面倒臭い元カップル(完結済み) 作:一般指揮官
季節の変わり目だから──と言えばそれまでだが、少しばかり先日の女子会でハメを外し過ぎたのかもしれない。
「──風邪薬……あったあった……」
あれから散々と女子会に集った面子から──約1名のヤニカス獣人と約1名のアルコール依存症を患っている獣人を除いた彼女達から元カレとのあれこれを聞き出され、カンサイはヤケを起こした。
有り体に言えば、持ち込んだ酒を片っ端から飲み干し、酷い泥酔状態を自ら作り上げ、強引にでも話題を変えようと全裸に変貌しての裸踊りを披露した訳だ。
アルコールが一気に回ったのもあるだろう。そのままぶっ倒れ、気付けば翌朝である。
二日酔いが酷く、その日は終日に渡って頭痛と吐き気に悩まされた。なんとか大学の講義を終え、次いでアルバイト先での仕事も済ませて帰宅したは良いが、全身が怠くて仕方ない。
鯨飲と痛飲をしたばかりだ。正直、胃の中がムカムカしており、何かしら腹へ収めなければならないと分かっていながらも横着してしまい、冷蔵庫にあったゼリー飲料で食事を済ませたのも悪かっただろう。
未明から全身の倦怠感、発熱の症状が顕著となった。もしやと思い、体温計を引っ張り出して計測を実施したところ案の定である。
体温計は彼女の平熱を上回る数値を叩き出し、体調を崩したことを如実に示していた。
とはいえ、今日は大学で履修すべき講義やアルバイト先のシフトが入っておらず安心はできた。ひとまずは、である。
「……何か食べんと……」
寝間着のままフラフラとした足取りのままカンサイは冷蔵庫へ向かう。風邪薬を飲む前に何か腹へ入れようとしているのだが──昨日、食品の買い出しも横着していたと思い出し、深い溜め息を吐く。
飲まないよりはマシだろう。やや覚束ない手付きでグラスを握り、水道から汲んだ水で錠剤を嚥下する。
だいぶ水分が身体から抜け落ちているらしい。たった一杯の水が全身へ行き渡る感覚を捉えつつ彼女はベッドへ戻る。
まだ夜明け前だ。このまま昼頃まで安静にしていれば体調も回復する筈──その見通しは甘かったと言う他ない。
「──アカンわ……これ……グルグルしとる……」
時刻は9時過ぎ。気持ち悪さで目覚めた時には平衡感覚がおかしくなっていた。仰向けに寝ているのもあり、天井を見上げる格好だが、視界に映り込む全てが歪んで見える。体温計で計測するまでもない。熱が上がっているのだろう。
病院に行くか──その元気もない。大人しく安静にしていた方が良さそうだ。
まずは熱を落ち着かせる必要がある。額へ貼り付ける冷却シートは──在庫がない。忘れていた。
「──あぁぁぁあ……」
諦念と後悔の混ざった唸りを漏らしたところで意味はない。それで何処からか必要な諸々が出てくるなら世話はないのだ。
アパートの誰かに買ってきて貰うか──いや、どいつもこいつも金欠である。大家に頼んで──大家も今日は確か町内会の寄り合いがあるとかなんとかを小耳に挟んでいる。
ならば
──詰んだ
呼吸も苦しくなってきた。咳と鼻水も酷くなっている。
「──……春蘭……」
近場で頼れそうなのは、弟だろうか。カンサイは緩慢な動きで寝返りを打ち、枕元で充電していた自身の携帯端末を握る。
タプタプと液晶画面を細い指先が辿々しくタップを繰り返し、メッセージアプリが開かれた。
──いやいや、あかん
春蘭とのトークルームを開こうとした指先が止まる。あの弟のことだ。これを材料にして後々までからかって来るに違いない。
しかし背に腹は代えられないのも事実だ。
「──ううう……」
逡巡するカンサイが尚も唸っていた矢先のこと。
新着のメッセージが入ったと携帯端末が通知機能で伝えてきた。
一体誰か──新着のメッセージの差出人を彼女の熱で潤んだ瞳が捉え、次いで唇が小さく開く。
「──……あ……」
相馬龍哉──元カレからのメッセージが届いている。そのメッセージを開いて確認すると、見慣れた文体のそれが液晶画面に映り込んだ。
元カレの知人がパチンコで大当たりし、景品を根こそぎ店から取ってきたそうだ。ピアニッシモも随分と貰ったのだが、必要か否か──それを問うメッセージである。
そのメッセージを見た途端、カンサイは無意識にトークルームへ表示されている電話の受話器を模したマークを、次いで無料通話を細い指先でタップした。
呼び出しが始まると、彼女はハンズフリーにして元カレの発する落ち着いた低い声がスピーカーから響くのを待つ。
〈──どうした?〉
通話に応じた元カレは、もしもし、等の前置きを省いた。ここ最近は通話よりもメッセージでやりとりする機会が多かったのもあるからか、やや怪訝な声色が響く。
「──……ごめん……ちょっと、助けてくれへん……?」
まさか本当に20分でやって来るとは思わなかった。
カンサイが事情を説明したところ、元カレは必要な物を用意して向かう旨を返し、その所要時間は20分前後──と伝えてから通話を切った。
大人しく寝ているように、と言われたのもあり彼女はコンコンと咳をしながらベッドで横になっていたが──違和感に気付き、全身を蝕む倦怠感を抱えてトイレへ向かう。処置を済ませ、酷い怠さに耐えながら着替えも済ませる。
風邪と、女性特有の月イチのそれが同時併発である。やたら発熱が酷く、体調も優れない訳だ。
深い溜め息を吐き出したカンサイがベッドへ戻り、モゾモゾと布団の中に入って暫くが経った頃、アパートの駐車場から大家の軽トラのそれではないエンジン音とブレーキの制動音が聞こえ、続けて扉が開いて閉まる音、施錠がされる音が響いた。
徐々に部屋の玄関前へ近付く規則正しくも忙しない足音を捉えたカンサイの耳がピクリと動いて間もなく、呼び出しのチャイムが鳴ったのだ。
来訪者は──言わずもがなだ。
相馬龍哉──カンサイの元カレ。
スーパーとドラッグストアのビニール袋をぶら下げた彼は必要な食材や用品を買い込んで来てくれた。ついでに彼の知人がパチンコで大量に獲得した景品のピアニッシモも携えて。
彼は出迎えたカンサイを横抱きにするなり、ベッドへ運び込んだ。そのままドラッグストアのビニール袋を漁り、新品の冷却シートを開封して彼女の額へ貼り付けて布団を掛ける。
「──食欲は?」
「……無い……けど、食べなあかんのやろ?」
「あぁ。台所、使うからな」
元カレが首肯し、背を向けて台所へ向かう様子を彼女は見送った。
買い込んだ食材を冷蔵庫に収納した後、彼は纏っていた背広の上着を脱ぎ、ネクタイも外した。空いているハンガーを見付け、そこに上着とネクタイを預ける。
襟と袖口のボタンを外し、腕捲くりした元カレが調理を始める気配と物音を捉えたカンサイの耳がピクピクと動く。手伝おうかとも思ったが、寝ていろ、と言われるのが関の山だろう。
包装米飯──要するにパックご飯である。これを電子レンジで所定時間加熱し、炊き上がったそれの半分程は茶碗へ入れてラップし、残りを調理に使用する。
一人用の小さな土鍋で煮込みつつ、溶き卵を投じ、白出汁、薄口醤油にみりんで味を整えれば雑炊の完成だ。
レンゲも添えられた土鍋が盆の上へ置かれて彼女の元へ運ばれた。上体を起こしたカンサイの膝──掛けられた布団越しに依託する格好のまま彼は雑炊を食べるよう促す。
「……片付けて欲しい家事はあるか?」
「……そこまでせんでえぇよ。仕事、抜け出して来たんとちゃう?」
背広姿でやって来た元カレの姿。多忙だと聞く仕事の合間を縫って駆け付けてくれただけでも有り難い。有り難い以上に申し訳なさが勝る。
「夜勤明けでな。1時間前に昼勤と交代したばかりだ」
先日から夜勤のシフトになっているらしい。であれば尚更だ。早く帰宅して休んだ方が良い。それをカンサイが伝えつつ、レンゲで掬った雑炊へ息を吹き掛けて冷ましてから口へ運ぶ。
美味しい──それは素直に感じられた。
「……帰って欲しいのか?」
「……そうやのうて……」
肩を軽く竦めた元カレが再び台所へ向かう。後片付けかと思いきや、体調が回復するまでの必要な食事を作り置きしてくれるらしい。
有り難いやら申し訳ないやら──風邪由来と月の物由来の体調の悪さ、下腹部を中心に走る痛みも合わさってカンサイは複雑な気分のまま雑炊を食べ進める。
完食した頃、彼がドラッグストアで買ってきたばかりの風邪薬と水を注いだグラスを運んで来た。それを認めつつもカンサイは別の薬を所望する。
「……痛み止め……」
「……痛み止め?……あぁ」
所望されたのは鎮痛剤。それだけで彼女が風邪だけではない症状に苛まれていると察せられたらしい。その薬が保管されている場所をカンサイが教え、飲み慣れた市販薬のそれを元カレが携えて持ってきた。
用法用量を守って、錠剤を彼女は嚥下する。まずはこの痛みを和らげたいらしい。
盆ごと土鍋を回収した彼が後片付けに向かう。横になっていろ、と言い付けられ、カンサイは大人しくベッドへ横たわる。
暫く経った頃、後片付けと食事の作り置きが終わった元カレがベッドの横へ腰を落とし、カンサイを緩く見下ろす。
「取り敢えず、明日の夕飯までは困らない分は作っておいたが……
後片付けで水へ浸かっていたからか、彼女の発熱の程度を感じる為に頬へ添えられた手が冷たい。心地良さもあり、カンサイは目を細めつつ、自ら手へ頬を擦り付けた。
「……ネッパツってなに?」
「発熱のことだ。……身体、拭きたいなら手伝うぞ」
「ん、大丈夫。あんたが来る前に着替えたから」
「……そうか。洗濯した方が良いか?」
まだそこまで溜まっていないので問題はない。体調がいくらか戻れば自分で片付けられる。それを彼女が伝えると元カレは軽く頷いた後、左手の手首へ巻いた腕時計に視線を落とした。
──変な巻き方しとる
女性がそうするように手首の内側へ腕時計の文字盤が収まるように巻かれた格好だ。これは元カレなりにボケを狙っているのだろうか。腕時計を付ける習慣は大学生の頃からあったと彼女は記憶しているが、このような巻き方をするようになったのは果たしていつからだったか。記憶が曖昧である。
薬が少し効いて来たらしい。彼女がボウっとしてきた時だ。彼の唇が、さて、と言葉を漏らす。
「──あまり長居するのも悪いからな」
お大事に──と彼が告げつつ腰を上げようとする刹那、布団から飛び出した細い腕。指先がワイシャツを摘んでいた。
「──え……あ……」
「……どうした?」
全くの無意識だった。反射的に手が伸びてしまった。
彼女の行動を不可思議に感じたのか、元カレの眉根が寄る。
「ご、ごめん……」
引き止めるつもりは──なかった。その筈だ。
彼のワイシャツを摘んだ指先へ意識して力を入れ、それから離れると彼女の細い腕は布団の中に引っ込んだ。
寝返りを打ち、彼女は彼へ背を向ける。
「……なにかして欲しいことは、無いのか?」
向けられた背中に掛けられる落ち着いた低い声での問い。
思わず、カンサイの瞳が揺れた。
して欲しいこと──それはある。
だが口にして良いのか、と逡巡が脳裏を駆け巡った。
口を開いては閉じを繰り返し──ややあって、彼女は意を決して唇を震わせる。
「──側に、いて」
このような要望を口にして良い筈がない。現在進行形で交際を続けている間柄ではない。
堂々と
体調の悪さに加え、ホルモンバランスが崩れているのもあるのか、彼女の感情がグチャグチャになりつつある。ジワリ、と熱で潤んだ瞳に涙が滲み始めた時だ。
ベッドが、軋みを上げた。
そして、カンサイの眼前へ元カレの顔が映り込む。至近距離だった。
ワイシャツの袖を捲った片腕が彼女の
「……いや、なんでやねん」
「……なにが?」
「……普通は背中から抱き締めたりせぇへん?」
「それだと薫子の顔が見えないだろう」
大真面目に返す言葉の響きにカンサイは一瞬、呆気に取られる。
昔から、何処かズレた返答をされる機会が多かったが──何年経っても変わらないらしい。
安心したような、呆れるような──なんとも言えないが、そう悪い気分でもない。
無意識に込められていた全身の力が抜ける思いのまま、カンサイは差し入れられた彼の片腕へ頭を擦り付け、冷却シートが貼られた額をワイシャツ越しに胸板へ押し当てた。
「……硬い」
反発力の欠片もない。皮膚の下にぎっしりと筋肉が詰め込まれていると感じさせる腕や胸板の感触の感想を彼女が漏らす。
「……いや。こんな状況で
「……
どちらの意味やニュアンスでの
とはいえ、胸元へ顔を埋めた彼女の頭頂部──フサフサした耳介がピクピクと動いているのを認め、疑問は直ぐにどうでも良くなった。
「……
少しだけ悪寒を覚えたカンサイが布団を捲り、彼を内側へ招き入れる。
いくらか温かくなった。それに彼女は安堵の息を吐く。
「……このまま、寝てもえぇ?」
「大丈夫だ」
「……おおきに」
腕が痺れたりしないかを懸念すべきかもしれないが、それよりもカンサイは温もりに包まれたい衝動に駆られた。
スリ、とワイシャツ越しに額を擦り付けながら彼の胸元へ顔を埋める。
「……ウチが、起きるまで……何処にも行かんといてな」
段々と瞼が重くなってきた。薬が効いて来たのだろう。やはり食事を摂っているか否かでも効果は異なるらしい。
鼻先が捉えた安心する匂い──ワイシャツから香るラム酒の微かなフレーバー、紫煙の残り香。そして微かな汗の匂い。
彼の香りが、今だけは愛煙するピアニッシモの紫煙にも勝る気がしてならない。
瞼を閉じた彼女が、やがて穏やかな寝息を立て始める。
それを認めた彼は、起こさぬよう慎重な手付きと挙動で彼女の細い背中へ逆の腕を回し、緩い抱擁をした。