『霹靂、そして慈雨。転生獪岳の鬼殺隊無双ルート』   作:夜幻

83 / 237
第83話 「無理して笑うな」

蝶屋敷の朝。

 

「おはようございます、獪岳さん」

 

いつもの笑顔。

 

いつもの声。

 

いつもの胡蝶しのぶ。

 

「……おはよう」

 

獪岳は縁側に腰を下ろした。

 

「今日は早いですね」

 

「任務まで時間がある」

 

「なるほど」

 

しのぶは湯呑みを二つ用意する。

 

「お茶、いかがですか?」

 

「ああ」

 

湯呑みを受け取る。

 

二人で静かに茶を飲む。

 

「……」

 

「……」

 

いつもなら、これで終わる。

 

しかし。

 

今日の獪岳は、しのぶの顔を何度も見ていた。

 

「……」

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

「何か気になります?」

 

「……お前」

 

「はい?」

 

「ちゃんと寝たか?」

 

しのぶの笑顔が一瞬止まる。

 

「ええ。もちろん」

 

「嘘だな」

 

「……」

 

「目の下に隈がある」

 

「まあ」

 

しのぶは自分の目元に触れる。

 

「よく見ていますね」

 

「昨日も遅くまで負傷者の治療をしてただろ」

 

「知っていたんですか?」

 

「廊下を通った」

 

「なるほど」

 

しのぶは笑う。

 

「でも、大丈夫ですよ」

 

「……」

 

「私は元気ですから」

 

獪岳は黙って彼女を見る。

 

「胡蝶」

 

「はい?」

 

「その笑顔」

 

「……」

 

「無理してるだろ」

 

空気が止まった。

 

しのぶの笑顔が、ほんの少しだけ固まる。

 

「……どうして、そう思うんです?」

 

「分かる」

 

「何が?」

 

「本当に笑ってる時と、違う」

 

しのぶは何も言わない。

 

「……」

 

「俺には、そう見える」

 

しのぶはしばらく俯いていた。

 

やがて。

 

「……獪岳さんは」

 

「ん?」

 

「本当に、変な人ですね」

 

「またそれか」

 

「ええ」

 

しのぶは笑う。

 

しかし――。

 

今度の笑顔は、いつもより弱かった。

 

「私は、いつも笑っていなければならないんです」

 

「どうして?」

 

「周りを安心させるためです」

 

「……」

 

「患者さんも、隊士の皆さんも」

 

「……」

 

「私が怖い顔をしていたら、不安になるでしょう?」

 

「だから笑うのか」

 

「はい」

 

しのぶは頷く。

 

「笑っていれば、大丈夫だと思ってもらえる」

 

「……」

 

「だから、私は笑います」

 

獪岳は黙って聞いていた。

 

しのぶの声は穏やかだった。

 

だが。

 

その奥にあるものは――。

 

あまりにも重い。

 

「……姉さんも」

 

しのぶがぽつりと言う。

 

「いつも笑っていました」

 

「……」

 

「私に笑っていてほしいと言ってくれたんです」

 

獪岳は何も言わない。

 

しのぶは笑顔を浮かべたまま続ける。

 

「だから、私は笑います」

 

「……そうか」

 

「はい」

 

「でも」

 

獪岳が口を開く。

 

「無理して笑うな」

 

「……」

 

しのぶの目が見開かれる。

 

「え?」

 

「笑いたくない時まで笑う必要はない」

 

「……」

 

「少なくとも、俺の前では」

 

その言葉に。

 

しのぶの笑顔が完全に消えた。

 

「……」

 

静かだった。

 

庭の風が、藤の花を揺らす。

 

しのぶは俯く。

 

「……困りましたね」

 

「何が?」

 

「そう言われるとは思いませんでした」

 

「……」

 

「私は、ずっと笑っていればいいと思っていたんです」

 

「……」

 

「笑っていれば、姉さんとの約束を守れると思っていました」

 

声が僅かに震える。

 

「でも――」

 

しのぶは唇を噛む。

 

「時々、疲れるんです」

 

獪岳は何も言わず、隣に座った。

 

「怒りたい時もあります」

 

「……」

 

「泣きたい時も」

 

「……」

 

「全部投げ出したくなる時だってあります」

 

「……そうか」

 

「でも、笑わなきゃって」

 

しのぶは俯いたまま。

 

「そう思ってしまうんです」

 

獪岳はしばらく黙っていた。

 

そして。

 

「……泣けばいい」

 

「え?」

 

「怒ればいい」

 

しのぶが顔を上げる。

 

「俺の前なら」

 

「……」

 

「誰にも見せたくないなら、俺だけに見せればいい」

 

しのぶの瞳が揺れる。

 

「……どうして」

 

「何が?」

 

「どうして、そんなことを言えるんですか?」

 

獪岳は自分の手を見る。

 

「俺も、昔は無理してたからだ」

 

「……」

 

「強くなきゃいけないと思ってた」

 

「……」

 

「弱いところを見せたら、負けだと思ってた」

 

しのぶは黙って聞いている。

 

「でも」

 

獪岳は静かに続ける。

 

「強い奴だって、疲れる」

 

「……」

 

「だから休む」

 

「……はい」

 

「泣きたいなら泣く」

 

「……」

 

「怒りたいなら怒る」

 

獪岳はしのぶを見る。

 

「それでいい」

 

しのぶの目に、薄く涙が浮かんだ。

 

「……そんなこと」

 

「ん?」

 

「言われたの、初めてです」

 

「そうか」

 

「……」

 

一粒。

 

涙が頬を伝った。

 

しのぶは慌てて拭う。

 

「……すみません」

 

「謝るな」

 

「でも――」

 

「謝ることじゃない」

 

獪岳は静かに言った。

 

「泣くのも、お前の自由だ」

 

しのぶはしばらく黙っていた。

 

そして。

 

「……ふふ」

 

涙を流しながら、少し笑う。

 

「やっぱり、獪岳さんは変な人です」

 

「好きに言え」

 

「でも……」

 

しのぶは涙を拭う。

 

「ありがとうございます」

 

「……ああ」

 

しばらく二人は黙っていた。

 

やがて。

 

しのぶが小さく息を吐く。

 

「少しだけ、楽になりました」

 

「ならいい」

 

「……獪岳さん」

 

「何だ?」

 

「もう一つ、お願いしてもいいですか?」

 

「ああ」

 

しのぶは少しだけ迷い。

 

「今日だけ――」

 

「……」

 

「笑わなくても、いいでしょうか?」

 

獪岳は即答した。

 

「もちろんだ」

 

しのぶは目を閉じる。

 

そして。

 

今度こそ。

 

笑顔を作らなかった。

 

そこにいたのは。

 

蟲柱・胡蝶しのぶではなく。

 

ただ一人の少女だった。

 

「……ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

二人の間に、静かな時間が流れる。

 

やがて。

 

しのぶは涙の跡を残したまま、ほんの少しだけ笑った。

 

今度の笑顔は――。

 

誰かのために作ったものではない。

 

自分自身のための笑顔だった。

 

「獪岳さん」

 

「ん?」

 

「明日からも……ここに来てもらえますか?」

 

獪岳は少しだけ目を細める。

 

「任務がなければな」

 

「ふふ」

 

「何だ?」

 

「いえ」

 

しのぶは穏やかに笑った。

 

「嬉しいなと思って」

 

獪岳は何も言わない。

 

ただ。

 

「……ああ」

 

小さく頷いた。

 

その日。

 

二人の距離は、また一歩近づいた。

 

そして、しのぶは初めて思った。

 

――この人の前なら。

 

無理して笑わなくてもいいのかもしれない。

 

「無理して笑うな」

 

その言葉は。

 

しのぶの心に、静かに残り続けた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。