私たちにとっても、無惨を討つための最大の機会です」
その言葉に、柱たちの表情が変わる。
「鬼舞辻無惨は必ず禰豆子を狙うでしょう」
しのぶが静かに続けた。
「そして、今まで以上の戦力を投入してくる可能性が高い。そうなれば、柱だけで全ての鬼を相手にするのは困難です」
「つまり、雑兵共にも戦力になってもらわなきゃならねえってことか」
実弥が腕を組む。
「そういうことだ」
天元が頷いた。
「最終決戦が近いってんなら、隊士全員を今まで以上に仕上げる必要がある。派手に鍛え上げてやろうじゃねえか」
「うむ!」
煉獄が力強く頷いた。
「若者たちの力を引き出すことは、我々柱の務めでもある!」
「……柱稽古、ですか」
しのぶが確認する。
「各柱がそれぞれ得意とする分野を担当し、隊士たちを鍛える。体力、筋力、剣技、速度、実戦能力……全てを底上げするわけですね」
「その通りです」
耀哉が微笑む。
「一人でも多くの隊士が生き残れるように。そして、一人でも多くの命を次の時代へ繋ぐために」
静かな言葉だった。
しかし、その覚悟は誰よりも重い。
「……ふん」
その時。
獪岳が鼻を鳴らした。
「弱卒を集めて鍛え直したところで、足手まといが増えるだけじゃねえのか」
「おい獪岳」
実弥が鋭く睨む。
「てめぇ、相変わらず口が悪ぃな」
「あぁ?」
獪岳も睨み返す。
「事実を言っただけだろ。上弦とまともに戦える奴が、隊士の中に何人いる?」
「まあまあ」
蜜璃が慌てて二人の間に視線を往復させる。
「でも、みんな頑張って強くなろうとしてるわよ?」
「努力だけで鬼は殺せねえ」
獪岳は吐き捨てるように言った。
「だが――」
そこで一瞬だけ言葉を止める。
「……強くなる気がある奴なら、俺は鍛える」
実弥が僅かに目を見開いた。
「へぇ……意外だな」
「勘違いすんな」
獪岳は鼻で笑った。
「俺が鍛えるのは、そいつらを強くするためだ。死なせねえためじゃねえ」
「では、隊士たちが死なないようにするのも目的に含めておきましょう」
しのぶが微笑む。
「含めてねえ」
「ふふ」
「笑うな」
そんな二人のやり取りを見ていた煉獄が、豪快に笑った。
「はっはっは! 相変わらず仲が良いな、二人とも!」
「「どこがですか!」」
二人の声が綺麗に重なった。
一瞬の沈黙。
そして――。
「……ふっ」
「……ふふ」
柱たちの間に小さな笑いが広がった。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
だが。
誰もが分かっていた。
これは、最後の準備だ。
無惨との決戦は、もう遠くない。
会議が終わると、柱たちはそれぞれの稽古場へ向けて動き始めた。
獪岳も立ち上がる。
腰には、刀鍛冶の里で新たに打ち直された黒銀の日輪刀。
「獪岳さん」
背後から声がした。
振り返ると、しのぶが立っていた。
「あなたも隊士たちの稽古を担当するのですよね?」
「そうなるな」
「どんな稽古をするつもりですか?」
獪岳は少し考えた。
「……走らせる」
「はい?」
「まず走らせる。死ぬほど走らせる」
「……」
「次に雷の呼吸を叩き込む。足運び、反応速度、瞬発力。俺について来られねえなら話にならねえ」
しのぶが苦笑する。
「隊士たちが逃げ出さないといいですね」
「逃げる奴は最初から必要ねえ」
「それでは困ります」
「……チッ」
獪岳は頭を掻いた。
「だったら、逃げても追いかけて連れ戻す」
「それなら安心しました」
「何がだよ」
「あなたは口では厳しいことを言いながら、結局は面倒見が良いですから」
「……誰がだ」
しのぶは答えず、ただ微笑む。
そして、獪岳の腕にそっと手を添えた。
「無理はしないでくださいね」
「俺が無理してるように見えるか?」
「見えます」
即答だった。
「遊郭でも、刀鍛冶の里でも、限界を超えて『帝釈天』を使ったでしょう?」
「勝つために必要だった」
「今回も同じことをするつもりですか?」
「当然だ」
獪岳の瞳が鋭くなる。
「無惨は今までの鬼とは違う。俺一人で倒せるなんて思っちゃいねえ」
意外な言葉に、しのぶが僅かに目を見開いた。
「……珍しく素直ですね」
「うるせえ」
獪岳は空を見上げる。
雲の向こうから、淡い陽光が差し込んでいた。
「だからこそ、俺自身がもっと強くなる」
拳を握る。
「誰よりも速く」
腰の刀へ手を添える。
「誰よりも鋭く」
そして――。
「誰よりも高いところまで行く」
その声には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「無惨の首を獲る」
しのぶが静かに隣へ並ぶ。
「……私も、そのつもりです」
「なら足を引っ張るなよ」
「ふふ。それはこちらの台詞ですよ、獪岳さん」
二人は顔を見合わせる。
そして、それぞれの戦場へ向かって歩き出した。
その日。
鬼殺隊史上、かつてないほど苛烈な鍛錬が始まった。
隊士たちはこれから、柱たちによる地獄のような稽古を経験することになる。
だが、その苦しみの先に待つのは――。
鬼舞辻無惨との最終決戦。
そして、生き残るための力だった。
「覚悟しろよ、雑魚共」
柱稽古場へ向かう獪岳が、不敵に笑う。
「これから俺がお前らを――死ぬほど強くしてやる」
こうして。
鬼殺隊最後の戦いへ向けた、柱稽古が幕を開けた。