無限城――。
上下左右の感覚すら意味を成さない異形の城内を、ひとりの少年が必死に駆けていた。
我妻善逸。
琵琶の音とともに仲間たちから引き離されて以来、幾度も曲がりくねった廊下を走り、階段を上り、そしてまた落とされる。それでも善逸は足を止めなかった。
「はぁ……はぁ……! どこだ……!」
額から汗を流し、乱れた呼吸を整えながら、善逸は耳を澄ませる。
「どこにいるんだよ……アニキ……!」
返事はない。
聞こえるのは、無限城そのものが軋むような不気味な音。そして遠くから聞こえてくる、無数の鬼たちの気配。
普通ならば恐怖で足が竦んでしまう。
だが――善逸には、それ以上に気になる音があった。
「……!」
遠い。
遥か下層。
壁を何枚も隔てた向こう側から、かすかな雷鳴が響いている。
ドン……。
続いて――
バリィィィッ!!
「……この音……」
善逸の表情が変わった。
耳を澄ます。
雷が弾ける音。
大地を踏み抜く音。
刀と刀が激突する音。
そして、その中心にある荒々しい呼吸。
「間違いない……」
善逸の瞳が大きく見開かれる。
「アニキの雷だ……!」
あの黒紫の雷。
柱稽古で何度も聞いた、兄弟子・獪岳の雷の呼吸。
その音は、いつもの獪岳よりも遥かに激しかった。
まるで、命そのものを燃やして戦っているようだった。
「……何と戦ってるんだよ、アニキ……」
胸の奥がざわつく。
嫌な予感がした。
それでも善逸は走った。
「待ってろよ……!」
一段。
また一段。
無限城の階段を駆け下りる。
途中で鬼が現れても、善逸は立ち止まらなかった。
「邪魔だぁぁぁッ!」
雷鳴とともに抜刀し、一瞬で鬼の頸を斬り落とす。
「今は……アニキのところに行かなきゃいけないんだ!」
その脳裏に、柱稽古の夕暮れが蘇る。
――お前は壱ノ型しか使えねえ。
――だがな、その『ひとつ』を極限まで磨き上げてきただろうが。
――二人で一人分、じいちゃんの弟子だ。
あの時の獪岳は、相変わらず口が悪かった。
けれど、善逸には分かっていた。
あれは獪岳なりの励ましだった。
自分を認めてくれた言葉だった。
「俺は……アニキに追いつくんだ……!」
その瞬間――。
ドゴォォォンッ!!
「うわぁぁぁっ!?」
目の前の壁が吹き飛んだ。
大量の瓦礫が宙を舞い、善逸はとっさに腕で顔を庇う。
煙が晴れていく。
その向こう側に広がっていたのは、血に染まった巨大な和室だった。
そして――。
「……!」
善逸の呼吸が止まった。
部屋の中央。
黒銀の日輪刀を握り締め、全身を傷だらけにしながら立っている男。
獪岳。
その向かい側には――。
人の姿を捨てた、禍々しい鬼が立っていた。
全身に異様な刀を纏い、口元には歪んだ笑み。
そして、その鬼から放たれる雷気は、獪岳のものとは似て非なる邪悪なものだった。
「アニキ……」
善逸の声が震える。
獪岳が振り返った。
「……善逸?」
一瞬だけ、獪岳の目が見開かれる。
だが次の瞬間には、いつもの険しい表情へと戻った。
「てめぇ……!」
「アニキ!」
「何でこんなところにいやがるッ!」
獪岳が怒鳴りつける。
「さっさと失せろ! ここはてめぇみてぇな奴が来る場所じゃねえ!」
「嫌だ!」
善逸は叫んだ。
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
「俺は……アニキを追ってきたんだ!」
「……あぁ?」
「柱稽古の時、言ってくれただろ……!」
善逸は刀の柄を強く握り締める。
「俺は壱ノ型しか使えない。でも、それを極限まで磨けばいいって……!」
一歩。
獪岳へと近づく。
「だったら俺は、俺にできることをやる!」
さらに一歩。
「アニキが戦ってるなら、俺も戦う!」
獪岳の眉間に皺が寄る。
「……馬鹿が」
「うん。馬鹿でもいい!」
善逸の目に涙が浮かぶ。
それでも、逃げなかった。
「俺はもう……アニキの背中を見てるだけの弟弟子じゃない!」
腰の刀を抜く。
シャリン――。
その刀身に、黄金色の雷光が走った。
「俺も雷の呼吸の使い手だ!」
バチッ!
金色の雷と黒紫の雷。
二つの異なる雷が、無限城の一室で同時に弾けた。
それを見た鬼が、愉快そうに口角を吊り上げる。
「へぇ……善逸まで来たのか」
獪岳の顔から怒気が消える。
代わりに浮かんだのは、獲物を前にした猛獣のような笑みだった。
「……ったく。余計な荷物が増えやがった」
「アニキ……!」
「だが――」
獪岳は黒銀の日輪刀を構える。
「俺の背中を追うってんなら、死ぬ気でついて来い」
「……うん!」
善逸も構える。
「絶対に離れない!」
「なら来い、善逸!」
黒紫の雷が轟く。
黄金の雷が応える。
二人の兄弟弟子が並び立った瞬間、鬼の笑みが一層深くなった。
「面白ぇ……!」
無限城の一室に、三者の殺気が渦巻く。
かつて同じ師の下で雷の呼吸を学んだ兄弟弟子。
そして、その二人を待ち受ける鬼。
今度の戦いは、ただの鬼殺しではない。
それぞれが背負ってきた過去と誇り、そのすべてを懸けた決着の戦い。
金色と黒紫。
二つの雷鳴が重なり――。
無限城に、凄絶な死闘の幕が上がった。