成功しても、許される時間は九十秒。
それでもレンとアカリは、違う答えを持ったまま、一つの機体へ未来を預ける。
第9話「九十秒のインフィナイト」、始まります。
「二人が一つになるために必要だったのは、同じ答えではない。
違う答えを持ったまま、次の一歩を相手へ預ける勇気だった」
◇
終界接続まで、四十九時間十八分四十六秒。
蒼界と紅界を結んでいた共同通信は、すべて停止していた。
蒼界の中央広場では、青い大型画面から赤い街が消えている。
紅界の共同居住区では、古い表示板から青い高層都市が消えていた。
二つの世界の統治機関が、ほとんど同時に回線を閉じたのだ。
理由は違わない。
混乱を抑えるため。
限られた境界出力を、自分たちの生命維持へ残すため。
そして、見知らぬ世界へ奪われるかもしれないという恐怖からだった。
蒼界側の画面には、青い文字が並ぶ。
『現在の市民を最優先し、終界住民の救出計画を一時凍結する』
紅界側では、赤い警告が表示されていた。
『蒼界への境界出力供給を停止し、紅界の環境維持へ集中する』
言葉は違う。
選んだ答えは同じだった。
自分の世界だけを守る。
蒼界の広場で、青い包装の栄養食を持った少年が、暗くなった画面を見上げていた。
昨日まで、その向こうには丸い焼きパンを食べる紅界の少年がいた。
食べ物かどうかを疑われた青い栄養食は、まだ半分残っている。
「交換する約束、まだだったのに」
隣にいた女性が、言葉を探す。
「今は、仕方がないのよ」
「仕方がないって、いつまで?」
女性は答えられなかった。
紅界の配給所では、四つの歯車を描いた少年が、黒くなった表示板を指で叩いている。
「青い人とは、もう会えないの?」
大人たちは、やはり答えない。
画面の上部には、通信が消えた後も黒金の数字だけが残っていた。
未来は待ってくれない。
現在の人々が答えを出せなくても、終界は近づいている。
終界〈しゅうかい〉。
百二十七年後に存在する、時間も新しい選択も止まった未来。
そこでは一億八千四百万人が、都市ほど巨大な第四観測機クアドラの生命維持を受けて眠っている。
終界を現在へ接続すれば、未来の人々は救われる。
代わりに、蒼界と紅界で七年間を生きた人々が消える。
三つの世界を残す方法は、まだ見つかっていなかった。
◇
境界航行母艦ノア・ギアの格納庫。
青銀のアズール。
赤金のフレア。
黒銀のヴァイス。
三機は同じ床へ並び、それぞれ違う音を立てて修理されていた。
アズールの左腕では、灰色の応急板が外され、新しい青銀装甲が閉じかけている。
フレアの右脚には、赤い駆動板が何層も重ねられていた。
全力加速に耐えられるのは、計算上三回。
ヴァイスの背中には、片翼の代わりとなる短い位相板が取り付けられている。
整備主任の真壁ゲンゴは、三機の修復表示を見比べた。
「通常戦闘なら、どうにかなる」
御堂カナメ艦長が尋ねる。
「合体は」
ゲンゴは返事の代わりに、整備台の上へ二つの半円を置いた。
青い半円。
赤い半円。
アズールとフレアの胸部に収められた、ツイン・ギア・コアの模型だった。
二つは、もともと一つだった位相機能を別々に保持している。
重ねれば黄金の歯車となり、二機を双界機神インフィナイトへ再構成する。
フェイズ・ドッキング。
七年前に失われたはずの合体機構だ。
ゲンゴは青と赤の半円を近づける。
接触する直前、黒金の警告が二つの間へ浮かんだ。
「合体そのものはできる」
「問題は、黄金座標だ」
青と赤が完全に重なった瞬間、二世界共通の位置を示す強い光が生まれる。
終界のクアドラにとって、それは現在へ戻るための完璧な目印になる。
一度でも捕捉されれば、残り四十九時間は消える。
終界が、その場で蒼界と紅界へ接続する。
拘束環をつけたアウレル・ゼロが、設計卓の反対側から口を開いた。
「黄金出力を発生させずに合体することはできない」
かつて二世界を原初界で上書きしようとした研究者。
彼の理論は、百二十七年後にクアドラを造る基礎として使われていた。
カイン・ヴァイスが、黒銀機の胸部を見上げる。
「発生を止める必要はない」
ヴァイスの紫色核が、弱く回転している。
「見えなくすればいい」
アウレルの視線が、カインへ移った。
「インフィナイトを零座標へ沈めるつもりか」
「半分だけだ」
「存在させたまま、観測記録だけを零へ落とす」
アウレルは数秒、演算表示を見つめた。
「理論上は可能だ」
ゲンゴが眉間を押さえる。
「その言葉を聞くたび、俺の仕事が増える」
白瀬ユナが計算結果を開いた。
紫色の球体が、青と赤の模型を包む。
零相遮蔽〈ゼロ・ヴェール〉。
ヴァイスの零座標核で合体空間を覆い、黄金座標だけをクアドラの観測から隠す方法だ。
「現在の零座標出力で維持できるのは、最大九十秒です」
カナメが確認する。
「九十秒を越えた場合は」
「黄金座標が露出します」
「その後は」
「終界接続までの残り時間が、最短で零になります」
九十秒で戦闘を終え、必ず分離する。
一秒でも遅れれば、二つの世界へ終界が到達する。
人型端末ニルが、ヴァイスの足元から紫色核を見上げた。
『遮蔽の開始と解除は、私が選択します』
カインがすぐに振り向く。
「自動化は」
『クアドラは自動処理を先行観測します』
「八十九秒で二人が戦っていたら」
『九十秒で解除します』
「帰還できていなくてもか」
ニルは一度だけ、青い右目と赤い左目を伏せた。
『それでも解除します』
カインは何も言わない。
ニルは彼を見上げる。
『私に選ばせたことを、後悔していますか』
「していない」
返事は早かった。
「心配しているだけだ」
『二つは同時に成立するのですね』
「人間は面倒なんだ」
『記録します』
「そこは忘れていい」
少し離れた場所で、アカリが笑った。
青と赤の操縦席を模した同期試験台に、レンと並んで座っている。
実際の合体は試せない。
代わりに二人の入力を、一体の簡易模型へ反映する試験だった。
ゲンゴが指示する。
「前へ一歩」
レンは左へ重心を移した。
アカリは右脚の加速を入れた。
画面の人型模型が、その場で不自然に腰を落とした。
一歩も進んでいない。
「今のは、どっちが間違えた」
アカリがレンを見る。
「レン」
「右側の出力が早すぎた」
「ほら、そうやって説明してる間にも敵は来るの」
「原因を特定しなければ、次も同じになる」
ゲンゴが試験台の電源を切った。
「世界を救う前に、真っ直ぐ歩け」
ニルが演算結果を読み上げる。
『操縦入力一致率、二・八パーセント』
「低すぎない?」
『会話の応答率は九十八・六パーセントです』
レンが尋ねる。
「戦闘に関係があるのか」
『現在、最も安定している同期項目です』
アカリは少しだけ得意そうに腕を組んだ。
「つまり、言い合いなら完璧ってことね」
「誇るところではない」
「そこは意見が合った」
ニルが表示を更新する。
『一致率が三・一パーセントへ上昇しました』
ゲンゴが深く息を吐いた。
「前途多難だな」
短い笑いが格納庫へ広がる。
しかし、カナメだけは二世界からの出力表示を見ていた。
蒼界から、零。
紅界から、零。
ノア・ギアの蓄積分を合わせても、合体に必要な量の四十四パーセントしかない。
機構は完成した。
操縦者も、少なくとも言い合う準備はできている。
最後に足りないのは、二つの世界が自分から預ける力だった。
◇
終界接続まで、四十八時間五十九分二秒。
蒼界と紅界の空へ、一本の黒金の亀裂が走った。
互いへ向いていた二つの空が、外側から掴まれる。
終界の扉が、現在へ押し込まれていた。
切断されたはずの共同画面が、二世界で同時に点灯する。
白い髪。
黒い右目。
金色の左目。
帰還端末ミラが、静かに告げた。
「共同通信の停止を確認しました」
蒼界の広場に怒声が上がる。
「勝手に入ってくるな!」
紅界からも声が重なる。
「私たちの回線を返して!」
ミラは表情を変えない。
「現在の人々は、終界を救わないと選択しました」
「違う!」
蒼界の女性が叫ぶ。
「私たちは、まだ何も決めていない!」
ミラは、ほんの少し首を傾けた。
「選ばない時間にも、結果は進みます」
それは脅しではなかった。
百二十七年間、選択が生まれない世界を見てきた端末の答えだった。
「両世界の記録から、現在選ばれている共通項を抽出しました」
「相互接続の停止」
「出力共有の停止」
「別々の生存」
黒金の扉が開く。
二つの人型機が、背中合わせに接続された巨体が現れた。
蒼界側を向く身体は、青黒い装甲。
紅界側を向く身体は、赤黒い装甲。
二つの頭部。
四本の腕。
四本の脚。
中央では、二体を引き離すための黒金の歯車が回っている。
終端分離機ディバイダー。
クアドラが二世界の相互不信を、実行可能な兵器へ変換したものだった。
「両世界が分離を望むなら、その選択を実行します」
ディバイダーが四本の腕を広げる。
青黒い手が蒼界の空を掴む。
赤黒い手が紅界の空を掴んだ。
二つの世界が、互いから引き離される。
蒼界の境界壁へ青い亀裂が走った。
紅界では、赤い防壁が地面ごと傾く。
通信。
出力。
互いを覚えている記憶の位相線。
そのすべてを断ち切る、分離強制場〈セパレート・フィールド〉。
完全に分かれれば、終界は空いた座標へ入り込む。
残った一方も、境界の支えを失って崩壊する。
自分の世界だけを守るという答えが、両方を滅ぼそうとしていた。
カナメの命令が響く。
「三機、発進!」
アズールが蒼界の発進路から青い空へ上がる。
フレアが紅界の砂塵を赤く吹き飛ばす。
ヴァイスがノア・ギア中央の境界線を抜けた。
三機は、まだ合体しない。
必要な出力がない。
アズールが青い円環を放つ。
「アイオン・ロック。蒼界側の腕を固定」
青黒い二本の腕が空中で止まる。
次の瞬間、赤黒い二本の腕が別世界から円環を掴んだ。
青い光が引き裂かれる。
フレアが赤い瞬間加速で懐へ潜る。
『フレア・バースト!』
右拳が赤黒い胸部をへこませた。
だが、背中合わせの青黒い脚が位相の裏側から伸びる。
フレアは横殴りに蹴り飛ばされた。
別々に攻撃する限り、もう一方の身体が必ず守る。
ヴァイスが中央の歯車へ位相刃を振り下ろす。
四本の腕が一斉に黒銀機を捕らえた。
「くっ……!」
片翼のない背中から、紫色の火花が噴き出す。
ディバイダーはヴァイスを中央歯車へ押し込んでいく。
また一人を、世界を繋ぐための境界杭にするつもりだった。
ノア・ギアの観測席で、ニルが三機を繋ぐ黄金線を開く。
ノア・ライン。
異なる座標にいる機体の位置と出力を記録し、互いを見失わないための位相索だ。
『カインを一人にしないでください』
アズールから青い光。
フレアから赤い光。
二本がヴァイスへ伸びる。
ディバイダーの中央歯車が逆回転した。
黄金線が途中から裂ける。
分離強制場は、三機の連携まで別々の世界へ押し戻していた。
ユナの警告が飛ぶ。
『世界間距離、毎秒〇・七パーセント拡大!』
『あと百四十秒で、ノア・ラインは完全切断されます!』
アカリがフレアを起こす。
『合体出力は?』
『四十四パーセント。上昇していません!』
レンは、蒼界全域へ通信を開いた。
アズールの傷ついた顔が、停止中の大型画面へ映る。
「蒼界の人へ」
広場の声が止まる。
「紅界を、今すぐ信じてくれとは言いません」
青黒い拳を支えるアズールの左腕から、装甲が剥がれる。
「知らない相手が怖いのは当然です」
「俺も、分からないものを観測せずに信じることはできない」
レンは一度、赤い通信窓を見る。
「だから、九十秒だけ預けてください」
「その後で、結果を見て選び直してください」
紅界では、フレアが立ち上がった。
アカリも全域通信を開く。
『未来の人を全員救えるなんて、まだ言えない』
赤黒い拳を受け止め、フレアの右脚が砂へ沈む。
『青い世界と、ずっと仲良くできるとも言えない』
『でも、相手を知らないまま、いなかったことにはしたくない』
アカリは赤い操縦環を握り直した。
『私たちに九十秒ください』
『終わったら、今度こそ一緒に文句を言おう』
緊迫した通信の中で、誰かが吹き出した。
ほんの一人だった。
それでも、張り詰めていた空気が少しだけほどける。
残り百二十秒。
統治機関からの許可はない。
出力計も動かない。
蒼界の広場で、青い栄養食を持った少年が供給端末へ走った。
家庭用の予備電力を、境界線へ送るための非常スイッチ。
「九十秒なら、これ溶けないよね」
隣の女性が驚く。
「食べ物の心配なの?」
「約束の方が大事」
少年がスイッチを押す。
四十四・〇一パーセント。
未来残響で高層塔が倒れる光景を見た女性が続く。
四十四・〇三パーセント。
紅界では、歯車を描いた少年が配給所の発電端末へ手を置いた。
「青い人に、まだパンを見せてない」
母親が、その手へ自分の手を重ねる。
赤い供給線が光った。
四十四・一パーセント。
家庭用蓄電池。
工場の予備炉。
蒼界の輸送車。
紅界の食料保管庫。
医療区画は、生命維持に必要な分だけを残して送る。
一つ一つは小さい。
それでも、二つの世界から光が集まり始めた。
五十パーセント。
六十二パーセント。
七十九パーセント。
ディバイダーが両世界をさらに引く。
送られた光が何本も切れた。
そのたび、別の光が繋がる。
八十四パーセント。
残り五十秒。
個人用の出力だけでは、届かない。
蒼界の境界管制室で、一人の技師が停止命令を見つめていた。
紅界の環境炉では、当直責任者が赤い遮断レバーへ手をかけている。
二人は互いを知らない。
それでも、同じ画面で市民の光を見た。
蒼界の技師が、中央予備炉を境界線へ開く。
紅界の責任者が、環境炉の余剰分を解放した。
命令より先に、人が選ぶ。
その選択を見た二つの統治機関が、最後に緊急供給を承認した。
九十六パーセント。
九十九パーセント。
百パーセント。
青と赤の光が、ノア・ギアへ流れ込む。
ゲンゴが叫んだ。
『合体出力、確保!』
残り二十六秒。
カナメは命じなかった。
最後の判断は、操縦席の二人へ委ねる。
レンが赤い通信窓を見る。
「アカリ」
『うん』
二人は、同じことを考えてはいない。
レンは、九十秒後の帰還手順を見ている。
アカリは、目の前で捕らえられたカインを見ている。
それでも、どちらも相手を置いていくつもりはなかった。
レンが青い操縦環を握る。
「フェイズ・ドッキング」
アカリが笑う。
『今度こそ、前へ一歩!』
◇
ヴァイスが四本の腕を振りほどく。
カインは黒銀機を二世界の中央へ固定した。
「零相遮蔽、展開!」
紫色の球体が、アズールとフレアを包む。
ニルが青い右目と赤い左目を開いた。
『遮断型フェイズ・ドッキング、開始』
青いツイン・ギア・コアが、蒼界から境界中央へ進む。
赤いコアが、紅界から同じ場所へ向かう。
アズールとフレアは、完全な人型を保ったまま光へ変わった。
機体を半分ずつ切り取るのではない。
二機が持つ装甲と位相機能を、一つの黄金設計図へ重ね直す。
アズールの青銀装甲が、左肩と左腕を形成する。
フレアの赤金装甲が、右肩と右腕へ重なる。
両脚には青と赤が左右から走り、どちらも欠けることなく一つの骨格へ固定された。
胸部中央で二つの半円が噛み合う。
黄金の歯車が回り始めた。
頭部を青と赤の光が駆け上がる。
額に黄金の角が開く。
二つの操縦席が、薄い光の壁を挟んで同じ空間へ並んだ。
レンは青い側にいる。
アカリは赤い側にいる。
通信窓ではない。
相手の全身が、同じ操縦空間に存在していた。
アカリが、目を見開く。
『本当にいた』
レンも彼女を見る。
「そっちこそ」
『想像より、ちゃんとレンだね』
「比較対象が分からない」
『そういう返しをするところ』
黄金の双眼が開いた。
双界機神インフィナイト。
青い左側。
赤い右側。
黄金の胸部。
別々の世界で完成した二機が、どちらも欠けることなく選んだ、一つの完全人型機。
蒼界と紅界の空に、黄金の輪が広がる。
ニルの声が届いた。
『零相遮蔽、安定』
『残り九十秒』
操縦席中央に、黄金の数字が現れる。
九十・〇〇。
カインがヴァイスで紫色の球体を支えた。
「九十秒後、何があっても切る!」
『分かってる!』
レンはディバイダーを観測する。
「始める」
インフィナイトが、最初の一歩を踏み出した。
八十七秒。
ディバイダーの四本腕が同時に襲う。
レンは左へ回避しようとする。
アカリは右脚で正面へ踏み込もうとする。
青い左脚と赤い右脚が、互いを引いた。
黄金の機体が、その場で不自然に腰を落とす。
試験台とまったく同じ姿勢だった。
アカリが叫ぶ。
『予行演習どおり!』
「成功例ではない!」
ディバイダーの拳が黄金胸部へ直撃する。
インフィナイトが、二世界の境界を滑って後退した。
八十三秒。
ゲンゴの怒声が飛ぶ。
『本番で再現性を見せるな!』
ミラの声が戦場へ響く。
「一つの身体に、二つの選択は存在できません」
ディバイダー中央の歯車が回る。
青い左半身と赤い右半身の境界へ、黒い亀裂が走った。
「どちらかが操縦権を手放せば、安定します」
『嫌』
アカリが即答した。
レンも操縦環を離さない。
「手放す必要はない」
『じゃあ、どう歩くの』
「次の一歩は、アカリが決めろ」
アカリがレンを見る。
『その次は?』
「俺が決める」
同じ瞬間に同じ答えを出すのではない。
一歩ずつ、決める側を変える。
決めなかった方は、相手の選んだ結果を引き受ける。
アカリが赤い操縦環を前へ押した。
『前!』
レンは左への回避を止める。
インフィナイトが赤い瞬間加速で、四本腕の間へ踏み込んだ。
七十五秒。
左右から拳が閉じる。
今度はレンが青い操縦環を引いた。
「止める!」
アカリは加速を預ける。
青い円環が四本の腕を空中へ固定した。
インフィナイトだけが、止まった拳の隙間を抜ける。
赤い右拳が、赤黒い胸部へ届く。
『フレア・バースト!』
赤い衝撃が、青い固定円環の内側で爆発した。
黒金の装甲が砕ける。
六十八秒。
ニルが同期値を読み上げる。
『操縦入力一致率、三十一・四パーセント』
『機体応答率、百パーセント』
アカリが一瞬、目を丸くする。
『一致してないのに?』
『互いの不一致を、正常な入力として処理しています』
レンは正面を見たまま言う。
「最初から、同じになる必要はなかった」
ディバイダーの青黒い身体と赤黒い身体が、背中から分かれる。
二体の完全人型機となって、インフィナイトを左右から挟んだ。
分離強制場が最大出力になる。
二世界の距離が、再び広がった。
インフィナイトの黄金胸部から、細い光が漏れる。
ユナの警告が届く。
『零相遮蔽に亀裂! 黄金座標漏出率、一パーセント!』
ヴァイスの肩装甲が剥がれた。
カインの額から血が落ちる。
「まだ隠せる!」
五十九秒。
青黒い機体は、アズールの戦闘記録で動く。
赤黒い機体は、フレアの戦闘記録を再現する。
レンが固定する場所を知っている。
アカリが加速する方向を知っている。
二人が元の役割へ戻れば、先に答えを置かれる。
アカリが、青い側の操縦環へ手を伸ばした。
二人の間には、薄い光の壁がある。
指は届かない。
それでも、青い円環がアカリの動きを認識した。
『レン。固定、借りるよ』
レンは赤い加速環へ手を向ける。
「なら、加速を借りる」
前の戦いで覚えた交差機能転送〈クロス・ギア・シフト〉。
三機が得意な力を互いへ渡し、予測された役割を外した連携。
今度は、一つの身体の中で行う。
アカリが青い円環を放った。
狙いは、赤黒い機体の足元。
アズールの記録だけを持つ青黒い機体は、その選択へ反応できない。
レンが赤い瞬間加速を起動する。
フレアの記録だけを持つ赤黒い機体は、レンの進路を読めない。
インフィナイトが青黒い機体の背後へ回る。
アカリの円環が、赤黒い機体を空中へ固定する。
二体を繋ぐ黒金の歯車が、限界まで伸びた。
四十九秒。
レンが歯車の内部を観測する。
黒金の回転の奥に、停止した都市の座標がある。
「中心に終界への扉がある」
『壊したら、扉も消える?』
「全部壊せば消える」
『じゃあ、壊さずに開ける』
「同じ考えだ」
二人は一瞬だけ、互いを見た。
初めて同時に出した答えが、敵を壊さないという選択だった。
四十二秒。
インフィナイトが二体の間へ両腕を入れる。
青い左手で、黒金の歯車の位置を固定する。
赤い右手で、その歯車を前へ回す。
分離するための力を、扉を開く回転へ変えていく。
ディバイダーの二体が、同時に抵抗した。
黒金の拳がインフィナイトの背中へ何度も突き刺さる。
三十五秒。
黄金胸部の亀裂が広がった。
漏出率、三パーセント。
終界の奥で、クアドラ本体が現在へ顔を向ける。
ミラが告げる。
「黄金座標を確認しました」
ニルは観測席で両目を開いた。
『まだ、あなたの座標ではありません』
第四の自由選択信号を、紫色の遮蔽へ重ねる。
白い光が黒金の観測線を横へ逸らした。
カインが叫ぶ。
「二十五秒!」
黒金の歯車の奥へ、終界の都市が現れる。
黒い空。
金色の高層塔。
止まったまま眠る人々。
現在を未来で上書きせず、人型機一機分だけを通す細い道。
終界航路〈ターミナル・ルート〉が開き始めた。
ユナが座標を記録する。
『航路幅、十二パーセント。まだ維持できません!』
二十秒。
ディバイダーの二体が、自らを扉の向こうへ戻そうとする。
このまま退けば、終界航路も一緒に閉じる。
アカリが赤い右拳を引いた。
『最後、行くよ』
レンが青い左掌へ円環を重ねる。
「衝撃を歯車の中心だけへ固定する」
十五秒。
インフィナイトの胸部で、黄金歯車が高速回転する。
青い光が左腕へ。
赤い光が右腕へ。
二つの光が、拳の前で一つになる。
ツイン・ギア・バースト。
位相を固定する青の力と、未来へ踏み込む赤の力を重ね、狙った一点だけへ双界の衝撃を送り込む。
十秒。
レンとアカリが、同時に叫んだ。
「ツイン・ギア――」
『バースト!』
青赤の衝撃が、ディバイダー中央の黒金歯車へ直撃する。
歯車そのものは壊さない。
二世界を引き離せという命令だけを砕く。
青黒い機体と赤黒い機体が、終界門から切り離された。
二体は光の粒となって消える。
残った黒金の歯車は、未来へ続く航路として回り続けた。
六秒。
航路幅、四十五パーセント。
四秒。
航路座標、固定。
二秒。
ニルが叫ぶ。
『フェイズ・ドッキング解除!』
一秒。
黄金の身体が、青と赤の光へ分かれる。
〇・七秒。
左側から、完全なアズールが再形成される。
右側から、完全なフレアが戻る。
〇・三秒。
ヴァイスが零相遮蔽を閉じた。
黄金座標の光が消える。
零秒。
クアドラの黒金の観測線が、誰もいない境界空間を貫いた。
九十秒。
一秒も越えなかった。
◇
アズールが蒼界側へ着地する。
フレアは紅界の大地へ降りた。
ヴァイスは二機の間に残り、回転する黒金の歯車を支えている。
三機は、再び別々の身体へ戻った。
だが、戦場には消えなかったものがある。
歯車の中央に、百二十七年後の都市が映っていた。
ユナが解析結果を読み上げる。
「終界航路、安定時間は十七分四十秒」
「通過可能幅は、人型機一機と小型艇一隻です」
カナメが尋ねる。
「再形成は」
「今回の記録があれば可能です」
「次は、終界側の出口を指定できます」
「潜入できるのか」
ユナは一度、停止した未来の都市を見た。
「可能です」
短い言葉だった。
それでも、二未来救出作戦〈デュアル・フューチャー〉に初めて現実の道が生まれた。
現在の蒼界と紅界を残し、終界で眠る一億八千四百万人も救う。
方法のなかった計画に、一本だけ通れる道ができた。
カナメは共同回線を開く。
戦闘中、人々が送った供給線を通じて、閉じていた通信も再接続されていた。
青い画面に赤い人々が映る。
赤い画面に青い人々が映った。
誰も、すぐには話さない。
信頼が完成したわけではない。
恐怖も疑いも残っている。
それでも、二つの世界は九十秒だけ同じ機体を支えた。
蒼界の少年が、残っていた青い栄養食を画面へ掲げる。
〇・三秒後。
紅界の少年が、丸い焼きパンを見せた。
『それ、本当に食べ物だったんだ』
「そっちこそ」
『交換できる?』
「たぶん」
二世界の広場に、小さな笑いが起きた。
以前と同じ会話だった。
けれど今度は、途中で画面が消えなかった。
アズールの操縦席で、レンは赤い通信窓を見る。
「九十秒、長かったな」
アカリが笑う。
『私は短かった』
「意見が合わない」
『今さらでしょ』
「操縦一致率は上がった」
『三十一パーセントで得意そうにしないで』
ニルが訂正する。
『最終値は三十二・〇パーセントです』
アカリが少し黙った。
『ニル。今は味方しなくていいところ』
『数値の訂正です』
カインが短く笑う。
二人の間には、終界航路が回っていた。
向こう側なら、青い通信窓も赤い通信窓もない。
同じ空気。
同じ地面。
そこへ行けば、レンとアカリは初めて本当に会える。
ニルが尋ねる。
『終界への潜入者を選定します』
カインは即答した。
「俺とニルは行く」
『私は、まだ返事をしていません』
「行かないのか」
『行きます』
「なら同じだ」
『順序が違います』
「結果は同じだ」
『過程も記録対象です』
ゲンゴが通信へ割り込む。
『出発の前に、壊した機体を直す過程も記録しておけ』
カインはヴァイスの剥がれた肩を見る。
「軽傷だ」
『機体に口があったら、お前を訴えてるぞ』
再び、小さな笑いが生まれた。
レンは終界航路の構造を見つめる。
「アズールとフレアは、単独では終界側の座標へ固定できない」
ユナが頷く。
「黄金座標を、通過中だけ維持する必要があります」
「つまり、インフィナイトで入るしかない」
アカリが、歯車の向こうの都市を見る。
『向こうへ着いてから分離したら』
「同じ座標に出る」
二人の声が止まった。
次に合体した時。
終界で分離した時。
光の壁も通信の遅れもない場所へ、二人は立つ。
アカリが小さく言った。
『やっと会えるね』
レンは胸元の記憶のペンダントを握る。
「まだ航路の再形成と帰還条件を確認する必要がある」
『そういうところ、変わらない』
「変える必要がない」
『会ってから決める』
終界接続まで、四十八時間五十五分三秒。
残された時間は、まだ減り続けている。
だが二つの世界の間には、未来へ向かう道が一本残った。
◇
終界のクアドラ内部。
帰還端末ミラは、九十秒分の記録を再生していた。
黄金座標の取得量。
〇・〇〇二パーセント。
現在へ完全接続するには足りない。
それでもミラは、失敗とは判定しなかった。
「終界航路、形成を確認」
クアドラが答える。
『現在側からの侵入確率、九十七・四パーセント』
「予定どおりです」
ミラは自分の右手を見た。
ニルと触れた時に記録した、三十六・四度の接触温度。
クアドラは不要情報として削除を求めている。
ミラは、まだ消していなかった。
青と赤の透明な棺の間で、黄金の歯車が回転している。
青い棺の内部で、人影が目を開いた。
声は届かない。
唇だけが動く。
アカリ。
赤い棺の人影も、少し遅れて目を開く。
その唇が、別の名前を作った。
レン。
二人のさらに奥。
紫色の棺で、第三の人影が指を動かす。
ミラは三つの棺へ告げた。
「過去のあなたたちが来ます」
「あなたたちが、この終界へ残した答えを知るために」
黒い空へ、青と赤の光が同時に灯る。
九十秒だけ生まれたインフィナイトの光は、百二十七年後まで届いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は、アズールとフレアが初めて双界機神インフィナイトへ合体する回でした。
二人の操縦は最後まで完全には一致していません。それでも、違いを消すのではなく、次の一歩を互いへ預けることで一つの機体を動かしています。
レンとアカリの初合体、カインとニルのやり取り、二世界の少年たちの会話など、印象に残った場面や台詞があれば、感想や「ここすき」で教えていただけるとうれしいです。
次回、第10話「同じ世界で、君に会う」。
終界へ渡った先で、レンとアカリは初めて同じ地面に立ちます。
あなたなら、九十秒だけ誰かへ未来を預けるとしたら、何を信じますか。
第1期は完結まで執筆済みです。毎日21時に更新予定です。