ふたりぶんの音 作:ゆき!
イヤホンからギターの音が流れてくる。
昨日、凪が録ったものだ。
《いやー、やっぱここ良くない? めっちゃカッコいいじゃん!》
「走ってる」
《え?》
「三十七秒くらい。テンポずれてる」
《いやいや、これはタメ! アレンジだから!》
「クリックとずれてる」
《澪ってば細かいなぁ!》
「録り直し」
《ええー!? うち結構気に入ってたんだけど!?》
「駄目」
《むー……》
凪が不満そうにしているけど無視して、キーボードに指を置く。
ノートパソコンの画面には一本の波形。
凪のギターだ。
これから、そこに私の音を重ねる。
《準備おっけー?》
「うん」
《それじゃ、さん、にー、いち!》
「凪が数える必要ないけど」
《いいの、雰囲気だから!》
再生。
凪のギターが流れ始め、それに合わせて鍵盤を叩く。
同じ身体だから、当然二人同時には演奏できない。
私がキーボードを弾いている間、凪は中から見ているだけ。
凪がギターを弾く時は逆。
でも、先に録音しておけば話は別だ。
イヤホンの中では、凪のギターと私のキーボードが同時に鳴っている。
一人では出せない、二人分の音。
《あ、今のいい!》
「集中できない」
《内側で喋ってるだけじゃん》
「聞こえるから同じ」
《はーい、黙りまーす》
数秒。
《…………》
「……」
《…………》
「何」
《いや、暇だなーって》
「黙って」
《はーい》
また数秒。
《ねえ澪》
「録音終わってから」
《冷たい!》
最後まで弾き終えて録音を止める。
《おー! いいじゃんいいじゃん! 一発オッケー!》
「ミスした」
《どこ!?》
「二分十二秒」
《分かんないって!》
「私が分かる」
《また録るの?》
「うん」
《誰も気づかないよー?》
「私が嫌」
《頑固だなぁ》
「凪に言われたくない」
《うちは柔軟だよ?》
「じゃあ三十七秒録り直して」
《それは嫌!》
「頑固」
《あれはうちの個性ですー》
「ミス」
《アレンジ!》
「ミス」
《澪のばか!》
少しだけ笑う。
《あ! 今笑った!》
「笑ってない」
《絶対笑ったって! 澪ってうちと二人の時だけよく笑うよねー》
「そう?」
《学校じゃずっとこんな感じじゃん》
凪が私の真似をする。
《……別に。……そう。……どっちでもいい》
「似てない」
《似てるよ! うち、澪の真似なら誰にも負けない自信あるもん》
「自慢することじゃない」
《えー、すごいじゃん》
実際、凪は私の真似が上手い。
声の出し方も、喋る速度も、表情も。
誰かの呼び方や好き嫌いまで全部覚えている。
凪が表に出ている時も、周りから見れば私は私だ。
今まで誰かに変だと言われたこともない。
《よーし、じゃあ澪が録り直してる間に動画編集しよっと》
「任せる」
《はい出た》
「何」
《なんでもうちに任せないの》
「凪の方が得意」
《編集はいいよ。でもコメント返信は澪ね》
「嫌」
《早い早い》
「凪がやって」
《ダーメ》
「なんで」
《たまには澪もやりなよ。せっかく二人で投稿してるんだから》
「凪の方が文章上手い」
《そうやってすーぐ逃げる!》
「得意な方がやればいい」
《一件だけ! 一件だけ返そ!》
「……一件」
《やった!》
画面を見る。
『今回も楽しみにしてます! 二人の音って全然違うのに、一緒になるとすごく好きです!』
少し考える。
「……ありがとう。次も頑張ります」
《固い!》
「駄目?」
《もうちょっとあるでしょ! いつもありがとうございます、とか、嬉しいです、とか!》
「嬉しい」
《じゃあ書こうよ!》
「面倒」
《もー!》
結局、凪に言われた通り少しだけ文章を足して返信した。
《はい、よくできましたー!》
「子供じゃない」
《えらいえらい》
「触れないくせに」
《心の中で頭撫でてるから!》
「いらない」
《照れちゃってー》
「黙って」
《はいはい》
全然黙らなかった。
「弦ない」
《そうなんだよ! 買いに行こ!》
「ネット」
《却下!》
「なんで」
《せっかく休みなんだから外出よーよ》
「嫌」
《即答!》
「人多い」
《まだ家だよ!?》
「休日だから多い」
《そうだけどさぁ》
「凪が買ってきて」
《えー、澪も行こうよ》
「同じ身体だけど」
《そういう意味じゃないの!》
「じゃあ何」
《せっかくだし買い物しよ。楽器屋見て、ご飯食べて、なんか面白そうなのあったら寄ってさ!》
「弦だけでいい」
《つまんなーい》
「凪が楽しめばいい」
《澪も楽しむの!》
「押し付け」
《ほらほら、着替える!》
「面倒」
《着替えないならうちが選ぶよ?》
「それは嫌」
《じゃあ自分で選ぶ!》
凪はこういう時、妙にしつこい。
仕方なく立ち上がって服を選ぶ。
《それ?》
「何」
《地味》
「いつもこれ」
《だからたまには違うのにしよーよ》
「嫌」
《可愛いのあるのにー》
「凪が着れば」
《同じ身体なんだから澪も着ることになるけど?》
「じゃあやめて」
《もー!》
鏡を見る。
当然、映っているのは一人だけ。
《髪ちょっとまとめよ!》
「面倒」
《うちやろっか?》
「いい」
《遠慮しないでー》
「してない」
《澪ってほんっと可愛げないなぁ》
「凪には言われたくない」
《うちは可愛いですー》
「そう」
《否定しないんだ》
「同じ顔だし」
《あはは! それもそっか!》
休日の下北沢は人が多い。
「帰りたい」
《駅出たばっかりだよ!?》
「人多い」
《休日だからねー》
「分かってる」
《ほらほら、せっかく来たんだから楽しも!》
「弦買って帰る」
《エフェクター見る!》
「凪が?」
《二人で!》
「私は興味ない」
《見てたら興味出るかもしれないじゃん》
「出なかったら?」
《うちが楽しむ!》
「それならいい」
《そこは澪も楽しむって言うとこじゃない!?》
楽器店に入る。
外よりは少しマシだった。
中にも人はいるけど、大体みんな商品か楽器を見ていて、他人を気にしていない。
《あ! あっち新しいのある!》
「弦」
《あとでね!》
「先」
《はいはい》
弦が置いてある場所へ向かう。
いつものものを探していると、少し離れたところにピンク色の髪が見えた。
女の子。
背中にギターケースを背負ったまま、棚の前で固まっている。
《あの子何してんだろ》
「知らない」
《ずっと止まってない?》
「知らない」
《困ってるのかな》
「店員さんいる」
《話しかけてみたら?》
「嫌」
《即答!》
「関係ない」
《ギター持ってるよ》
「見れば分かる」
《同い年くらいじゃない?》
「だから?」
《友達になれるかも!》
「いらない」
《澪ー》
「凪がなれば」
《うちとはいつでも話せるでしょ。外でも一人くらい作ってみたら?》
「必要ない」
《友達って必要だから作るもんじゃないと思うけどなー》
「じゃあもっといらない」
《頑固!》
そのまま通り過ぎようとした。
「あっ」
小さな声が聞こえる。
女の子が棚から何かを取ろうとして落とした。
慌ててしゃがんで、それで背負っているギターケースが棚にぶつかる。
「ひっ……!」
今度は別の商品が落ちる。
「あっ、あ、あぁ……」
《…………》
「…………」
《助けよ》
「分かってる」
落とした弦がこっちまで滑ってきた。
拾う。
「あの」
「ひゃいっ!?」
女の子が大きく跳ねた。
「……これ」
「あっ、あ、ありがとうございます……!」
弦を渡す。
女の子は両手でそれを受け取って、そのまま固まった。
「…………」
「…………」
《終わった!?》
終わった。
《いやいや! ギター持ってる子じゃん、なんか話そーよ!》
嫌。
《ほら、ギターの話ならできるでしょ》
「……ギター」
「ひゃいっ!?」
また跳ねた。
「それ。やってるの?」
「あっ……は、はい……! や、やってます……」
「そう」
「…………」
「…………」
《また終わった!?》
聞いたけど。
《会話って一問一答じゃないんだって!》
知らない。
《ほら、いつからとか!》
「……いつからやってるの?」
「えっ」
女の子がまた固まる。
「あ、その……ち、小さい頃から……です」
「長いんだ」
「い、いや……! 長いだけで、ぜ、全然……!」
凄い勢いで首を振る。
ギターケースまで一緒に揺れていた。
《小さい頃からなら上手そう!》
「……上手いの?」
「えっ!?」
《直球!》
「違った?」
「い、いや、その……家では……たくさん弾いてるんですけど……」
「そう」
「…………」
《澪も言お!》
何を。
《楽器やってるって》
「……私も少しやる」
「あっ……そ、そうなんですか……!」
女の子の表情がほんの少し明るくなった。
でも、それ以上は続かない。
向こうも喋らない。
私も喋らない。
《…………》
「何」
《この二人、うちがいなかったら永遠に無言だなーって》
「別に困らない」
《うちが困る!》
「なんで」
《見ててむずむずする!》
意味が分からない。
《名前! 聞いてみよ!》
「……名前」
「えっ?」
「なんていうの」
「あっ、ご、ごご、後藤ひとり、です……」
「後藤さん」
「は、はい……!」
《澪も!》
「……澪」
「澪、さん……」
「うん」
また止まる。
《苗字は?》
「いらない」
《声出てる声出てる》
「……」
危ない。
目の前の後藤さんは、特に気にした様子もなく視線をさまよわせている。
《なんか澪と似てるね》
似てない。
《似てるって。人と喋るの苦手そう》
私は苦手じゃない。
したくないだけ。
《ほぼ一緒じゃん!》
「じゃあ」
帰ろうとする。
「あ……」
小さく声が聞こえた。
振り返ると、後藤さんが少しだけ残念そうな顔をしていた。
気がする。
《連絡先!》
嫌。
《澪》
いらない。
《せっかくちょっと話したんだからさー》
「……」
《お願い!》
今日の凪は本当にしつこい。
「後藤さん」
「は、はい!」
「連絡先……交換する?」
「…………え?」
固まった。
「嫌ならいい」
「ち、違っ……!」
後藤さんがぶんぶんと首を振る。
「い、嫌じゃなくて……その……えっと……」
鞄の中をごそごそする。
一度違うものを取り出して戻して、もう一度探して、やっとスマホが出てきた。
手が少し震えている。
《めっちゃ緊張してる!》
笑わない。
《かわいいじゃん》
「……」
《あ、澪も思ったでしょ》
別に。
連絡先を交換する。
画面に新しい名前が一つ増えた。
後藤ひとり。
「と、友達……」
「?」
「ち、違う……! これはまだ連絡先を交換しただけで……友達だと思って話しかけまくった結果ドン引きされてブロックされる未来も十分に……」
「……後藤さん」
「はいっ!?」
「声出てる」
「…………」
後藤さんの顔が一気に赤くなった。
《あはははは!》
「凪、うるさい」
《だって面白いんだもん!》
「……少し」
《ほらー!》
本当に少しだけ。
楽器店を出たあと。
《ねえねえ》
「何」
《エフェクター》
「忘れてた」
《嘘だー!》
「もう出たし」
《戻ろうよ!》
「嫌」
《ええー!》
駅へ向かって歩く。
スマホの連絡先は一つ増えたままだ。
《やったねー!》
「何が」
《友達できた!》
「できてない」
《じゃあ友達候補!》
「勝手に決めないで」
《今度連絡しよーよ》
「何話すの」
《ギターとか! 音楽とか!》
「凪が話せば」
《澪が交換したんだから澪が話すの》
「面倒」
《もー、そういうとこ!》
「凪がいればいい」
《えー? それは嬉しいけどさ! 友達いた方が絶対楽しいって!》
「凪は友達じゃない」
《えっ》
「凪は凪」
《……お》
「何」
《いやー、澪ちゃんたら嬉しいこと言ってくれるなーって!》
「ちゃん付けやめて」
《うちも澪は澪だよー!》
「知ってる」
《でも友達は別枠! 後藤さん、なんか面白そうじゃん!》
「凪が気に入っただけでしょ」
《澪もちょっと笑ってたくせにー》
「笑ってない」
《はいはい》
「帰ったら録り直し」
《えっ》
「三十七秒」
《まだ覚えてる!?》
「忘れない」
《エフェクター忘れたくせに!》
「それはどうでもいい」
《ひどっ!》
頭の中で凪が騒いでいる。
いつものことだ。
「……凪」
《んー?》
「帰り、アイス買う」
《えっ、珍し! 食べたいの?》
「凪が好きなやつ」
《うわ、何!? 今日優しくない!?》
「うるさい」
《買う買う! 絶対買お! コンビニ寄ろ!》
「一個だけ」
《二個!》
「身体一つだけど」
《味二種類食べたい!》
「太る」
《半分ずつなら一個分でしょ!》
「二個食べたら二個分」
《細かいこと気にしない!》
「気にする」
少しだけ増えた連絡先を眺めて、スマホをしまう。
後藤さん。
また会うことがあるかは分からない。
たぶん凪がうるさく言うから、一度くらいは連絡することになるんだと思う。
《澪ー、早く早く! アイス!》
「分かってる」
《チョコミントあるかなー》
「私はバニラ」
《じゃあ二個ね!》
「一個」
《二個ー!》
「一個」
そんなことを言い合いながら、二人で駅へ向かった。