西暦1600年代初頭。ようやく戦国時代が終わりを迎える頃。
とある村に『人魚の肉』を売っているという父娘がいた。娘の名は『なつめ』。彼女はただの人間ではなく反魂の術で蘇った不老不死の少女だった。
同じく不老不死の青年『勇太』と、ひょんな事から知り合った。二人は同じ孤独を共有する仲間であり、一緒に生きていく決意をする。
【不老不死の呪い】
西暦1500年代、世は戦国時代であった。
各地で絶え間なく戦が繰り広げられ、追い打ちをかけるように疫病と飢饉が荒れ果てた村々を襲う。天寿を全うできる者など皆無に等しく、人々にとって「死」はあまりにも身近な存在であった。
そんな恐怖と絶望が渦巻く混沌の時代、いつしか民衆の間で、まことしやかに囁かれる都市伝説が生まれた。
『人魚の肉を食らえば、不老長寿になれる』
死への恐怖からか、あるいは生への執着からか、病も老いも克服し、永遠の命を得られるというその伝承は、死の影に怯える人々にとってあまりにも甘美な毒だった。
さて、とある沿岸の貧しい漁村に、勇太という名の漁師の青年がいた。ある日、漁師仲間の一人が海から奇妙な肉を持ち帰ってきた。
「人魚の肉を手に入れてきた」
半信半疑ながらも、好奇心と永遠の命への憧れに駆られた仲間たちは、その肉を分け合い、貪るように喰らった。
だが、伝承の裏に隠された真実はあまりにも凄惨だった。人魚の肉は極めて強い毒性を秘めており、それを口にした仲間たちは激痛にのたうち回りながら血を吐いて息絶えるか、あるいは正気を失い、肉体が醜く歪んだ異形の化け物――『なりそこない』へと変わり果てた後に絶命した。
仲間たちが次々と死にゆく中、ただ一人、勇太だけが死に至ることも、化け物に変わることもなかった。そうしていつしか勇太は自分が人魚の肉を食ったことも忘れ、女房を娶り、貧しくもささやかな幸せを噛みしめていた。
だが、婚姻から二十年という年月が過ぎた頃、ふと女房は勇太を見つめ、白髪の混じった頭を抱えて震える声で呟いた。
「……わしはお前さまが恐ろしい。わしはこうして年老いていくというのに、お前さまは若いままじゃ……」
その一言は、勇太の胸を鋭い刃物でえぐるように突き刺さった。ただ側にいるだけで恐れられる絶望。
共に歳月を重ね、同じように老い、共に死ぬことすら許されない肉体。自分はもう、この世の誰とも相容れない異形――人間ではないのだ。愛することも、愛されることも許されぬ天涯孤独の呪い。
ーーただの人間になりたい。愛する者と共に年を取り、共に死んでいきたい……。
悲痛な願いを胸に、勇太は住み慣れた村を静かに去った。人魚に再び逢うことができれば、元の体に戻る術が見つかるかもしれない。ただそれだけのかすかな希望を頼りに、彼は果てしない流浪の旅へと出た。
【不老不死の少女】
それから、八十年余りの途方もない歳月が流れた。
姿形は青年のまま、すでに百二十歳を数える年月を重ねた勇太が辿り着いたのは、深い山々に囲まれた小さな村であった。
その村では、異様な噂が密やかに囁かれていた。村はずれの小さな庵に住む父娘が、どんな病も治し不老をもたらすという『人魚の肉』を売っているのだという。
勇太はひょんなことから、その人魚の肉を売っているという父娘と知り合った。しかしそれは、ただの『鯉の肉』だった。インチキな商売であるが、父から言わせれば『不老長寿という夢』を売っているとの事だった。
そして、娘は名を『なつめ』といった。
戦の陰惨さが影を落とすこの時代にあって、彼女は驚くほど感情が豊かで、無邪気によく笑う可愛らしい少女だった。百二十年もの月日を生き、心をすり減らしてきた勇太の胸に、その朗らかな笑顔は温かな光となって染み込んでいく。
だが、そんな彼女の愛らしい姿の裏には、あまりにも残酷な秘密が隠されていた。
なつめは、生きている「人間」ではなかったのだ。
数十年も昔、各地に拡がる戦火に巻き込まれ、なつめは幼くしてその命を落としていた。
冷たくなり、やがて白骨と化した娘の骨を抱きしめ、狂わんばかりの悲しみに暮れる父親。そんな男の姿をたまたま見かけたのは、各地の戦死者を供養して回っていた一人の高僧だった。
父親の痛切な絶望に深い哀れみを覚えた高僧は、古寺に秘伝として伝わる『人魚の肝』を使い、死者の魂を呼び戻す禁忌の術――『反魂の術』を執り行ったのである。
骨と人魚の肝でこしらえた体に、呼び戻された魂が宿る。
なつめは奇跡的に目覚めた。しかし、それは決して真の救いではなかった。
蘇ったその日から、なつめの時を刻む針は完全に止まってしまったのだ。歳を取ることもなく、蘇生された時の姿のまま、生と死の狭間に留まり続ける肉体。
そして何よりおぞましかったのは、その偽りの命を維持するためか、彼女の体が恐ろしい本能を求めてしまうことだった。
――生き肝。
犬や猫といった小動物の、あるいは戦で傷つき死に瀕している人間の、まだ温かい生の器官を食らわなければ、なつめの体は維持できず、立ちまちただの冷たい土と骨へと還ってしまうのだった。
かつてなつめを哀れんで蘇らせた高僧は、生き肝を求めて浅ましく生きざるを得ないなつめの哀れな姿に心を痛め、ついに彼女を成仏させる決意を固めた。
高僧は勇太を呼び出すと、重々しい口調で告げた。
「今から七日間、食を断ち身を清め法力を高める。……お主はその間、なつめの様子を見張っていてくだされ」
そう言い残し、高僧は深く暗い山奥へと入っていった。
残された勇太は、日々の糧を得るために漁の仕事をしながら、なつめの姿を見守り続けた。不老不死の体とはいえ、生きていくには食わねばならない。川を泳ぐ魚を追いかけ、網を手繰り寄せる日々が過ぎていく。
ある晴れた日の夕刻、川で漁をしていた勇太のもとへ、小走りに近づいてくる影があった。なつめだった。
「勇太、仕事をしてるのかい?」
「まあな。俺も働かなきゃ飯が食えねえからな」
勇太は川の中から、今しがた揚げたばかりの生きのいい魚を一匹掴むと、なつめに向かって放ってやった。
「ほら、魚の肝食うか」
「わっ!」
なつめは両手で器用に魚をキャッチすると、迷うことなくその腹のあたりに口をつけ、生き肝を啜った。しかし、空腹を満たしたはずのその表情には、どこか晴れない陰りが落ちていた。
なつめは川から上がった勇太の隣にぽつんと寝転がり、遠く傾く夕日を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「あーあ、心細いなあ……。せめて大人になれたらさ、おとうがあの世に行っちゃっても、一人でやってけるんだけどねえ」
なつめの父親は、すでにかなりの高齢だった。幼い姿のまま時が止まったなつめと並べば、とても親子には見えない。どれほど健康に気を配ったところで、あと十年も生きられれば良い方だろう。
大人になれない身体。残される恐怖。いつか訪れる完璧な孤独――。
無邪気に見えた少女の胸の奥には、そんな切実な未来への不安が渦巻いていたのだ。
流れる川の水音を聞きながら、勇太は心の古傷を抉られるような思いがした。
(なつめは生きてるじゃねえか。……これから生きてく事を考えてるじゃねえか)
ただの土の人形でも、意思のない化け物でもない。おとうを思い、明日を憂い、大人になれない自分に途方に暮れている。人と同じように傷つき、未来を心配しているのだ。
(本当に……本当にこのまま、あの高僧の言う通り成仏させちまっていいのか……?)
勇太の心の中に、消し難い疑問と葛藤が、暗い影となって大きく広がっていった。
なつめの背中に重なるのは、かつて自分自身が味わったあの底なしの暗闇だった。
誰とも同じ時を歩めない恐怖。取り残される絶望。自分だけが時の流れから弾き出されてしまったという、引き裂かれるような孤独。
勇太にとって、なつめは生まれて初めて出会った「自分と同じ孤独を抱える同胞」だった。
自分はまだ良かった。身体は大人の男であり、漁師として網を引くことも、槍を握って戦場で日銭を稼ぐこともできた。だが、この小さな少女はどうなるのだ。老い先短い父親が死んでしまえば、幼い身空で生き肝を求め、夜の闇を永遠に彷徨うことになる。
高僧の言う通り、ここで成仏させてやることが、なつめの救いなのだろうか。
――いやだ、なつめを失いたくない!
勇太の胸の奥で、激しい衝動が突き上げた。
100年を経て初めて出会えた同胞。もし今彼女を失えば、自分はこれからどれほど長い年月を孤独に生きなければならないのだろう。
「なあ、なつめ。……俺と一緒に来るか?」
思わず零れた勇太の問いかけに、なつめは一瞬だけ丸く目を 見開き、それから弾けたような眩しい笑顔を咲かせた。
「うん……! 私、勇太と一緒に行きたい!」
その言葉は、消えかけていた篝火(かがりび)に風が吹き込んだかのように、勇太の心を強く揺さぶった。
「そうか。……なら、急がなきゃならねえ」
勇太は傾きかけた陽の光を仰ぎ見つめ、思わず歯を食いしばった。
今日で、高僧が山へ入ってからちょうど七日目。満願の日の日暮れが迫っていた。高僧の法力が極まり、なつめを消し去るための術が完成してしまう刻限は、すぐそこまで迫っていた。
続く