――ドクン。
鬼舞辻無惨の身体が、静かに脈打った。
その瞬間だった。
ズバァァァンッ!!
無惨の背中から、無数の肉塊が一斉に噴き出した。
それは鞭のようにしなり、あるいは鋭利な刃物のように形を変えながら、周囲にいる鬼殺隊士たちへ無差別に襲い掛かっていく。
「散れッ!!」
実弥の怒号が飛ぶ。
隊士たちは咄嗟に左右へ飛び退いた。
しかし――。
速い。
あまりにも速すぎる。
「ぐあっ!?」
「うわぁぁぁっ!!」
避けたはずの触手が空中で軌道を変え、逃げた隊士の背後から襲い掛かる。
義勇が水の呼吸で斬り落とす。
実弥が風の刃で吹き飛ばす。
悲鳴嶼が鉄球を振り回し、まとめて粉砕する。
それでも、次から次へと新たな触手が生えてくる。
「なんという……数だ……!」
悲鳴嶼が眉を寄せる。
炭治郎も必死に走っていた。
「このままじゃ、全員が囲まれる!」
無限城はすでに崩壊を始めている。
足場は安定しない。
壁も床も天井も、いつ崩れるか分からない。
そのうえ無惨の攻撃は、隊士たちの逃げ道そのものを潰してくる。
「右だ、炭治郎!」
「はい!」
義勇の声に反応し、炭治郎が横へ飛ぶ。
直後。
ドシュッ!!
今まで炭治郎が立っていた場所を、無惨の触手が貫いた。
「危なかった……!」
炭治郎が息を呑む。
だが、安心する暇はなかった。
足元から――。
ガラッ!!
「なっ!?」
崩れた瓦礫の隙間へ、炭治郎の右足が嵌まり込んだ。
「炭治郎!」
義勇が駆け出す。
しかし、その瞬間。
無惨の触手が大きく振り上げられた。
先端が鋭く尖る。
狙いは、炭治郎の心臓。
「――死ね」
無惨の声は、あまりにも冷たかった。
炭治郎は歯を食いしばる。
抜けない。
瓦礫が足を完全に挟み込んでいる。
「くっ……!」
日輪刀を振るうには距離が近すぎる。
義勇も間に合わない。
実弥も遠い。
悲鳴嶼も別の隊士を庇っている。
誰も間に合わない。
――その時だった。
「させねぇよォォォッ!!」
バリィィィィンッ!!
一条の黒紫の雷光が、無惨と炭治郎の間を横切った。
無惨の触手が弾き飛ばされる。
ズドォォォンッ!!
その衝撃で周囲の瓦礫が吹き飛び、炭治郎の身体が露わになった。
「え……?」
炭治郎が顔を上げる。
その前に、一人の男が立っていた。
黒銀の日輪刀。
逆立つ髪。
全身から迸る黒紫の雷。
そして、敵を睨みつける鋭い眼差し。
「……獪岳さん!」
鳴柱・獪岳。
彼は刀を構えたまま、無惨を真正面から睨みつけていた。
「てめぇ……!」
無惨が目を細める。
「また私の邪魔をするか」
「当たり前だろうが」
獪岳は口元を吊り上げる。
「目の前で仲間を殺されそうになって、黙って見てるほど腐っちゃいねぇんだよ」
その言葉に、炭治郎は目を見開いた。
以前の獪岳なら。
仲間のために自ら前へ出るなど、考えられなかった。
自分が生き残ること。
自分が強くなること。
自分が上へ行くこと。
それこそが、獪岳にとって何よりも優先すべきものだった。
だが今は違う。
獪岳は、迷うことなく炭治郎の前に立っている。
「……アニキ」
善逸が小さく呟いた。
その声に、獪岳は振り返らない。
「炭治郎!」
「はい!」
「足を抜け!」
「でも……!」
「さっさとしろッ!!」
「はいっ!」
炭治郎が力任せに足を引き抜く。
その瞬間――。
無惨の触手が再び襲い掛かった。
「獪岳さん!」
「分かってる!」
獪岳が踏み込む。
「雷の呼吸――」
バリバリバリバリッ!!
黒雷が爆発的に膨れ上がる。
「肆ノ型――遠雷ッ!!」
ザァァァァンッ!!
無数の黒い雷撃が放たれた。
一本。
二本。
十本。
数え切れないほどの雷の斬撃が、無惨の触手を次々と斬り裂いていく。
だが――。
ジュルッ。
切断された触手が瞬時に再生する。
「……チッ!」
獪岳が舌打ちした。
「やっぱり化け物だな……!」
無惨は無表情だった。
「その程度か」
次の瞬間。
ドォォォォンッ!!
無惨の身体から、さらに大量の触手が噴き出した。
「獪岳さん!」
炭治郎が叫ぶ。
四方八方。
逃げ場がない。
獪岳の瞳が鋭く細められる。
「上等だ……!」
黒銀の日輪刀を握り締める。
「何本来ようが――」
バチィッ!!
黒雷が爆ぜた。
「全部、叩き落としてやるよォォォッ!!」
獪岳が突っ込む。
斬る。
避ける。
また斬る。
触手が頬を掠める。
肩から血が噴き出す。
それでも止まらない。
「ぐっ……!」
ドスッ!!
一本の触手が脇腹を掠めた。
「獪岳!」
炭治郎が叫ぶ。
「来るなァッ!!」
獪岳が怒鳴った。
「お前は前だけ見て走れ!」
「でも!」
「俺がここを止める!」
無惨の触手を真正面から受け止めながら、獪岳は叫んだ。
「お前ら全員――無惨のところまで辿り着け!!」
その言葉に、炭治郎の胸が熱くなる。
「……はい!」
炭治郎は走った。
義勇も続く。
実弥も。
悲鳴嶼も。
それぞれが無惨へ向けて進んでいく。
その背中を守るように、獪岳がたった一人で立ちはだかる。
「……ハッ」
獪岳が笑った。
「これが……俺の役目ってわけか」
背後には仲間たち。
正面には鬼舞辻無惨。
圧倒的な力の差。
まともに戦えば、命がいくつあっても足りない。
それでも。
獪岳は退かなかった。
「俺はよ……」
刀を握る手に力を込める。
「ずっと、自分だけが強くなればいいと思ってた」
黒雷が身体を包む。
「誰より上に行って、誰にも馬鹿にされねぇ強さを手に入れて……」
一歩。
「それだけでいいと思ってた」
さらに一歩。
「けどな……」
獪岳が無惨を睨みつける。
「今は違う」
バチィィィッ!!
黒雷が大きく爆ぜた。
「俺の背中を追ってきた馬鹿がいる」
善逸の姿が脳裏に浮かぶ。
「俺を信じて刀を振るう奴らがいる」
炭治郎たちを見る。
「だったら――」
獪岳の瞳に、強烈な闘志が宿った。
「その背中を守るのも、鳴柱の仕事だろうがァァァッ!!」
ドォォォォォンッ!!
黒紫の雷が無限城を震わせる。
無惨が初めて、僅かに目を細めた。
「……面白い」
「何がだァ?」
「貴様のような男が、他者のために命を張るとはな」
獪岳は鼻で笑った。
「勘違いすんな」
刀を構える。
「俺は俺のために戦ってる」
「ほう?」
「俺が選んだ仲間を、俺が守る。それだけだ」
そして――。
「だから、テメェには一人も殺させねぇ!!」
無惨の触手が一斉に放たれた。
獪岳も同時に踏み込む。
「雷の呼吸――」
黒雷が一点へ収束する。
「異形――」
黒銀の日輪刀が唸りを上げる。
「帝釈天ッ!!」
轟ォォォォォンッ!!
黒紫の雷光が無限城の闇を切り裂いた。
無惨の攻撃と真正面から衝突する。
大気が震える。
床が砕ける。
瓦礫が宙へ舞い上がる。
「ぐおおおおおおッ!!」
獪岳の足が後ろへ滑る。
血が口元から流れる。
腕が軋む。
それでも――。
刀は下がらない。
「……まだだ」
さらに力を込める。
「まだ俺は……倒れねぇぞォッ!!」
その姿を遠くから見た善逸が、拳を握り締めた。
「アニキ……!」
獪岳は振り返らない。
ただ、仲間たちが進むための道を作る。
自分が傷ついても。
自分が倒れそうになっても。
その一歩だけは、絶対に退かない。
かつて他者を切り捨てることで強さを証明しようとした男は、今――。
仲間を守ることで、自らの強さを証明しようとしていた。
バチィィィッ!!
黒紫の雷が、再び無限城を駆け抜ける。
最終決戦の最前線。
鳴柱・獪岳は、仲間たちの盾として、鬼舞辻無惨の前に立ちはだかった。