無限城の深部。
そこへ続く巨大な石造りの回廊は、これまで獪岳たちが駆け抜けてきた階層とは、明らかに空気が違っていた。
音がない。
風もない。
ただ、底知れぬ鬼気だけが、重く淀んでいる。
まるで無限城そのものが、これより先へ進むことを拒んでいるかのようだった。
「南無阿弥陀仏……」
静寂を破ったのは、低く穏やかな祈りの声。
数珠を手にした巨躯の男が、ゆっくりと回廊を歩いていた。
鬼殺隊最強。
岩柱・悲鳴嶼行冥。
両目から絶え間なく涙を流しながらも、その足取りには一切の迷いがない。
手には巨大な鉄球。
腰には斧。
その二つを鎖で繋いだ特殊な日輪刀が、歩くたびに重々しい音を響かせている。
「……この先に、強大な鬼がいる」
行冥は足を止めた。
「南無阿弥陀仏……。これ以上、鬼に人の命を奪わせるわけにはいかぬ」
その瞬間だった。
ズズズズズ……!!
回廊の奥から、地面を這うような異様な音が響き渡る。
壁が盛り上がる。
天井が軋む。
そして暗闇の中から、一体の巨大な鬼が姿を現した。
「よく来たな……人間」
その鬼の身体は異様なまでに巨大だった。
筋肉が幾重にも隆起し、腕は四本。
その全身から放たれる血鬼術によって、周囲の空間そのものが歪んでいる。
「ここから先へ進ませるわけにはいかぬ。貴様も、この無限城で朽ち果てろ」
鬼が片腕を振る。
瞬間。
ズドォォォンッ!!
凄まじい圧力が行冥へと叩きつけられた。
床が陥没する。
石柱が砕け散る。
壁面に無数の亀裂が走った。
だが――。
「……」
行冥は動かなかった。
巨大な身体が、ただ静かにその場へ立っている。
「な……に……?」
鬼の顔から笑みが消えた。
行冥の額に、赤く浮かび上がる痣。
その瞬間、周囲の空気が変わった。
ズン……。
ズン……。
まるで大地そのものが呼吸しているかのように、行冥の全身から圧倒的な闘気が放たれる。
「人の命を弄ぶ鬼よ」
行冥が静かに鎖を握り直す。
「その罪……我が手で断ち切ろう」
「舐めるなァァァッ!!」
鬼が咆哮した。
四本の腕が同時に振り下ろされる。
轟音とともに巨大な拳が迫る。
だが――。
ガキィィィンッ!!
行冥の鉄球が、それを真正面から弾き返した。
「ぐおおおおっ!?」
鬼の巨体が大きくよろめく。
そこへ鎖が唸る。
ジャラララララッ!!
鉄球が地面を削りながら旋回し、鬼の側頭部へ猛烈な速度で叩き込まれた。
ドゴォォォンッ!!
「ぐはァッ!!」
鬼の身体が壁へと吹き飛ぶ。
しかし、上位の鬼だけあって再生も速い。
潰れた頭部が、見る間に元へ戻っていく。
「ふ、ふふ……! この程度で私を倒せると思うな!」
「……そうか」
行冥は静かに目を閉じた。
呼吸を整える。
全身へ巡らせる。
そして――。
「ならば、もう一度だ」
ズンッ!!
踏み込んだだけで、床が砕けた。
「岩の呼吸――」
鉄球が唸る。
斧が閃く。
鎖が複雑な軌道を描く。
「伍ノ型――!」
鬼が両腕を構えた。
「来い、人間ッ!!」
「――岩流・怒濤!!」
ドォォォォォンッ!!
鉄球と斧が、まるで巨大な岩石の奔流そのものとなって鬼へ襲い掛かった。
一撃。
二撃。
三撃。
鉄球が肉を潰し、斧が骨を断ち、鎖が逃げ道を奪う。
鬼が再生する。
その上から、さらに叩き潰す。
再生する。
また砕く。
「ぐああああああッ!!」
鬼の絶叫が無限城を揺らした。
「馬鹿な……!」
その巨体が、徐々に崩れていく。
「私は……上位の鬼だぞ……! なぜ……なぜ人間ごときに……!」
行冥は答えない。
ただ一心に、鎖を振るう。
「人間だからこそだ」
最後の一撃。
ギュオオオオオッ!!
鉄球が大きく弧を描く。
「人の命を背負っている」
ドゴォォォォォンッ!!
鬼の頭部が完全に砕け散った。
「その命を……奪わせぬために戦っている」
続けざまに斧が閃く。
ザンッ!!
鬼の頸が断ち切られた。
「ぐ……あ……」
巨体が崩れ落ちる。
黒い灰となりながら、鬼は震える声を漏らした。
「こんな……馬鹿な……」
やがて、その姿は完全に消滅した。
静寂が戻る。
行冥はゆっくりと武器を下ろした。
「南無阿弥陀仏……」
そして数珠を握り締める。
討った鬼のためではない。
この戦いの中で失われた、数え切れないほどの命のために。
「どうか……安らかに」
しばしの祈りを終えると、行冥は再び前を向いた。
その先に待っているのは、鬼舞辻無惨。
千年もの間、人々を苦しめ続けた鬼の始祖。
「……行こう」
巨大な身体が、再び歩き始める。
その足音は重い。
しかし、一歩一歩が確実に無限城の最深部へと近づいていた。
その頃――。
別の階層では、獪岳、善逸、しのぶ、カナエたちもまた、それぞれの死闘を繰り広げていた。
柱たちは誰一人として、立ち止まってはいない。
そして鬼殺隊最強の岩柱もまた、最後の敵へ向けて進み続ける。
無限城の奥底。
最終決戦の時は、刻一刻と近づいていた。