『霹靂、そして慈雨。転生獪岳の鬼殺隊無双ルート』   作:夜幻

82 / 237
第82話 二人きりの蝶屋敷

夜。

 

蝶屋敷は、いつもより静かだった。

 

負傷した隊士たちはすでに眠りにつき、アオイたちも奥の部屋へ下がっている。

 

庭から聞こえるのは、虫の声だけ。

 

「……今日は静かですね」

 

縁側に座り、しのぶが呟く。

 

「そうだな」

 

隣には獪岳。

 

珍しく、二人きりだった。

 

「皆さん、お休みになったんでしょうか?」

 

「ああ」

 

「アオイさんも?」

 

「さっき見回りをしていた」

 

「なるほど」

 

しのぶは湯呑みに口をつける。

 

「……それにしても」

 

「何だ?」

 

「本当に来たんですね」

 

獪岳は眉を寄せる。

 

「何がだ?」

 

「『薬がなくても茶を飲みに来る』っていう約束です」

 

「……」

 

「あれ、冗談だったのかと思っていました」

 

「俺は約束を破らない」

 

「ふふ」

 

しのぶは嬉しそうに笑った。

 

「では、今日は薬ではなくお茶ですね」

 

「ああ」

 

二人の間に、静かな時間が流れる。

 

獪岳は湯呑みを持ちながら、庭を眺めていた。

 

月明かり。

 

揺れる竹。

 

そして、静かな虫の音。

 

「……落ち着くな」

 

「蝶屋敷がですか?」

 

「ああ」

 

「意外ですね」

 

「何が?」

 

「獪岳さんは、こういう静かな場所が苦手そうだと思っていました」

 

「俺を何だと思ってる」

 

「雷みたいな人」

 

「……」

 

「いつも速くて、強くて、止まらない」

 

しのぶは微笑む。

 

「そんな印象です」

 

「雷だって、静かな時はある」

 

「ふふ。確かに」

 

しのぶは月を見る。

 

「雷の音が聞こえない夜もありますからね」

 

「……」

 

獪岳はふと、しのぶの横顔を見る。

 

今日も笑っている。

 

いつもの笑顔。

 

だが――。

 

「胡蝶」

 

「はい?」

 

「今日は、無理してないか?」

 

しのぶの手が止まる。

 

「……また、それですか?」

 

「ああ」

 

「私、そんなに無理して笑っていますか?」

 

「分からない」

 

「では、どうして?」

 

「目が笑ってない時がある」

 

しのぶは黙った。

 

「……よく見ていますね」

 

「柱だからな」

 

「それだけ?」

 

「……」

 

獪岳は答えない。

 

しのぶは小さく笑った。

 

「ふふ。そういうことにしておきましょう」

 

しばらく沈黙。

 

やがて、しのぶが口を開く。

 

「獪岳さんは、怖くないんですか?」

 

「何が?」

 

「柱になったこと」

 

「……」

 

獪岳は少し考える。

 

「怖いさ」

 

しのぶが目を見開く。

 

「意外ですね」

 

「俺だって人間だ」

 

「そうでした」

 

「柱になったからって、鬼が怖くなくなるわけじゃない」

 

「……」

 

「ただ」

 

獪岳は月を見上げる。

 

「怖くても、行かなきゃならない」

 

「……そうですね」

 

「だから行く」

 

しのぶは静かに頷いた。

 

「私も同じです」

 

「……」

 

「怖いですよ」

 

しのぶは笑った。

 

「鬼は嫌いですし」

 

「そうだろうな」

 

「でも、守りたい人がいるから」

 

「……」

 

「姉が残してくれたものもありますから」

 

その言葉に。

 

獪岳は何も聞かなかった。

 

ただ。

 

「そうか」

 

とだけ答えた。

 

しのぶは少し驚いた。

 

「聞かないんですね」

 

「聞いてほしいなら、話せばいい」

 

「……」

 

「話したくないなら、無理に聞かない」

 

しのぶは目を伏せた。

 

「本当に……変な人ですね」

 

「よく言われる」

 

「でも――」

 

しのぶは微笑む。

 

「ありがとうございます」

 

「何が?」

 

「聞かないでいてくれたこと」

 

「……そうか」

 

また、静寂。

 

今度は先ほどよりも穏やかなものだった。

 

やがて。

 

「獪岳さん」

 

「ん?」

 

「手」

 

「何だ?」

 

「少し見せてもらえますか?」

 

獪岳は自分の手を見る。

 

「怪我はないぞ」

 

「分かっています」

 

しのぶは微笑む。

 

「ただ、少し気になっただけです」

 

「……?」

 

獪岳は手を差し出す。

 

しのぶがそっと手を取る。

 

「……」

 

獪岳の手には、鍛錬による傷がいくつも残っていた。

 

「随分、鍛錬していますね」

 

「ああ」

 

「これでは、刀を握るのも痛いでしょう?」

 

「慣れてる」

 

「慣れればいいというものではありませんよ」

 

「……」

 

しのぶは薬を塗る。

 

「少し染みます」

 

「これくらい――」

 

「我慢してください」

 

「……はい」

 

珍しく素直な返事。

 

しのぶは思わず笑った。

 

「ふふ」

 

「何だ」

 

「いえ」

 

「笑うな」

 

「すみません」

 

「絶対思ってないだろ」

 

「ええ」

 

「……」

 

二人の距離が近い。

 

しのぶは傷を手当てしながら、ふと思った。

 

――大きな手。

 

強い人の手。

 

でも。

 

「……優しい手ですね」

 

「何?」

 

「いえ、何でもありません」

 

「?」

 

しのぶは薬を塗り終える。

 

「はい。終わりました」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

獪岳は手を見る。

 

「……」

 

そして。

 

「胡蝶」

 

「はい?」

 

「お前の手も――」

 

獪岳がしのぶの手を見る。

 

「傷が多いな」

 

しのぶは一瞬だけ黙った。

 

「……仕事柄、仕方ありませんよ」

 

「そうか」

 

獪岳はそれ以上何も言わない。

 

だが。

 

「無理するな」

 

また同じ言葉。

 

しのぶは少しだけ笑う。

 

「獪岳さんもですよ」

 

「俺はいい」

 

「駄目です」

 

「……」

 

「お互い様です」

 

「……分かった」

 

月が高く昇る。

 

いつの間にか、二人の距離は肩が触れそうなほど近くなっていた。

 

「……静かですね」

 

しのぶが呟く。

 

「ああ」

 

「こうしていると、時間が止まったみたいです」

 

「……」

 

「鬼のことも、任務のことも忘れてしまいそう」

 

「それも悪くない」

 

獪岳が答える。

 

しのぶは少し驚いた。

 

そして。

 

「……そうですね」

 

二人は月を見上げた。

 

言葉はない。

 

けれど。

 

それで十分だった。

 

やがて獪岳が立ち上がる。

 

「そろそろ戻る」

 

「はい」

 

「茶、ありがとう」

 

「こちらこそ、来てくださってありがとうございます」

 

獪岳は歩き出す。

 

だが、門のところで足を止めた。

 

「……胡蝶」

 

「はい?」

 

「また来る」

 

しのぶの笑顔が柔らかくなる。

 

「はい。待っています」

 

獪岳は今度こそ歩き出した。

 

その背中を見送りながら。

 

しのぶは胸元に手を当てる。

 

「……不思議な人」

 

いつもの笑顔。

 

けれど今の笑顔には。

 

ほんの少しだけ――。

 

仮面ではない、本当の嬉しさが混じっていた。

 

そして獪岳も。

 

帰路につきながら、ふと思う。

 

「……蝶屋敷、か」

 

また来たい。

 

そう思ってしまった自分に。

 

少しだけ驚きながら。

 

「……悪くない」

 

月夜の道を、静かに歩いていった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。