鬼が来た夜から、数日が経った。
寺は、表面上はいつも通りだった。
朝になれば鐘が鳴る。
子供たちは掃除をする。
昼になれば食事を取り、日が暮れれば眠る。
けれど――。
「…………」
獪岳だけは、以前と同じではなかった。
境内を歩きながら、周囲を何度も確認する。
門。
裏手。
山道。
木々の間。
「獪岳兄ちゃん」
「ん?」
「さっきから何してるの?」
「見回りだ」
「何の?」
「鬼」
「鬼って、まだいるの?」
「いると思って警戒してんだよ」
「怖い?」
「……怖くねぇ」
即答した。
子供が首を傾げる。
「じゃあ、なんで刀みたいなの持ってるの?」
「木刀だ」
「鬼を倒すの?」
「今はな」
獪岳は木刀を肩に担ぐ。
「いつか本物の刀で斬る」
「すごーい!」
「お前らが余計なことしなければな」
「余計なことって?」
「夜中に勝手に外へ出るとか」
「しないよ!」
「絶対だぞ」
「うん!」
子供たちは笑って走っていく。
その背中を見送った獪岳は、小さく息を吐いた。
「……よし」
全員いる。
怪我もない。
それだけで、少し安心する。
だが――。
「問題は、あいつだ」
獪岳の表情が険しくなった。
原作の悲劇を知る彼にとって、一番の危険人物。
寺の子供たちの中にいる、あの少年。
今はまだ、何も知らない。
ただ普通に生きている。
だからこそ。
「俺が、絶対に間違った方向へ行かせねぇ」
獪岳は決めていた。
叱るだけでは駄目だ。
監視するだけでも駄目。
必要なのは――。
「居場所だ」
寺の中に、自分の居場所がある。
そう思わせること。
誰かに必要とされている。
そう思わせること。
「……俺も同じだったからな」
前世の記憶が蘇る。
人間は、孤独になると間違える。
誰にも認められないと思えば、認めさせようとする。
自分だけが損をしていると思えば、他人から奪いたくなる。
「だから……」
獪岳は拳を握った。
「ここでは、誰も一人にしねぇ」
その日の夕方。
獪岳は子供たちを集めた。
「全員、聞け」
「なにー?」
「今日から決まりを作る」
「えー!」
「文句は聞かねぇ」
「厳しい!」
「うるせぇ」
獪岳は指を一本立てる。
「一つ。夜になったら絶対に外へ出ない」
「はーい」
二本目。
「二つ。知らない人間が来ても、勝手に門を開けない」
「はーい」
三本目。
「三つ。何かあったら、悲鳴嶼さんか俺に必ず知らせる」
「はーい!」
「四つ」
獪岳は少しだけ間を置いた。
「誰かが困ってたら、見捨てない」
子供たちが黙った。
「……どうして?」
一人が聞いた。
獪岳は答える。
「家族だからだ」
「家族?」
「ああ」
獪岳は照れ臭そうに顔を逸らした。
「ここにいる奴は、全員仲間だ。だから……誰かが泣いてたら助けろ」
「獪岳兄ちゃんも?」
「俺もだ」
「じゃあ獪岳兄ちゃんが泣いたら?」
「泣かねぇよ」
「泣いたら?」
「……その時は」
獪岳は頭を掻いた。
「誰かがそばにいろ」
子供たちが笑った。
「分かった!」
「獪岳兄ちゃんが泣いたら、俺たちが助ける!」
「……そうかよ」
胸の奥が、少し熱くなった。
――その夜。
獪岳は一人で薪を割っていた。
「……ふっ!」
斧を振り下ろす。
パカンッ。
薪が割れる。
「……まだだ」
もう一本。
パカンッ。
もう一本。
「もっと強くならねぇと」
悲鳴嶼が後ろから声をかける。
「獪岳」
「……悲鳴嶼さん」
「もう十分だ」
「まだです」
「何故そこまで鍛える?」
獪岳は斧を置いた。
「守りたいから」
「誰を?」
「子供たちを」
即答だった。
「俺が強くなれば、何かあった時に守れる」
悲鳴嶼は静かに頷く。
「……そうか」
「それに」
獪岳は拳を握った。
「俺は一度、こいつらを失う未来を知ってる」
「…………」
「だから二度目は絶対に嫌なんです」
悲鳴嶼は黙っていた。
やがて。
「獪岳」
「はい」
「お前は、優しい子だな」
「……は?」
獪岳が目を丸くする。
「俺が?」
「そうだ」
「どこがですか」
「自分より他者のことを考えている」
「……別に」
獪岳は顔を逸らした。
「俺が勝手にやってるだけです」
「それを優しさというのだ」
「…………」
獪岳は何も言えなかった。
そんな自分を。
「優しい」と言われるとは思っていなかった。
前世でも。
獪岳として生き始めてからも。
自分はずっと――。
「強くなきゃいけない」
そう思っていた。
負けたくない。
馬鹿にされたくない。
認められたい。
だから強くなる。
だが。
今は違う。
「……守るために強くなる」
それが、自分の道だ。
その時だった。
「獪岳兄ちゃん!」
「!」
寺の中から子供の叫び声。
獪岳と悲鳴嶼が同時に振り向いた。
「どうした!」
獪岳が走る。
部屋の中に入る。
すると。
一人の子供が泣いていた。
「こいつが転んだ!」
「怪我したのか?」
「うん……」
獪岳はしゃがみ込む。
膝から血が出ている。
「……馬鹿」
「ごめんなさい……」
「謝るな」
獪岳は懐から布を取り出す。
傷口を拭う。
「痛いか?」
「ちょっと……」
「我慢しろ」
「うん……」
「よし」
布を巻く。
「これで大丈夫だ」
「……ありがとう」
獪岳は立ち上がった。
そして。
泣いている子供の頭を、乱暴に撫でる。
「次から気をつけろ」
「うん!」
「でも」
獪岳は少しだけ笑った。
「怪我した時は、ちゃんと俺を呼べ」
「分かった!」
その光景を見て。
悲鳴嶼は静かに目を閉じた。
「……南無阿弥陀仏」
――原作では。
この寺にいた子供たちは、誰も守られなかった。
だが。
今は違う。
獪岳がいる。
悲鳴嶼がいる。
そして。
子供たち自身も、互いを守ろうとしている。
未来は、少しずつ変わっていた。
夜。
全員が眠った後。
獪岳は一人、境内に立っていた。
月を見上げる。
「……俺は知ってる」
この先に待っている未来を。
上弦の鬼。
柱の死。
無限城。
無惨。
そして――。
自分自身が鬼になる未来。
「全部、変える」
獪岳は木刀を握る。
「俺は鬼にならねぇ」
一歩踏み出す。
「善逸も死なせねぇ」
もう一歩。
「悲鳴嶼さんも」
さらに一歩。
「カナエさんも」
そして。
「しのぶも」
最後に。
「カナヲも」
木刀を振り下ろす。
――ヒュンッ!
「絶対に、誰も死なせねぇ」
それは。
まだ何の力も持たない少年の、小さな誓い。
けれど。
この誓いこそが。
後に鬼殺隊を大きく変える「鳴柱・獪岳」の原点になる。
【大正コソコソ噂話】
寺の子供たちは、最近「獪岳兄ちゃんに相談すれば何とかなる」と思っている。
「転んだ!」
「獪岳兄ちゃん!」
「喧嘩した!」
「獪岳兄ちゃん!」
「お腹すいた!」
「それは悲鳴嶼さんに言え!」
ちなみに、獪岳が一番困る相談は、
「獪岳兄ちゃん、一緒に寝て!」
らしい。
「俺はもう子供じゃねぇ!」
と言いながら、結局最後には布団を並べて寝てあげる獪岳。
翌朝、本人は、
「……昨日のことは忘れろ」
と全員に念を押したという。
しかし子供たちは満面の笑顔で、
「獪岳兄ちゃん、大好き!」
と返した。
獪岳は――何も言い返せなかった。
――大正コソコソ噂話・終。