夕暮れ。
鬼殺隊本部から少し離れた山道を、獪岳は一人歩いていた。
柱に任命されてから、数日。
鳴柱としての初任務も終えた。
隊士を救い、鬼を斬り、無事に帰還した。
「……柱、か」
獪岳は空を見上げる。
未だに実感が湧かない。
柱になることを目指していた。
そのために鍛えた。
雷の呼吸を改良し、自分だけの技を生み出した。
そして――。
本当に、鳴柱になった。
「……変な感じだな」
その時。
「――兄貴!」
背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
獪岳が振り返る。
「……善逸」
そこには、金髪の少年が立っていた。
我妻善逸。
獪岳と同じく、桑島慈悟郎のもとで雷の呼吸を学ぶ弟弟子。
善逸は息を切らしながら走ってくる。
「はぁ……はぁ……!」
「何で走ってきた」
「だって兄貴が柱になったって聞いたから!」
「……それだけで走ってきたのか?」
「それだけって何だよ!」
善逸が頬を膨らませる。
「兄貴が鳴柱になったんだぞ!?」
「……」
「めちゃくちゃ凄いじゃん!」
獪岳は少しだけ目を逸らす。
「別に」
「別にじゃない!」
善逸は獪岳の前に回り込む。
「おめでとう、兄貴!」
「……」
その一言。
たったそれだけの言葉が。
獪岳の胸に、不思議なほど深く響いた。
「……ああ」
「反応薄っ!」
「うるさい」
「もっと喜べよ!」
「俺はそういう性格じゃない」
「知ってるけどさ!」
善逸は笑った。
「でも、俺は嬉しいよ」
「……何が?」
「兄貴が柱になったこと」
善逸は胸を張る。
「だって、兄貴はずっと頑張ってたじゃん」
「……」
「朝も夜も鍛錬して」
「……」
「任務から帰ってきても鍛錬して」
「……」
「新しい技まで作って」
獪岳は目を細めた。
「……よく見てるな」
「そりゃ兄貴の弟弟子だからな!」
善逸は満面の笑みを浮かべる。
「俺、兄貴のこと凄いと思ってるんだ」
「……」
「だからさ」
善逸は拳を握った。
「俺も頑張る」
「何を?」
「兄貴に追いつく!」
獪岳の眉が僅かに上がる。
「……無理だな」
「即答!?」
「今のお前じゃ無理だ」
「ひどい!」
「事実だ」
「うぅ……!」
善逸は悔しそうに唸る。
だが、すぐに顔を上げた。
「でも!」
「……」
「いつか絶対追いつくから!」
「……ほう」
「兄貴が鳴柱なら、俺もいつか――」
善逸はそこで言葉を止めた。
「……」
そして。
「俺も強くなる」
獪岳は弟弟子を見る。
以前の善逸なら。
泣いて。
逃げて。
鍛錬から逃げようとしていた。
だが。
今は違う。
「……少しはマシになったな」
「え?」
「その目だ」
獪岳は善逸の額を軽く小突いた。
「その目を忘れるな」
「……兄貴」
「俺は先に行く」
「うん」
「だから――」
獪岳は歩き出す。
「お前も来い」
善逸は一瞬、目を見開いた。
そして。
「……うん!」
大きく頷いた。
「兄貴!」
「何だ」
「もう一回言わせて!」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないだろ!」
「どうせ同じだろ」
善逸は笑う。
そして――。
「おめでとう、兄貴!」
獪岳は足を止めた。
振り返らない。
ただ。
「……ありがとうな、善逸」
小さく。
本当に小さく。
そう返した。
善逸は目を丸くする。
「……!」
「何だ」
「いや……」
善逸は嬉しそうに笑った。
「兄貴が『ありがとう』って言った……」
「うるさい」
「今の聞いた!? 爺ちゃんにも報告しよう!」
「やめろ!」
「絶対言う!」
「善逸!」
二人の声が山道に響く。
やがて。
その声を聞きつけた慈悟郎が、屋敷の縁側から顔を出した。
「……何を騒いでおる」
「爺ちゃん!」
善逸が走っていく。
「聞いてよ!」
「何じゃ?」
「兄貴が『ありがとう』って言った!」
「……ほう」
慈悟郎が獪岳を見る。
「獪岳」
「……何だ」
「良い弟を持ったのう」
「……」
獪岳は少しだけ照れくさそうに目を逸らした。
「……まあな」
善逸が笑う。
「兄貴!」
「何だよ」
「これからもよろしくな!」
「……ああ」
「俺、絶対強くなるから!」
「期待してる」
「……!」
善逸の顔が輝く。
「兄貴が……俺に期待してくれた!」
「いちいち騒ぐな!」
「だって嬉しいんだもん!」
慈悟郎は二人を見つめながら、静かに笑った。
かつて。
一人は強さを求めすぎていた。
一人は弱さから逃げ続けていた。
だが今。
二人は同じ師のもとで、別々の道を歩み始めている。
獪岳は柱へ。
善逸は、その背中を追う者へ。
「……兄貴」
「ん?」
「いつか俺も、兄貴の隣に立つから」
獪岳は少しだけ笑った。
「なら――」
刀の柄に手を置く。
「雷の呼吸を、もっと磨け」
「うん!」
「俺は先に行く」
「うん!」
「追いついてみろ」
「絶対に!」
二人の視線が交わる。
兄弟弟子。
それは血の繋がった兄弟ではない。
それでも――。
互いの背中を追い、互いの強さを認め合う。
そんな二人の間には、確かな絆があった。
夕暮れの空。
一筋の雷光が走る。
そして。
「おめでとう、兄貴!」
善逸の声が、もう一度響いた。
獪岳は今度こそ、笑って答える。
「……ああ。ありがとう」
鳴柱・獪岳。
そして、その背中を追う我妻善逸。
二人の雷の物語は――。
まだ、始まったばかりだった。