この話は、いつもの本編とは少し違う。
獪岳と善逸。
二人の兄弟弟子について、鬼殺隊内で密かに語られている「噂」を紹介しよう。
「なあ、知ってるか?」
蝶屋敷の廊下。
一人の隊士が、声を潜めて話していた。
「何を?」
「鳴柱の獪岳と、我妻善逸のことだよ」
「雷の呼吸の兄弟弟子か?」
「ああ」
「それがどうした?」
隊士は周囲を確認してから、小声で言った。
「めちゃくちゃ仲がいいらしい」
「……あの獪岳が?」
「そう」
「意外だな」
鬼殺隊での獪岳の評判は。
決して悪くはない。
だが。
口が悪い。
愛想がない。
負けず嫌い。
他人に厳しい。
そんな印象を持たれている。
ところが。
善逸に関してだけは。
少し違うらしい。
「善逸が修行中に転んだら、真っ先に駆け寄る」
「へぇ」
「怪我してないか確認して、水まで飲ませる」
「ほう」
「善逸が鬼を怖がったら、『怖いなら鍛えろ』って言う」
「……それ、優しいのか?」
「その後にちゃんと隣にいるらしい」
「なるほど」
隊士は頷いた。
「つまり、口は悪いけど面倒見がいい、と」
「そういうことだ」
一方。
その頃の蝶屋敷。
「獪岳さん」
胡蝶しのぶが廊下で声をかける。
「何だ」
「善逸さんのことですが」
「善逸?」
「ええ」
しのぶは微笑む。
「随分と慕われていますね」
「……あいつが勝手に懐いてるだけだ」
「でも、嫌ではないのでしょう?」
「…………」
獪岳は黙る。
しのぶは少し笑った。
「図星ですか?」
「うるせぇ」
「ふふ」
そこへ。
「兄貴ぃぃぃ!!」
遠くから善逸の声。
獪岳の眉間に皺が寄る。
「……来たか」
「獪岳さん、呼ばれていますよ」
「聞こえてる」
「行かないのですか?」
「…………」
獪岳はため息をつく。
「行ってくる」
「はい」
しのぶは笑顔で見送った。
「仲良しですね」
「どこがだ!」
遠くから獪岳の声。
「聞こえてますよ」
「……!」
しのぶはくすりと笑った。
「兄貴!」
善逸が駆け寄ってくる。
「何だ!」
「今日の任務、一緒なんだって!」
「ああ」
「やったぁ!」
「任務で喜ぶな」
「だって兄貴と一緒だもん!」
「…………」
獪岳は呆れる。
「任務は遊びじゃねぇ」
「分かってるよ」
善逸は笑顔で答えた。
「でも、兄貴と一緒なら怖くない」
「…………」
獪岳は少しだけ目を細める。
「俺がいるからって油断するな」
「うん」
「鬼を見つけたら自分で判断しろ」
「うん」
「俺の背中だけ見て戦うな」
「うん」
「お前自身の雷を使え」
「……うん!」
善逸は力強く頷いた。
任務中。
鬼が現れた。
「来るぞ!」
獪岳が叫ぶ。
「はい!」
善逸も構える。
鬼が突っ込んでくる。
「雷の呼吸――」
善逸の足に力が集まる。
「壱ノ型!」
――ドンッ!
「霹靂一閃!」
一瞬。
善逸の姿が消える。
鬼の腕を斬り落とした。
「よし!」
「そのまま行け!」
獪岳が続く。
「雷の呼吸――」
獪岳の刀から青白い雷が迸る。
「弐ノ型!」
――ザンッ!
鬼の首が深く斬り裂かれる。
「兄貴!」
「今だ!」
「はい!」
善逸が踏み込む。
二人の斬撃が重なった。
――ズバァン!!
鬼の頚が落ちる。
静寂。
やがて。
善逸が振り返る。
「やった!」
獪岳は刀を納める。
「悪くない」
「本当!?」
「ああ」
「兄貴に褒められた!」
「一々騒ぐな」
「嬉しいんだもん!」
獪岳は呆れながらも。
その顔には小さな笑みがあった。
任務から戻った二人。
それを見ていた隊士たちは。
「……あれが噂の兄弟弟子か」
「息ぴったりだったな」
「獪岳が善逸に合わせていたぞ」
「善逸も獪岳の動きを理解していた」
「兄弟というより、戦友だな」
そんな噂が。
少しずつ広がっていった。
そして。
もう一つ。
鬼殺隊にはこんな噂もあった。
「獪岳って、善逸のことを弟みたいに思ってるらしいぞ」
「本当か?」
「ああ」
「本人に聞いたのか?」
「聞いた」
「何て答えた?」
隊士は胸を張った。
「『弟弟子だ』って」
「……それだけ?」
「それだけ」
「じゃあ、弟みたいに思ってるってのは?」
「俺たちの推測だ」
「お前、噂を作るなよ」
「すまん」
その日の夜。
善逸が獪岳に尋ねた。
「兄貴」
「何だ」
「僕ってさ」
「うん」
「兄貴にとって、どんな存在?」
「…………」
獪岳は少し考えた。
「弟弟子だ」
「それだけ?」
「それ以上でも、それ以下でもない」
善逸は少しだけ寂しそうな顔をする。
「そっか……」
獪岳は横目で善逸を見る。
そして。
「……まあ」
「?」
「弟みたいなもんだ」
善逸が固まった。
「…………」
「何だよ」
「……兄貴ぃぃぃ!」
「うわっ!」
善逸が抱きついてくる。
「離れろ!」
「嫌だ!」
「暑苦しい!」
「嬉しいんだもん!」
「離れろ!」
「兄貴大好き!」
「うるせぇ!」
遠くで。
桑島が笑っていた。
「良い兄弟じゃ」
やがて。
この二人は、それぞれの雷を極めていく。
獪岳は。
自分だけの雷を求め。
善逸も。
自分だけの雷を求める。
同じ師匠。
同じ呼吸。
違う才能。
違う道。
それでも。
二人は兄弟弟子だった。
【大正コソコソ噂話】
鬼殺隊では、獪岳と善逸の関係について様々な噂が流れている。
「獪岳は善逸にだけ甘い」
「いや、むしろ善逸が獪岳に甘えている」
「二人が並んで歩いていると、本当の兄弟に見える」
「獪岳が善逸の飯の世話までしている」
「善逸が獪岳の羽織を勝手に掴んで歩いている」
などなど。
ちなみに。
善逸が獪岳の羽織を掴む理由は、
「兄貴を見失わないため」
らしい。
獪岳は、
「子供じゃねぇんだから自分で歩け」
と言っているが。
結局いつも、そのままにしている。
さらに。
善逸が獪岳を褒める時の定番は、
「怖くて最強で、世界一かっこいい自慢の兄貴!」
である。
獪岳本人は、
「やめろ、恥ずかしい」
と言っている。
だが。
本当に嫌なら、とっくに怒鳴って引き剥がしているはずなのに。
結局。
いつも好きにさせている。
そんな二人を見た桑島慈悟郎は。
「雷の兄弟弟子か……」
と、満足そうに笑うのであった。
――大正コソコソ噂話・終。