『霹靂、そして慈雨。転生獪岳の鬼殺隊無双ルート』   作:夜幻

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第84話 初めて見せた涙

夜の蝶屋敷。

 

昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、庭には淡い月明かりが落ちていた。

 

縁側には、二つの湯呑み。

 

そして――獪岳としのぶ。

 

「……今日は、随分静かですね」

 

しのぶが呟く。

 

「ああ」

 

「皆さん、もう眠ったみたいです」

 

「そうか」

 

二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。

 

以前なら、しのぶは何かしら話題を探していた。

 

笑顔を浮かべ。

 

冗談を言い。

 

相手を困らせるような軽口を叩く。

 

だが、今日は違った。

 

「……」

 

しのぶは月を見上げていた。

 

その横顔に、いつもの笑顔はない。

 

獪岳は何も言わず、隣に座っていた。

 

「獪岳さん」

 

「何だ?」

 

「この前のこと……覚えていますか?」

 

「無理して笑うな、って話か?」

 

「はい」

 

しのぶは小さく笑う。

 

「覚えていてくれたんですね」

 

「忘れる理由がない」

 

「……そうですか」

 

しのぶは湯呑みを両手で包む。

 

「私、あの日から少しだけ変わった気がします」

 

「どう変わった?」

 

「笑いたくない時は、無理に笑わなくなりました」

 

「それでいい」

 

「でも――」

 

しのぶの声が、僅かに曇る。

 

「その分、色々なことを思い出すようになりました」

 

「……」

 

「姉さんのこと」

 

獪岳は黙っている。

 

「家族のこと」

 

「……」

 

「そして、鬼のこと」

 

しのぶの指が湯呑みを強く握る。

 

「昔は、怒ってはいけないと思っていました」

 

「どうして?」

 

「姉さんが笑っていてほしいと言ったから」

 

「……」

 

「だから、怒りも悲しみも全部隠して」

 

しのぶは目を伏せた。

 

「笑顔に変えていました」

 

「……」

 

「でも、今は……」

 

言葉が途切れる。

 

「隠さなくてもいいのかなって」

 

獪岳は静かに頷く。

 

「そうだな」

 

「……」

 

「隠す必要なんてない」

 

その瞬間。

 

しのぶの瞳から、一粒の涙が落ちた。

 

ぽたり。

 

「……」

 

本人も驚いたように目を見開く。

 

「……あ」

 

慌てて指で拭う。

 

「すみません」

 

「謝るな」

 

「でも――」

 

「泣いていいと言っただろ」

 

「……はい」

 

また一粒。

 

そして。

 

もう一粒。

 

涙が次々と頬を伝っていく。

 

しのぶは必死に拭おうとする。

 

だが、止まらない。

 

「……困りましたね」

 

声が震える。

 

「こんなに……涙が出るなんて」

 

獪岳は何も言わない。

 

ただ、隣にいる。

 

「私……」

 

しのぶは俯く。

 

「本当は……ずっと悲しかったんです」

 

「……」

 

「姉さんがいなくなって」

 

「……」

 

「父さんと母さんもいなくなって」

 

「……」

 

「大切な人が、どんどんいなくなって」

 

声が震える。

 

「それでも、笑っていなきゃって……」

 

しのぶは両手で顔を覆った。

 

「姉さんとの約束だから……」

 

肩が小さく震える。

 

獪岳は、ただ見守る。

 

無理に慰めない。

 

無理に言葉を挟まない。

 

ただ。

 

そこにいる。

 

やがて。

 

「……疲れました」

 

しのぶが呟いた。

 

「……ああ」

 

「笑うことも」

 

「……」

 

「怒ることも」

 

「……」

 

「悲しむことも……全部」

 

しのぶは顔を上げる。

 

涙で濡れた紫の瞳。

 

「私、ずっと頑張ってきたんです」

 

「分かってる」

 

「……」

 

「よく頑張った」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

しのぶの瞳から、さらに涙が溢れた。

 

「……っ」

 

そして。

 

「う……」

 

小さな嗚咽。

 

「……うぅ……」

 

初めて。

 

しのぶは誰かの前で、声を上げて泣いた。

 

獪岳は黙っていた。

 

ただ隣にいる。

 

それだけだった。

 

しのぶはしばらく泣き続けた。

 

やがて。

 

「……すみません」

 

「だから謝るな」

 

「でも……」

 

「泣いたくらいで弱くなるわけじゃない」

 

「……」

 

「むしろ、今まで泣かなかったことのほうが無理してたんだ」

 

しのぶは涙を拭う。

 

「……獪岳さん」

 

「ん?」

 

「どうして……こんなに優しくしてくれるんですか?」

 

獪岳は少し考える。

 

「さあな」

 

「また、それですか?」

 

「ああ」

 

「ふふ……」

 

涙の跡を残したまま、しのぶが笑う。

 

今度の笑顔は。

 

いつもの作られたものではなかった。

 

「……ありがとうございます」

 

「何度目だ、それ」

 

「何度でも言います」

 

「……そうか」

 

「はい」

 

しのぶは月を見上げる。

 

「少し、軽くなった気がします」

 

「ならよかった」

 

「……」

 

そして。

 

しのぶはそっと獪岳の肩に頭を預けた。

 

獪岳の身体が僅かに固まる。

 

「……胡蝶?」

 

「少しだけ」

 

「……」

 

「このままでいさせてください」

 

獪岳は何も言わなかった。

 

ただ、逃げなかった。

 

「……分かった」

 

しのぶは目を閉じる。

 

「ありがとうございます……」

 

静かな夜。

 

虫の声。

 

月明かり。

 

そして。

 

二人だけの時間。

 

しのぶは初めて。

 

誰かの前で、涙を隠さなかった。

 

獪岳は初めて。

 

誰かの弱さを、ただ受け止めることができた。

 

やがて、しのぶの呼吸が穏やかになる。

 

「……眠ったか」

 

返事はない。

 

獪岳は少しだけ笑う。

 

「……おやすみ、胡蝶」

 

その声は。

 

雷のように鋭い男からは想像できないほど、優しかった。

 

月明かりの下。

 

しのぶの頬には、涙の跡が残っている。

 

けれど――。

 

その表情は、どこか安らかだった。

 

この夜。

 

胡蝶しのぶは初めて、獪岳の前で涙を見せた。

 

そして二人の距離は。

 

もう、柱同士というだけではないところまで――。

 

静かに近づいていた。

 

 

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