死が二人を別つまで   作:クリリ☆

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死が二人を別つまで(完結)

  【生きていて欲しいから】

 

 父親は朦朧とした足取りで力なく勇太のもとに歩み寄ると、その手に握っていた短刀で、勇太を大木に括りつけていた頑丈な縄を切り落としていった。

 長者の娘を蘇らせるための『反魂の術』が失敗に終わった今、もはや男にとって勇太を手にかける動機はなかった。そして、なつめの真意を悟り、その目に宿っていた狂気が完全に消え失せていた。

 

「……すまなかったな、勇太殿。謝って済むものでもないが、わしの命で勘弁してくれ。……なつめを、頼みましたぞ」

 

 ぽつりと絞り出した老父は、短刀を自らの首もとへ押し当てた。

 

「ば、バカヤロー! 何やってんだっ!」

 

 大木から解放された勇太は、老父の手から叩きつけるように短刀をもぎ取り、そのまま遠くの茂みへと放り投げた。老父の濁った目には、すべてを失った絶望の涙が滲んでいた。

 

「わしが、なつめを縛り付けていたんじゃ……。わしが死ねば、お主はなつめと共に、どこへでも行けるじゃろ。そもそもお主は、なつめと二人でここから出ていこうとしておったじゃないか!」

 

「ち、違う! これには深い事情があってだな……!」

 

 慌てて弁明しようとした勇太だったが、ふと視線の先に異様な気配を感じて言葉を飲み込んだ。すぐそばの木陰から、静かにこちらを見据える高僧の姿があったのだ。

 これ以上隠し通すことはできないと悟った勇太は、苦悶の表情を浮かべながらも観念して真実を吐き出した。

 

「……そこの坊さんが、なつめを成仏させようと狙ってたんだよ! 俺はただ、なつめをそんな目に遭わせないために、一時的にここから逃がそうとしただけだったんだ!」

 

「なっ……! なつめを、成仏させるだと……!?」

 

 その言葉に、老父は濁った目をさらに震わせて絶叫した。

 張り詰めた山頂の空気の中、その場にいた全員の鋭い視線が、一斉に静かに佇む高僧へと向けられたのだった。

 

 

 すると老父はガタガタと震える足で崩れ落ち、まるで地面に貼り付くようにその場に深く土下座した。泥まみれになろうとも構わず、額が擦り切れて血が滲むほど地面に強く押し付けながら、高僧へとすがりついた。

 

「法師様、何卒お慈悲を……! どうか、なつめだけは、なつめだけは取り上げないでくだされ……!」

 

 すがるような老父の叫びに呼応するように、勇太も痛む腹を押さえながら一歩前に出た。

 

「俺からも頼む! なつめは今、こうして生きてるじゃねえか。自分の足で立ち、必死に明日の事を考えてるじゃねえか!」

 

 二人の必死の懇願を受け、高僧はゆっくりと目を伏せ、苦悩の色を滲ませた声音で告げた。

 

「……うむ。お前たちの気持ちは痛いほど分かる。だが、なつめ自身も、自らの運命を受け入れる覚悟ができておる……」

 

 その言葉に、老父ははっと顔を上げ、すぐ傍らに佇む我が娘へと縋るように視線を向けた。

 

「そうなのか、なつめ……? お前も、成仏することを望んでおるのか……?」

 

 問われたなつめは、きゅっと唇を引き結び、ハラハラと大粒の涙を零しながら、震える声でぽつりぽつりと本音を吐き出した。

 

「なつめは……怖かったんだよ。いつかおとうが死んじゃったら、なつめは本当に一人ぼっちになっちゃう。それに……これからずっと、人目を盗んで浅ましく生き肝を食うところを、大好きな勇太に見せたくなかったんだ……」

 

 その言葉は、偽りのない少女の切実な絶望だった。不老不死の呪いに縛られ、終わりなき飢えと孤独におびえ続ける日々。誰にも愛されず、化け物として朽ち果てていく未来。それを受け入れるくらいなら、ここで静かに消え去りたいという哀しい覚悟だった。

 老父は言葉を失い、ただ目の前の愛娘の小さく震える肩を見つめて立ち尽くした。勇太もまた、胸を締め付けられるような痛みに顔を歪める。

 山頂に重く冷たい沈黙が落ちたその時――。

 じっと二人を見つめていた高僧の脳裏に、ふと、一つの奇妙な、しかし強烈な提案が閃いたのだった。

 

 

 高僧は静かに目を細めると、目の前でうつむく少女に問いかけた。

 

「ところでなつめ、お主……。もし生き肝を食らわずともよく、普通の女の子として生きられる道があるならば、お前はまだ、この世で生きていたいか?」

 

 その真摯な問いかけに、なつめはわずかに肩を揺らし、しかし切なげに目を逸らしながら答えた。

 

「そ、そりゃあ……そんなことができるなら、生きていたいよ」

 

「ならば、わしに一つの考えがある」

 

「考え……?」

 

「我が寺に伝わる古い伝承の一つに、『人魚は若さを求めて人間を喰らう』という言い伝えがあった」

 

 その言葉に、それまで黙って聞いていた勇太が、思わず声を上げて驚いた。

 

「人魚が人間を喰らうだと!? そんな話、聞いたこともねえ!」

 

「うむ、あくまで古くからの伝承じゃ。その実態がどういうものか、わしにも分からん。だが、仮に人魚が人間を喰らう生き物なのだとしたら――なつめが人の生き肝を求めるのは、そもそも『反魂の術』に人魚の肝を使ったせいかもしれぬ。ならば、その不浄な肝を取り除けば、生き肝を求める狂気も収まる可能性がある」

 

「だが、待てよ……!」勇太は切羽詰まった声で割って入った。「人魚の肝を抜いちまったら、なつめは死んじまうんじゃねえのか!?」

 

「うむ。通常であれば、肝を抜いた時点で命はない。だが、そこで――勇太、お前の出番じゃ」

 

「えっ、俺……?」

 

「お前は人魚の肉を食って、不死の体になった男じゃ。お前の肝ならば、人魚の肝の代用となるだろう」

 

 その突拍子もない提案に、なつめはハッと顔を上げ、慌てて首を振った。

 

「そんなの駄目だ! そんなことしたら、勇太が死んじゃう!」

 

「案ずるな、ここで一つの賭けだ」高僧は落ち着いた声で続けた。「幸い、なつめの身体はまだ子供のように小さい。お前の肝臓なら、半分もあれば充分に代わりを務められるだろう。だから、お前の肝の半分を、なつめに移すのじゃ」

 

「俺の肝を、半分だけ移す、だって……!?」

 

 勇太は絶句した。いまだかつて、生き肝を分割して他人に分け与えるなどという話を、聞いたことがない。

 

「ああ。上手くいけば、お前も死なずに済み、なつめももう人の生き肝を求めずとも生きられるようになるやも知れん。……だが、もし失敗すれば、なつめは死に至り、お前自身にも、生きるより辛い重い後遺症が残る恐れもある……」

 

 高僧の突拍子もない、しかしあまりにも重い提案に、その場の誰もが言葉を失って立ち尽くした。

 だが、このまま高僧の術を受け入れれば、なつめはこの世から消え去ってしまう。彼女はすでに、一度は成仏する覚悟を決めていたのだ。

 静まり返った山頂で、ふと、なつめの父親がガタガタと震える足で崩れ落ちた。そして再び地面に這いつくばると、勇太に向けて必死に土下座した。

 先ほどまでの狂気は跡形もなく消え去り、額が擦り切れて真っ赤な血が滲むのも構わず、泥を押し付けながら泥臭く懇願する。

 

「後生だ……! 勇太殿、こんなわしが頼める立場ではないのは分かっている。だが、どうかなつめに、お前様の肝を分けてくだされ……! 頼む、頼むっ!」

 

 先程は別の娘を蘇らせるために、力ずくで勇太から肝を奪おうとしていた男が、今度は我が子なつめの命のために、泥水をすするような気持ちでひたすら頭を下げ続けている。

 その必死な姿を見つめながら、勇太の胸の内で迷いはすでに消えていた。

 

 村を飛び出し、あてのない流浪の旅に出てから八十年余り。ずっと天涯孤独のまま、同じ時を生きる仲間などいないと絶望していた自分にとって、なつめは初めて見つけた「同じ孤独を分かち合える存在」だった。

 これからも、先の見えない孤独を生きることを思えば、ここで後遺症が残るかもしれないというリスクを負うことなど、怖くも何ともなかった。

 

「……言われるまでもねえ」

 

 勇太は痛む腹を押さえながら、力強くかぶりを振った。

 

「頼む、坊さん。俺の肝を、なつめにやってくれ」

 

「おおお……! すまぬ、すまぬ……っ!」

 

 父親が感極まったように声を詰まらせて男泣きする中、高僧は静かに頷くと、すぐそばで不安そうに揺れていた少女へと視線を向けた。

 

「なつめ。後はお前の、その覚悟一つにかかっている。どうする?」

 

 高僧の厳かな問いかけに、なつめは潤んだ瞳で父親を見つめ、そして隣に立つ勇太の顔をしっかりと見上げた。

 二人の男の瞳に宿る、自分を生かそうとする強い意志を受け止め、なつめはぐっと唇を噛みしめると、決然とした声で答えた。

 

「……分かったよ。だったら、私……もっと生きたい!」

 

 その言葉を合図に、その場にいた全員の迷いが断ち切られた。生死を賭けた、不老不死の肝を分け合う禁断の秘術――その幕が、静かに切って落とされるのだった。

 

 

 

  【執念の秘術】

 

 舞台は山頂。奇妙な巡り合わせか、そこには父親が姫様の『反魂の術』のために用意していた道具一式がそのまま揃っていた。さらに、本来はなつめを滅するために七日間の過酷な断食と瞑想を重ねてきた高僧の法力は、今や最高潮に高まっている。そして、不老不死の人間の生き肝。なつめを救うための条件が、まるで形作られたかのようにすべてが整っていた。

 

 勇太となつめは上半身をはだけさせ、並んで地面に横たわる。

 高僧が特殊な香を焚きながら低い声で念仏を唱え始めると、不思議なことに、なつめの身体がみるみるうちに半透明へと変化していった。その透き通った肉体の奥で、禍々しく黒光りする『人魚の肝』だけが、はっきりと実体を持って脈打っているのが見える。

 高僧は腰から下げていた竹筒を取り出し、手に清らかな水をかけて両手を念入りに清めた。

 

「では勇太、覚悟はいいか?」

 

「ああ、遠慮なくやってくれ」

 

「それでは行くぞ――!」

 

 その傍らで、父親はただただ両手を必死に擦り合わせ、娘の無事を祈るようにがむしゃらに念仏を唱え続けている。

 高僧は勇太の腹部へと手を伸ばすと、父親から借り受けた短刀でその腹部を切り裂き、躊躇なくずぶりと直接手を突っ込んだ。

 不老不死の肉体とは言え、その鋭い痛みは常人が受けるものと何ら変わらない。激しい痛みが走る中、高僧は熟練の手つきで体内を探り当て、勇太の肝臓を掴み、その場で迷うことなく半分に引きちぎって引き抜いた。

 高僧の手に、血に濡れて生々しく脈打つ勇太の生き肝の半分が握られていた。

 一刻の猶予もない。高僧はすぐさま半透明のままのなつめの腹へと手を伸ばし、その奥に巣食っていた禍々しい人魚の肝を力任せに引き抜くと、空いたその空間に勇太の肝臓を素早く押し込んだ。

 切り込みから置換まで、時間にしてわずか一分未満。それは人間の業を超えた、あまりにも鮮やかな早業だった。

 

「……ぐっ……!」

 

 術を終えた高僧がすっと手を引くと、勇太の腹部の傷はみるみるうちに塞がっていった。なつめの身体も半透明から元の実体へと戻っていく。

 

「大丈夫か、勇太?」

 

 高僧が緊張を孕んだ声で尋ねると、勇太は大量の冷や汗をかきながら、青ざめた顔で力なく頷いた。

 

「ああ……、なんとか……大丈夫だ」

 

 荒い息を整える勇太の傍らで、なつめもまた、ゆっくりとまぶたを開けたのだった。

 

 「なつめ、身体は何ともないか……っ!?」

 

 父親はなつめにすがりつくように駆け寄り、心配そうにその顔を覗き込んだ。

 急激な体内の変化のせいか、あるいはまだ勇太の肝臓が馴染み切っていないのか、なつめの顔色はまだどこか青白かった。それでも彼女は、父を安心させようと懸命に頬を持ち上げ、小さく微笑んで見せた。

 

「……大丈夫だよ、おとう。ちゃんと生きてるよ」

 

「そうか……良かった、本当に良かった……! ありがとうございます、法師様、そして勇太殿……!」

 

 父親は感極まった様子で、その場に平伏し、勇太と高僧に向けて何度も何度も頭を下げた。

 なつめはそっと自分の腹のあたりに手を当て、愛おしそうに優しくさすった。

 

「へへへ……。ここに、勇太の肝があるんだね。なんだか……嬉しいな……」

 

 痛む腹を押さえながらも、嬉しそうに微笑むなつめの姿を見て、勇太の表情にも自然と優しい笑みがこぼれた。

 山頂に吹き抜ける風はまだ冷たかったが、先ほどまでの殺伐とした狂気は消え去り、そこには穏やかな時間が流れていた。

 

 

 高僧はただ少女の身体の小ささを考慮し、直感的に「半分」と提案したに過ぎなかった。しかし、その無謀とも思える賭けは、医学的にも驚くべき整合性があった。

 肝臓は、体内の数ある臓器のなかでも抜きん出た再生能力を誇る。健康な状態であれば、たとえ半分を失ったとしても、驚異的な復元力で元の大きさと機能を取り戻すことができる。

 

 体内に一つしか存在しない臓器でありながら、唯一、生体からの移植が可能な器官――。

 

 のちの世において『生体肝移植』と呼ばれることになるその医療技術を、彼らは前近代の山頂で、祈りと直感のみを頼りに成し遂げてしまったのだった。

 それは、一人の少女を生かしたいという覚悟と執念が生んだ、世界で最初の奇跡の移植手術であった。

 

 

  【平穏な日々】

 

 それから一ヶ月後。

 山頂での修羅場が嘘のように、勇太となつめはすっかり元気を取り戻し、元の穏やかな日常へと戻っていた。勇太は秘術の翌日こそ安静にしていたものの、二日後にはもうケロッとした顔で川に入り、いつものように漁の仕事を再開していた。半分に引きちぎられた肝さえも、痛みは一切なかった。

 

 一方、なつめの方も、父親と一緒にいつもの商売を再開していた。

 庵のすぐ脇に作られた小さな舞台の上で、なつめは真剣な眼差しを向けて日本刀をしっかりと握りしめて立っている。その周りには、珍しい見世物を見ようと、村人たちが物珍しそうに群がっていた。

 

「さて、皆の衆。人魚という神秘の生き物をご存知か?」

 

 父親が調子の良い口上を響かせる。

 

「姿は天女の如く、鳴く声はヒバリの如し。その肉を食らえば、どんな病も治り、不老長寿の薬となる。ここにいる娘、十二の歳にその人魚の肉を食ろうて、不老長寿の身となった!」

 

 父親の紹介に合わせ、なつめはキリッとした表情で刀を鞘からスッと引き抜いた。そして、躊躇なく自分の細い左腕へと刃を当て、ざっくりと切りつける。

 生々しい切っ先から鮮血が滲み出た瞬間、観客席からは「うわっ!」と生々しい悲鳴やどよめきが漏れた。

 だが、切られた本人は平然としている。父親が素早く手拭いでその傷口をキュッと拭き取ると――なんと、血はピタリと止まり、さっきまであったはずの深い切り傷は跡形もなく消え去っていた。

 

「ほっほっほ、驚くなかれ、心配はいらん。ほれ、この通りじゃ!」

 

 父親が得意満面に声を張り上げると、なつめはケロッとした笑顔で観客に向かってパタパタと手を振ってみせた。

 

「これもすべて、人魚の肉の効用じゃ! さあ、このありがたい人魚の肉、今なら特別に分け与えよう。これを食らえば不老長寿、無病息災間違いなしだ!」

 

「本当か……! よし、買った!」

 

「待て待て、俺にも売ってくれ!」

 

 実演のあまりの見事さに、見物していた客たちは我も我もと財布を取り出し、人魚の肉の購入に殺到したのだった。

 

 

 村人たちが賑わう喧騒から少し離れた会場の入り口で、勇太は腕を組んでその様子を眺めていた。ふと、客の合間からこちらに気づいたなつめが、パッと明るい顔をして小走りで駆け寄ってくる。

 

「勇太、来てくれたのかい!」

 

「ああ。ちょうど川の仕掛け網にでかい鯉が引っ掛かったからよ。お裾分けだ」

 

 勇太がぶっきらぼうにそう言うと、なつめは嬉しそうに目を細めた。しかし、すぐ周囲を気にして小さな声で耳打ちする。

 

「あ、でも……仕込みが鯉だってことは、お客さんには内緒だよ。ねえ、こっち来て」

 

「おっと、そうだな。悪ぃ悪ぃ」

 

 なつめに手を引かれるまま、勇太は喧騒を避けて庵のなかに足を踏み入れた。

 

「ありがとね、勇太。最近は村中にも噂が広まっちゃって、すっかり見世物の客足も落ちてきててさぁ……。おまけに人魚の肉に見立てる鯉の仕入れも、結構キツかったんだ」

 

「そりゃあそうだろ。そもそもこんなインチキ商売、いつまでも続けられるもんじゃねえぞ」

 

 呆れたように肩をすくめる勇太に、なつめは苦笑いを浮かべながら、どこか遠くを見るような目で言った。

 

「おとうがまだ若かった頃は、もっと各地を回って見世物をやってたんだけどね。もう歳だし、そんなにあちこち歩き回れるほど元気じゃないからさ……」

 

「そうだなあ……」

 

 あれほど狂気に囚われていた父親だったが、今はこうして娘と共に細々と日銭を稼ぎ、穏やかに暮らしている。

 そして何より、あの日の秘術以来、なつめは劇的に変わっていた。生き肝を喰らいたいという底知れぬ衝動や飢えは嘘のように消え失せ、今では父親と同じ普通の温かい食事を美味しそうに口にしている。

 

 

 あの日、命がけの賭けを乗り越えたあと、勇太と老父の間ではひそかに一つの約束が交わされていた。

 

 ――老父が寿命を迎えて亡くなるまで、勇太はこの地に留まり、二人の暮らしを支える。そして、父親が亡くなったあかつきには、勇太はなつめを連れ「人魚」を探す旅に出る。

 それは、なつめの保護者を交代するための、新たな約束だった。

 

 

 

  【高僧との別れ】

 

 そんなある日。

 勇太がいつものように川に入り、網を打って漁をしていると、川岸の草むらをかき分けてあの高僧が姿を現した。

 

「勇太、身体のほうは大事ないか?」

 

 声をかけられた勇太は手を止め、水の中から振り返った。

 

「ああ、おかげさまで特に問題はなさそうだ。傷も痛みもすっかり消えたよ。それに、なつめもあれ以来、小動物の生き肝を食うような真似はすっかりなくなったぜ」

 

「それは良かった。……あれは、お主たちの強い覚悟が呼んだ奇跡じゃな」

 

「ああ、いろいろと世話になったな、坊さん」

 

 勇太が礼を言うと、高僧は静かに首を横に振った。

 

「なに、大したことではない。――それでは勇太、わしはそろそろ次の村へ向かうことにするよ」

 

「そうか……、もう行っちまうのか」

 

「ああ。この世には、まだまだ未練を残して浮かばれぬ霊がごまんとおる。それらを弔い、供養して回るのがわしの役目だからな」

 

「そっか。……じゃあ、またどこかでな」

 

「うむ。お主も、なつめと父親殿とで達者でな」

 

 高僧は静かに合掌すると、背負っていた荷物を整え、穏やかな足取りで川沿いの山道へと歩き出していった。

 こうして、なつめの運命を大きく変えた高僧もまた、浮かばれぬ霊を供養する旅路へと戻っていくのだった。

 

 

 

  【エピローグ:明日への希望】

 

 それから三年後。

 なつめの父親は、当時としては珍しく大きな病も患わず、穏やかに天寿を全うした。その最期の死に顔は、かつての狂気が嘘のように、どこまでも安らかだった。

 息を引き取る間際、父は力を振り絞るようにして勇太の手を握り、こう言い残した。

 

「――勇太殿、あの時はすまなかった。なつめを……頼みましたぞ」

 

 その言葉を最後に、老父は静かに、そして満足そうにあの世へと旅立っていった。

 

 そして、喪が明けてからのある日。

 約束通り、勇太となつめはいよいよ、すべての元凶であり、そして唯一の希望でもある「人魚」を探す旅路へと足を踏み出した。

 

 ぽかぽかと温かな日差しの中、穏やかな街道を並んで歩きながら、なつめがふと空を見上げて言った。

 

「ねえ、勇太。人魚様に会えたら、私たち、普通の人間になれるんだよね?」

 

「ああ、そうだな。……俺は、そうなれると信じてるよ」

 

「そっか。じゃあ、私もちゃんと大人になれるよね?」

 

「ああ、きっとなれるさ」

 

「そっかぁ……!」

 

 なつめは嬉しそうにふわりと笑うと、歩きながら楽しげに頭の後ろへと両手を組んだ。

 

「あーあ、早く大人になりたいな。大人になれたらさ、勇太と夫婦(めおと)になれるのになあ……」

 

 しかし、前を歩きながらぽつりと零したその小さな呟きは、心地よい風の音にかき消され、後ろを歩く勇太の耳には届かなかった。

 

「ん? 今、何か言ったか?」

 

「えへへへ、なーんでもないよ、勇太!」

 

「おい、そんなに先を一人で行くなよ、迷子になるぞ!」

 

 振り返りながらくしゃっと笑って駆け出すなつめと、それを慌てて追いかける勇太。

 不老不死の二人の、人魚を探す過酷で果てしない旅が、今、静かに幕を開けた。だが、その道中は決して孤独なものではなかった。

 

 

  おしまい☆

 





  【後書き】
 最後までご覧いただき、ありがとうございました。
 本作を書くきっかけになったのは、次回作のリクエスト作品に『人魚シリーズ』が含まれていた事です。家の本棚の片隅に眠っていた人魚シリーズの本3冊を引っ張り出して読み直しました。で、2冊目に収録されていた『舎利姫』のなつめに、すっかり切なくなってしまいました。
 子どもの頃は『切ないなあ、悲しいなあ』で終わっていたのですが、『今の私なら救済のストーリーを書けるハズだ』と居ても立ってもいられなくなって、勢いで書いた作品です。
 
 ちなみになつめのキャラデザは『犬夜叉』の『りん』にも流用されており、当時は『りんがなつめの生まれ変わりだ』と思い込み、殺生丸と結婚して子どもを儲けるという、それなりに幸せになっていて、それでも良いかなと思ったりもしたことがありました。

 そんな訳で、次回はいよいよリクエスト作品、『人魚シリーズ』✕『ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜』✕『シティーハンター』という、これまた異色の3作品のクロスオーバー作品の執筆にあたります。
 ルパン三世はこれから見るので、その後に色々と構成を考えますので、どんな風に仕上がるかはまだ未知数なんですが、そちらも楽しんでいただけると幸いです。
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