柱稽古が始まってから、幾日かが過ぎた。
水柱・冨岡義勇との実戦稽古。
鳴柱・獪岳による迅雷訓練。
蟲柱・胡蝶しのぶによる高速連突きと薬学訓練。
恋柱・甘露寺蜜璃による地獄の柔軟稽古。
それぞれの柱が、自分の得意分野を活かして隊士たちを鍛え上げていた。
そして次に待ち受けていたのは――。
霞柱・時透無一郎の稽古だった。
「遅い」
朝靄の漂う山中。
無一郎の淡々とした声が響く。
「もっと速く。そんなトロトロした動きじゃ、上弦の鬼どころか下弦にすら追いつけないよ」
「はぁ……はぁ……!」
「もう一度!」
「はいっ!」
隊士たちが一斉に地面を蹴る。
だが――。
「そこ」
ヒュッ!
「ぐあっ!」
「右」
ドンッ!
「うわぁっ!」
「遅いよ」
バシッ!
「ぐえっ!」
次々と隊士たちが地面へ転がされていく。
無一郎はほとんどその場から動いていない。
にもかかわらず、隊士たちが踏み込んだ瞬間には、すでに彼の姿が視界から消えている。
気づいた時には背後。
あるいは側面。
そして木刀による一撃が、隊士の肩や胴へ正確に叩き込まれていた。
「な、何なんだ……今の……」
「見えなかった……」
「目で追おうとするから遅れるんだよ」
無一郎は木刀を肩に担いだ。
「相手を見てから動くんじゃ遅い。相手の足、肩、腰、呼吸……次にどこへ動くのかを予測するんだ」
淡々とした説明。
だが、その内容は極めて高度だった。
「鬼との戦いでは、一瞬の判断が生死を分ける。だから、自分から相手の懐へ入る。相手が動く前に、こちらが動く」
「なるほど……」
「じゃあ、もう一度」
「えっ」
「休憩は終わり」
「そんなぁぁぁっ!」
再び隊士たちの悲鳴が山中に響き渡った。
その光景を少し離れた場所から眺めていた男が、呆れたように鼻を鳴らす。
「ハッ……相変わらず容赦ねえな、天才坊主」
汗を拭いながら歩いてきたのは、鳴柱・獪岳だった。
無一郎がちらりと振り返る。
「獪岳さん」
「ガキ相手に本気出してんじゃねえよ。何人ぶっ倒しゃ気が済むんだ」
「本気なんて出してないよ」
「……あ?」
「今の僕なら、この程度は普通だから」
「…………」
獪岳の眉間に深い皺が刻まれる。
「お前……」
「何?」
「相変わらず人を苛立たせる言い方しやがるな」
「事実を言っただけだよ」
「刀鍛冶の里でも思ったが……お前、ほんっと可愛げがねえな」
「獪岳さんに言われたくない」
「……あぁん?」
「口だけは達者だよね」
「テメェ……!」
バチッ!
獪岳の周囲から黒紫の雷気が漏れ出した。
隊士たちが一斉に後ずさる。
「お、おい……」
「始まるぞ……」
「また柱同士の喧嘩か……?」
無一郎も木刀を構え直した。
「ちょうどいい」
「何がだ」
「君の雷の速度を体験できるなら、僕にとってもいい訓練になる」
「ハッ!」
獪岳が口角を吊り上げる。
「言ったな、ガキ」
黒紫の雷気が一気に膨れ上がる。
「なら、その減らず口ごと叩き潰してやるよ!」
「やってみれば?」
次の瞬間――。
バリィィィンッ!!
獪岳の姿が消えた。
「速っ……!」
隊士たちが目を見開く。
しかし無一郎もまた、同時に姿を消していた。
「霞の呼吸……」
ヒュンッ!
「雷の呼吸……!」
バリバリッ!
ガキィィィィンッ!!
二人の木刀が激突した。
衝撃波が地面を走り、周囲の砂埃が一斉に舞い上がる。
「そこだ!」
獪岳が踏み込み、雷撃を纏った横薙ぎを放つ。
無一郎は紙一重で身を逸らす。
「甘いよ」
そのまま死角へ回り込む。
「チッ!」
獪岳が身体を捻る。
ガキンッ!
木刀と木刀が再びぶつかった。
一撃。
二撃。
三撃。
それ以上は、隊士たちの目では追えなかった。
「ど、どこだ!?」
「消えた!?」
「違う!」
炭治郎が叫ぶ。
「右です! いや……左!?」
「見えない……!」
山中を駆け巡る二つの影。
一方は、黒紫の雷光。
一方は、白い霞。
雷が走れば霞が消え。
霞が消えれば雷が追う。
まるで雷鳴と霧が互いを喰らい合うような、異次元の攻防だった。
そして――。
ガキィィィンッ!!
二人が中央で激突する。
獪岳の木刀が無一郎の肩口寸前で止まり、無一郎の木刀もまた、獪岳の喉元寸前で静止していた。
「…………」
「…………」
数秒の沈黙。
やがて獪岳が鼻で笑う。
「ハッ……やるじゃねえか、ガキ」
「獪岳さんもね」
「次は実戦用の刀で――」
「駄目です」
「…………」
二人の間に割って入ったのは、しのぶだった。
「二人とも、ここは隊士たちの稽古場ですよ?」
「しのぶ……」
「獪岳さん」
にっこり。
「本気の斬り合いは禁止です」
「……チッ」
「時透くんもですよ」
「うん」
素直に頷く無一郎。
「おい。なんで俺だけ露骨に不満そうな顔をしてんだ」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃねえだろ!」
隊士たちから小さな笑いが漏れる。
だが、しのぶはそのまま隊士たちへ視線を向けた。
「皆さん、今のお二人の動きを見ましたね?」
「は、はい!」
「では、覚えておいてください。あれが『自分の限界を超えた速度』です」
隊士たちは固唾を飲む。
無一郎が静かに言葉を続けた。
「速さは才能だけじゃない。繰り返し身体に覚えさせれば、少しずつ近づける」
獪岳も腕を組み、隊士たちを睨みつけた。
「だが、ただ速く走るだけじゃ意味がねえ」
「相手の動きを読む」
「自分の身体を最短距離で動かす」
「そして――」
獪岳の全身から、バチバチと雷気が弾ける。
「死ぬ気で喰らいつくんだよ!」
「はいっ!」
隊士たちの声が山中へ響き渡った。
その後の稽古は、さらに苛烈を極めた。
無一郎は隊士たちの死角へ回り込み、反応速度を限界まで引き上げる。
獪岳はその横で雷撃を使い、極限状態での回避と反撃を叩き込む。
「遅い!」
「そこだ!」
「もう一度!」
「立て! まだ終わってねえぞ!」
「は、はいぃぃぃっ!」
倒れても立つ。
吹き飛ばされても立つ。
何度叩き伏せられても、再び刀を握る。
その姿を見つめながら、獪岳は小さく呟いた。
「……少しはマシになってきたじゃねえか」
無一郎も隊士たちを見ていた。
「うん。最初より速くなってる」
「だったら、もっと鍛えるぞ」
「そうだね」
雷と霞。
性格も戦い方も正反対の二人だった。
しかし、鬼殺隊を強くするという目的だけは同じだった。
柱同士が互いの技量をぶつけ合うことで、隊士たちは自分たちが目指すべき「強さ」の輪郭を初めて理解し始める。
そして、その先に待つのは――鬼舞辻無惨との決戦。
「……絶対に生き残れよ」
獪岳が隊士たちへ背を向ける。
「次の戦場じゃ、俺たち柱だけで全部を背負えるとは限らねえからな」
その言葉に、隊士たちは一斉に刀を握り直した。
霞のように消える速度。
雷のように穿つ一撃。
その二つの極意を叩き込まれた隊士たちは、また一歩だけ、最終決戦へ向けて強くなっていくのだった。