夜明けの光が、大地を黄金色に染めていた。
竈門炭治郎の日の呼吸、そして炎柱・煉 獄杏寿郎の渾身の一撃によって、鬼舞辻無惨の巨体は激しく焼き崩れている。
「ぐおおおおおおおおおッ!!」
無惨の絶叫が朝焼けの空を震わせる。
しかし――。
完全に消滅したと思われた肉塊の中心から、無数の小さな肉片が弾丸のように飛び散った。
「……ッ!」
炭治郎が息を呑む。
「まだ動いている……!」
無惨は太陽の光から逃れようとしていた。
一片でも残ればいい。
細胞の一つでも逃げ延びればいい。
それだけで、鬼舞辻無惨という怪物は再び夜の闇へ潜み、いつの日か復活する可能性がある。
「逃がしません……!」
凛とした声が、朝の戦場に響いた。
次の瞬間。
蝶が舞うような紫色の影が、飛び散った肉片の前へ躍り出る。
「一欠片たりとも……あなたを逃がすつもりはありませんよ、無惨」
蟲柱・胡蝶しのぶ。
満身創痍の身体。
何度も傷ついた羽織。
それでも、その瞳だけは一切の迷いを宿していなかった。
しのぶの手には、細身の紫紺の日輪刀。
そこに込められているのは、鬼の身体を内部から破壊するために調合された特殊な毒だった。
「無駄なことを……!」
飛び散った肉片から、無惨の声が響く。
「私を殺したつもりか? この程度の毒など、私の再生力なら――」
「……そうでしょうね」
しのぶは静かに笑った。
「普通の毒なら、そうだったかもしれません」
その瞬間。
彼女の背後から、柔らかな風が吹き抜けた。
桜色の羽織が朝日に舞う。
「でも、しのぶは一人ではありません」
「……姉さん?」
振り返ったしのぶの瞳が、大きく見開かれる。
そこに立っていたのは――。
「久しぶりだね、しのぶ」
花柱・胡蝶カナエ。
かつて童磨との戦いで命を落としたはずの姉が、朝日の中に立っていた。
穏やかな笑顔。
優しい声。
そして、その手には美しく輝く日輪刀。
「姉さん……!」
しのぶの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「どうして……」
「理由なんて、今はどうでもいいでしょう?」
カナエは微笑みながら、妹の隣へ並ぶ。
「ただ、最後まで一緒に戦える。それだけで十分だよ」
「……はい!」
しのぶは涙を拭い、刀を握り直した。
その表情から悲しみが消える。
残ったのは、ただ一つ。
目の前の鬼を絶対に逃がさないという決意だった。
「胡蝶姉妹……!」
無惨の肉片が蠢く。
「貴様らまで私の前に立ちはだかるか!」
「ええ」
カナエが一歩踏み出す。
「あなたには、今まで奪ってきた命の重さを知ってもらいます」
「そして――」
しのぶが低く構える。
「姉さんと私が、ここで終わらせます!」
「来るか、小娘どもォッ!!」
無惨の肉片が一斉に襲いかかった。
鋭い触手が地面を抉り、周囲の建物を破壊しながら二人へ殺到する。
しかし、カナエは慌てない。
「しのぶ!」
「はい、姉さん!」
二人が同時に駆け出した。
「花の呼吸――肆ノ型!」
カナエの刀が美しい円弧を描く。
「紅花衣!」
無数の斬撃が花弁のように舞い、迫り来る肉片を次々と切り裂いていく。
だが、それだけでは終わらない。
カナエが作った僅かな隙間へ、しのぶが滑り込む。
「蟲の呼吸――蝶の舞!」
紫色の軌跡が朝日に煌めく。
「戯れ!」
一閃。
二閃。
三閃。
しのぶの刀が、飛び散った肉片を正確に貫いていく。
「ぐっ……!」
無惨の肉体が痙攣する。
「何をした……!?」
「毒ですよ」
しのぶが微笑む。
「しかも、一種類ではありません」
カナエが続ける。
「藤の花の毒を基礎にして、しのぶが何度も改良したもの」
「そして私も、花の呼吸を使ってあなたの再生を妨害する」
「二人分の毒と斬撃……」
無惨の肉片が激しく蠢いた。
「ふざけるなァァァッ!!」
巨大な触手が二人へ襲いかかる。
カナエはそれを受け流す。
しのぶはその影から飛び出す。
「姉さん!」
「合わせるよ!」
「はい!」
二人の呼吸が完全に重なった。
花と蝶。
優雅さと鋭さ。
姉の剣と妹の毒。
それぞれ異なる戦い方をしていた二人の力が、今この瞬間、一つの完成された連携へと昇華する。
「「――終わりです!!」」
二人が同時に踏み込んだ。
カナエの斬撃が肉片をまとめて切り裂く。
その直後、しのぶの刀が残った細胞を一つずつ貫いていく。
「馬鹿な……!」
無惨の声が震えた。
「私が……私の細胞が……!」
肉片が黒く変色する。
再生しようとしていた細胞が、次々と崩壊していく。
「太陽だけじゃない……!」
「毒だけでもない……!」
「これは……!」
無惨の肉体が崩れていく。
「貴様らの……執念だというのかァァァッ!!」
朝日がさらに強くなる。
黄金色の光が、二人の姿を包み込んだ。
しのぶは隣に立つ姉を見る。
カナエもまた、静かに微笑んでいた。
「しのぶ」
「はい」
「私たちは、もう大丈夫だよ」
「……姉さん」
「だから、最後まで一緒に行こう」
しのぶは力強く頷いた。
「はい!」
二人の目の前で、無惨の肉片が次々と灰へ変わっていく。
かつて姉を奪われた妹。
そして、鬼によって命を奪われた姉。
二人の想いは、長い年月を越えて再び一つになった。
「うおおおおおおおおッ!!」
無惨の断末魔が朝焼けの空へ響き渡る。
しかし、その声もやがて小さくなり――。
最後の肉片が、陽光の中で消滅した。
静寂。
しのぶは刀を下ろした。
「……終わった……?」
カナエが空を見上げる。
「ううん」
その声は穏やかだった。
「まだ、みんなの戦いは続いているよ」
遠くでは、まだ鬼との戦闘音が響いている。
しのぶは姉と並んで、その音へ視線を向けた。
「なら、私たちも行きましょう」
「もちろん」
二人の胡蝶姉妹は、再び歩き始める。
夜を終わらせるために。
そして、これ以上誰一人として大切な人を失わないために。
朝日の中を進む二人の背中には、花と蝶が寄り添うような、静かで強い光が差していた。