無限城の深部。
そこは、上下左右の感覚すら狂わせる異形の空間だった。
天井は遥か彼方へ消え、巨大な歯車が幾重にも重なりながら、ギギギギ……と不気味な音を立てて回転している。
その狭間を、一人の男が荒々しく駆け抜けていた。
「チィッ……! 無限城ってのは、どこまで人を迷わせりゃ気が済みやがる!」
風柱・不死川実弥。
額から流れ落ちる血を乱暴に拭い、実弥は苛立たしげに舌打ちした。
お館様は死んだ。
鬼殺隊は総力を挙げ、無惨を追い詰めるために動いている。
だが、無限城に引きずり込まれてからというもの、仲間たちの気配は次々と遠ざかっていた。
「……冨岡の野郎は無事か。悲鳴嶼さんや胡蝶、それにあの雷野郎も……」
実弥の脳裏に、黒紫の雷を纏う男の姿が浮かぶ。
鳴柱・獪岳。
口を開けば癇に障る男だ。
だが、刀を交えれば分かる。
あの男もまた、命懸けで鬼を殺すために戦っている。
「……勝手に死ぬんじゃねえぞ、獪岳」
その瞬間だった。
ピタリ。
実弥の足が止まった。
風がない。
無限城の中だというのに、先ほどまで漂っていた空気の流れが完全に途絶えている。
「…………」
実弥は目を細める。
鼻腔を刺激する、濃密な血の臭い。
それも、自分自身の血とは違う。
「……いるな」
ギシ……。
巨大な歯車の影が揺れた。
「ククク……」
暗闇から、ぬるりと巨大な腕が伸びる。
「素晴らしい匂いだ……」
現れた鬼は、異様な巨体をしていた。
全身には無数の口と目が浮かび、鋭い牙を剥き出しにしている。
「これほど濃密な血の香り……人間とは思えぬほどだ。もしや……稀血か?」
「あァ?」
実弥の眉が跳ね上がった。
「だったらどうした」
「喰わせろ……」
鬼の瞳が血走る。
「その血を、もっと近くで嗅がせろ……!」
実弥は口角を吊り上げた。
「……上等だ」
そして、わざと刀を抜かずに腕を傷つける。
ザシュッ!
「ぐっ……!」
鮮血が噴き出した。
濃厚な稀血の香りが、一気に周囲へ広がっていく。
「ほらよ」
実弥は血の滴る腕を突き出した。
「喰いたきゃ来い」
「ガァァァァッ!!」
鬼が獣のような咆哮を上げた。
次の瞬間、巨大な身体が一直線に飛び込んでくる。
「馬鹿が」
実弥の目が鋭く光った。
「俺が稀血を垂れ流してる意味も分からねえのかァッ!」
ガキィィィン!!
ようやく抜き放たれた日輪刀が、鬼の爪を受け止めた。
火花が散る。
「風の呼吸――」
実弥は腰を沈める。
「壱ノ型!」
ドォォォン!!
「塵旋風・削ぎ!!」
爆発的な踏み込み。
刃を中心として凄まじい旋風が巻き起こり、鬼の身体を斜めに切り裂いた。
「グオオオオッ!?」
肉片が舞う。
しかし――。
ズズズズ……。
鬼の傷口が急速に塞がっていく。
「……チッ」
実弥が舌打ちする。
「再生が速ぇな」
「ハハハハハッ!」
鬼が笑う。
「その程度か、風柱! その程度の刃では、この俺の首には届かぬぞ!」
「だったら……」
実弥が刀を握り直す。
「届くまで斬るだけだろうがァッ!!」
ドンッ!!
再び実弥が消えた。
「風の呼吸――弐ノ型!」
ゴォォォッ!!
猛烈な竜巻が発生し、周囲の歯車までも巻き込んで吹き飛ばす。
「爪々・科戸風!!」
鬼の巨体が宙へ舞う。
「ぬおおおおッ!?」
そこへ実弥が追いすがる。
一閃。
二閃。
三閃。
斬撃が嵐のように叩き込まれる。
「クソがァッ!」
鬼も負けじと腕を振り回す。
巨大な爪が実弥の脇腹を掠め、肉を抉った。
「ぐっ……!」
血が飛び散る。
だが、実弥は止まらない。
「その程度で俺を止められると思ってんじゃねえぞォッ!」
むしろ傷口から流れる血が、鬼の本能をさらに刺激していた。
「その血……!」
鬼の瞳が狂気に染まる。
「もっとだ! もっと血を寄越せェッ!」
「くれてやるよ!」
実弥は自ら傷を広げた。
「ただし――」
刀を逆手に構える。
「テメェの命と引き換えになァッ!!」
ドォォォォン!!
暴風が爆発した。
無限城の歯車が一斉に軋み、壁が震える。
風柱の殺気が、空間そのものを震わせていく。
鬼が初めて後退した。
「な、なんだ……この殺気は……!?」
「鬼を殺すために生きてきたんだよ、俺は」
実弥の緑色の瞳が、鋭く輝く。
「テメェみてえな下種を一匹残らず地獄へ叩き落とすためになァ!」
風が渦巻く。
鬼が咆哮する。
そして二つの殺意が、真正面から激突した。
轟音と共に巨大な歯車が砕け散る。
その中心で、風柱・不死川実弥は一歩も退かなかった。
無惨へ至る道を阻むなら、たとえ上位の鬼であろうと関係ない。
「待ってろよ、無惨……!」
実弥は血に濡れた刀を構え直す。
「テメェの首を斬るまで、俺は止まらねえぞォッ!!」
風が、無限城を荒々しく駆け抜けた。
そして――風柱の死闘は、さらに激しさを増していく。