『霹靂、そして慈雨。転生獪岳の鬼殺隊無双ルート』   作:夜幻

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第87話 しのぶの本当の笑顔

夕暮れの蝶屋敷。

 

西日が庭を橙色に染め、藤の花が風に揺れている。

 

「……」

 

獪岳は縁側に座っていた。

 

今日は任務帰りだった。

 

特に怪我はない。

 

だが――。

 

「獪岳さん、お疲れ様です」

 

しのぶが湯呑みを二つ持ってやって来る。

 

「……ああ」

 

「今日は少し疲れているようですね」

 

「そう見えるか?」

 

「はい」

 

「柱だからな。任務が続けば疲れる」

 

「ふふ。柱でも疲れるんですね」

 

「当たり前だ」

 

「そうでした」

 

しのぶは隣に腰を下ろした。

 

「お茶です」

 

「ありがとう」

 

湯呑みを受け取る。

 

二人で静かに茶を飲む。

 

「……」

 

穏やかな時間。

 

最近では、これが当たり前になりつつあった。

 

獪岳が蝶屋敷へ来る。

 

しのぶがお茶を淹れる。

 

二人で話す。

 

時には何も話さない。

 

それだけなのに。

 

二人にとっては、不思議と心が落ち着く時間だった。

 

「獪岳さん」

 

「何だ?」

 

「この前、カナヲが変なことを言っていましたね」

 

「……お義兄ちゃんか」

 

「はい……」

 

しのぶの顔が少し赤くなる。

 

「本当に、あの子には困ったものです」

 

「そうか?」

 

「そうですよ」

 

「俺は嫌じゃなかったが」

 

「……」

 

しのぶの動きが止まる。

 

「え?」

 

「別に」

 

「今、何と?」

 

「聞き間違いだ」

 

「聞き間違いじゃありません」

 

しのぶは笑う。

 

「もう一度言ってください」

 

「断る」

 

「ふふ」

 

その笑顔を見て。

 

獪岳は、ふと目を細めた。

 

「……」

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

「何か気になります?」

 

「ああ」

 

「何でしょう?」

 

獪岳はしのぶの顔を見る。

 

「今の笑い方」

 

「……?」

 

「前と違う」

 

しのぶは目を瞬かせる。

 

「そうですか?」

 

「ああ」

 

「どこが?」

 

「分からん」

 

「またですか?」

 

「ただ」

 

獪岳は少しだけ言葉を選ぶ。

 

「今のは、自然に見える」

 

しのぶが黙る。

 

「……」

 

やがて。

 

「そうかもしれません」

 

小さく呟いた。

 

「最近、笑うのが少し楽になったんです」

 

「そうか」

 

「以前は、笑わなきゃと思っていました」

 

「……」

 

「でも今は」

 

しのぶは獪岳を見る。

 

「笑いたいから笑うことも増えました」

 

「それでいい」

 

「はい」

 

しのぶは微笑んだ。

 

その時。

 

「しのぶー!」

 

屋敷の奥から声がする。

 

アオイだった。

 

「患者さんが呼んでます!」

 

「分かりました!」

 

しのぶは立ち上がる。

 

「少し行ってきますね」

 

「ああ」

 

しのぶが屋敷へ入っていく。

 

しばらくして。

 

「……」

 

獪岳は一人で庭を眺めていた。

 

すると。

 

庭の向こうから、小さな子供が走ってくる。

 

蝶屋敷で治療を受けている隊士の弟だった。

 

「お兄ちゃん!」

 

「……?」

 

「お姉ちゃん!」

 

子供はしのぶを探している。

 

「胡蝶なら奥だ」

 

「ありがとう!」

 

子供は走っていく。

 

その直後。

 

「危ないですよ!」

 

しのぶの声。

 

子供が庭の段差に躓いた。

 

「わっ!」

 

「!」

 

獪岳が立ち上がる。

 

だが。

 

子供を抱き上げたのは、しのぶだった。

 

「大丈夫ですか?」

 

「うん……」

 

「怪我はありませんね」

 

「うん!」

 

「よかった」

 

しのぶは子供の頭を撫でる。

 

「偉いですよ」

 

「えへへ」

 

子供が笑う。

 

「しのぶお姉ちゃん、大好き!」

 

「まあ」

 

しのぶは笑った。

 

「私も大好きですよ」

 

その笑顔を見て。

 

獪岳は、思わず目を奪われた。

 

――違う。

 

今まで見てきた笑顔とは。

 

明らかに違う。

 

作っていない。

 

誰かを安心させるためでもない。

 

義務でもない。

 

ただ。

 

嬉しくて。

 

愛しくて。

 

自然に零れた笑顔。

 

「……」

 

獪岳は初めて見た。

 

胡蝶しのぶの――。

 

本当の笑顔。

 

子供が去っていく。

 

「……」

 

しのぶはその背中を見送る。

 

そして。

 

振り返る。

 

「獪岳さん?」

 

「……」

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

「?」

 

獪岳は少し迷った。

 

だが。

 

「……今の」

 

「はい?」

 

「いい笑顔だった」

 

しのぶの目が丸くなる。

 

「……」

 

そして。

 

頬が少し赤くなる。

 

「見ていたんですか?」

 

「ああ」

 

「……恥ずかしいですね」

 

「何でだ?」

 

「だって……」

 

しのぶは俯く。

 

「そんなにじっと見られると思っていませんでしたから」

 

「……」

 

「どうでした?」

 

「何が?」

 

「……笑顔」

 

獪岳は少し考える。

 

そして。

 

「一番好きだ」

 

「……!」

 

しのぶの顔が一気に赤くなる。

 

「か、獪岳さん……」

 

「……」

 

「それは……」

 

「何だ?」

 

「反則ですよ」

 

「何が?」

 

「そんなこと、真顔で言うなんて……」

 

獪岳は少し首を傾げる。

 

「本当のことを言っただけだ」

 

「……もう」

 

しのぶは両手で顔を覆った。

 

「本当に、ずるい人ですね」

 

「またそれか」

 

「だって……」

 

指の隙間から獪岳を見る。

 

「嬉しいんですから」

 

獪岳は黙った。

 

だが。

 

ほんの僅かに口元が緩んだ。

 

「……そうか」

 

「はい」

 

しのぶは手を下ろす。

 

そして。

 

今度は獪岳に向かって笑った。

 

「では」

 

「ん?」

 

「もう一度、見せてあげます」

 

「何を?」

 

「本当の笑顔」

 

しのぶは目を細める。

 

柔らかく。

 

優しく。

 

そして何より自然に。

 

「……」

 

獪岳はその笑顔を見つめる。

 

「どうですか?」

 

「……ああ」

 

「気に入りました?」

 

「かなり」

 

「ふふ」

 

しのぶは嬉しそうに笑った。

 

その笑顔には、もう仮面はなかった。

 

怒りも。

 

悲しみも。

 

寂しさも。

 

全て抱えたまま。

 

それでも笑う。

 

誰かのためではなく。

 

自分が笑いたいから。

 

「獪岳さん」

 

「何だ?」

 

「これからも――」

 

しのぶは少しだけ照れながら言う。

 

「私が笑いたい時は、一緒にいてくださいね」

 

「……ああ」

 

即答だった。

 

「約束だ」

 

「……はい」

 

しのぶの笑顔がさらに輝く。

 

その姿を見ながら。

 

獪岳は思った。

 

――この笑顔だけは。

 

絶対に守りたい。

 

柱としてではない。

 

鬼殺隊士としてでもない。

 

ただ一人の男として。

 

その思いはまだ。

 

獪岳自身にも、名前をつけられなかった。

 

けれど。

 

その日。

 

胡蝶しのぶは初めて。

 

誰かのためではなく、自分自身のために笑っていた。

 

そしてその笑顔を――。

 

一番近くで見ていたのは、鳴柱・獪岳だった。

 

 

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