過労死したから美食屋なろう   作:ボーイッシュ大好きっ子

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たくさんの評価と感想、本当にありがとうございます。想像をはるかに超える数をいただき、とても驚いています。
多くの方が新食材や展開を褒めてくださり、本当に嬉しいです。これからもどんどん新しいものを考えていきます!
ただ、あまり頻繁に新食材を出しすぎると世界観を崩してしまいますし、何より食レポのボキャブラリーが枯渇してしまうんですよね……。今の登場ペースがベストだとは思うのですが、新食材を楽しみにされている方には、少しお待たせしてしまうかもしれません。
そこで、オリジナル食材や生物が登場しない回におまけとして、本編には出す予定のなかったオリジナル食材・生物の解説を書いてみようと思います。
別で考えた食材と被ってる部分があったりして、食レポを差別化できないものですね。
今回の話の最後にも、お試しで本編とは別の食材解説を載せています。
食レポまでは書けませんが、皆さんの想像が膨らむような設定、解説を書けるよう頑張ります。このおまけ解説がアリかナシか、アンケートで教えていただけると嬉しいです。


13話

 

 

 騒ぎながらも、鉄平たちが買い足してきた山積みの食材も含めて、その半分ほどをあっという間に平らげたトリコ。

 

「よし、トリコ。そろそろ休め。腕の再生には莫大な体力がいるからなあ。休むのも治療のうちだ。寝れるなら、寝とけよ?」

 

 与作が葉巻樹を咥え直しながら、ぶっきらぼうだがどこか親味のある声で促す。

 

(……『半年』がマジなら、体力は限界まであったほうがいい。通常の何十倍ものスピードで細胞を増殖・結合させるんだ……とんでもねぇ地獄を味わうことになるぜぇ、トリコ……!)

 

 与作の内心の危惧など知る由もなく、トリコは「ふぁ〜」と大きなあくびを一つかみ殺した。

 

「ったく、寝てばっかりじゃ身体もなまっちまうぜ……」

 

 不満げに肩を落としながら、奥の療養部屋へと向かう。

 んじゃな……とトボトボと入っていくトリコの広い背中を見つめ、リンが「トリコぉ〜」と寂しそうに声を漏らした。

 

「じゃ、俺はさっき言ってた『ホットミルクの洞窟』でも行こっかな。折角なら、ここにある美しい施設は全部コンプリートしたくねっ? あ、ナマコは無しな!!」

「アタシも羊のプラネタリウムのとこ行きたいし!! 今度トリコと一緒に行くときに備えて、ばっちり下見しなきゃだし!!」

 

 サニーとリンは、それぞれの目的のために足早に再生所から出て行った。

 

(じゃあ、俺はサニーに選ばれなかったナマコ……行ってみるか……! ちょっと、いや結構怖いけど……。あと、ヨハネスさんに分けてあげた温泉鮫の無料券も5枚残ってるし、ナマコが終わったら温泉鮫を制覇とかしちゃうか?)

 

 そんな風に今後の『癒やしの国・ライフ』巡りのスケジュールを頭の中で組み立てていた俺だったが。

 

「モノク。お前は待て」

 

 与作の太い声に呼び止められた。

 

「これからやる、ワシの仕事を見てけ。きっと、お前さんの『食材創造』の良い刺激になるぜ」

「え? いいの?」

 

 俺は思わず聞き返してしまった。

 再生屋の仕事風景なんて、原作でも少ししか描かれていなかったのだ。どんな内容なのかめちゃくちゃ興味がある。

 

「マジっすか師匠!! 良いんすか!?」

 

 俺以上に驚いた様子で、鉄平が身を乗り出してきた。

 

「なんだ鉄平! 見せちゃいけねぇのか?」

「え、いや、師匠がいいなら全然いいんすけど……」

 

 与作がなにが問題なんだと言わんばかりにあっけからんとしていて、鉄平はスッと元の位置に引っ込んだ。

 

(マジかよ……師匠が、患者と俺以外に再生の仕事を目の前で見せるなんて、今まで一度も無かったはずだぞ……。こりゃかなり気に入ってやがるな……。モノクの新食材に感化されたか……だが、それだけじゃないはず……一体あの時2人で、どんな話をしたんだよ……!)

 

 与作の行動の真意に思考を巡らせながらも、ピタリと口は閉ざす。口は災いのもとだ。

 

「さて、やるか」

 

 与作は血まみれの白衣を翻し、ずらりと並んだ怪しげな機材や培養カプセルの方へと歩き出す。

 

「一応言っとくが、再生屋の仕事ってのは、『何から始めるか』マニュアル通りには決まっちゃいねぇ。毎分毎秒単位で状態が変わる命を相手にする場合もある。対応がコロコロ変わるんだ。ま、基本は『アドリブ』だな」

 

 与作は腕まくりをしながら、鋭い目を細めた。

 

「今あるもんだと、ある程度作業のセオリーが確立されちゃいるが……ひとまず、こいつでいいか」

 

 そして、部屋の隅に並べられている複数のグルメケースのうちの一つの前に立った。中には白いモヤが漂っている。冷気だろうか。

 

「こいつは『クリスタル・マンドラゴラ』。見ての通り、細胞がボロボロに損傷してやがる。本来であれば、一定の温度を保たにゃ、ライフ全域にこいつの叫び声が響き渡ることになるが……今はほんの少しの振動を与えただけで、粉々に砕け散っちまうギリギリの状態だ。叫び声を上げる前に砕けちまうだろうな。だから今は、強制的に冬眠させてるみたいな感じだ」

 

 確かに、根っこの部分は半透明の結晶のように透き通っているが、無数の亀裂が走り、今にもパラパラと崩れ落ちそうだった。

 

「これをどう再生するの?」

「こいつを砕け散らないように補強するんだ。これを使ってな」

 

 そう言って与作が隣にある材料棚に置いてある瓶から、手のひらサイズの奇妙な蜘蛛を取り出した。銀色に鈍く光る体毛と、注射針のように鋭い糸車を持った蜘蛛だ。

 

「こいつは『縫合蜘蛛(ホウゴウグモ)』。吐き出す糸が鋼のように強靭で、極細の縫合糸として使える特殊な医療昆虫だ。こいつは傷口を見つけると、勝手に縫い合わせてくれる上に、傷が治る頃には糸が体内に吸収されて『栄養』に変わる。つまり、抜糸の必要がねぇ」

「へぇ……! そんな便利な生き物がいるんだ」

 

 血虫やクスリバチ、再生の種とか再生用の便利な生き物や植物が原作でも色々出てきていたがこんな生物もいたのか。

 

「あぁ。相手が人ならこいつ自身に縫わせるのが基本だが、今回はワシが直々にこいつの糸を少し借りる。……ま、人だったら、ワシの唾でも付けときゃ充分治るからあんまし出番はねぇんだがな!! だははは!!」

「いやいや、そんなことできるの師匠だけっすよ〜!」

 

 豪快に笑う与作に、すかさず鉄平がツッコミを入れた。

 

「鉄平! お前も修行すれば、いずれ唾液で傷を治せるようになると言っとるだろうが!!」

「いや、無理です。節婆に『痰吐きジジイにだけはなるな』って釘を刺されてるんで」

「な、なにぃ!? ワシの修行に節婆の意見を持ち込むのはルール違反だろうが!!」

 

 節乃の名前が出た途端、ルール無用の男が一瞬だけたじろいだ。やっぱり、あの人間国宝には頭が上がらないらしい。

 しかし、ギャーギャーと騒ぎながらも、与作の手元は驚くほどスムーズだった。縫合蜘蛛のお尻から、光の反射でようやく見えるか見えないかというレベルの極細の糸をスルスルと引き出し、特殊な形状のピンセットのような器具にセットし、一度机に置いた。

 そして、クリスタル・マンドラゴラのグルメケースもピッ、ピッと弄り、慎重に取り出す。

 

「これを……縫う……」

 

 俺が息を呑むと、与作の目つきがスッと変わった。

 先ほどまでの豪快な大男の気配が、完全に消え失せる。極限まで研ぎ澄まされた『職人』の顔だ。

 

「……」

 

 与作は大きく息を吸い込み——完全に呼吸を止めた。

 与作の手が、ピンセットを握ってクリスタル・マンドラゴラへと伸びる。その動きには、微塵のブレも、迷いもない。

 ピンセットの先端が、顕微鏡でなければ見えないようなミクロ単位の微細な根っこの繊維を捉え、縫合蜘蛛の糸を通して結び合わせていく。

 速い。いや、速すぎる。

 目にも留まらぬ速さで手が動いているはずなのに、対象物であるマンドラゴラはピクリとも揺れていない。まるで時が止まった空間で、与作の手だけが独立して動いているような錯覚に陥る。

 脆く砕けそうだった細胞同士が、極細の糸によって次々と精密に繋ぎ合わされ、補強されていく。

 

(……すげぇ……!!)

 

 俺は声を発することすら忘れ、ただその神業に釘付けになっていた。

 普段はあんなに荒々しく、ガサツな大男が、命の繊維を紡ぐその瞬間だけは、誰よりも優しく、誰よりも『繊細』だった。

 これが、世界最高峰の再生屋の技術……『細胞レベルでの結合の精密さ』。

 与作のこの常軌を逸した修復作業を見ていると、自分がやっている事の次元の低さを痛感させられる。

 

(……こんな神業に比べたら、まるで幼稚園児の工作レベルじゃないか……)

 

 命の構造を根本から理解し、そのパズルをミクロの世界で完璧に組み上げる。

 俺は、食材の声を聞いて、その通り創り出していただけだ。技術の差が比べ物にならない。

 

 数分後。

 フゥー……と、与作が長く細い息を吐き出し、ピンセットを置いた。

 

「よし、これで崩壊は免れた。あとは自然治癒力でゆっくり時間をかければ元通りだ」

 

 グルメケースの中には、見事に亀裂が修復され、本来の美しい輝きを取り戻しつつあるクリスタル・マンドラゴラの姿があった。

 

「どうだ? モノク。腕は確かなんだ、ウチの師匠は」

 

 鉄平がしたり顔でニヤッと笑い、衝撃を受けて固まっている俺の顔を覗き込んできた。

 

「鉄平!! なんでお前が我が物顔なんだ!! 元はといやぁ、お前がキュルムから引き継いだ仕事だろうが!!」

 

 与作の声が再生所に響き渡る。

 

「そんなにやりてぇなら、残りのマンドラゴラ5匹!! 全部お前にやらせるぞ!!」

「ちょ、師匠!! 勘弁してくださいよ!! しょうがないじゃないすか!! キュルムの野郎がしばらく帰れねぇって言うんで変わってやったんすよ!! 俺は師匠みたいなスピードじゃまだ無理なんすよ!? 1匹ならまだしも5匹なんて、温度保てなくて途中で崩壊しちゃいますよ!!」

 

 慌てて言い訳をする鉄平の言葉に、俺はハッとして彼を見た。

 

「え……鉄平もこれ、できるの……?」

「ん? あぁ、一応な。前に一度やらせてもらったことがある。……まぁ、師匠みたいな速さとは行かないがな。手の震えを抑えるのに全神経を使ったよ」

 

 事もなげに言う鉄平に、俺は再び戦慄した。

 

「いや、できるだけで凄すぎるよ。正直ビビってる……再生屋って、ここまで繊細なこともするんだね……」

「まぁ、基本的にはそれぞれの生物や環境、分野に特化した再生屋がいるんだが、ウチは特殊だな。師匠が『なんでも』やるんだ」

「全分野の再生屋か……とんでもないね……」

「なんでもやるが、もちろん失敗もするぞ!!」

 

 俺の感嘆を遮るように、与作が豪快に笑い飛ばした。

 

「この前も失敗して、依頼主にブチギレられたしな!! だはははは!」

「笑い事じゃないっすよー……。どっかのお偉いさんでしたよね? めちゃくちゃ金積まれてませんでした?」

 

「偉さや金額なんぞ関係ない!! ワシは全ての命に対して平等だ!! 全力でやって失敗したなら、そんときゃそん時だ!!」

 

 与作はビシッと鉄平を指差した。

 

「鉄平!! お前も失敗を恐れるんじゃねぇぞ? 『失敗は成功の母の連れ』っていうだろ!!」

「はいはい、それもう100回は聞きましたね」

「母の連れって……赤の他人じゃん……」

 

(って、これ確かトリコがしてたツッコミだな……ホントに何回も言ってるっぽいな……)

 

 あんなに高難度で、神経をすり減らすような再生治療を終えた直後だというのに、もういつも通りの空気に戻っている。この二人にとっては、これが『日常』なんだ。

 破壊された自然を直し、失われゆく命を繋ぐプロフェッショナル。

 再生屋——この世界にとって、未知の味を探求する美食屋と同じぐらい、いや、下手したらそれ以上に必要不可欠な存在なのだと、改めて肌で感じさせらた。

 

一方その頃。

 

(よしいいぞ、少しはビビりやがったな……!)

 

 豪快に笑いながらも、与作は内心で密かにガッツポーズをキメていた。先ほどモノクから『葛柚子』や『ナナバナナ』という、規格外の新食材を立て続けに見せつけられた。あの底知れぬ創造力には、与作でさえ心の底から度肝を抜かれたのだ。

 

(あんな命の傑作をポンポン配られて、「美味かったぜサンキュー」で帰すだけじゃあ、こっちの『命を扱うプロ』としての面目が立たんからな……!)

 

 才能あふれる若者が、自分の力に慢心せず、さらに上を目指すための道標となること。

 まだまだ見上げるほどの『高み』があるのだと背中で教えるのも、先を歩く大人の役目だ。

 

(……とはいえ、ちょっと良いトコ見せようとして、いつもより数秒早く気合いで終わらせちまったぜ……!)

 

 大人の矜持と、ほんの少しの大人げない対抗心。

 しかしその与作の熱い狙い通り、モノクの心には「命と向き合う仕事の凄み」が、これ以上ないほどの衝撃として深く刻み込まれていたのだった。

 

 

 

 あの、文字通り神業を見せられた数日後。

 俺はトリコたちと「じゃあ今度はセンチュリースープ実食の時に」と約束を交わして『ライフ』を後にし、現在はIGOの捕獲専用ジェット機に乗っていた。

 いや、凄い。めっちゃ速い。

 窓の外は見渡す限り一面の海だというのに、海面の波模様が線になって飛んでいくのが分かるぐらい速い。

 てっきりライフと同じようにヘリで行くものだと思って、帰りにヨハネスさんに「別日にまた送ってほしいんですが……」とお願いしたのだが、「あの場所へヘリで行くと10時間はかかりますよ?」と真顔で言われてしまったのだ。そういえば原作でも、トリコたちはこのジェット機に乗って移動していたっけ。

 

 そして、このジェット機を操縦しているのは——

 

『モノクさん、そろそろ着陸します。揺れに注意してください』

 

 機内アナウンスから聞こえてきたのは、当然のようにヨハネスさんの声だった。

 凄いな、この人。ヘリコプターもジェット機も、どっちも完璧に操縦可能ってどれだけ有能なの? 出発前に「凄すぎますよ…」と絶賛したら、

 

「仕事ですから。それに、空を飛ぶものは大体一緒の理屈ですよ」

 

 と淡々と返された。

 全然別だよね!? そりゃあ、これだけ何でも一人で完璧にこなせたら、組織から都合よくこき使われるに決まってる……。

 

 そんな思考を巡らせていると、機体に「ガクン」と着陸の重い振動が伝わってきた。無事に到着したようだ。

 外には、雲を突き抜けて遥か上空へと伸びる超巨大な植物の蔓。

 

 通称『天からのいざない』——スカイプラントだ。

 

「ここより上空は怪鳥の群れがいるので、ここまでしか運べません!」

 

 ジェット機の強烈なエンジン音が響く中、ハッチを開けて外に出たヨハネスさんが大声で叫んだ。

 だが、俺の姿を見て、ヨハネスさんの表情がスッと困惑に染まる。

 

「……何をしているんですか……?」

「あぁちょっと、高速で2回噛む練習をね。どう? これ?『ふんふんッ!』」

 

 俺は持参していた、小賢しくオゾン草型に整えている『ステーキ白菜』を顔の前に構え、二回連続で噛み付いてみせた。 

 

「ベジタブルスカイに行くって決まってから、ずっと鍛えてるんだけど」

 

 これから向かうベジタブルスカイにある『オゾン草』は、葉を二カ所同時に噛み切らないと瞬時に腐ってしまうという特殊な性質を持っている。俺はその対策として密かに特訓を重ねてきたのだ。

 

 だが、当然そんなことを知るはずもないヨハネスからすれば、ただ突然白菜に凄まじい速度で食らいつき始めた変人にしか見えないだろう。

 

「はぁ……。良いと、思います……」

 

 サングラスの奥で完全に困惑しきったヨハネスさんが、ポーカーフェイスを崩しかけながら、なんとか同意してくれた。

 

「ホントに!? ワクワクしてきたね! あ、全然ここまでで大丈夫! 登ることには最近慣れてきてるから! それよりも! また面倒な送迎をお願いしてしまってすみません! お休みは大丈夫なんですか!?」

 

 俺は食べかけのステーキ白菜をしまい、ジェット機の排気と上空の強風で髪をバサバサとなびかせながら大声で謝った。

 

「いえ、これも仕事ですから。それにライフからの帰りにも言いましたが、いただいたチケットで入った『温泉鮫』は、最高のリフレッシュになりました。モノクさんのおかげです」

「それはよかった!」

「実のところ……モノクさんに対応する日は、それ以外の予定が入らないよう、上層部へ掛け合ってスケジュールを調整するようにしました」

「えっ、じゃあ今日はもうこの後、仕事が入らないってこと?」

 

 俺は驚いて聞き返した。

 まぁ、移動で片道3時間、往復で6時間。操縦の手間を考えれば充分に労働している。1日8時間以上縛り付けられる労働なんて古い。時代はフレックスだ。

 でも、あの重度のワーカーホリックであるヨハネスさんが、自ら仕事をセーブするように動いたというのは、ものすごく珍しいことのように思えた。

 

「ええ、そうなります」

 

 ヨハネスさんは、トレードマークのサングラスの奥で、ふっと柔らかく目を細めた気がした。

 

「モノクさんとの関わりの中で、少し自分の環境を見つめ直しました。……あなたに私の休みを気にかけていただいて、その時、思い出しました」

「……思い出した?」

「ええ。私が勤めているIGOという組織も、最終的には人々の『豊かな食と笑顔』を守るためのものだということを。それなのに、私自身が日々の豊かさに背を向けていては本末転倒ではないかと」

 

 強風の中で、ヨハネスさんの声だけがスッと胸に届く。

 いつも無表情で淡々と業務をこなしていた彼が、心からの言葉を紡いでくれていた。

 

「ですから、本部に帰ったら残りの時間は、美味しい『葛柚子』でも飲みながら、ゆっくり読書でもするつもりです。これは、モノクさんが私に気づかせてくれた『豊かさ』です」

 

 ヨハネスさんはそう言って、俺に向かって深々と、そしてとても綺麗な一礼をした。

 

「さぁ、お気をつけて! 道のりは険しいですが、あなたならきっと素晴らしい食材に出会えるはずです!」

 

 俺の何気ない気遣いや、渡した温泉のチケットが、こんな風に誰かの人生の『余白』を作れたのだとしたら……嬉しい。

 

「ありがとう、ヨハネスさん! ゆっくり休んでね!」

 

 俺は大きく手を振り返し、遥か天高くそびえ立つ『天からのいざない』へと力強く足を踏み出した。

 

「よしっ、登るぞー」

 

 気合を入れ直し、俺はスカイプラントの極太の蔓へと飛びつく。

 

「ほっほっ、よっと……っと」

 

 最初は調子よく足をかけていたが、所々ほぼ垂直になっていて、ボルダリングのようになる箇所が結構キツイ。階段や山道をひたすら登るのとは勝手が違い、こういう全身の筋力を使う登り方にはまだ慣れていなかった。

 登っている最中、ちょこちょこと『ルパンダモドキ』が何事かとバサバサ近づいてくる。……近くで見ると顔が怖すぎる。だが、こいつらはこんな怖い顔してるわりに、非常におとなしいのだ。人も猛獣も、見かけによらないもんだな。

 

 別にベジタブルスカイに備えていたわけじゃないけど、つい最近まで、2週間ずっと標高四千メートルのメルクマウンテンを登り降りしていた。それが功を奏して今はまだ気分良く登れている。

 ベジタブルスカイは確か標高二万メートル。単純計算でメルクマウンテン5個分だ。

 果たして、どれくらいかかるかな。

 原作だと、トリコは小松シェフと登って3日かかっていた。一人で、しかも事前に体力作りしていた俺は、その時間をどれくらい短縮できるだろうか。

 

(トングが使えればなぁ……)

 

 俺の技の『トング』で身体を掴めば、この垂直の壁を登るぐらいは簡単なのだが……

 

『あ、おぬし、確か掴み技を持っとるよな?』

『あぁ、トング? そうだね。掴んで固定したり、掴んで投げたり、移動にもつかえ——』

『それ、禁止』

『……禁止!?』

『当たり前じゃろ。技を使って楽にぴょんぴょん登ったって、修行にならんわい。オゾン草を捕獲できたら、あとは好きに使っていいぞ。それまでは禁止じゃ』

 

 一度捕獲するまでは使うな、か。

 まぁ、禁止とは言われているが、誰かが見張っているわけでもなく強制力は無い。こっそり使ったところでバレないだろう。

 でも、ここで自分の肉体のみでこの過酷な環境に適応できなきゃ、この先のグルメ界はおろか、人間界のヤバい環境すら絶対にやっていけないだろう。

 

「大丈夫。結構いいペースで登れてる」

 

 自分を鼓舞するように呟く。

 高度が上がるにつれて、ちょこちょこと獰猛な猛獣の姿も見えるようになってきた。だが、なにせこの足場の悪いほぼ垂直の立地だ。真っ向勝負を避けて振り切るのは案外簡単だった。足元にだけ注意して、ひたすら上を目指せば大丈夫だ。

 原作のトリコたちよりは、早く着かなきゃな。俺はさらにペースを上げて、雲を突き抜けるように登り続けた。

 

 ——そこから、ひたすら無心で登り続け、高度を稼ぐこと数時間。

 景色は移り変わり、空気は次第に薄く、冷たくなっていく。

 

「おっと……」

 

 蔓の陰に身を潜め、上空をやり過ごす。

 少し離れた空を、鋭いくちばしを持った『ドリルバード』が群れを成して飛行していた。

 あいつらに見つかる前に、さっさとこの空域を抜け出さないと。俺は息を殺しながら、さらにスピードを上げて蔓をよじ登った。

 そして、標高一万メートル付近に到達した頃。

 空はすっかり茜色に染まり、夕暮れ時を迎えていた。

 

「……ふぅ。とりあえず、半分か」

 

 太い蔓の出っ張りに腰を下ろし、俺は大きく息を吐き出した。

 

 視線を上げると、眼下には果てしなく広がる空、海。そして、その海を黄金色に染め上げながら、太陽がゆっくりと沈んでいく絶景が広がっていた。

 こんな上空一万メートルから沈む夕日を眺めるのなんて、もちろん人生で初めてだ。

 

「良いなぁ……凄い景色だ」

 

 思わず、そんな言葉がこぼれた。

 視界を埋め尽くすほどの広大な空を、見知らぬ怪鳥たちがバサバサと飛んでいる。

 

 自分が今、本物の『トリコ』の世界で、伝説のベジタブルスカイに向かって木を登っているという事実が、未だにどこか実感がない。

 でも、冷たい風が頬を叩き、筋肉が心地よい疲労を訴えてくるこの感覚は、間違いなく現実だ。

 ただ純粋に「俺は今、とんでもない冒険にきてるんだ!」という子供みたいなワクワク感、当時『トリコ』を読んでいた時にも似た高揚感が、胸の奥からとめどなく湧き上がってくるのを感じていた。

 

 とはいうものの、そろそろ夕日が完全に沈みきり、辺りは暗くなる。いくら気分が良いからといって、調子に乗って夜の闇の中、この上空一万メートルをさらに登り続けるのは自殺行為だろう。ひとまずはこの辺で休み、明日の早朝からまた登り始めよう。

 

(日の出を見るのも良いな。昇る朝日と一緒に、雲海を抜けて天を目指すというのも乙なものかもしれない)

 

 そんな明日の光景に思いを馳せ、俺は自然と頬を緩ませた。

 じゃあ、とりあえずは晩飯だ。

 休めそうなデカい葉っぱのポジションを、登りながら探しつつ、今夜の獲物も探す。すると、少し離れた空を、一匹で悠々と飛ぶ四つの翼を持ったデカい怪鳥の姿が見えた。黄色い羽根の『ゲゴン』だ。

 あいつは確か、原作でトリコと小松シェフが美味しそうに丸焼きにして食べていたはず。そんなシーンを思い出しつつ、今夜のディナーにはおあつらえ向きだな、と狙いを定める。

 

「『フライングシザース』」

 

 最近練習して、ようやく飛ばせるようになった『ボーン・シザース』の遠距離版だ。ただでさえ威力が心許なかった技だが、飛ばすことによってさらに威力は下がってしまっている。悲しい……が、遠くにいる獲物にちょっかいを出して、こちらへ引き寄せるにはちょうど良い。

 空気を切り裂いて飛んでいったハサミの斬撃が、飛行していたゲゴンの体にパシッと当たる。大したダメージではないが、不意打ちを受けたゲゴンは明確な敵意をこちらに向け、鋭い鳴き声と共に突っ込んできた。

 間近で見ると中々のデカさだけど、あいつの捕獲レベルはかなり低めなんだよな。おそらく、これだけの上空だと人間界の場合外敵も少なく、生存の危機にさらされることがない。生物としてこれ以上強くなる必要がないんだろう。

 そんな生態系の理に考えを巡らせながら、俺は迫り来る巨大なクチバシを冷静に見据え、拳にギリッと力を込めた。このぐらいでいいか。

 

「『5転ボルトパンチ』」

 

 俺の拳から放たれた、凝縮された乱回転のエネルギーが、突進してきたゲゴンの無防備な腹部に深々と打ち込まれる。

 

「ギャアッ!?」

 

 衝撃と共に、ゲゴンの巨体は錐揉み回転しながらスカイプラントの太い蔓に激突した。

 

(おっと……)

 

 そのまま力なく空中へ落下しそうになったゲゴンの脚を、俺は片手で掴み上げる。そのままよいしょっと持ち上げ、さっき見つけておいたデカい葉の上のスペースまで運んだ。

 よし、無事にベッドと晩飯を確保だ。

 それじゃあ、いざ実食と行こう。

 

 スカイプラントの蔓をシザースでいい感じに切り出し、即席の丸焼き台を作る。そこに、先ほど仕留めた巨大なゲゴンを丸々串刺しにしてセットした。

 こんなサバイバル術は、第1ビオトープという大自然の中で育った俺にはお手の物、お茶の子さいさいだ。

 良く燃えるように、蔓の表面を細かく木屑のように削り出し、台の下へとふんわり敷き詰める。そして、そこに向かって思いっきり指パッチンを構えた。

 グググッ……と指先に限界まで力を込め、最大限の摩擦が起きるように弾く。

 パチッという小気味良い音の代わりに、バチィィンッという破裂音。ボゥッと指先から火球が起こり、木屑へと燃え移った。

 

「あちちっ!!」

 

 なんとか火は移せたようだが、指先がヒリヒリと痛む。

 トリコが原作の1巻でやってた『指パッチン火つけ』だが、アレ絶対トリコ痩せ我慢してたな。普通にめっちゃ熱い。

 

 熱を持った指先をフーフーとさすりながら、俺は火をくべ、ゲゴンを串ごとクルクルと回して焼いていく。

 

 クルクル、クルクル、くるくる、くる……。

 

「って、焼き終わるのに何時間かかるんだよ!! 朝んなっちゃうよ!!」

 

 すでに、辺りはすっかり暗くなっている。

 こういう巨大な丸焼きは、焼けた表面からナイフで削ぎ落としながら食べていくのが基本だが、このサイズだと全体にまんべんなく火を通すだけでもめちゃくちゃ時間がかかることに、焼き始めてから気づいた。

 そりゃ、原作のあのシーンはほぼダイジェスト進行だったからな。実際にやってみると、こういう地味な苦労はあまり漫画じゃ描かれないものだ。

 表面はうっすらと焦げ目がついてきているが、まだ皮が焼けた程度だろう。はぁ……焦げないように自力で回し続けないと全面焼けていかないし、自動で回る丸焼き機、ロースターだっけ?が欲しい……。

 

(ん……? 自動……?)

 

「……その手があったな」

 

 俺はピコーンと閃き、立ち上がって右の拳を握り込んだ。

 ほんの少し、本当に少しだけ力を込めて、軽く殴る体勢をとる。

 

「『3転ボルトパンチ』……」

 

 力を込めていないと、不思議と技名を叫ぶ声も小さくなる。囁くように放ったソフトな拳が、ゲゴンの肉厚な腹部にポフッと当たる。

 すると、拳から伝わった最小限の回転エネルギーが加わり、台にセットされていたゲゴンが。

 くるーり、くるーり、くるーり……。

 と、絶妙な速度でゆっくり3回転した。

 

「いけた……! これで楽になる……!」

 

 名付けて『自動丸焼きパンチ』だな。

 安直極まりない変な技名を心の中で名付けて一人喜ぶその姿には、上空一万メートルの過酷な環境と長時間のクライミングによる疲労感が、ほんの少しだけ顔を出していたのだった。

 

 

 

 

 

 眼下に広がる果てしない海を突き抜けて、ゆっくりと昇る朝日。

 その光はとても綺麗で、眩しさすらも、今の俺にはたまらなく心地よかった。

 俺は腰に片手を当て、もう片方の手で昨日の残りの『ゲゴン肉』をモグモグと頬張りながら、全身で朝日に浸っていた。

 

(……沁みるな……)

 

 前世で朝まで残業して、疲労と絶望の淀んだ瞳でオフィスの窓から昇る朝日を眺めたことがあった。あの時の「あぁ、また一日が始まってしまう」という重苦しい日差しとは、光の重さも、温もりも、感じ方が全く違う。

 ただ息をしているだけで、生きたエネルギーが全身の細胞に満ち溢れていくような、圧倒的な『生の輝き』がここにはあった。

 

「ん〜……美味ぁ……」

 

 俺は手に持った巨大な肉塊をもう一口かじり、ふぅと息を吐き出す。

 苦労して『自動丸焼きパンチ』で何時間もかけて焼き切った甲斐があった。

 昨日の夜に食べた、焼き立てのゲゴン肉は疲労も相まってそりゃあもう絶品だった。

 

 表面の皮は、自身の脂で揚がったようにパリッパリで香ばしく、ガブリと噛み付いた瞬間に、中から肉汁が溢れ出す。四枚の翼を持ち、恐竜のようなイカつい見た目をしているくせに、味のベースは完全に『鶏肉』。強烈な地鶏の旨味があった。

 そして、狙ってはいなかったが、香りのアクセントがとても良かった。焼き台の火種としてスカイプラントの蔓を削って使ったからなのか、燻された肉から、わさびのようなツンとした心地よい刺激があった。その爽やかな刺激が、脂のしつこさを中和し、食欲をそそる良いスパイスになっていた。

 

 だが——

 今こうして食べている『朝のゲゴン肉』も決して引けを取らない美味さだった。

 一晩寝かせたことで、荒ぶっていた肉の旨味が落ち着き、深く熟成されている。余分な脂が夜の冷気で落ちきったことで、昨日のような滴る肉汁はない。代わりに、肉の繊維がギュッと引き締まり、噛み締めるほどに凝縮された旨味がジンワリと滲み出してくるのだ。

 ジューシーさこそ無いが、決してパサパサで不味いわけではない。サラダチキンの最高峰というか、寝起きの胃袋にスッと馴染む、あっさりとした『良いパサみ』なのだ。

 ツンとしていたわさびのような香りも、一晩経ってハーブのような香りへと変化しており、噛むたびに心地いい。

 熱々の肉汁にガッつく夜のディナーも最高だったが、この冷えて旨味が凝縮された肉を、澄み切った空気の中でモグモグとよく噛んで味わうのもたまらない。

 

「素晴らしい朝食だ……」(20万キロカロリー)

 

俺は最後に残った骨の周りの肉を綺麗にしゃぶり尽くし、朝日へと骨を掲げて感謝した。

 

 

 過酷な環境に身を置いているとは思えないほど有意義な朝食の時間を過ごした俺は、そこからとてつもないスピードで蔓を登り続けていた。

 モノクは美食の世界へさらに惚れ込み、全身が底知れぬやる気に満ち溢れていたのだ。

 

 途中、『邪悪な豆の木』が群生する地帯もあったが、今の俺にはただの足場だ。伸びてくる触手を足で力強く踏みつけていなし、ひょいひょいとリズミカルに登っていく。

 フィジカルも精神も絶好調。すでに標高は一万八千メートルに達しようとしていた。

 

(ふぅ……まだまだいける。数ヶ月前のメルクマウンテンでの登り降りが、かなり効いてるな。このまま何も無ければ、もうちょっとで遂に、ベジタブルスカイに……!!)

 

 ——そんなフラグめいたことを考えたら、何も起きないわけがない。

 

 ゴォォォォォ……ッ!!

 突如、眼下から凄まじい突風が吹き上げたかと思うと、辺りが一気に鉛色に暗転し、視界が絶望的に悪くなった。

 

「うわ、これって……」

 

 網膜を焼くような閃光。空気を震わせる轟音。そして、顔を上げていることが困難なほどの、痛みを伴う大粒の雨が全身を叩きつけてきた。

 

「くそ、もうちょっとだったのに……こんな一瞬で来るのか……ッ!!」

 

『積乱雲』

 

 原作のベジタブルスカイ編で最もトリコたちを苦しめた自然の猛威。なんと、俺を中心にしてそれが形成されてしまったらしい。どうやらこの大自然に一人で挑む俺に対しても、容赦なく試練を与えてくるようだ。

 

「……まぁ、これがなきゃ『修行』にならないよね」

 

 強がりを言い聞かせ、止めていた足を再び上へと動かそうとする。

 が、重い? いや、足の感覚が……。

 

「まずい、寒いッ……!!」

 

 身体の動きが急激に鈍くなる。積乱雲の発生により、気温が一気に氷点下へと叩き落とされたのだ。全身に付着した雨粒が吹き荒れる強風で瞬く間に凍りつき、体温を容赦なく奪い去っていく。

 このままじゃ、筋肉が硬直して動けなくなる…!

 

(……『シバリング』!!)

 

 俺は、奥歯を強く噛み締めて、全身の筋肉を意図的に、かつ強烈に震わせた。

 骨が軋むほどの振動が全身を駆け巡り、エネルギー消費による凄まじい熱が体内から発生する。原作のアイスヘル編でトリコが習得していた技だが、見よう見まねでもなんとか発動させることができた。

 

「ハァッ……ハァッ……! よし、これでなんとか寒さは凌げる。あとは……ここならまだ呼吸は大丈夫だけど、この先どうなるか……」

 

 顔面に打ち付ける氷雨を拭い、上を見上げる。

 分厚い黒雲が渦を巻き、雷が不気味に瞬いている。でも、行くしかない。足りない技術は、この極限状態の中でぶっつけ本番で習得するしかないんだ。

 

 蔓に付着した雨水がまだらに凍りつき、中々に登りづらい。凍える前に一気に駆け上がりたいが、慎重に行かないとあっけなく足を滑らせて真っ逆さまだ。

 シバリングで熱を生み出しながら、手足の感覚を研ぎ澄ませて慎重に登っていく。

 

 直後、目の前のわずか数メートル上に、凄まじい落雷が直撃した。

 焦げた匂いと強烈な閃光に目が眩む。

 

(怖すぎる……『ライトニングフェニックス』とか来てくれない?)

 

 伝説の雷鳥の飛来を全力で祈りながら登るが、無情にもフェニックスの姿はどこにも見えない。

 

 代わりに訪れたのは——とてつもない『低酸素』だった。

 標高二万メートル付近。かつ、この極低温の積乱雲の内部。

 吸い込んでも吸い込んでも、肺が空気を捉えられない。息が苦しい。シバリングで酸素を大量消費しているのも相まって、意識が急速に薄れていく。

 

(これに、適応するんだ。 大丈夫だ……! どんだけこのシーンを前世で読んだと思ってる……!!)

 

 俺は薄れゆく意識を気力で繋ぎ止め、肺の動きに全神経を集中させた。

 

 ヒュゥゥゥ……と薄い空気を吸い込み、吐き出す。

 だが、そこで完全に吐き出さず、気管の上部で呼気を一度『止める』

 このマイナス数十度という規格外の寒さの中。止めた呼気中に含まれる、酸素よりも沸点・融点の高い『二酸化炭素』のみが、気管の中でひと足先に凍りつく。そのわずかな時間差、ほんの一瞬を逃せば、他の成分である酸素まで凍ってしまい意味がなくなる。

 

(ここだ……!!)

 

 俺は肺から一気に空気を押し出し、口内から凍りついた二酸化炭素を外へ吐き出した。

 無駄な二酸化炭素だけを排出し、貴重な酸素を体内に留める呼吸法。

 成功だ。原作知識のおかげで、なんとか実践に落とし込むことができた。

 

「スゥゥ……ハァ……」

 

 適応できればこっちのものだ。

 呼吸法を維持するための繊細なコントロールにはまだ慣れず、頭が割れるように痛いが、それでも確実に体内に酸素が回り始めた。

 

「ハァッ……うおおおおッ!!」

 

 まだか……そろそろ着いてくれ……!!

 雷鳴が轟き、容赦ない氷の風が叩きつける中、俺はシバリングによる発熱と呼吸法を同時にこなしながら、必死に蔓を掴み、蹴り、上へ上へと這い上がっていく。

 筋肉は悲鳴を上げ、指先からは血が滲む。

 あと少し。あと少しのはずだ!!

 雲の層が、わずかに薄くなる。

 俺は最後の力を振り絞り、渾身の力で蔓を蹴り上げた。

 

 サァッ——

 瞬間。

 視界を覆い尽くしていた鉛色の嵐が嘘のように消え去った。

 

 分厚い積乱雲を突き抜けた俺を包み込んだのは、網膜を刺すような強烈で眩い太陽の光と、嘘のように澄み切った清浄な空気。

 

 そして——

 

「……着い、たぁ……!!」

 

 雲海の上。天空の頂。

 俺の目の前には、どこまでも広がる青空の下、見たこともないほど瑞々しく巨大な緑が生い茂る大地が広がっていた。

 

 天空の野菜畑——『ベジタブルスカイ』に、俺は遂に到達したのだった。

 

「遂に、来れた……!」

 

 雲の上の大地を踏み締め、トントンと足踏みをする。

 

(すげぇ、本当に雲の上だ)

 

 ふかふかの腐葉土のような、それでいて雲特有のフワッとした不思議な弾力が足の裏から伝わってくる。

 まさに『トリコ』の世界。前世では漫画のページの中でしか見られなかった光景を、俺は今、自分の身で、自分の足で直に感じれている。

 スゥゥ——ッ、と思いきり息を吸い込む。

 

「……はぁぁ……空気すらも美味しい」

 

 肺の奥まで澄み切った空気が入り込むと、さっきまで脳を締め付けていた低酸素による頭痛が、嘘のようにスッと消え去っていた。標高二万メートルの、不純物が一切存在しない清浄な空気が、一気に脳と細胞を満たし、全身をリフレッシュさせてくれたんだ。

 

「よしっ」

 

 着いて早速だが、俺はすぐに歩き出した。

 天空の余韻に浸るのも良い。だが、俺はただ美味い空気を吸うために、あんな命がけのクライミングをしてここまで来たわけじゃない。

 ズン、ズンと足を踏み出すスピードが、徐々に速まる。

 速足から、駆け足へ。そして気がつけば、俺は子供のように無我夢中でダッシュしていた。

 俺は——俺は——

 視界を遮る雲の丘を少し抜けた先に、それは『在った』

 

「……ッ!! 俺は、これを食べに来たんだ!!」

 

 目の前に広がっていたのは、文字通りの『絶景』だった。

 見渡す限りの地平線まで続く、鮮やかな緑、赤、黄色、そして紫。色とりどりの大小様々な野菜たちが、空に最も近い太陽の光をいっぱいに浴びて、宝石のようにキラキラと乱反射している。

 まさに圧倒的なスケールの『緑黄色社会』が、そこに存在していた。

 

「すげぇ……これが、本物のベジタブルスカイ……!!」

 

 真っ赤に熟れきって今にも弾けそうな巨大なトマト。

 エメラルドのように瑞々しい水滴を纏った、太いきゅうり。

 黒紫色の艶やかな皮をパンパンに張らせたナスに、内側から甘い香りを漂わせる肉厚なピーマン。

 そして、まるで小さな家のようにどっしりと構える、黄金色のカボチャ。

 スーパーに並んでいるものとは、放つ生命力が桁違いだ。どれもこれもが暴力的なまでに『美味そう』だった。

 なんでもある。全ての野菜が、完璧な状態でここにある。

 空に浮かぶ、究極の野菜王国。

 その豊穣の景色を前にして、俺の胸はかつてないほどの食欲と高揚感で打ち震えている。

 

 まずは足元の土から頭を出している、太い大根。

 両手で掴み、フンッと勢いよく引っこ抜く。宙に浮かせたまま『ボーン・シザース』を指先から展開し、シュバババッ!と綺麗に薄く皮を剥き落とし、真っ白な果肉にそのままかぶりついた。

 

「……んんっ!」

 

 シャクシャクッ! と小気味良い音を立てて、瑞々しい水分が弾ける。さっぱりとした甘い大根かと思いきや、後からじんわりと、何日も煮込んだ極上のおでん出汁のような深い旨味が口いっぱいに広がった。

 

 続いて、表面の水分がテカテカと反射しているきゅうり。

 両手で持って力を込めると、ポキンッ!と、とてつもないしなりを見せて折れた。

 カリカリ、ポリポリ。脳に直接響くような最高の咀嚼音。何もつけていないのに、絶妙な塩っ気と濃厚な旨味が溢れ出し、止まらない。

 

 さらに巨大ネギ。

 まるで木登りでもするように抱きつき、上から下まで豪快に貪り食う。先端の青い部分も、根本の白い部分も、ネギ特有のツンとした辛味が全く無い。それどころか、噛めば噛むほどに上質な和三盆のような甘みが滲み出てくる。

 

「ハァ…………たまんない……」

 

 そして、真っ赤に熟れた大玉トマト。

 両手で抱え込んでかぶりつくと、ズッシリと重い果汁が滝のように溢れた。酸味はほどよく、まるで高級なフルーツのような極上の甘さだ。

 

(『オニオントマト』にこのトマトを使えば、さらにヤバい食材に……)

 

 いや、無理か。この圧倒的な美味さは、ベジタブルスカイの特殊な火山灰の土壌と、太陽に限りなく近いこの環境だからこそ作り上げられた奇跡なんだ。下界の環境に持ち帰って育てようとしても、この味は維持できない。

 

「だったら、ここで全部お腹に入れる!!」

 

 思考を切り替え、俺はさらに野菜の海へと飛び込んだ。

 

 次は巨大なブロッコリーツリー。

 森のようにこんもりとした房にかぶりつくと、ジュワッと濃厚な液体が溢れ出した。

 

「おっ!? サウザンドドレッシング!?」

 

 噛む場所ごとに、中から湧き出す味が変わる。こっちはコクのある胡麻ドレ、さっぱりとした青じそ、王道のマヨネーズ、さらには濃厚なシーザードレッシング! しかもブロッコリー自体が、完璧な塩加減で茹で上げられたように柔らかくホロホロでありながら瑞々しくて、溢れ出る天然のドレッシングと完璧に絡み合っている。

 

 食欲のギアが限界突破し、止まらない。

 

 マシュマロカボチャにかぶりつけば、口の中でフワッフワに溶け出し極上の甘露に!

 ピーマンは苦味に不快感が微塵もなく、パリッとした食感の後に果物のような甘さが弾ける!

 ナスは生なのに火を通したようにトロットロ!

 レタスは噛むたびにシャキィィッ!と清涼感が爆発し!

 ジャガイモは、まるで最高級のバターを最初から練り込んだかのようにホクホクで濃厚!

 

 食って、食って、食いまくる。

 いくら食べても全く胃がもたれず、むしろ食べれば食べるほど細胞が浄化され、身体の底から澄み切ったエネルギーが湧き上がってくるのを感じていた。

 

 

 

「めちゃくちゃ食べちゃった……」

 

 過去一食べたかもしれない。1日に食べた野菜の量はもちろん圧倒的差をつけて今日がトップだが、野菜だけじゃなく、これまでの人生で1日に食べた『総合量』すらも記録を更新したかもしれない。

 それくらい美味すぎた。ふと下を向けば、俺の腹が見たことないぐらい風船のようにパンパンに膨れ上がっている。

 

(これは、物凄いのがくるな……)

 

 ギュルギュルギュルギュルギュルッ……!!

 突如、腹が雷鳴のようなとてつもない音を立て、激しい痛みを伴って収縮した。

 

(は、早いッ……! 覚悟はしてたけどなんて早さだ……!)

 

 ベジタブルスカイの野菜は、あまりにも栄養価が良すぎて、消化器官に負担をかけずにとんでもなくスムーズに消化が進むのだ。つまり、食った直後に一気に便意が押し寄せる。

 分かってはいた。でも、あの絶景と暴力的な美味さを前にして、食べずにはいられなかったのだ。

 

(俺は後悔などしていない……ッ!!)

 

 額に脂汗を滲ませ、内股になりながら、俺は心の中で力強く叫んだ。

 

(自らの社会的尊厳を、大自然という『野に放つ』恐怖よりも……! 俺は、この天空の奇跡を前にして、己の食欲を偽り逃げ出すことのちっぽけさをこそ恐れたッ……! 命を喰らう者として、この大いなる選択に一切の迷いは無いッ!!)

 

 一人で勝手に壮大な美学を完結させると、俺はそのまま猛ダッシュで野菜たちから遠く離れた雲の陰へと駆け込み、大自然の真ん中ですべてを解放するのであった……。

 

 

(いやー、野菜って本当に恐ろしいな……。でも、俺がここでこの『シーン』を忠実に再現したことには他にも意味があるんだ)

 

 スッキリとした腹をさすりながら、俺はズボンのベルトを締め直した。

 原作でも、トリコたちはこのベジタブルスカイで大量の野菜を食い、急激な便意に襲われた。そして俺と同じく、大自然へ解き放つために駆け出したその先で、小松シェフが『あれ』を偶然見つけたのだ。

 

 俺も今、まったく同じ状況にいる。

 つまり、この『解き放ちポイント』を中心に周りを探せば、絶対にあるはずなんだ……! あの伝説の食材が……!

 俺は期待に胸を早鐘のように鳴らしながら、周囲を探索し始めた。

 そしてその先——緑の腐葉土の地面が途切れ、雲海を見下ろす崖のようになった場所で、遂に『見つけた』

 

 崖下を覗き込んだ俺の目に飛び込んできたのは、幾重もの分厚い葉が何枚にも重なり合い、重厚な鎧のように中身を堅く守っている、巨大で美しい天空の花。

『オゾン草』だ。

 

(あった……! 遂に、俺の『高速2回噛み』が通用するかどうか試す時が来た……!)

 

 ヨハネスさんをドン引きさせながらも、白菜を使って死ぬ気で特訓したあの狂気の噛みつきを見せてやる。俺はゴクリと唾を飲み込み、崖下のオゾン草を見つめ意気込む。

 

 よし、あとはこの何重にも重なり合った葉を剥いて、中身の本体を引きずり出して……ん?

 えっと……葉を、剥いて……?

 ……あれ?

 

 あっ。

 

「1人じゃ葉っぱ剥けないじゃんんん!」

 

 じゃん……じゃん……じゃん……と。

 哀愁漂うモノクの叫び声が、広大な天空の島全域に虚しく木霊していくのだった。

 

 

 

 

 シャ、シャ……。

 包丁を研ぐ音だけが工房に響く。

 とてつもない集中。額にはうっすらと汗が浮かび、呼吸すらも止まっている。真摯に包丁と向き合い、ただひたすらに研ぐ。これこそが、世界一の研ぎ師・メルクの姿である。

 しかし——ピタリ、と手が止まる。

 

「はぁ……」

 

 それは、極限の集中から解放された後に出る、仕事を終えた一息ではない。明らかに、どこか心ここにあらずな溜息だった。

 

 彼——モノクがメルクマウンテンに顔を出さなくなってから、二週間ほどが経つ。それ以来、時折こうして無意識のうちに溜息が漏れてしまうようになった。

 仕事が手につかないわけではない。納期の遅れは一切なく、むしろ気を紛らわせるように、以前よりも一日に仕上げる包丁の量は増やしている。

 それでも。

 

『戻るよ。ちゃんと戻る』

 

 ふとした瞬間に、彼の優しげな声が脳裏に蘇る。

 

『今度はどこかに出かけようよ——僕の家とか?』

 

(全く……紛らわしいことを……)

 

 心の中で悪態をつきながらも、その声色は決して嫌そうではなかった。

 視線が、ふと作業台の隅へ向かう。そこにあるのは、彼が獲ってきた『オックスチキンの角』だ。

 

『ごめん。片方の角が折れちゃってて……』

 

 角に手を伸ばし、指先でつまみ上げる。陽の光に透かして、そっと掲げてみた。

 捕獲の際に誤って折れてしまったらしいが、材料としては全く問題なかった。でも、その時の彼の、ひどく不安そうで、申し訳なさそうにしていた表情。そして「大丈夫だ」と伝えた時に見せた、心底ホッとしたような安堵の表情。

 コロコロと変わるその表情の移り変わりが、思い出すとなんだか少し面白くて、メルクは自然と笑みをこぼしていた。

 

「モノク……いつ頃戻るんだろう……」

 

 なぜだか、彼がいないことばかりを気にしてしまう。ふと、「ただいまー」とひょっこり現れないかと、何度も工房の入り口をチラチラと見てしまう。

 そんな自分の行動がおかしいと分かっていながら、つい声に漏れてしまう。

 オレはなんで——

 

「メルク!! 頼みがあるんだけどー!!」

「ひゃあ!! も、モノク!? あ、ちちがう! さっきのは……!」

 

 不意に入り口から響いた大声に、メルクは心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。独り言を聞かれたのかと顔を真っ赤にして焦るメルクだったが、入り口に立つモノクはそれどころじゃ無かった。

 

 息も絶え絶え、文字通りの滝汗。肩を大きく上下させて、ゼェゼェと荒い息を吐いている。

 

「さ、さっき……? ハァッ…なんのこと……?」

「い、いや! 聞こえていなかったならいい。それよりもどうしたんだ! その汗! 息も荒いし、頼みって、何かあったのか!?」

 

 メルクは慌てて駆け寄り、彼の異常な様子に動揺する。

 

「どうしたっていうか、1人じゃどうもできなかったというか……ちょっと待って……息整えるから……」

 

 モノクは工房の入り口のふちに手をつきながら、「ふぅー……」と長く息を吐き、乱れた呼吸を整え始めた。

 その数秒が、メルクの緊張を極限まで高めていく。

 

(な、なんだ……!? 一体、何を言われるんだ……?)

 

 一人じゃどうもできなかった。頼みがある。わざわざ息を切らして、全速力でこの工房まで駆け戻ってきてまで、彼がオレに頼むこと……。

 

 メルクはギュッと拳を握りしめ、次の言葉を待った。

 やがて、モノクがバッと顔を上げる。

 

「よし…落ち着いた。じゃ、メルク! 野菜、食べに行こ!!」

 

 星屑の工房に、完全なる静寂が落ちた。

 

 

 


 

縫合蜘蛛(ホウゴウグモ)

【分類】昆虫獣類

【捕獲レベル】22

【解説】

銀色に鈍く光る体毛と、注射針のように鋭い糸車を持つ医療昆虫。

吐き出す糸は鋼のように強靭でありながら、傷が治る頃には体内に吸収されて「栄養」に変わるという、まさに奇跡の極細縫合糸。

野生の個体と敵対すると、目にも留まらぬ速さで全身を鋼の糸でぐるぐる巻きに拘束してくるため、まともに戦って捕獲しようとすると非常に厄介。しかし、「傷口を見つけると、縫い合わせずにはいられない」という健気な習性があり、事前にナイフ等で自分の腕に小さな切り傷を作ってから近づくと、大慌てで傷を縫いにやって来るため、簡単に捕獲できてしまう。

怪我人を治そうとするその優しさを逆手に取るこの捕獲法は謎の罪悪感を抱かせ、再生屋たちの間でこの捕獲法は、『痛い痛い詐欺』と呼ばれている。

 

 

■クリスタル・マンドラゴラ

【分類】植物獣類

【捕獲レベル】55

【生息地】階層魔窟『ラザニア・アビス』

【解説】

全身が美しい半透明の結晶に覆われた、極めて特殊な植物獣類。

普段はその名の通り、強靭な結晶の鎧で自身を堅牢に守っている。外殻にダメージを与えようとしたり無理やり引き抜こうとすると、防衛本能として鼓膜を破壊するほどの強烈な「絶叫」を上げる危険生物。さらに温度変化に極めて敏感であり、適切な温度を保たなければ即座に鳴き声を上げるため、生け捕りには完璧な温度管理と結晶を傷つけない繊細な技術が要求される。

マンドラゴラの根から滴る琥珀色のエキスは、桁違いの滋養強壮効果を誇る超高級栄養ドリンクの原料となる。一口飲めばとてつもない活力が湧き上がってくるため、グルメタウンなどの『夜の街』において、エナジードリンクとして広く嗜まれ、それゆえに絶大な需要がある。

 

 

・おまけ解説

■深海の金庫番『ヴォルト・オイスター』

【分類】魚介獣類

【捕獲レベル】82

【生息地】狂音海溝『ソナー・クレバス』

【解説】

ダイヤルゲージのような特殊な精密測定器を貝殻にセットして調理する、「超特殊調理食材」の二枚貝。極度の高水圧と、とある捕食者から身を守るため、貝殻の噛み合わせ部分が「歯車」のように複雑に入り組んで完全に密閉されている。

無理やりこじ開けようとしたり、殻に強い衝撃を与えると、防衛本能として内部に「溶解液」を分泌し、自らの身を跡形もなく溶かしてしまう。文字通り、開け方を知らない者には絶対に中身を渡さない「深海の金庫番」

 

※憤怒貝と酷似した食レポしか思い浮かばないため、今のところ登場予定は無し。




次はオゾン草と言っておいて、実食まで行けずすみません。次回実食です。
食材の解説を考えるのが特に楽しいです。

おまけ解説は

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