その少年は、泣いていた。
山道の途中。
桑島慈悟郎に連れられてきた少年――我妻善逸は、道端に座り込み、鼻水まで垂らしながら泣いていた。
「嫌だぁぁぁ……!」
「何がじゃ」
「修行なんてしたくない!」
「…………」
「俺、剣士なんか向いてないよぉ!」
桑島は黙って善逸を見る。
「俺なんか鬼に会ったらすぐ死ぬ!」
「ほう」
「だから鬼殺隊なんて無理なんだ!」
「…………」
「俺は普通に暮らしたいんだよぉ!」
その少し離れた場所で、獪岳は腕を組んでいた。
「…………」
桑島が獪岳を見る。
「どうする?」
「俺に聞かないでくださいよ」
「お前の弟弟子じゃろ」
「まだ弟弟子になったばかりでしょう」
「ならば先輩として面倒を見ろ」
獪岳は深いため息をついた。
そして善逸の前へ歩いていく。
「おい」
「ひっ……!」
善逸が顔を上げる。
獪岳の険しい顔を見て、さらに涙を流した。
「怖いぃぃ!」
「俺は鬼じゃねぇ!」
「でも怖い!」
「…………」
獪岳は額を押さえた。
「お前、名前は?」
「……我妻……善逸……」
「そうか」
獪岳はしゃがむ。
「俺は獪岳だ」
「……獪岳?」
「ああ」
「兄貴って呼んでいい?」
「好きにしろ」
「……兄貴」
「何だ」
「俺、帰りたい」
「帰れ」
「え?」
「本当に嫌なら帰ればいい」
善逸が目を丸くする。
「…………」
「無理に鬼殺隊になれとは言わねぇ」
「…………」
「ただし」
獪岳は真っ直ぐ善逸を見る。
「帰る前に一度だけ、刀を握ってみろ」
「刀……」
「それでも嫌なら、その時は俺が師匠に話してやる」
善逸は戸惑いながら頷いた。
「……分かった」
◇
道場。
善逸は刀を握っていた。
両手が震えている。
「重い……」
「当たり前だ」
獪岳は隣に立つ。
「刀は人の命を奪える道具だ」
「…………」
「だから軽く扱うな」
善逸はごくりと唾を飲み込む。
「俺なんかに扱えるのかな」
「やってみなきゃ分からん」
「でも……」
「善逸」
「はい」
「怖いなら怖いままでいい」
獪岳は言った。
「ただ、刀を握る手だけは離すな」
善逸は震える手に力を込めた。
「……うん」
桑島が二人を見ていた。
そして。
「善逸」
「はい!」
「まずは立ち方からじゃ」
「はい!」
修行が始まった。
◇
一日目。
善逸は転んだ。
二日目。
善逸は泣いた。
三日目。
善逸は逃げた。
四日目。
獪岳に捕まった。
「兄貴ぃぃぃ!」
「逃げるな!」
「だって怖いんだもん!」
「師匠に怒られるぞ」
「それはもっと怖い!」
「なら戻れ!」
「はいぃぃ!」
そんな日々が続いた。
だが。
不思議なことに。
善逸は辞めなかった。
何度も逃げようとする。
何度も泣く。
何度も弱音を吐く。
それでも。
翌朝になると。
また道場にいる。
獪岳は少しずつ気づき始めていた。
「…………」
こいつ。
本当に諦めが悪い。
◇
ある日の修行。
桑島が言った。
「善逸」
「はい!」
「霹靂一閃をやってみよ」
善逸の顔が青ざめる。
「無理です!」
「やれ」
「絶対無理!」
「やるのじゃ」
「兄貴ぃ!」
善逸が獪岳を見る。
「助けて!」
「自分でやれ」
「冷たい!」
「俺は最初からそう言ってる」
善逸は震えながら構える。
「…………」
目を閉じる。
呼吸を整える。
「雷の呼吸……」
足に力を込める。
「壱ノ型……」
そして。
「霹靂一閃!」
――ドンッ!!
一瞬。
善逸の姿が消えた。
「…………!」
獪岳の目が見開かれる。
善逸は。
数メートル先まで一気に移動していた。
「…………」
本人は呆然としている。
「え?」
桑島も驚いていた。
「…………」
やがて。
「見事じゃ」
善逸が振り返る。
「……俺、できた?」
「できたぞ」
「俺が?」
「うむ」
善逸の顔が。
みるみる笑顔になる。
「できたぁぁぁぁ!!」
獪岳は思わず笑った。
「やったな」
「兄貴!」
善逸が駆け寄る。
「俺、できたよ!」
「ああ」
「俺にも才能あった!」
「ああ」
「俺、強くなれるかな!」
獪岳は善逸の頭を撫でる。
「なれる」
「…………」
善逸の目に涙が浮かぶ。
「……兄貴」
「泣くな」
「だって……」
「今日は泣いていい」
「うわぁぁぁん!」
善逸は大泣きした。
獪岳は苦笑する。
「やっぱり泣くのかよ」
桑島も笑っていた。
◇
その夜。
獪岳は一人で考えていた。
善逸。
我妻善逸。
原作では。
臆病で。
泣き虫で。
自分に自信がなくて。
それでも。
極限状態に追い込まれた時。
眠りについた時。
彼は恐ろしいほどの剣技を見せる。
そして。
最終的には。
自らの雷を極限まで研ぎ澄ます。
「…………」
獪岳は空を見上げる。
原作の未来を知っている。
だからこそ。
この弟弟子を。
絶対に死なせたくなかった。
「善逸」
後ろから声がした。
「兄貴?」
善逸だった。
「何してるの?」
「何でもねぇ」
「……?」
善逸が隣に座る。
「ねえ、兄貴」
「何だ」
「俺、兄貴みたいになりたい」
「…………」
「強くて、怖くて、でも優しい」
「誰が優しいだ」
「優しいよ」
善逸は笑った。
「だって、いつも俺を助けてくれる」
「…………」
「だから俺も」
善逸は拳を握る。
「いつか兄貴を助けられるくらい強くなる」
獪岳は黙っていた。
胸の奥が。
少しだけ熱くなる。
「……期待してる」
「うん!」
◇
それから善逸は変わり始めた。
相変わらず泣く。
相変わらず怖がる。
相変わらず逃げようとする。
だが。
「もう一回!」
と言うようになった。
転んでも。
「もう一回!」
失敗しても。
「もう一回!」
獪岳に負けても。
「もう一回!」
桑島はそんな善逸を見ながら。
「よくなったのう」
と呟いた。
「はい」
獪岳も頷く。
「善逸は強くなります」
「そう思うか?」
「はい」
獪岳は確信していた。
「こいつは……」
善逸を見る。
「最後まで諦めない奴ですから」
◇
ある日の夕暮れ。
善逸は獪岳の前で霹靂一閃を放った。
――ドンッ!
「どう!?」
「まだ遅い」
「えぇ!?」
「足の踏み込みが甘い」
「そんなぁ!」
「もう一度」
「はい!」
善逸が構える。
獪岳は腕を組む。
「そうだ」
「…………」
「呼吸を整えろ」
「…………」
「焦るな」
「…………」
「お前の雷は、お前のものだ」
善逸が目を開く。
「…………!」
「俺の真似をする必要はねぇ」
「…………」
「我妻善逸」
獪岳は言った。
「お前だけの雷を見つけろ」
善逸は。
ゆっくりと頷いた。
「……うん」
そして。
再び走る。
――ドンッ!!
今度の一撃は。
昨日より速かった。
獪岳は小さく笑う。
「……そうだ」
その姿を見つめながら。
獪岳は思う。
この弟弟子なら。
きっと大丈夫だ。
泣き虫でも。
臆病でも。
弱音を吐いても。
最後には立ち上がる。
それが。
我妻善逸という少年なのだから。
そしていつか。
この少年は。
自分とは違う雷を極める。
その雷は。
誰よりも速く。
誰よりも鋭く。
闇を切り裂く一閃になる。
【大正コソコソ噂話】
獪岳と善逸が兄弟弟子になった頃。
善逸は毎日のように、
「兄貴! 俺、強くなった?」
と聞いていた。
獪岳の答えはいつも同じ。
「昨日よりはな」
「じゃあ俺、強くなってる!」
「調子に乗るな」
「でも褒めたよね!?」
「事実を言っただけだ」
そんな二人のやり取りを見ていた桑島は、
「獪岳は善逸の扱いが上手くなったのう」
と感心していた。
ちなみに善逸は。
「兄貴に褒めてもらえるのが一番嬉しい!」
と周囲に公言していたため、寺の子供たちからも、
「獪岳兄ちゃん、弟が増えたね!」
と言われていたという。
獪岳は、
「誰が弟だ」
と言いながらも。
善逸の頭を撫でる手だけは止めなかったそうだ。
――大正コソコソ噂話・終。