「……空間を操る鬱陶しい琵琶女か」
無限城の深奥。
幾重にも重なる廊下と、上下左右の感覚すら狂わせる異形の構造。その中心に立つ一人の女を睨みつけ、獪岳は低く吐き捨てた。
黒い髪を垂らし、感情の薄い瞳でこちらを見つめる鬼。
その膝元に置かれた琵琶から、無限城そのものを揺るがす不気味な音色が響いている。
上弦の肆。
鳴女。
「お前のせいで、どれだけ遠回りさせられたと思いやがる……!」
獪岳の手に握られた黒銀の日輪刀が、低い雷鳴を纏った。
バチ……バチバチッ……!
刀身を這う黒紫の電光が、暗闇を不気味に照らす。
その隣では、善逸が荒い息を吐きながら日輪刀を構えていた。
「アニキ……あの鬼が、この無限城を動かしてるんだよね?」
「ああ」
獪岳は短く答える。
「だったら話は簡単だ。あの女を叩き斬ればいい」
「でも……」
善逸が鳴女を見つめる。
「さっきから一度も動いてない。なのに、城のほうが勝手に動いてる……。あの鬼、普通じゃないよ」
「だからどうした」
獪岳は口角を吊り上げた。
「普通じゃねえ鬼なら、普通じゃねえ速度で首を獲ればいいだけだ」
「……アニキらしいや」
善逸が苦笑する。
その瞬間だった。
ビィィィィン――!
鳴女が琵琶の弦を弾いた。
「来るぞ!」
獪岳が叫ぶ。
直後。
ガゴォォォンッ!!
二人の左右から巨大な壁が猛烈な勢いで迫ってきた。
「うわぁぁぁっ!?」
善逸が飛び退く。
しかし、壁は止まらない。
逃げ道を塞ぐように、上下からも床板と天井が迫ってくる。
「チッ……!」
獪岳は刀を横薙ぎに振り抜いた。
「雷の呼吸――肆ノ型・遠雷!」
ズバァァァンッ!!
黒紫の雷撃が一直線に走り、迫り来る壁をまとめて吹き飛ばした。
大量の木片が宙へ舞う。
だが、その向こうからさらに無数の障害物が押し寄せてくる。
「キリがねえ!」
獪岳が舌打ちする。
「アニキ、右!」
「任せた!」
善逸が反応する。
「雷の呼吸――壱ノ型!」
ドンッ!!
黄金の閃光が弾けた。
「霹靂一閃!」
ズバァッ!!
一瞬。
本当に一瞬だった。
善逸の姿が消えたかと思った次の瞬間、右側から迫っていた巨大な梁が真っ二つに切断される。
「今だ、アニキ!」
「上出来だ、善逸!」
獪岳は踏み込んだ。
バリバリバリバリィッ!!
黒雷が爆発的に迸る。
一歩。
二歩。
三歩。
獪岳の速度は瞬く間に加速し、鳴女との距離を一気に詰めていく。
「……!」
鳴女の指が動く。
ビィィン!
「遅え!」
獪岳が吠えた。
目の前に現れた壁を、刀の一閃で斬り飛ばす。
しかし、その先にはさらに別の壁。
「まだだ!」
斬る。
また壁。
「こんなもんで俺を止められると思うなよ!」
斬る。
また別の部屋が出現する。
鳴女は無限城そのものを迷宮へと変え、獪岳を翻弄していく。
だが――。
「……見つけた」
獪岳の瞳が細くなる。
鳴女の琵琶。
その音。
そして、音が鳴った直後に変化する空間。
「善逸!」
「うん!」
「耳を貸せ!」
「え?」
「次の音が鳴った瞬間、俺の後ろだけ見ろ!」
「後ろだけ?」
「そうだ。あの女は空間を動かしている。なら、動かす瞬間だけは必ず隙ができる!」
善逸は目を見開いた。
そして――笑った。
「分かった!」
ビィィィィン――!
琵琶が鳴る。
同時に空間が歪む。
善逸の耳が、その微かな変化を捉えた。
「右後方!」
「そこかァッ!」
獪岳が振り向いた。
そこに、一瞬だけ開いた空間。
鳴女へと繋がる直線。
獪岳は迷わなかった。
「雷の呼吸――壱ノ型・轟雷閃!!」
ドォォォォンッ!!
黒雷を爆発させ、一気に加速する。
「させるものか……!」
鳴女が再び琵琶へ手を伸ばす。
しかし――。
「させない!」
善逸が割り込んだ。
「雷の呼吸――壱ノ型!」
金色の閃光が鳴女の腕を掠める。
「霹靂一閃!」
ズバァッ!!
鳴女の指先が切り裂かれた。
「……!」
ほんの僅かな時間。
それだけで十分だった。
獪岳はすでに目の前にいる。
「これで終わりだァァァッ!!」
「雷の呼吸――肆ノ型・遠雷!」
黒紫の雷撃が鳴女の周囲を覆う。
逃げ道を塞ぐ。
空間を動かすための琵琶へ向けて雷撃が集中し、鳴女の血鬼術による空間操作が一瞬だけ停止する。
「馬鹿な……!」
初めて鳴女の表情に動揺が浮かんだ。
その瞬間。
獪岳の刀が閃いた。
「そして――」
黒銀の刀身に、さらに激しい雷が集束する。
「轟雷閃ッ!!」
ガキィィィィンッ!!
鳴女の首へ、一閃。
硬い感触。
しかし獪岳は止まらない。
「一撃で斬れねえなら――!」
刀を返す。
「二撃だァッ!!」
ズバァァァッ!!
今度こそ。
鳴女の頸が宙を舞った。
「…………」
静寂。
無限城を満たしていた琵琶の音が、途絶える。
鳴女の身体がゆっくりと崩れ落ち、その瞳から光が失われていく。
「そんな……私の……無限城が……」
鬼の身体が崩壊し、黒い灰となって消えていく。
その直後だった。
グラァァァァンッ!!
無限城全体が大きく揺れた。
「うわっ!?」
善逸がよろめく。
「アニキ!」
「立て!」
獪岳が善逸の腕を掴み、引き起こす。
「鳴女が死んだ。こいつを支えていた術が消え始めてやがる!」
「じゃあ……この城も……」
「ああ。崩れるぞ」
二人の頭上から巨大な梁が落下してくる。
「走れ!」
獪岳が善逸を引っ張る。
二人は崩壊する無限城を駆け抜けていく。
「アニキ!」
「なんだ!」
「俺たち……上弦を二体倒したんだよな!」
「二体じゃねえ」
獪岳が前を見据えたまま答える。
「玉壺、そしてあのクソ野郎。それに今の鳴女だ」
善逸が目を丸くする。
「三体……!」
「ああ」
獪岳は黒銀の日輪刀を握り直す。
「だが、まだ終わってねえ」
その瞳に浮かぶのは、勝利の喜びではなかった。
憎悪。
覚悟。
そして、最終目標を前にした揺るぎない闘志。
「無惨を殺す」
その言葉に、善逸も強く頷いた。
「うん」
二人は並んで走る。
その瞬間。
遠くから、別の強烈な気配が押し寄せてきた。
獪岳が足を止める。
善逸も同時に立ち止まった。
「……アニキ」
「ああ」
二人は同時に刀を構える。
無限城のさらに奥。
そこから伝わってくる気配は、これまでの鬼とは明らかに違っていた。
「まだ……こんな化け物がいるのか……」
善逸が息を呑む。
獪岳は笑った。
「上等だ」
黒雷が刀身を這う。
「こっちは柱だ。何匹来ようが、全部まとめて叩き斬る」
「アニキ……!」
「行くぞ、善逸!」
「うん!」
黒紫の雷と黄金の雷が、再び無限城の闇を駆け抜けた。
上弦の肆・鳴女は討たれた。
その一撃によって、鬼舞辻無惨の絶対的な支配領域だった無限城は大きく揺らぎ始める。
しかし――。
これは終わりではない。
鬼殺隊と鬼舞辻無惨。
千年にも及ぶ因縁の決着は、まだ始まったばかりだった。
そして今、鳴柱・獪岳と我妻善逸。
二人の雷の兄弟弟子は、最終決戦の中心へ向けて駆けていく。
その先に待つ、鬼の始祖を討つために。