「――姉さんの仇ッ!」
氷の御堂に、しのぶの叫びが響き渡った。
シュッ!!
細身の日輪刀が童磨の胸元へ迫る。
しかし――。
パキパキパキッ!!
童磨が扇を一振りしただけで、周囲の空気が瞬く間に凍結した。
「おっと、危ない危ない」
「くっ……!」
しのぶは紙一重で身を翻し、氷の床を蹴って後退する。
だが、着地した瞬間。
「……ッ!」
肺の奥に、焼けるような痛みが走った。
呼吸ができない。
冷たい。
あまりにも冷たい。
ただの寒さではない。
童磨の血鬼術によって生み出された冷気は、吸い込むだけで肺を侵し、呼吸そのものを奪っていく。
「どうしたのかな?」
童磨は楽しそうに首を傾げる。
「さっきまでの勢いはどうしたんだい?」
「……まだ……終わっていませんよ」
しのぶは震える脚を無理やり踏みしめた。
「私は……あなたを殺すまで……絶対に倒れません……!」
「うんうん、その顔だよ」
童磨が笑う。
「そういう必死な顔を見るの、ボクは結構好きなんだ」
「……そうですか」
しのぶも笑った。
だが、その笑顔の奥には凄まじい憎悪が燃えている。
「なら――その笑顔のまま、死んでください」
一気に踏み込む。
「蟲の呼吸――蝶ノ舞・戯れ!」
ズシュッ!!
毒を仕込んだ刀が童磨の肩を貫いた。
「おおっ!」
童磨の身体が僅かに揺れる。
「また毒か」
傷口から紫色の煙が立ち上る。
しかし――。
「残念だったね」
傷が塞がっていく。
「この程度じゃ、ボクは殺せないよ」
「……そうでしょうね」
しのぶは息を整える。
「ですから、何度でも刺します」
「へえ?」
「十回でも、百回でも」
しのぶの瞳が鋭くなる。
「あなたが死ぬまで」
その瞬間だった。
ドォォォォンッ!!
突然、御堂の天井が吹き飛んだ。
大量の氷と木材が崩れ落ちる。
「なに!?」
童磨が上を見上げる。
しのぶも驚いて振り返った。
舞い落ちる瓦礫。
吹き込む冷たい風。
その中を――一人の女性が静かに降り立った。
淡い桜色の羽織が、氷の御堂の中で美しく翻る。
手には一本の刀。
その刀身は月光を映すように澄み渡っていた。
「――大丈夫、しのぶ」
優しい声。
聞き間違えるはずがない。
「よく頑張ったね」
「…………」
しのぶの瞳が大きく見開かれる。
呼吸が止まった。
「……え?」
その女性は、ゆっくりと振り返った。
優しい微笑み。
懐かしい眼差し。
そして――かつて何度も自分の頭を撫でてくれた、大好きな姉の顔。
「……姉……さん……?」
声が震える。
「姉さん……?」
一歩。
しのぶが近づく。
「そんな……」
目から、涙が一粒こぼれ落ちる。
「だって……姉さんは……」
女性は静かに微笑んだ。
「うん」
そして、はっきりと告げる。
「私は、胡蝶カナエ」
花柱。
胡蝶しのぶの姉。
かつて上弦の弐・童磨との戦いで命を落としたはずの女性だった。
「……どうして……?」
しのぶは涙を拭うことすら忘れていた。
「どうして姉さんが……ここに……?」
カナエはしのぶの頬へ手を伸ばす。
その手は温かかった。
「泣かないの、しのぶ」
「……っ」
「あなたが泣いていると、私まで悲しくなってしまうでしょう?」
「姉さん……!」
しのぶは堪えきれず、涙を流した。
カナエはそんな妹を優しく見つめる。
「よくここまで頑張ったね」
「私……ずっと……姉さんの仇を……」
「知っているよ」
「ずっと……ずっと、あいつを殺したくて……!」
「うん」
「でも……私一人じゃ……!」
カナエはそっと妹の肩へ手を置いた。
「だったら、一人で戦わなくていい」
しのぶが顔を上げる。
カナエは童磨を見据えた。
先ほどまでの柔らかな表情から、僅かに笑みが消える。
「この鬼を討つために、私は戻ってきたのだから」
童磨は、珍しく言葉を失っていた。
「…………」
虹色の瞳が大きく見開かれる。
「……嘘だろ?」
童磨は目の前の女性を凝視した。
「君……」
そして、かつての記憶を思い出す。
「死んだはずじゃなかったかい?」
カナエは静かに刀を構えた。
「ええ」
その声には一切の迷いがない。
「あなたに殺された」
「…………」
「でも――」
カナエの足元に、淡い花びらのような闘気が舞う。
「もう一度、あなたと向き合う機会を得た」
童磨の口元が僅かに引きつる。
「へえ……面白いなぁ」
扇を開く。
「死者が蘇って復讐しに来るなんて、まるで御伽噺みたいだ」
「そうですね」
カナエが微笑む。
「ですが、あなたにとっては悪夢でしょう」
「……!」
カナエが踏み込んだ。
「花の呼吸――」
ヒュンッ!!
その姿が一瞬で童磨の懐へ潜り込む。
「弐ノ型――御影梅!」
ズバァッ!!
花弁のような斬撃が童磨の身体を切り裂く。
「ぐっ……!」
童磨が初めて大きく後退した。
「姉さん……!」
しのぶが息を呑む。
カナエは振り返らずに告げる。
「しのぶ」
「はい!」
「あなたは蟲」
「……!」
「私は花」
二人の刀が並ぶ。
「違う呼吸でも――」
「――想いは同じです」
しのぶが涙を拭う。
そして、笑った。
「ええ、姉さん」
二人の殺気が同時に膨れ上がる。
「一緒に、この鬼を討ちましょう」
童磨が扇を構え直す。
「いいねぇ……!」
氷の御堂が一瞬で凍てつく。
「姉妹二人まとめて食べてあげるよ!」
「その言葉――」
カナエの瞳が鋭くなる。
「生前の私にも言ったのでしょうね」
しのぶも刀を握り直す。
「ですが、今度は違います」
花と蟲。
二つの刃が、同時に童磨へ向けられる。
「――私たちは、あなたを逃がさない」
「さあ、行きましょう。しのぶ」
「はい、姉さん!」
ドォォォォンッ!!
氷の御堂が揺れた。
童磨の冷気と、胡蝶姉妹の剣技が激突する。
姉を奪われた妹。
かつて命を奪われた姉。
そして、千年もの間、人の命を弄び続けた上弦の弐。
三者の因縁が、今ここで交錯する。
「花の呼吸――!」
「蟲の呼吸――!」
「血鬼術――!」
三つの力が激突した瞬間、御堂全体を覆っていた氷が大きく砕け散った。
胡蝶カナエ、再び戦場へ。
そして胡蝶しのぶ。
二人の姉妹による、童磨への反撃が始まった。