「甘ぇッ!! そんな程度の動きで、上弦の鬼の首を獲れると思ってんのかァッ!!」
ドンッ!!
獪岳の怒号と同時に、稽古場の地面が震えた。
蝶屋敷からほど近い場所に設けられた鳴柱・獪岳専用の稽古場。その広大な庭には、朝から数十名の隊士たちが集められていた。
しかし、開始からまだ一刻も経っていないというのに、その半数以上が地面に転がっている。
「はぁ……はぁ……もう、足が動かない……」
「速すぎる……。あの雷撃、目で追えない……!」
「だったら目で追おうとするなッ!!」
バリバリバリッ!!
獪岳が手にした特殊な竹刀から、黒紫の雷光が迸った。
「戦場で敵の攻撃が見える保証なんざどこにもねえ! 見えねえなら、音を聞け! 空気の揺れを感じろ! 相手の殺気を読め! 身体で覚えろ!!」
「ひっ……!」
「来るぞォッ!!」
獪岳が一歩踏み込む。
その瞬間、姿が消えた。
「え?」
「ど、どこに——」
バチィィッ!!
「ぐわぁぁぁッ!!」
隊士の一人が吹き飛び、地面を何度も転がった。
「一人、反応が遅れた」
獪岳は淡々と言い放つ。
「次は二人だ。三人目はもっと早くなる。最後には全員が避けられるようになれ」
「む、無茶です、鳴柱様!」
「無茶?」
獪岳の口元が歪む。
「上弦を相手にするってのはなぁ……その『無茶』を十倍、百倍にした場所で命を奪い合うってことだ」
その声には、遊郭で上弦の陸と死闘を繰り広げた者だけが持つ重みがあった。
「俺は実際に上弦と戦った。奴らの速さも、殺気も、毒も知ってる。だからこそ言ってんだ。今のままじゃ、お前らは一瞬で死ぬ」
隊士たちは黙り込んだ。
厳しい。
あまりにも厳しい稽古だった。
だが、獪岳は一人も見捨てるつもりがなかった。
「立て」
「……!」
「這ってでも立て。自分の足で立てなくなった時が、本当の訓練開始だ」
「は、はいッ!!」
震える足で、隊士たちが一人、また一人と立ち上がる。
獪岳は満足そうに鼻を鳴らした。
「そうだ。それでいい」
そのときだった。
「獪岳さん!」
傷だらけになった炭治郎が、ふらつきながら前へ出てきた。
額には汗。
隊服には泥。
それでも、その目だけは死んでいなかった。
「僕も……もう一度お願いします!」
「……ほう」
獪岳の眉がわずかに上がる。
「さっき三回吹っ飛ばされた奴が、まだやる気か」
「はい!」
「腕は?」
「動きます!」
「足は?」
「まだ動きます!」
「だったら来いッ!!」
「はいッ!!」
バリィィィンッ!!
二人の足元が同時に爆ぜた。
炭治郎が一気に踏み込む。
獪岳の竹刀が右から来る。
炭治郎は首を捻ってかわした。
直後、左。
「くっ!」
身体を沈める。
頭上を黒紫の雷光が掠めた。
「遅ぇ!!」
獪岳の蹴りが炭治郎の腹へ突き刺さる。
「ぐっ……!」
吹き飛ばされながらも、炭治郎は空中で体勢を立て直し、着地した。
「今のは……避けられた!」
「まだ甘い」
獪岳は冷たく言い放つ。
「今の一撃、本物の日輪刀だったら腹を斬られて終わってる」
「……!」
「だが、一歩進んだな」
「え?」
炭治郎が顔を上げる。
獪岳はそっぽを向きながら続けた。
「次は三歩進め。俺に一撃でも入れられたら、今日の稽古は合格にしてやる」
「本当ですか!?」
「ただし——」
獪岳の全身から、さらに強烈な雷気が噴き上がった。
「俺は手加減しねえぞ」
「はいッ!」
再び二人が激突する。
雷光と炎。
鋭い踏み込みと、爆発的な反射。
稽古場には凄まじい衝撃音が響き続けた。
その様子を少し離れた縁側から眺めていたのは、胡蝶しのぶだった。
「ふふ……」
彼女の隣には、隊士たちのために用意された大量の水と薬、そして冷たい茶が並べられている。
「口ではあれほど厳しいことを言っているのに……一人一人の動きをきちんと見ていますね」
しのぶは微笑みながら、獪岳の姿を見つめた。
彼は誰よりも厳しい。
誰よりも口が悪い。
けれど、誰よりも鬼との戦いの恐ろしさを理解しているからこそ、隊士たちを強くしようとしていた。
やがて昼休憩となり、獪岳が縁側へ戻ってくる。
「水」
「はい。どうぞ」
しのぶが差し出した水筒を、獪岳は乱暴に受け取った。
「……お前、いつからいた」
「最初からですよ」
「チッ……趣味の悪い女だ」
「恋人の頑張っている姿を見るのは、趣味が悪いでしょうか?」
「……うるせえ」
獪岳が水を一気に飲み干す。
しのぶはそんな彼を見て、くすりと笑った。
「それにしても、随分と隊士たちを鍛えていますね」
「足手まといに死なれたら後味が悪ぃだけだ」
「本当にそれだけですか?」
「それ以外に何がある」
「……優しいんですね」
「誰がだ」
獪岳が即座に睨みつける。
「俺はただ、弱い奴が簡単に死ぬのが気に食わねえだけだ」
しのぶはその言葉に何も返さず、ただ穏やかに微笑んだ。
「はい。そういうところが、私は好きですよ」
「……チッ」
獪岳は耳まで赤くなった顔を隠すように、乱暴に水筒を置いた。
「休憩終わりだ!!」
「ええっ!? もうですか!?」
「上弦の鬼は待ってくれねえぞ!! 立て、クソガキども!!」
「は、はいぃぃぃッ!!」
再び稽古場に悲鳴と雷鳴が轟く。
鳴柱・獪岳の雷撃稽古。
それは隊士たちにとって、地獄そのものだった。
だが、その地獄を生き抜いた者だけが、無惨との最終決戦で生き残る可能性を手にする。
そして獪岳自身もまた、誰よりも強くなるために、己の雷をさらに研ぎ澄ましていた。
「俺が無惨の首を獲る……」
誰にも聞こえないほど小さく呟いた獪岳の瞳には、決して消えることのない黒紫の雷が宿っていた。