無限城の一室。
壁は崩れ、床は無数の亀裂に覆われていた。そこら中に散らばる瓦礫には、黒紫の雷が未だに纏わりつき、焦げた木材からは白い煙が立ち上っている。
その中心で、獪岳は荒い呼吸を繰り返していた。
「……はぁ……はぁ……」
肩から血が流れ、脇腹には深い傷が刻まれている。
腕も、脚も、無傷ではない。
それでも――。
黒銀の日輪刀を握る右手だけは、一切の震えを見せていなかった。
「……終わりだ」
獪岳が低く呟く。
その正面。
かつての兄弟弟子だった上弦の陸は、見るも無惨な姿へと変わり果てていた。
全身の至るところが黒く炭化し、再生した肉体がまた崩れ落ちる。
「ぐ……あ……」
鬼が自分の身体を見下ろす。
「な、何故だ……何故、再生できない……!」
「分からねえか?」
獪岳が刀を構え直した。
「俺の雷は、ただ斬るだけじゃねえ」
バリ……バリバリッ。
刀身から黒紫の雷が噴き上がる。
「焼いてんだよ」
「……!」
「細胞の一つ一つまでな」
鬼の顔が引き攣った。
これまで幾度となく斬られ、その度に再生してきた。
だが、獪岳の黒雷はその再生そのものを上回っていた。
斬る。
焼く。
さらに斬る。
再生する暇さえ与えず、ひたすらに追撃を重ねる。
それは、柱稽古を経て獪岳が磨き上げた、純粋な殺傷力の極致だった。
「ぐ……ふざけるな……!」
鬼が叫ぶ。
「俺は鬼だ! 上弦の陸だぞ! 人間ごときが、俺に勝てるはずがない!」
「……人間ごとき?」
獪岳の眉が僅かに動いた。
「そうかよ」
その声には、怒りすら通り越した冷たさがあった。
「なら、最後までその目で見てろ」
「何を――」
獪岳がゆっくりと刀を頭上へ掲げる。
周囲の黒紫の雷が、一斉に刀身へ吸い込まれていく。
バチッ。
バリバリバリバリッ!!
空気が震える。
床が震える。
無限城そのものが、獪岳の周囲に発生した異常な雷圧に軋み始めた。
鬼が後ずさる。
「な……何だ……それは……」
「柱稽古の最後に、俺自身が辿り着いた答えだ」
獪岳の脳裏に、これまでの日々が蘇る。
冨岡義勇との手合わせ。
不死川実弥との死闘。
悲鳴嶼行冥との極限の鍛錬。
時透無一郎との速度勝負。
甘露寺蜜璃の地獄の柔軟。
そして――。
しのぶの手当て。
善逸との約束。
全てが、今の一撃へと繋がっている。
「俺は、誰よりも強くなる」
獪岳の瞳が鋭く輝く。
「誰にも負けねえ」
雷がさらに膨れ上がる。
「そして――」
獪岳は一歩、踏み込んだ。
「俺の背中を追ってくる奴に、恥ずかしい姿は見せられねえんだよォォォッ!!」
「や、やめろォォォッ!!」
獪岳の声が轟く。
「雷の呼吸――」
黒紫の雷が爆発した。
「異形・帝釈天――」
ドォォォォォンッ!!
一瞬。
獪岳の姿が消えた。
「九頭龍雷鳴ッ!!」
轟音。
閃光。
そして――九つの黒雷。
それは単なる九連撃ではなかった。
一つ一つの斬撃が独立した雷龍のように形を成し、異なる角度から同時に上弦の陸へと襲い掛かる。
右。
左。
正面。
背後。
上下。
逃げ場など存在しない。
「な……!」
鬼が目を見開く。
「九つ……だと……!?」
一撃目。
ザンッ!!
肩口が斬り裂かれる。
二撃目。
ズバァッ!!
胴が焼き切れる。
三撃目。
ガギィンッ!!
鬼の防御を完全に粉砕する。
「ぐああああああッ!!」
四つ。
五つ。
六つ。
七つ。
八つ。
そして――。
最後の黒雷が、巨大な雷龍となって鬼の頸へ食らいついた。
「嫌だァァァッ!!」
獪岳が吼える。
「消え失せろォォォォッ!!」
ズドォォォォォンッ!!
九つの雷撃が、一つに収束した。
無限城の一室が、白昼のような光に包まれる。
轟音が鳴り響き、床が大きく陥没した。
やがて――。
静寂。
「……」
獪岳は刀を構えたまま、動かなかった。
煙が晴れていく。
そこに立っていた鬼の肉体は、もはや原形を留めていなかった。
「そ……んな……」
鬼の声が震える。
「俺が……人間なんかに……」
身体が崩れる。
「アニキ……」
最後に呟いたその言葉すら、黒い灰となって消えていった。
獪岳はしばらく無言で、その灰を見つめていた。
長かった。
あまりにも長い因縁だった。
兄弟弟子として出会い。
互いを認められず。
道を違え。
そして一人は鬼となった。
だが――。
今日、その因縁は終わった。
「……師匠」
獪岳が小さく呟く。
「……終わったぜ」
刀をゆっくりと鞘へ収める。
カチン。
その瞬間、全身から力が抜けた。
「アニキ!」
駆け寄ってきた善逸が、倒れかけた獪岳の身体を支える。
「おい……大丈夫!?」
「……離せ」
「嫌だ!」
即答だった。
「こんなボロボロなのに、一人で立とうとするなよ!」
「うるせえ……」
「アニキ……勝ったんだよね?」
「ああ」
「……そっか」
善逸の目から涙が零れた。
「俺たち……師匠の仇を……」
「違う」
獪岳が静かに言う。
「仇を討ったのは……俺一人じゃねえ」
善逸が顔を上げる。
獪岳は疲れ切った顔で、それでも僅かに笑った。
「お前も雷の呼吸を背負ってるんだろ」
「……!」
「だったら胸張れ。俺たちは――」
獪岳は無限城の奥を睨む。
「まだ終わってねえ」
その言葉と同時に、遠くから凄まじい鬼気が伝わってくる。
鬼舞辻無惨。
最終決戦は、まだ始まったばかりだった。
「行くぞ、善逸」
「うん!」
黄金の雷と黒紫の雷。
二つの雷光が、無限城の闇の中で再び輝きを放った。