朝日が昇り始めていた。
東の空を覆っていた夜の帳は、もはやその役目を終えようとしている。
黄金色の光が大地を照らし、崩壊した無限城の残骸を赤く染め上げていた。
その中心に――。
鬼舞辻無惨はいた。
いや。
正確には、そこに残っていたのは無惨の「残骸」と呼ぶべきものだった。
雷の兄弟弟子。
獪岳と善逸が放った究極奥義――『帝釈天』。
その一撃は無惨の肉体を内部から破壊し、再生能力そのものを大きく損なわせていた。
それでも。
「……まだだ」
焼け焦げた肉塊が、ずるりと蠢く。
「まだ……私は終わっていない……!」
無惨の肉体が膨張する。
黒い血と肉が地面を這い、巨大な触手となって周囲へ広がっていく。
「この私が……人間ごときに……!」
無惨の声には、もはや余裕などない。
あるのは、生存への狂気じみた執念だけだった。
「死ぬものか……!」
ドォォォォンッ!!
無惨の身体から巨大な肉塊が爆発するように飛び出した。
それは周囲の大地を抉り、立っている者すべてを薙ぎ払おうとする。
「炭治郎!」
義勇が叫ぶ。
「分かっています!」
炭治郎は歯を食いしばり、ふらつく身体を無理やり起こした。
握った日輪刀は血で真っ赤に染まっている。
それでも、まだ戦える。
いや。
戦わなければならない。
「ここで……終わらせるんだ……!」
炭治郎が踏み込もうとした、その時だった。
「――待て、竈門少年!」
ゴォォォォッ!!
猛烈な炎が戦場を横切った。
無惨の触手が炎に触れた瞬間、轟音とともに焼き払われる。
「なっ……!?」
炭治郎が振り返る。
朝日の中。
真紅の羽織を翻し、一人の男が堂々と立っていた。
「遅れてすまない!」
「……煉獄さん……!」
炎柱・煉獄杏寿郎。
その姿を見た炭治郎の目から、思わず涙が溢れた。
「よもやよもや! まだ戦いは終わっていないようだな!」
煉獄は力強く笑う。
「ならば、最後まで力を尽くそう!」
その隣に、桜色の羽織が舞った。
「ええ。私たちも、最後まで一緒に戦います」
優しい笑顔。
しかし、その瞳には揺るぎない覚悟が宿っている。
「姉さん……!」
しのぶの声が震えた。
花柱・胡蝶カナエ。
そして、そのすぐ隣に――。
蟲柱・胡蝶しのぶ。
紫紺の日輪刀を握り、静かに前を見据えている。
「しのぶ」
カナエが妹を見る。
「怪我は?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
その時だった。
「……俺が見た限り、問題ねぇ」
低い声が響く。
しのぶの表情が僅かに変わった。
「獪岳……!」
雷鳴が轟く。
バチィィッ!!
黒紫の雷光とともに、一人の男が着地した。
黒銀の日輪刀。
傷だらけの身体。
それでも、その瞳には強い意志が宿っている。
鳴柱・獪岳。
「悪ぃ。遅れた」
「……遅すぎます」
しのぶが少しだけ頬を膨らませる。
「待っていたんですよ?」
「悪かったって」
獪岳はしのぶへ近づく。
「お前が無茶してねぇか、それだけが気になってた」
「それは私の台詞です」
「……俺は大丈夫だ」
「その傷だらけの姿で言われても説得力がありません」
「お互い様だろ」
しのぶが獪岳の腕へそっと触れる。
「痛みますか?」
「少しな」
「では、戦いが終わったら治療します」
「……ああ」
「約束ですよ」
「分かった」
その二人の様子を見て、カナエが微笑んだ。
「ふふ……本当に仲が良いわね」
「姉さん……」
しのぶの頬が赤くなる。
「獪岳君、しのぶをよろしくお願いしますね」
「……はい」
獪岳は真剣に頷く。
「必ず守ります」
しのぶが振り返った。
「獪岳」
「ん?」
「私もあなたを守りますよ」
「……」
獪岳の耳が赤くなる。
「……そういうの、今言うかよ」
「恋人ですから」
「……っ」
カナエが微笑ましそうに二人を見る。
「では、二人とも死なないこと」
「はい」
「分かってます」
二人は同時に答えた。
◇
「ハッ!」
荒々しい声が響く。
「朝っぱらから随分と騒がしいじゃねェか!」
風が巻き起こった。
「俺たちが来た以上、好き勝手させるわけにはいかねェぞォ!」
風柱・不死川実弥。
身体には無数の傷が刻まれている。
それでも眼光は鋭い。
「無惨……テメェだけは絶対に逃がさねェ」
続いて、静かな足音。
「……ここで終わらせる」
水柱・冨岡義勇。
「炭治郎。まだ戦えるか」
「はい!」
「なら、共に行くぞ」
「はい、義勇さん!」
そして――。
ズシン……。
一歩。
また一歩。
大地そのものが震える。
「南無阿弥陀仏……」
岩柱・悲鳴嶼行冥。
その頬には涙が流れている。
「この長き夜も、ようやく終わろうとしている」
鉄球と斧を構える。
「ならば我らも、最後の力を振り絞ろう」
◇
「アニキ!」
黄金の雷が走った。
「俺たちも、まだ戦える!」
善逸が獪岳の隣へ並ぶ。
「善逸」
「うん!」
獪岳は黒銀の日輪刀を肩に担ぐ。
「ったく……しぶとすぎんだよ、クソ鬼が」
「帝釈天を食らっても、まだ立つなんてね」
善逸が無惨を睨む。
「でも、今度こそ終わらせよう」
「ああ」
獪岳が頷く。
「これが最後だ」
しのぶが二人を見る。
「獪岳」
「何だ?」
「善逸君と二人で無茶をしないでくださいね」
「分かってる」
「本当に?」
「……分かってるって」
しのぶが微笑む。
「なら、信じます」
「……ああ」
獪岳の表情が柔らかくなる。
それを見た善逸がニヤニヤする。
「アニキ、しのぶさんにだけ甘いよね」
「うるせぇ」
「耳、赤いよ?」
「黙れ!」
しのぶが小さく笑った。
◇
――その瞬間。
戦場に、すべての柱が揃った。
炎。
花。
蟲。
風。
水。
岩。
そして――雷。
それぞれが歩んできた道も。
守れなかった命も。
失った仲間も。
受け継いだ想いも。
すべてを背負い、同じ敵へと刀を向ける。
無惨がその光景を見渡した。
「……人間どもが」
赤い瞳が怒りに染まる。
「何人集まろうが同じことだ!」
無惨の身体から、再び無数の触手が噴き出す。
「私には千年の時がある!」
触手が空を覆う。
「私には圧倒的な力がある!」
地面が震える。
「貴様らごときが、この私を倒せるものかァァァッ!!」
その咆哮に対し、最初に答えたのは煉獄だった。
「ならば――!」
刀を構える。
「その思い上がりを、我らの炎で焼き尽くす!」
「風の呼吸――!」
実弥が駆ける。
「岩の呼吸――!」
行冥が鉄球を振り上げる。
「水の呼吸――!」
義勇が静かに踏み込む。
「花の呼吸――!」
カナエが舞う。
「蟲の呼吸――!」
しのぶの刃が閃く。
「雷の呼吸・改――!」
獪岳が刀を構える。
その隣で善逸も構える。
「雷の呼吸!」
二つの雷が同時に弾けた。
◇
「しのぶ!」
獪岳が叫ぶ。
無惨の触手がしのぶへ迫る。
「分かっています!」
しのぶが跳ぶ。
しかし――。
「そこだ!」
獪岳が一瞬で割り込んだ。
黒紫の雷が触手を斬り裂く。
「獪岳!」
「大丈夫だ!」
「私を庇って怪我を増やしたら許しませんよ!」
「お前を傷つけられるよりマシだ!」
「……!」
しのぶが一瞬だけ目を見開く。
「……馬鹿」
「何だよ」
「本当に……馬鹿ですね」
しかし、その声はどこか嬉しそうだった。
「私だって、あなたを失いたくありません」
「……しのぶ」
「だから――」
しのぶが刀を構える。
「二人で生き残りますよ」
「ああ」
獪岳が頷く。
「絶対にな」
◇
七つの呼吸が、夜明けの戦場で同時に炸裂した。
ゴォォォォォォンッ!!
炎が燃え上がる。
風が荒れ狂う。
水が奔流となる。
岩が大地を砕く。
花が舞う。
毒を宿した蟲の刃が走る。
そして雷が空を裂く。
無惨の触手と、柱たちの刃が激突する。
轟音。
爆風。
斬撃。
血飛沫。
黒い肉塊が次々と切り裂かれ、焼かれ、砕かれていく。
しかし無惨もまた、死に物狂いで抵抗する。
「消えろォォォォッ!!」
無数の触手が一斉に伸びる。
「させるかァ!」
実弥が斬り飛ばす。
「こちらもだ!」
行冥の鉄球が粉砕する。
「まだだ!」
義勇が斬り払う。
「姉さん!」
「任せて、しのぶ!」
カナエとしのぶが左右から肉塊を貫く。
「今です!」
「うむ!」
煉獄の炎がその傷口を焼き尽くす。
◇
「アニキ!」
「ああ!」
獪岳と善逸が同時に跳んだ。
黒紫と黄金の雷が、朝日の中で巨大な螺旋を描く。
無惨がその光を見上げた。
「また……雷か……!」
獪岳が吠える。
「何度でも撃ってやるよ!」
善逸も続く。
「これが俺たちの雷だ!」
二人の刃が振り下ろされる。
「「雷の呼吸――!!」」
バリィィィィィンッ!!
雷鳴が、夜明けの空を震わせた。
◇
その瞬間。
炭治郎が前へ出る。
「みんなの力が、繋がっている……!」
黒刀を握る。
日の呼吸の構え。
「だったら俺も――!」
朝日が刀身を照らした。
「この力を繋ぐ!」
戦場のすべての刃が、無惨へ向けられる。
鬼殺隊最後の総力戦。
それは、誰か一人が勝つための戦いではない。
失われた命。
受け継がれた技。
守りたいという願い。
憎しみ。
悲しみ。
そして、明日を生きたいという人間の意志。
そのすべてを一つにした戦いだった。
「人間どもォォォッ!!」
無惨が吠える。
獪岳が刀を構える。
その隣には、しのぶがいる。
恋人として。
柱として。
そして、共に生きる未来を望む者として。
「鬼舞辻無惨――!」
炭治郎が叫ぶ。
「お前の夜は、今日で終わりだァァァッ!!」
東の空から、太陽が完全に姿を現した。
眩い光が戦場を包む。
炎。
花。
蟲。
風。
水。
岩。
雷。
そして日の呼吸。
すべての力が一つになり、最後の鬼へと向けられる。
獪岳としのぶは、互いの背中を預けた。
「しのぶ」
「はい」
「生きて帰るぞ」
「ええ」
しのぶは微笑む。
「二人で帰りましょう」
「……ああ」
その瞬間。
二人の刀が同時に閃いた。
最後の鬼と、最後の夜。
その決着をつけるため――。
鬼殺隊最後の総力戦が、始まった。