朝の山道。
まだ太陽が昇りきっていない。
霧の残る山道を、二人の少年が走っていた。
「はぁ……はぁ……!」
我妻善逸。
その少し前を走るのは獪岳。
「遅いぞ、善逸!」
「待ってよぉ、兄貴ぃ!」
「鬼は待ってくれねぇぞ!」
「修行と鬼退治を一緒にしないでよ!」
「同じだ」
「違うよぉ!」
獪岳は振り返る。
「あと百歩」
「え?」
「そこまで走ったら休ませてやる」
「本当!?」
「ああ」
善逸の目が輝く。
「じゃあ頑張る!」
「ただし――」
獪岳が口角を上げる。
「俺も一緒に走る」
「意味ないじゃん!」
「文句があるなら俺より速く走れ」
「鬼ぃぃぃ!」
山中に善逸の叫び声が響いた。
その様子を。
少し離れた場所から桑島慈悟郎が見ていた。
「……仲の良い兄弟弟子になったものじゃ」
◇
二人が道場へ戻る。
善逸はその場に倒れ込んだ。
「もう無理……死ぬ……」
「大袈裟だ」
「兄貴は平気なの!?」
「平気だ」
「なんで!?」
「鍛えてるからだ」
「僕だって鍛えてるよ!」
「なら、もっと鍛えろ」
「鬼ぃぃぃ!」
獪岳は呆れた顔をしながらも。
善逸へ水を渡す。
「ほら」
「……ありがとう」
「飲み過ぎるな。すぐ修行だ」
「鬼……」
「何か言ったか?」
「なんでもありません!」
善逸は慌てて水を飲んだ。
そんな二人を見て。
桑島は微笑む。
「獪岳」
「はい」
「善逸」
「はい!」
「今日は二人で組手をしてみよ」
「え?」
善逸が固まる。
「兄貴と?」
「ああ」
「無理です!」
「即答するな」
「だって兄貴強すぎるもん!」
獪岳は木刀を取った。
「安心しろ」
「え?」
「手加減はする」
「そういう問題じゃない!」
桑島が笑う。
「よいではないか」
「師匠まで……!」
「兄弟弟子なら、互いに鍛え合うものじゃ」
「…………」
善逸は獪岳を見る。
獪岳は木刀を構えている。
「来い」
「……うん」
善逸も木刀を握った。
◇
「始め!」
桑島の声。
善逸が先に動いた。
「うおおおお!」
勢いよく突っ込む。
獪岳は横へ避ける。
「遅い」
「まだぁ!」
善逸が振り返る。
木刀を横薙ぎ。
獪岳が受ける。
――ガンッ!
「ぐっ!」
善逸の腕が震える。
「力みすぎだ」
「でも……!」
「雷の呼吸は速さだけじゃない」
「…………」
「呼吸を整えろ」
善逸は歯を食いしばる。
「……はい!」
再び構える。
今度は。
先ほどより静かだった。
「…………」
獪岳の目が細くなる。
「そうだ」
「え?」
「今の構えだ」
「……!」
「余計な力を抜け」
善逸は頷いた。
「うん!」
再び走る。
――ドンッ!
一瞬。
善逸の姿が消えた。
「!」
獪岳が木刀を構える。
――ガァン!
二人の木刀がぶつかった。
善逸が吹き飛ばされる。
だが。
「……まだ!」
すぐに立ち上がる。
獪岳は少し驚いた。
「ほう」
「まだやれる!」
「そうか」
獪岳が構える。
「なら、もう一度だ」
「うん!」
二人が同時に走った。
◇
その日の修行は。
日が暮れるまで続いた。
善逸は何度も負けた。
だが。
そのたびに立ち上がった。
「もう一回!」
「来い」
「もう一回!」
「来い!」
「もう一回!」
「来い!」
最後には。
善逸は地面に倒れた。
「……もう……動けない……」
獪岳も汗だくだった。
「今日はここまでだ」
「……兄貴」
「何だ」
「僕……強くなれるかな」
獪岳は少し黙った。
「なる」
「……即答?」
「ああ」
「どうして?」
「お前は何度倒されても立ち上がる」
「…………」
「それは強さだ」
善逸は目を丸くした。
「兄貴……」
「ただし」
「うん」
「泣きながらでもいいから鍛えろ」
「それは褒めてるの!?」
「褒めてる」
「分かりにくいよ!」
獪岳は小さく笑った。
◇
夜。
縁側。
二人は並んで座っていた。
善逸が呟く。
「ねえ、兄貴」
「何だ」
「兄弟弟子ってさ」
「うん」
「本当の兄弟みたいなものなのかな」
獪岳は少し考える。
「……そうだな」
「じゃあ」
善逸は嬉しそうに笑う。
「兄貴って呼んでもいい?」
「今さら何言ってんだ」
「だって、ずっと迷惑かなって」
獪岳は善逸を見る。
「好きにしろ」
「じゃあ!」
善逸は満面の笑み。
「兄貴!」
「……なんだ」
「兄貴!」
「なんだよ」
「兄貴ぃ!」
「うるせぇ!」
「兄貴ぃぃ!」
獪岳は頭を抱えた。
「……やっぱり撤回していいか?」
「ダメ!」
そのやり取りを。
少し離れたところで桑島が聞いていた。
「…………」
桑島は目を閉じる。
「良い弟子たちじゃ」
◇
それから。
二人の関係は少しずつ変わっていった。
獪岳は善逸に厳しかった。
「足!」
「はい!」
「呼吸!」
「はい!」
「姿勢!」
「はい!」
「泣くな!」
「無理!」
「なら泣きながらやれ!」
「はい!」
一方。
善逸は獪岳を慕った。
「兄貴!」
「何だ」
「今日の飯、僕が作る!」
「……お前、料理できるのか?」
「できるよ!」
「昨日、味噌汁を焦がしただろ」
「今日は大丈夫!」
「信用できねぇ」
「ひどい!」
それでも。
善逸が落ち込んでいれば。
獪岳は黙って隣に座る。
善逸が怪我をすれば。
誰より早く手当てをする。
善逸が修行を嫌がれば。
「逃げるな」
と引き戻す。
そして。
善逸が少しでも上達すれば。
「……よくやった」
その一言をくれる。
善逸にとって。
それだけで十分だった。
◇
ある日の修行。
桑島が二人を呼んだ。
「獪岳、善逸」
「はい」
「はい!」
「お前たちは兄弟弟子じゃ」
「…………」
「同じ師のもとで学び」
「…………」
「同じ雷の呼吸を使う」
「…………」
「だが、同じ雷である必要はない」
二人が顔を上げる。
「獪岳の雷は獪岳のもの」
「…………」
「善逸の雷は善逸のものじゃ」
「…………」
「互いを真似するのではなく」
桑島は二人を見た。
「互いに己の雷を極めよ」
獪岳は頷く。
「はい」
善逸も。
「はい!」
桑島は笑う。
「それでこそ、兄弟弟子じゃ」
◇
夜。
獪岳は一人で刀を振っていた。
そこへ善逸がやってくる。
「兄貴」
「寝ないのか?」
「兄貴こそ」
「俺はもう少しやる」
「じゃあ僕も」
「無理するな」
「兄貴も無理してるじゃん」
「…………」
「だったら僕もやる」
獪岳は少し黙った。
そして。
「……好きにしろ」
「うん!」
二人は並んで立つ。
「雷の呼吸――」
二人の声が重なる。
「壱ノ型!」
「霹靂一閃!」
――ドンッ!!
二つの雷が。
夜の山を駆け抜けた。
速さも。
姿も。
まだ違う。
だが。
確かに同じ場所から始まった雷だった。
やがて二人は。
それぞれ異なる道を進む。
善逸は。
己だけの究極の一撃を。
そして獪岳は。
龍の姿を取る、己だけの雷を。
それぞれの雷を極めていく。
それでも。
二人が兄弟弟子であることだけは。
決して変わらない。
【大正コソコソ噂話】
獪岳と善逸が正式に「兄弟弟子」として認められた頃。
善逸は桑島に尋ねた。
「じいちゃん!」
「何じゃ」
「兄貴と僕、どっちが強い?」
桑島は即答した。
「今は獪岳じゃ」
「うわぁぁぁん!」
「だが」
桑島が続ける。
「善逸にも、獪岳にはない才能がある」
「本当!?」
「ああ」
善逸が泣き止む。
「どんな才能!?」
桑島は真顔で答えた。
「寝ることじゃ」
「それ才能なの!?」
隣で聞いていた獪岳は。
「お前の場合、才能じゃなくて特技だろ」
「兄貴まで!?」
そして獪岳は。
「まあ、いつか俺を超えてみろ」
と笑った。
善逸は涙を拭い。
「絶対超える!」
と叫んだという。
この兄弟弟子の約束が。
後に二人の雷を、それぞれ別の極致へと導くことになる。
――大正コソコソ噂話・終。