蝶屋敷。
深夜。
「……」
胡蝶カナエは、縁側から夜空を見上げていた。
先ほどから、妙な胸騒ぎが消えない。
風が止まっている。
虫の声も、どこか遠い。
そして――。
「……雷?」
遠くの山の方角。
微かに空が光った。
続いて。
――ゴロゴロゴロ……。
雷鳴。
カナエの表情から、柔らかな笑みが消える。
「……この音」
ただの雷ではない。
カナエには分かった。
「獪岳さん……?」
その時。
「カナエ様!」
屋敷の廊下を、一人の隊士が駆けてきた。
「どうしました?」
「先ほど山中から緊急の鎹鴉が!」
「内容は?」
隊士は息を整えながら答える。
「上弦の鬼と思われる鬼が出現!」
「……!」
カナエの瞳が鋭くなる。
「場所は?」
「蝶屋敷から西の山中です!」
「被害は?」
「隊士二名が遭遇。現在、鳴柱・獪岳様が交戦中とのことです!」
「獪岳さんが……」
カナエはすぐに立ち上がった。
その顔には、もう迷いはない。
「花柱・胡蝶カナエ」
腰の刀を手に取る。
「出陣します」
「カナエ様!」
「相手が上弦なら、一人で戦わせるわけにはいきません」
羽織を纏う。
その動作に、一切の無駄がない。
「相手は何者か分かっていますか?」
「はい!」
隊士が答える。
「名は――童磨」
「……」
カナエの手が止まった。
「童磨……」
その名には、聞き覚えがある。
上弦の弐。
鬼殺隊にとって最悪級の鬼。
そして――。
「獪岳さんと交戦しているのですね」
「はい!」
「ならば急ぎましょう」
カナエは歩き出す。
その時。
「お姉ちゃん!」
背後から声がした。
振り返ると、しのぶが立っていた。
「しのぶ……」
「今の話、聞きました」
しのぶの顔には不安が浮かんでいる。
「獪岳さんが……上弦の弐と戦っているんですよね?」
「ええ」
「私も行きます」
「しのぶ」
カナエは妹の肩に手を置く。
「あなたはここにいてください」
「でも!」
「蝶屋敷には負傷者が運ばれてくる可能性があります」
「……」
「あなたにしかできないことがあります」
しのぶは唇を噛む。
「……分かりました」
しかし。
その瞳には、獪岳を心配する色がはっきりと浮かんでいる。
カナエはそんな妹を見て、優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
「……」
「私が必ず、獪岳さんを連れて帰ります」
「本当ですか?」
「ええ」
「約束してください」
「約束します」
カナエは妹の頭をそっと撫でる。
「だから、帰ってくるまで待っていてくださいね」
「……はい」
しのぶは頷いた。
「お姉ちゃんも……気をつけて」
「もちろんです」
カナエは振り返る。
そして。
「行ってきます」
蝶屋敷を飛び出した。
月明かりの下。
花の羽織が夜風に舞う。
カナエの表情から、いつもの穏やかさは消えていた。
「上弦の弐……童磨」
握った刀に力が入る。
「妹を悲しませるわけにはいきません」
さらに。
「大切な仲間を……死なせるわけにも」
地面を蹴る。
一気に木々の間を駆け抜ける。
――その頃。
山中。
「雷の呼吸――」
獪岳が刀を構えていた。
目の前には。
童磨。
「随分と頑張るねえ、鳴柱さん」
「……黙れ」
獪岳の額から汗が流れる。
童磨の血鬼術による冷気。
一撃一撃が凄まじい。
だが。
獪岳は一歩も退いていなかった。
「お前……」
童磨が笑う。
「大切な人がいるんだね」
「……」
「さっきからずっと、僕を睨んでいる」
「当然だ」
「誰なのかな?」
獪岳の瞳が鋭くなる。
「お前には関係ない」
「ふふ」
童磨が扇を開く。
「じゃあ――」
冷気が渦巻く。
「その人のところへ帰れるといいね」
「……!」
次の瞬間。
――ザンッ!
童磨の扇が弾き飛ばされた。
「……?」
童磨が目を見開く。
「そこまでです」
凛とした声。
木々の間から、一人の女剣士が現れる。
長い黒髪。
花の髪飾り。
花柄の羽織。
腰には日輪刀。
その姿を見た獪岳が驚く。
「……胡蝶カナエ」
カナエは刀を抜く。
その刀身が月光を受けて輝く。
「鳴柱・獪岳」
「……ああ」
「助太刀します」
「必要ない」
「ふふ」
カナエは微笑む。
「そう言うと思いました」
「なら帰れ」
「お断りします」
カナエの瞳に、静かな闘志が宿る。
「上弦の弐を相手に、一人で戦うなんて無茶ですから」
「……」
獪岳は小さく息を吐く。
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
童磨は二人を見つめていた。
そして。
「……あはは」
楽しそうに笑う。
「今度は花柱か」
カナエが童磨を見る。
「私をご存じですか?」
「もちろん」
童磨は嬉しそうに扇を開く。
「花柱・胡蝶カナエ」
「……」
「それに鳴柱・獪岳」
童磨の虹色の瞳が細くなる。
「二人も柱が揃うなんて、今日は本当に運がいいなぁ」
カナエは刀を構える。
「運が悪いのは――」
一歩踏み出す。
「あなたのほうですよ」
「……!」
獪岳の口元にも、僅かな笑みが浮かんだ。
「言うようになったな、胡蝶」
「ふふ。獪岳さんも負けないでくださいね」
「誰に言ってる」
二人の殺気が重なる。
雷と花。
異なる二つの呼吸が、夜の山中で並び立つ。
そして。
上弦の弐・童磨との戦いが――。
本格的に始まった。