朝。
寺の境内を掃除しながら、獪岳は考えていた。
「……このままじゃ駄目だ」
箒を動かす手を止める。
「寺の金を盗まない。鬼の襲撃も防ぐ。子供たちも守る」
ここまではいい。
だが、それだけでは足りない。
原作を知っているからこそ分かる。
この世界には、これから数え切れないほどの悲劇が起きる。
「俺一人が助かったところで意味がねぇ」
獪岳は空を見上げる。
「最悪の未来そのものを変える」
それが目標だった。
まずは自分自身。
鬼にならない。
次に、善逸。
原作では兄弟子と弟弟子という関係でありながら、最後には殺し合う。
そんな結末には絶対にしない。
そして悲鳴嶼。
寺の悲劇を防ぎ、今度こそ笑って生きてもらう。
さらに――。
「胡蝶カナエ……」
名前を呟いた瞬間、胸の奥が重くなった。
彼女は原作で童磨に殺される。
その死が、しのぶの人生を大きく変える。
復讐に生きる少女。
笑顔の仮面。
そして最後には――。
「……しのぶも死なせない」
拳を握る。
「カナエさんも、しのぶも、カナヲも」
全員救う。
だが。
「どうすりゃいい?」
獪岳は頭を掻いた。
今の自分は幼い。
鬼と戦う力なんてない。
原作を知っているからといって、未来を好き勝手に変えられるわけでもない。
「……まずは力だ」
未来を変えるには、力が必要だ。
知識だけでは人を守れない。
「雷の呼吸を極める」
獪岳は、自分の手を見る。
「そして鬼殺隊に入る」
そこからだ。
原作では雷の呼吸を使える。
ならば。
「俺は原作以上になる」
壱ノ型。
弐ノ型。
参ノ型。
肆ノ型。
伍ノ型。
陸ノ型。
そして――。
「漆ノ型」
獪岳はまだ知らない。
後に自分が独自に編み出すことになる技。
「帝釈天」
その名を口にした瞬間、理由もなく胸の奥が熱くなった。
雷。
龍。
帝釈天。
東洋龍のような巨大な雷が大地を駆け巡る。
それが、いつか自分の奥義になる。
「……面白ぇ」
獪岳は口元を吊り上げた。
「善逸が火雷神なら」
まだ見ぬ弟弟子の姿を思い浮かべる。
「俺は帝釈天だ」
同じ雷の呼吸。
違う道。
違う強さ。
それでも――。
「兄弟弟子なら、並んで戦えるくらいになってやる」
その時。
「獪岳」
「ん?」
振り返ると、悲鳴嶼がいた。
「何をしているのだ」
「未来のことを考えてました」
「未来?」
「ああ」
獪岳は少し迷ってから答えた。
「俺、強くなります」
悲鳴嶼は黙っている。
「誰かを守れるくらいに」
「……そうか」
「だから」
獪岳は頭を下げた。
「修行を教えてください」
「…………」
悲鳴嶼は静かに首を横に振った。
「私に剣術を教えることはできない」
「……そうですか」
「だが」
悲鳴嶼は数珠を握る。
「身体を鍛える方法なら教えられる」
「!」
「力が欲しいのなら、まず己の身体と心を鍛えなさい」
「……お願いします!」
その日から。
獪岳の地獄のような鍛錬が始まった。
走る。
腕立て伏せ。
腹筋。
木刀を振る。
山道を駆ける。
何度転んでも立ち上がる。
「……っ、はぁ……!」
息が切れる。
足が震える。
それでも。
「もう一回……!」
立つ。
転ぶ。
立つ。
転ぶ。
それを繰り返す。
「獪岳」
悲鳴嶼が声をかける。
「今日はもう休みなさい」
「嫌です」
「何故だ」
「……時間がねぇから」
悲鳴嶼の表情が変わった。
「時間がない?」
「……いえ」
獪岳は首を振る。
「何でもありません」
本当は。
知っている。
自分には、未来を変えるための時間が限られている。
原作の出来事を全て覚えているわけではない。
だからこそ。
「俺が覚えてるうちに、できることを全部やる」
獪岳は木刀を握り直した。
「もっと……!」
「獪岳」
「もっと鍛えてください!」
悲鳴嶼はしばらく黙っていた。
やがて。
「……分かった」
修行は続いた。
――数ヶ月。
獪岳は変わった。
身体が引き締まる。
走る速度が上がる。
木刀を振るう姿勢も良くなる。
そして何より。
「……強くなってる」
獪岳自身が、それを実感していた。
だが。
それでも足りない。
「もっとだ」
鬼を倒すには。
柱になるには。
未来を変えるには。
まだ足りない。
そんなある日。
寺に一人の男が訪れた。
「……この寺に、獪岳という少年がいると聞いた」
「誰だ?」
獪岳が顔を上げる。
老人だった。
白髪。
険しい顔。
だが、その目には不思議な優しさがある。
「桑島慈悟郎だ」
「……!」
獪岳の心臓が跳ねた。
来た。
雷の呼吸の育手。
自分の未来を変えるために必要な人物。
「……桑島さん」
「何じゃ」
獪岳は立ち上がる。
そして。
深く頭を下げた。
「俺を弟子にしてください」
「…………」
桑島は目を丸くした。
「まだ何も言っておらんぞ?」
「それでもです」
「理由を聞こう」
獪岳は顔を上げる。
「強くなりたい」
「何のために?」
迷うことなく答える。
「守るためです」
「誰を?」
「全部です」
桑島が眉をひそめる。
「全部?」
「ああ」
獪岳は拳を握った。
「俺の大切な奴らを、誰一人死なせないために」
その言葉に。
桑島はしばらく獪岳を見つめた。
そして。
「……面白い小僧じゃ」
口元を僅かに緩める。
「よかろう」
獪岳の目が見開かれる。
「今日から儂の弟子じゃ」
「……!」
胸の奥が熱くなった。
「ありがとうございます!」
「ただし」
桑島の声が低くなる。
「雷の呼吸は甘くないぞ」
「望むところです」
「泣いても知らんぞ」
「泣きません」
「逃げても追いかけるぞ」
「逃げません」
桑島が笑った。
「言ったな?」
「はい!」
その日。
獪岳の人生を大きく変える師弟関係が始まった。
悲鳴嶼との絆。
桑島との修行。
そして――。
やがて出会う、我妻善逸。
獪岳はまだ知らない。
この出会いが、自分の未来を大きく変えることを。
だが。
一つだけ決めていた。
「原作通りになんか、絶対にしてやらねぇ」
悪役になる未来。
鬼になる未来。
仲間を失う未来。
愛する人を失う未来。
全部。
全部――。
「俺が変える」
少年の瞳に、雷光のような決意が宿った。
【大正コソコソ噂話】
実はこの頃の獪岳、修行を始めたばかりなのに「柱になる」と本気で言っていた。
寺の子供に、
「獪岳兄ちゃん、柱になったら何するの?」
と聞かれ、
「鬼を全部ぶっ殺す」
と答えたところ、
「怖い!」
と逃げられた。
獪岳はしばらく固まった後、
「……言い方が悪かっただけだ」
と呟いたという。
なお、数年後。
本当に「鳴柱」になった獪岳を見た子供たちは、
「獪岳兄ちゃん、ほんとに柱になった!」
と大喜びしたそうな。
――大正コソコソ噂話・終。