――さて、ここで少しだけ本編を離れて。
大正時代の鬼殺隊で密かに囁かれていた、とある噂話をご紹介しよう。
「……聞いたか?」
「何を?」
「新しい柱が誕生したらしいぞ」
「新しい柱?」
「ああ。雷の呼吸を使う剣士だ」
「雷の呼吸なら、桑島さんの弟子だろ?」
「そう。その弟子の一人だ」
「まさか……」
隊士たちは声を潜める。
「獪岳さん?」
「そうだ」
「本当に柱になったのか!?」
「しかも――」
一人の隊士が、周囲を確認してから囁く。
「『鳴柱』だそうだ」
「鳴柱……」
その名前が広がった瞬間。
隊士たちの間に、ざわめきが走った。
「凄いな……」
「まだ若いのに」
「一体どれだけ強いんだ?」
「聞いた話じゃ、鬼の首を斬った後に雷鳴が聞こえたとか……」
「それは盛りすぎだろ」
「じゃあ、山を一つ斬ったって話は?」
「もっと盛ってるだろ!」
「でも、獪岳さんが新しい技をいくつも作ったって話は本当らしい」
「雷の呼吸・改、だったか?」
「そうそう」
「壱ノ型・極とか、迅雷・連牙とか……」
「迅雷・閃々って技もあるらしいぞ」
「それに――」
隊士が声をさらに潜める。
「『雷龍』」
「……!」
その名前を聞いた途端。
何人かが顔を見合わせる。
「知ってるのか?」
「実際に見たって奴がいる」
「どんな技だった?」
「巨大な雷が龍みたいに走っていったらしい」
「……本当に?」
「俺は見てない」
「じゃあ何でそんなに自信満々なんだよ」
「噂だからだ」
「おい!」
さらに別の隊士が口を挟む。
「『帝釈天』って技もあるらしい」
「帝釈天?」
「ああ」
「神様の名前じゃないか」
「雷を司る神らしい」
「じゃあ、それだけ凄い技ってことか?」
「たぶんな」
「そして極めつけが――」
隊士たちは、全員が身を寄せる。
「『九頭龍の雷』」
「……九頭龍?」
「九つの雷を同時に放つらしい」
「九つ!?」
「しかも、敵が九体いても全部斬れるとか」
「……」
「……」
「……それ、本人に聞いたほうが早くないか?」
全員が黙る。
そして。
「……聞けるか?」
「無理」
「俺も無理」
「だよな」
なぜなら――。
「獪岳さん、怖いんだよ」
「分かる」
「いや、怖いというより……」
「何だ?」
「近寄りがたいんだよ」
そこへ。
「――誰が近寄りがたいって?」
「「「ひっ!?」」」
全員が飛び上がった。
振り返る。
そこには。
腕を組んだ獪岳が立っていた。
「……鳴柱様」
「さっきから何を話してる」
「い、いえ!」
「何でもありません!」
「そうか」
獪岳は疑わしそうに隊士たちを見る。
「俺の噂か?」
「……」
沈黙。
「図星か」
「す、すみません!」
「別に謝るな」
獪岳はため息をつく。
「ただし、一つだけ訂正しておく」
「は、はい!」
「九頭龍の雷は、九体の鬼を必ず斬れる技じゃない」
「え?」
「九方向に斬撃を分ける技だ」
「じゃあ、本当に九つ……」
「鍛錬次第だ」
獪岳は淡々と答える。
「まだ完成してない」
隊士たちは目を輝かせる。
「やっぱり凄い……」
「聞こえてるぞ」
「すみません!」
獪岳は呆れたように息を吐いた。
「それより、お前たちは鍛錬しろ」
「はい!」
「柱が何を使ってるか気にする前に、自分の刀を強くしろ」
「はい!」
「分かったら行け」
「失礼します!」
隊士たちが一斉に走り去っていく。
その背中を見送りながら。
「……まったく」
獪岳は呟いた。
「噂ってのは、尾ひれがつくな」
すると。
「そうでもないと思うぞ」
「……爺さん」
慈悟郎が縁側から笑っていた。
「お前が柱になったという話は、鬼殺隊中に広まっておる」
「そうか」
「皆、お前を頼りにしておるのじゃ」
「……」
獪岳は少し黙る。
「俺を?」
「ああ」
「まだ柱になったばかりだぞ」
「だからこそじゃ」
慈悟郎は穏やかに笑う。
「新しい柱が生まれた。それだけで隊士たちは希望を持てる」
獪岳は空を見る。
「……希望、か」
自分には、少し似合わない言葉だと思った。
だが。
「悪くないな」
小さく呟く。
その時。
「兄貴ー!」
遠くから声が響いた。
「……善逸か」
黄色い髪を揺らしながら、善逸が駆けてくる。
「聞いたぞ!」
「何を?」
「兄貴の噂!」
「……嫌な予感しかしない」
善逸は興奮した様子で口を開く。
「兄貴、鬼を斬っただけで山が真っ二つになったって!」
「なってない」
「雷龍で山が吹き飛んだって!」
「吹き飛んでない」
「帝釈天で雷そのものになったって!」
「……」
獪岳は頭を抱える。
「誰だ、そんな噂を流した奴は」
善逸は笑う。
「でもさ!」
「何だ」
「俺は知ってるよ」
「……」
「兄貴がどれだけ頑張って、柱になったのか」
善逸は真っ直ぐに獪岳を見る。
「だから、俺は噂より――」
笑顔を浮かべる。
「兄貴本人のほうが凄いと思ってる」
獪岳は一瞬だけ目を見開いた。
「……そうか」
「うん!」
「なら、余計な噂を信じるな」
「分かった!」
「あと――」
獪岳は善逸の頭を軽く小突く。
「お前も鍛錬しろ」
「痛っ!」
「柱になりたいんだろ?」
「……!」
善逸の顔が引き締まる。
「うん!」
「なら、俺の背中を追ってこい」
「絶対追いつく!」
その様子を見ていた慈悟郎は、静かに笑った。
こうして。
鬼殺隊には、新たな柱が誕生した。
雷を纏い。
雷鳴のような剣を振るい。
己自身の手で、新たな雷の型を生み出した男。
その名は――。
「鳴柱・獪岳」
そして大正の鬼殺隊では、今日もひそひそと噂されている。
「鳴柱って、怖い人なのか?」
「いや、隊士を助けてくれるらしいぞ」
「雷龍って本当に龍が出るのか?」
「帝釈天って神様が降りてくるらしい」
「九頭龍の雷は?」
「九つの雷が――」
「……お前ら、仕事しろ」
「「「はいっ!!」」」
そんな噂話が、今日も鬼殺隊のどこかで囁かれている。
そして本人はというと――。
「……くだらん噂ばかり増えやがって」
そう言いながら。
ほんの少しだけ、嬉しそうに笑っていた。