山奥に、異様な静けさが漂っていた。
獪岳は一人、巨大な岩場の中央に立っている。
刀は抜かれていた。
その刃先から、僅かに汗が滴る。
「……」
目の前には、九本の巨大な丸太。
それぞれが十メートル近く離れて設置されている。
「今日は何をするつもりじゃ?」
後方から慈悟郎が尋ねる。
「九本全部を斬る」
「……一本ずつか?」
「違う」
獪岳は首を横に振った。
「一度の踏み込みで、全部だ」
慈悟郎の眉が上がる。
「一度で九本?」
「ああ」
獪岳は刀を構える。
「帝釈天を作って分かった」
「何がじゃ?」
「俺の雷は、もっと広げられる」
「……」
「一方向だけじゃない」
獪岳は九本の丸太を見る。
「鬼が一体とは限らない」
「複数の鬼を相手にすることもある」
「その通りじゃ」
「なら――」
獪岳は深く息を吸った。
「一度の雷で、全員を斬ればいい」
慈悟郎は黙って獪岳を見る。
「帝釈天は、一点突破の技だ」
「うむ」
「雷龍は、広範囲を薙ぎ払う」
「そうじゃな」
「なら、その中間が必要だ」
獪岳は刀を握る。
「一点でもない」
「広範囲でもない」
「複数の標的を、同時に狙う」
獪岳の目が鋭くなる。
「九つ」
慈悟郎が呟く。
「九つの雷……」
「そうだ」
獪岳は空を見上げた。
「雷が枝分かれするように」
雲の中を走る雷。
一本の閃光が、幾つにも分かれて空を駆ける。
その光景が、獪岳の脳裏に焼き付いた。
「――九頭龍」
「……九頭龍?」
「ああ」
獪岳は笑う。
「一つの雷から、九つの雷が生まれる」
そして。
「九本の首を持つ龍みたいにな」
慈悟郎は少し考えた。
「では――技名は?」
獪岳は刀を構えた。
「九頭龍の雷」
その瞬間。
獪岳の呼吸が変わった。
「雷の呼吸――」
深く。
長く。
「九頭龍の雷!!」
ドンッ!!
地面が爆ぜる。
獪岳が飛び出した。
一瞬。
二瞬。
三瞬。
身体が九つに分かれたように見えた。
「……!」
慈悟郎が目を見開く。
獪岳は一本目の丸太を斬った。
ズバッ!!
その瞬間。
身体の軌道が変わる。
二本目。
ズバッ!!
三本目。
ズバッ!!
四本目。
ズバッ!!
斬撃が連鎖する。
まるで一本の雷が枝分かれしていくように。
五本。
六本。
七本。
八本。
そして――。
「九つ目!!」
ズドォォォン!!
最後の丸太が真っ二つに割れた。
獪岳は九本の丸太の中央に立っていた。
静寂。
そして――。
ドドドドド……。
九本の丸太が、ほぼ同時に倒れる。
慈悟郎は言葉を失っていた。
「……見事じゃ」
獪岳は荒い呼吸を整える。
「成功……した」
「ああ」
「でも――」
獪岳は刀を見る。
「まだ完成じゃない」
「何故じゃ?」
「九本を斬っただけだ」
「十分ではないか」
「敵が九体、同じ場所にいるとは限らない」
獪岳は首を横に振る。
「もっと自由に動けなきゃ意味がない」
慈悟郎は笑った。
「まだ上を目指すか」
「当然だ」
獪岳は再び構える。
「九頭龍の雷は、九つの雷を同時に操る技にする」
「同時に?」
「ああ」
「今は一つずつ移動して斬った」
「でも、それじゃ遅い」
獪岳は目を閉じる。
「一度の踏み込みで、九つの斬撃を生み出す」
「……それは」
慈悟郎の顔が険しくなる。
「相当な技量が必要じゃぞ」
「だからやる」
即答だった。
「雷龍で広範囲を攻撃する」
「帝釈天で一点を貫く」
「そして九頭龍の雷で――」
獪岳は刀を握る。
「複数の強敵を同時に討つ」
それは、柱になった後を想定した技だった。
一人で複数の鬼と戦う。
仲間を守りながら。
敵の攻撃を受け流しながら。
一瞬の隙を見つけ――。
全てを斬る。
「……鳴柱」
獪岳が呟く。
「俺が柱になるなら」
その瞳に、強い決意が宿る。
「一人で鬼を倒すだけじゃ足りない」
「……」
「仲間を守りながら、複数の鬼を倒せる剣士になる」
慈悟郎は微笑んだ。
「それがお前の目指す柱か」
「ああ」
「立派になったのう」
「……からかうな」
「本心じゃよ」
獪岳は少しだけ照れたように目を逸らした。
だが。
「……もう一度やる」
「休まんのか?」
「まだ九本しか斬ってない」
「九本も斬ったじゃろう」
「九本『しか』だ」
慈悟郎は苦笑する。
「まったく……」
獪岳は構える。
「雷の呼吸――」
空気が震える。
「九頭龍の雷!」
轟ッ!!
今度は先ほどより速い。
一つ。
二つ。
三つ。
斬撃が次々と分岐する。
四つ。
五つ。
六つ。
そして――。
七つ。
八つ。
九つ。
九本の雷が、山中を駆け抜けた。
ズドォォォン!!
全ての丸太が同時に倒れる。
獪岳はその中心に立っていた。
「……」
慈悟郎は目を細める。
先ほどよりも明らかに速い。
そして何より――。
「九つの斬撃が、ほぼ同時に成立しておる」
獪岳は刀を収める。
「まだだ」
「……まだか」
「ああ」
空を見上げる。
「九つの雷を、もっと自由にする」
そして。
「九つの首を持つ龍が、空を駆けるように」
その言葉と同時に。
遠くで雷鳴が轟いた。
轟ォォォン……。
獪岳はその音を聞きながら、静かに笑う。
「九頭龍の雷」
それは、ただの派生技ではない。
複数の敵を相手にするため。
仲間を守るため。
そして――。
いつか鳴柱として戦場に立つため。
獪岳が生み出した、新たなる雷だった。
壱ノ型・極。
迅雷・連牙。
迅雷・閃々。
雷龍。
帝釈天。
そして――。
九頭龍の雷。
獪岳の雷は、一つずつ増えていく。
やがてそれら全てが、一つの体系として完成した時。
「雷の呼吸・改」
その名は、鬼殺隊の中で新たな意味を持つことになる。
そしてその中心に立つ男こそ――。
霹靂の獪岳。
彼はまだ知らない。
自分が生み出した雷が、やがて「鳴柱」の名を大きく変えることを。