面倒臭い元カップル(完結済み) 作:一般指揮官
………また、続いちゃいました……どうしよう……
キン、と特徴的な金属音が響く。銀無垢の、細かい傷が目立つオイルライターのホイールが回され、火花が散った。
ウィックに灯った火が紙巻き煙草の先端を炙り、ラム酒のフレーバーが鼻を擽る。嗅ぎ慣れたそれの紫煙を口腔から灰へ送り込み、やがて緩く吐き出しつつオイルライターの蓋が閉じられた。
神奈川県にゃがみ原市の一画にあるマンションの一室。そのベランダで紫煙を燻らせる長身かつ大柄の人影は濃い茶色の双眸を細めながら喫煙で得られる微かな酩酊感を味わう。
二口目は長く、深く、吸い込んだ。たちまち肺一杯へ満たされた紫煙が齎した脳髄が痺れる感覚へ悦に入る。
久しぶりに──最後に会ったのは数週間前だったか。昨日の
だがしかし、果たして元カノ──
肺活量は相当なのだろう。深く吸ってしまうと、たちまち吸い口の間近まで燃え尽きてしまう。名残惜しく、乾燥気味の唇を軽く舐めた男は、吸い殻をジャージのポケットから取り出した携帯灰皿へ投げ込む。
確実な鎮火を確認したら吸い殻は処分せねばならない。いい加減に煙草は止めるべきかもしれないが、数少ない付き合いが長い
最長での禁煙期間は半年やそこらだったか──良くもまぁ我慢できたものだ。男は自嘲の嗤いとして鼻を軽く鳴らしながらリビングへ戻った。
日課のトレーニングは終わった。プロテインも飲んだ。シャワーを浴びて身体の手入れを済ませてから就寝を──などと考えていた矢先である。
ジャージのポケットへ入れていた2種類の携帯端末の片割れがバイブレーションを起こした。
私用の
ヴーヴーとバイブレーションが10秒ほど続き、やがて止まる。それから間を置かずに再びの着信。また10秒ほどバイブレーションが起こる。
三度目の着信──やっと男はポケットからプリペイド携帯を引き抜き、通話のボタンを押して、片耳へ宛てがう。
「──はい」
〈──厚生棟にある食堂の人気メニューは?〉
「──カツカレー」
〈──お繋ぎします〉
電話口の向こうからの質問へ、定められていた通りの文言を返した男の双眸は鋭利な形に変わった。
「──カンサイ。この前、朝帰りしてたにゃ」
何を言い始めるんやこのヤニカス──唐突に、それまで交わされていた大家へ対する親しみを込めた罵詈雑言の流れを切った獣人へ
「……にゃ?」
何故、睨まれているのか訳が分からぬと言わんばかりにヤニカス──もといヤニカス──改めて、
顔と体だけは最高──その評判通り、仕草だけをみれば可愛らしい。ただし、小汚くてヨレヨレのシャツを纏っていてはその可愛らしさも大暴落だ。
コーポ大谷、獣人アパートとも呼ばれる集合住宅の一室には複数人の人影がある。それぞれ思い思いの場所へ腰掛け、持ち寄った酒や特売品の菓子、愛煙の銘柄を口へ運んでの女子会の席だ。
ピアニッシモを銜えたカンサイのただならぬ様子に不定期開催の女子会へ集った面々は興味を示した。
「──え、カンサイさん。マジで朝帰りだったんスか?」
どうやら今夜は
「そうにゃ。ニャーがヤニ吸いたくなってベランダに出たら、クルマから降りて来たカンサイを見たにゃ」
「先輩、それ何時頃っスか?」
「……4時……だったかにゃ?」
「──へぇ〜へぇ〜……」
「……な、なんですか
集った面子の中では最年長者かつ唯一の人間である漫画家の女性──ペンネームはお●んぽ達郎こと
「──カンサイちゃんが、ねぇ……」
飲み会等で午前様になることは、ままあるとお●んぽ達郎──もとい、達郎先生も知ってはいるが、まさか送迎付きで朝帰りとは、という好奇心を抱く。
「──あ〜……それ〜……
突然だった。それまでチューブを挿入した一升瓶を抱え、器用に吸い上げつつ酩酊感の帳の中で微睡んでいたのだから唐突に感じるのも無理はない。不意に起き上がった小柄な人影は寝惚け眼のまま半開きの双眸をカンサイへ向ける。
小柄な為、小学生と見紛う体躯と容姿をしているが、これでも成人女性である
「──あ〜……そっか〜」
「……相馬、さん?」
「うん〜。薫子の〜
──
──誰の?薫子って……まさか
──ヤニ切れそうにゃ。ヤクのガメるにゃ
約1名を除いて彼女達の視線は、アルねこの緩慢とした動きで持ち上がった指先の行方を追う。
指し示されたのは──缶ビールを傾けたまま動かないカンサイである。
「──え、えっ!?マ、マジっスか!?カンサイさんにカレシさん!?」
「──写真!ほら、写真見せてよ!減るもんじゃないでしょ!」
燃料投下──果たしてアルコール度数は何%の燃料なのか。きっと酒ではなく、硫酸じみた代物であろう。
世間一般で言うところの女子会らしい雰囲気となってしまった。ヤクねことマ●カス──もとい、達郎先生がカンサイへ続けざまに尋ねる。
それぞれの瞳には興味津々の色が映り込んでいるのは言わずもがなだろう。
「──あ〜……
──おっとぉ……
──これ地雷だったかな
──ヤクのも3本しか入ってないにゃ
これは、ある程度は答えなければならない雰囲気を察してしまったカンサイは、辿々しいながらも──平素の彼女らしからぬ様子で歯切れ悪く質問へ返し始めた。
「──……もしかして、別れたとかっスか?」
「あ〜……いや、ちゃうねん。別れた……というか……」
「──あ、もしかしてカレシの浮気?」
「ちゃいます。
うっかりである。乗せられるまま、カンサイは個人名を口にしてしまった。
「──へ〜……
これが年の功という奴か──にんまりと笑う同性の漫画家へカンサイは悔しげな眼差しを向ける他ない。
これはいけない。カンサイはゴクンと
「──カンサイさん。カレシさんの写真持ってないスか?」
「……持っとらん」
「え〜、嘘つかないで下さいよ〜。ほらほら」
「……ホンマに持っとらん。アイツ、写真嫌いなんやもん」
冷やかしも多分に混ざっていたが、ヤクねこも興味津々だ。カンサイへ話題の
「……子供の頃から写真苦手らしくて、一枚もないんよ。それと、
元カレ──それを強調し、カンサイは片手に愛煙の紙巻き煙草を挟み、握ったままの缶ビールを片付けに入る。
喉を鳴らして嚥下する苦味の強くなったビールのせいか──形容しがたい想いが彼女の心中を染め上げた。
──炭酸飲料の封を切った時に漏れ出る噴出の音にも似たそれが照明の消えた室内で響いた。
「──タンゴダウン」
〈──確認する。顔を送れ〉
各々が携えているのは、銃声や発砲炎を軽減する消音器が取り付けられた小銃。
先程の噴出音は銃声だったらしい。
複数人は機械仕掛けの装置のような挙動を見せる。周囲に潜んでいるかもしれない敵影を警戒しつつ、1名は10秒前まで息をしていた
ブービートラップは無し。それを確認した後、長身かつ大柄の人影はひっくり返したばかりの
射出口となったのか、顔面は随分と酷い有り様だった。
注視したまま数秒が経過した時、各々の両耳を塞ぐヘッドセットのハウジングへザッと短い雑音が走る。
〈──確認した〉
「──撤収する」
必要以上のことは話さない。暗視眼鏡越しに視線を向けているだろう同行者達へ人影はハンドサインを送る。
やがてゆっくりと──彼等の姿は闇の中へ溶けて消えた。