そこで二人は、七年越しに初めて同じ地面へ立つ。
だが、会いに行った先で待っていたのは、世界を止めた未来の自分たちだった。
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第10話「同じ世界で、君に会う」、始まります。
「会いたいという願いは、世界を救う計算には入らない。
だからこそ時々、計算された未来の外へ人を連れていく」
◇
終界接続まで、三十七時間十二分四十四秒。
境界航行母艦ノア・ギアの格納庫で、黒金の歯車がゆっくりと回っていた。
歯車の向こうに映るのは、百二十七年後の金色都市。
輸送車は空中で停止し、交差点の人々はまばたきさえしない。
新しい選択が生まれなくなった未来、終界〈しゅうかい〉。
一億八千四百万人が、都市ほど巨大な第四観測機クアドラに生命を保たれながら、同じ一瞬へ固定されている。
その終界へ続く細い位相通路が、終界航路〈ターミナル・ルート〉だった。
航路を通せるのは、人型機一機と小型艇一隻だけ。
安定時間は十七分四十秒。
だが、双界機神インフィナイトの黄金座標をクアドラから隠せるのは、わずか九十秒。
時間を越えれば、潜入路はクアドラが現在へ戻るための道へ変わる。
白瀬ユナが、航路の断面図を閉じた。
「帰還航路は、到着後に現在側から再形成します。ただし同じ侵入経路が二度通用する保証はありません」
御堂カナメ艦長が潜入班を見渡す。
「目的は三つ。終界住民の移送方法を見つける。クアドラの現在接続を止める。そして、青、赤、紫の生命反応を確認する」
青と赤の反応は、終界の透明な棺にいる。
紫だけは、正体も場所も不明だった。
境界艇ノア・スキフの後部席で、人型端末ニルが点検項目を読み上げる。
白い小型艇は、細い航路へ観測装置と二人の乗員を運ぶために造られた。
操縦席にはカイン・ヴァイス。
その代わり、彼の黒銀機ヴァイスは航路入口へ係留され、零相遮蔽〈ゼロ・ヴェール〉を維持する役目に回る。
紫色の膜で、インフィナイトの黄金座標だけを九十秒間、観測から消すのだ。
真壁ゲンゴがノア・スキフの外装を工具で叩いた。
「自力修正は二回までだ。三回目に曲がったら、未来じゃなく壁の中へ着く」
カインが操縦席から答える。
「曲がらなければいい」
「お前は毎回、修理する人間の気持ちを置いていくな」
「帰ってから聞く」
「帰ってきたら、まず請求書を聞け」
拘束環をつけたアウレル・ゼロが、ヴァイスの遠隔操作卓へ立つ。
クアドラ建造の基礎となった理論を作った男だ。
「係留後は、私が零座標核の出力を監視する」
カインの目が細くなる。
「お前にヴァイスを預けろと?」
「操縦権はいらない。暴走する前に境界炉を切るだけだ」
「判断を誤れば、航路の中にいる全員が消える」
「だから私が残る」
アウレルは歯車の向こうを見た。
「クアドラは私の失敗から生まれた。せめて、入口を閉じる責任は負わせてくれ」
しばらくして、カインはヴァイスの遠隔鍵を卓上へ置いた。
「九十秒だ」
「分かっている」
「八十九秒で迷ったら切れ」
「お前なら、八十八秒で切れと言うと思った」
「ニルが乗っている」
アウレルは黙り、遠隔鍵を握った。
その横で、青銀のアズールと赤金のフレアが起動する。
赤い通信窓にアカリの顔が映った。
『レン』
「何だ」
『会ったら、最初に何て言うつもり?』
レンの指が、青い操縦環の上で止まる。
「外気組成を確認してから決める」
『七年ぶん考えて、それ?』
「七年間、同じ空気にいたことがない」
『理屈として正しいのが、いちばん困る』
別回線からニルが告げる。
『質問後、レンの心拍数が毎分十七上昇しました』
「ニル」
『はい』
「その項目は点検に必要か」
『潜入班の健康管理には必要です』
『私のは?』
アカリが聞く。
『毎分二十三上昇しています』
『聞かなきゃよかった!』
ゲンゴが二機を見上げる。
「初対面で機体を壊すなよ。修理理由に緊張は認めん」
『壊す前提なの?』
「お前たちは毎回、理由だけが違う」
一瞬だけ、格納庫に笑いが生まれた。
カナメの声が、それを静かに引き締める。
『潜入班。中止を選ぶなら今だ』
レンは歯車の向こうを見る。
アカリも同じ未来を見ている。
二人の答えは、完全には重ならなかった。
「行く」
一拍遅れて、アカリが笑う。
『私も』
「遅い」
『レンが早いの』
同じ答えへ、違う速さで辿り着く。
今の二人には、それで十分だった。
◇
終界接続まで、三十七時間七分二十秒。
ヴァイスの紫色核が回り、零相遮蔽が航路を包む。
アズールとフレアが、黒金の歯車の前で向かい合った。
「フェイズ・ドッキング」
『今度は、会いに行くために!』
青銀と赤金の二機が光へほどける。
青い機能が左側へ。
赤い機能が右側へ。
二つの胸部核が重なり、黄金の歯車となる。
二本の腕。
二本の脚。
額に伸びる黄金の角。
双界機神インフィナイトが、一体の完全人型機として立ち上がった。
操縦席では、薄い光の壁を挟んでレンが左、アカリが右にいる。
今はまだ、手を伸ばしても触れられない。
ニルの声と同時に、黄金の数字が現れた。
『零相遮蔽、安定。九十秒を開始します』
インフィナイトが終界航路へ踏み込む。
ノア・スキフも、その背中を追った。
◇
八十一秒。
航路の中に、上下はなかった。
右には、まだ建っていない蒼界の塔。
左には、すでに崩れた紅界の橋。
前方には終界の都市。
後方には現在のノア・ギア。
過去と未来が、薄い板のように何層も重なっている。
インフィナイトの右脚が未来へ引かれ、左腕が現在へ残ろうとする。
アカリが加速を入れる。
レンは青い円環で、機体の中心だけを航路へ固定した。
黒金の表示が三つ開く。
蒼界を残す。
紅界を残す。
終界を残す。
どれか一つを選べば、航路は安定する。
二つを捨てれば、最短で進める。
七十四秒。
『どれにも入らない!』
「右へ三度」
『右は紅界の出口!』
「出口じゃない。三つの壁が同じ周期で揺れる位置だ」
アカリは一瞬だけ光を見る。
それから、レンの計算へ機体を預けた。
インフィナイトが右へ三度回転する。
三つの出口が重なり、一つの白い裂け目になった。
四十八秒。
背後でノア・スキフが黒金の流れに巻かれる。
『先へ行け!』
カインの声が飛ぶ。
レンは前を見たまま言った。
「アカリ。右腕を貸せ」
『何をするの』
「先へ進みながら、後ろを掴む」
『欲張り』
「今さらだ」
アカリが笑い、右腕の加速制御を渡す。
レンは右腕だけを後方へ瞬間加速させた。
赤い掌がノア・スキフの船首を掴む。
同時に、アカリが左脚へ青い固定円環を展開した。
二人の役割が、一つの身体の中で交差する。
二十四秒。
金色の都市が、映像から物質へ変わる。
足裏へ重力が戻った。
「着地と同時に分離する」
『同じ場所に出られる?』
「座標誤差、八メートル」
『七年より近い』
十二秒。
インフィナイトが終界の地面へ両脚をつく。
金色の舗装が沈む。
八秒。
『フェイズ・ドッキング解除!』
黄金の胸部が、青と赤へ分かれる。
アズールとフレアが、それぞれ二本の腕と二本の脚を持つ完全な機体として再形成された。
二機は八メートル離れた同じ地面へ着地する。
四秒。
航路の向こうで、ヴァイスが紫色の膜を閉じる。
一秒。
黄金座標が消えた。
零秒。
本来なら、航路はあと十六分以上残るはずだった。
だが未来側から伸びた巨大な黒金の指が、出口の歯車を掴む。
強引に回転を止めた。
帰還路が閉じる。
現在の光は、一本も残らなかった。
◇
最初に聞こえたのは、二機の冷却音だった。
ノア・ギアの通信はない。
蒼界の風も、紅界の熱もない。
止まった都市の薄い空気だけがある。
アズールの青い装甲に、フレアの赤い光が映っていた。
赤い装甲にも、青い輪郭が映っている。
二機の間に、境界線はない。
レンは外気を確認した。
酸素濃度、正常範囲。
有害粒子、検出なし。
重力差、〇・二パーセント。
結局、最初にすることは計算になった。
レンがアズールの胸部ハッチを開く。
向かい側で、フレアのハッチも開いた。
二機は同時に片膝をつき、それぞれの掌を地面へ下ろす。
レンが青い掌から降りる。
アカリが赤い掌から降りた。
距離、八メートル。
アカリが先に歩き始める。
七メートル。
レンも進む。
六メートル。
通信窓より、アカリは少し小さく見えた。
映像よりも、表情を隠すのが下手だった。
強がる時だけ、右の眉が少し上がる。
五メートル。
アカリは、レンが思っていたよりゆっくり歩くことに気づいた。
急げば、この瞬間が早く終わってしまうと考えているように見えた。
四メートル。
二人の足音が、同じ地面から返ってくる。
三メートル。
通信の遅れはない。
二メートル。
光の壁もない。
一メートル。
二人は止まった。
アカリが言う。
「レン」
機械音へ変換されていない声だった。
七年間、何度も聞いた声と同じなのに、少しだけ違う。
息が混ざっている。
同じ空気を通って、直接届く。
レンは答えた。
「聞こえてる」
アカリの目が細くなる。
「知ってる。今は、確かめたかっただけ」
「何を」
「本当に、そこにいるか」
アカリが右手を差し出す。
レンはその手を見た。
「そこ、考えるところ?」
「確認してる」
「何を?」
「夢じゃないか」
今度はアカリが黙った。
それから、小さく笑う。
「同じこと考えてた」
レンも右手を伸ばす。
二人の指先が触れた。
位相差はない。
感覚が遅れて届くこともない。
アカリの手は温かい。
レンの手は、アカリが想像していたより強く握り返した。
胸元の青と赤のペンダントが、同時に光る。
黄金ではない。
白に近い、ごく小さな光だった。
「やっと会えたね」
「遅くなった」
「七年」
「長かったな」
「うん」
今度だけは、二人の答えが同時に重なった。
背後でノア・スキフの観測装置が反応する。
未登録波形。
同界接触信号。
異なる世界で選択を重ねてきた二人が、同じ座標で直接触れたことで生まれた、白い位相信号だった。
だが、その時の二人は計器を見ていない。
「直接接触を確認しました」
ニルの声に、二人は同時に手を離した。
金色の道路へ着陸したノア・スキフから、ニルとカインが降りてくる。
アカリが振り返った。
「いつから見てたの?」
『八メートル地点からです』
「最初からじゃない!」
『観測は必要でした』
カインが補足する。
「俺は途中で目を逸らした」
『二・一秒です』
「ニル。今は正確さがいらない場面だ」
『難しい要求です』
カインはレンを見る。
「顔が赤いぞ」
「終界の照明だ」
「青い方まで赤くする照明か」
「調査を始める」
レンは先に歩いた。
アカリがその背中を見て、声を抑えて笑う。
ほんの一瞬だけ、ここが止まった未来であることを忘れられた。
◇
道路の向こうには、止まった人々がいた。
転びかけた子供へ、母親が手を伸ばしている。
その指は、あと数センチで子供の背中へ届く。
店先では、落ちた果実が地面へ届かず浮いていた。
窓辺の鳥は、翼を広げたまま動かない。
全員が生きている。
全員が、次の瞬間へ進めない。
アカリが子供の前へしゃがむ。
「起こせる?」
ニルが黒金の薄膜を読み取った。
『一人だけ解除すれば、生命維持の供給が切れます』
「全員を同時に、別の時間へ移すしかない」
レンが都市の中心を見る。
空を塞ぐほど巨大なクアドラ。
人々を止める檻であり、命を保つ唯一の装置でもある。
アカリは、届かない母親の指を見た。
「待ってて」
聞こえるはずはない。
それでも告げる。
「ちゃんと、次の一秒を持ってくるから」
その時、大通りの先に白髪の少女が現れた。
黒い右目。
金色の左目。
帰還端末ミラ。
ニルの記憶構造を原型に、終界で造られた少女型端末だ。
「終界への到着を確認しました」
カインが前へ出る。
「歓迎にしては、迎えが遅い」
「歓迎していません」
「なら、追い返すか」
「帰還航路は閉じました。あなたたちは、もう現在へ戻れません」
レンが空になった座標を確認する。
「次の形成まで八時間」
ミラは首を横へ振った。
「次の航路は形成されません。クアドラが入口座標を学習しました」
「俺たちを閉じ込めるために、航路を作らせたのか」
「はい」
ミラは迷わず答えた。
だがニルは、返事より〇・二秒遅れて収縮した金色の左目を見ていた。
ミラの中で、二つの判断が一致していない。
『あなたが、私たちを呼んだのですか』
「私だけではありません」
ミラがクアドラの胸部を指す。
青い扉と赤い扉が、同時に開いた。
「待っている二人がいます」
「答えは、その内側にあります」
◇
四人はノア・スキフへ戻った。
ノア・スキフが、クアドラの胸部へ入る。
アズールとフレアも、無人追従で青と赤の扉を進んだ。
内部には、未来のノア・ギアの名残がある。
格納庫の床。
艦橋へ続いていた昇降路。
整備用の足場。
すべてが巨大機の臓器へ作り替えられ、黒金の固定膜に覆われていた。
四人は小型艇を降り、ミラの白い光を追って中枢通路を進む。
壁面には、百二十七年間の記録が流れている。
蒼界と紅界が、初めて物資を交換した日。
二つの世界を越える学校ができた日。
青と赤の人々が、同じ広場で祭りを開いた日。
映像の一つで、少し年を重ねたレンが赤い煮込み料理を口へ運んでいた。
隣のアカリが尋ねる。
『辛い?』
未来のレンは、しばらく無言で水を飲んだ。
『許容範囲だ』
現在のアカリがレンを見る。
「未来でも素直じゃない」
「この記録は判断材料にならない」
ニルが答える。
『保存しました』
「なぜだ」
『現在との差分を比較するためです』
「削除しろ」
『拒否します』
アカリの笑いが、黒金の通路へ小さく響いた。
次の記録で、同じ食堂の机に配給量を巡る境界線が引かれる。
その次には、青い輸送船が撃墜されていた。
祭りの広場へ、赤い砲火が落ちる。
一つになった世界が、もう一度二つの旗へ分かれていく。
アカリの笑いは消えた。
「私たちが会っても、こうなるの?」
「これは一つの未来だ」
レンが答える。
「決まった結果じゃない」
「でも、この人たちには起きた」
「だから、見なかったことにはしない」
二人の後ろで、カインが紫色の生命反応を追う。
クアドラの中枢へ近づくほど、その反応だけが弱くなっていた。
「隠されている」
『クアドラからですか』
ニルが問う。
「それとも、ミラからか」
先行するミラは答えなかった。
◇
クアドラ胸部中枢。
青い透明棺と、赤い透明棺が向かい合っている。
二つの間には、インフィナイトと同じ黄金歯車が回っていた。
青い棺には、一人の男が眠っている。
今のレンより背が高く、青みを帯びた黒髪には白いものが混じっていた。
赤い棺には、一人の女がいる。
長い赤褐色の髪。
握られた右手には、古い赤のペンダント。
二人の胸は、ごくゆっくり上下していた。
時間が止まっているのではない。
一秒を、何日もかけて生きている。
ミラが黄金歯車の前へ立つ。
「選択保存体、覚醒」
未来を選ぶ基準として、自らの肉体と記憶をクアドラへ固定した二人。
青い棺の液体が下がる。
男の目が開いた。
レンと同じ青灰色の瞳が、最初に見たのは現在のレンではない。
アカリだった。
「アカリ」
低く、疲れた声だった。
赤い棺も開く。
女が息を吸う。
その瞳は、現在のレンを見つける。
「レン」
現在の二人は、言葉を失った。
顔も、声も、過ごした時間も違う。
それでも分かる。
自分たちが、この先を生きた一つの可能性だ。
未来のレンが、現在の自分を見る。
「遅かったな」
「百二十七年待たせた覚えはない」
男の口元が、わずかに動いた。
笑おうとした名残だった。
未来のアカリは、現在のアカリを見る。
「会えたんだね」
「うん」
「同じ世界で」
「うん」
「最初に、何て言ったの?」
アカリがレンを横目で見る。
「『聞こえてる』って」
未来のアカリは、ほんの少し笑った。
「やっぱり」
「何がだ」
現在と未来、二人のレンが同時に聞いた。
二人のアカリが、今度は同時に笑う。
百二十七年を隔てた中枢に、四人だけが知る可笑しさが生まれた。
けれど未来のアカリの笑顔は、すぐに痛みへ戻る。
「よかった」
その一言だけは、長い年月に疲れていなかった。
◇
ミラが終界の記録を開いた。
未来のレンとアカリは、現在の二人と同じ人間ではない。
今の二人が必ず辿り着く結末でもない。
終界へ繋がった可能性の中で、二人は恒久的な境界航路を開いた。
蒼界と紅界の人々は同じ土地へ移り、技術と物資を分け合った。
飢えは減った。
崩壊も止まった。
子供たちは、相手の世界を映像ではなく隣町として知った。
二人は、望んだ未来を一度は作った。
だが人口が増え、境界炉は衰えた。
限られた生命維持をどこへ優先するかで、二つの正しさが衝突した。
青い側は、より多くを残す配分を求めた。
赤い側は、今もっとも苦しむ地域を先に救おうとした。
互いを守るために作った機体が、互いへ向けられた。
第二次双界戦争。
未来のレンが告げる。
「最初の九日で、八百三十万人が死んだ」
未来のアカリが続ける。
「何度も話した。何度も、インフィナイトで戦場の間に立った」
「でも、私たちの声が届く範囲より、憎しみが広がる方が早かった」
映像の中で、青と赤の都市が同時に燃える。
二人は最後に、未来のノア・ギアをクアドラへ改造した。
レンの観測能力と、アカリの前進力。
二人の選択傾向を判断核へ接続し、最も多くの人が生き残る一瞬を選んだ。
それが終界だった。
未来のレンが言う。
「俺たちは、世界を止めた」
未来のアカリが言う。
「殺し合いを続けるよりはいいと、選んだ」
現在のアカリは、道路で止まっていた母子を思い出す。
「その人たちに聞いたの?」
未来のアカリの指が震える。
「聞く時間がなかった」
「だから、時間を奪ったの?」
「生きていてほしかった」
同じ声が、反対の答えを出す。
レンが黄金歯車を見る。
「クアドラは未来を何通り観測した」
ミラが答える。
「四兆八千億を超えます」
「観測に使ったのは」
「現在までに記録された、人間の選択です」
「記録にない選択は」
「予測誤差として排除します」
「なら、それは全部じゃない」
未来のレンが冷たく返す。
「若い俺なら、そう言う」
「違う」
「何が」
「今の俺は、一人で考えていない」
レンは隣のアカリを見る。
通信窓ではない。
光の壁もない。
同じ場所から、違う考えを持つ相手を見る。
「答えが違うまま、相手に続きを預けることを覚えた」
未来のレンの表情が、初めて揺れる。
現在のアカリが一歩進んだ。
「失敗した未来が本当にあるなら、見なかったことにはしない」
「でも、その失敗を理由に、今の人たちの明日まで決めないで」
未来のアカリは目を伏せる。
「あなたは、まだ八百三十万人の名前を知らない」
「知らない」
アカリは認めた。
「だから会いに行く」
「止まってる一億八千四百万人にも」
「これから生まれる人にも」
「選んでいいって言いに行く」
未来のアカリの頬を、一筋の涙が伝った。
時間固定された身体で、その一滴だけが普通の速さで落ちた。
◇
警告音が鳴った。
ノア・スキフの観測装置に、白い波形が広がる。
先ほど二人が手を触れた時に生まれた、同界接触信号。
『未登録選択を検出』
『固定未来との不一致、〇・〇〇〇〇三パーセント』
未来を完全に固定した機械にとって、零ではない誤差は存在してはならない。
未来のレンが計器を見る。
「そんな信号は、俺たちの記録にない」
現在のレンが問う。
「この未来では、どこで初めて会った」
未来のアカリが答える。
「蒼界と紅界を繋いだ最初の恒久門。戦闘の最中だった」
「初めて触れたのは?」
「崩れた機体から、レンが私を引き上げた時」
助けるための接触。
失わないための接触。
この終界には、同じ場所に立てたことを確かめるためだけの接触がない。
アカリが白い波形を見る。
「私たちは、世界を救うためだけに来たんじゃない」
レンが続ける。
「会いたいと思って来た」
「その選択を、クアドラは記録していない」
役に立つか分からない願い。
最短ではない回り道。
完全な計算が切り捨てたものが、初めて未来の外側へ線を引いていた。
「これが、クアドラの見ていない入口だ」
ミラの金色の左目が激しく揺れる。
「不可能です」
ニルがミラを見る。
『不可能と判断したのは、あなたですか』
「クアドラです」
『同じではありません』
「私はクアドラの帰還端末です」
『それでも、あなたは私ではないと言いました』
ミラは答えられない。
ニルが一歩近づく。
『なら、クアドラとも別です』
黒い右目が命令を映す。
金色の左目が、止まった人々を映す。
二つの判断の間で、ミラの白い手が震えた。
◇
その時、カインの計器に紫色の線が現れた。
青と赤の棺の下。
黄金歯車より、さらに深い場所。
「見つけた」
カインが位相探針を床へ突き立てる。
黒金の固定膜に、細い紫色の亀裂が走った。
ミラが振り向く。
「そこへ触れてはいけません」
「やはり知っていたか」
「その記録は、クアドラが破棄しました」
「破棄した記録が、返事をしている」
亀裂の奥から古い通信音が鳴った。
砂嵐。
呼吸。
そして、カイン自身とよく似た声。
『遅い』
カインの顔が止まる。
『七年前から変わらないな、俺は』
「お前は誰だ」
『その質問をする時点で、分かっているだろう』
紫色の光が、人の輪郭を作る。
片方の肩が欠けた古いヴァイス。
その胸部に、一人の男の意識反応が眠っている。
帰路人格カイン。
未来のカインが、自分の記憶と判断を零座標へ残して作った人格記録だった。
「三つ目の生命反応は、これか」
『生命かどうかは、ニルに聞け』
ニルが紫色の輪郭へ近づく。
『選択反応があります。では、生命です』
『判定が甘いな』
『カインに教わりました』
現在と未来のカインが、同時に黙った。
アカリが小さく言う。
「本当に同じ人なんだ」
二人のカインが同時に答える。
「違う」
『違う』
今度はニルが、ごく小さく笑った。
未来のカインの声が低くなる。
『時間がない。クアドラの境界炉は、残り三十六時間もたない』
『現在を器にしなければ、終界の人々は死ぬ』
「別の出口があるんだな」
『終界の街区を、時間固定層ごと零座標へ一時退避させる』
『その間に現在側で、新しい時間座標を作る』
レンが問う。
「必要出力は」
『クアドラ全出力の八十七パーセント』
「残る生命維持は」
『十三パーセント。猶予は二十二分』
一億八千四百万人を移すための二十二分。
失敗すれば、全員の時間が同時に尽きる。
未来のカインが続ける。
『避難路を開く鍵は二つ』
『インフィナイトの黄金座標と、クアドラの予測にない選択だ』
白い同界接触信号が、紫色の亀裂へ流れ込む。
必要なものは、すでに終界へ届いていた。
◇
クアドラ全体が震えた。
未来のカインが隠していた記録を、中枢が発見する。
『未承認避難計画を検出』
『終界生存率、算出不能』
『固定未来を優先』
青と赤の棺が閉じ始めた。
未来のレンが現在の自分を見る。
「その計画は実行させない」
「なぜだ」
「二十二分に、一億八千四百万人を賭けられない」
未来のアカリも、涙を拭わず現在のアカリを見る。
「私たちは、もう一度失敗する勇気を持てなかった」
「なら、その勇気は私が持つ」
「あなたは私よ」
「違う」
アカリはレンの隣へ立つ。
「私は、まだ選べる私」
レンも未来の自分を見返した。
「俺たちは、お前たちのやり直しじゃない」
「別の未来だ」
黄金歯車が高速回転を始める。
青い棺がクアドラ左胸部へ接続される。
赤い棺が右胸部へ接続される。
二人の選択保存体が、巨大機の判断核へ戻っていく。
クアドラの背後で、四つの黒金歯車が開いた。
都市全体の時間固定層が強まり、止まった人々の輪郭が金色へ変わる。
現在への上書き準備が再開された。
ミラが頭を押さえる。
「侵入者を拘束します」
言葉とは反対に、その右手が青と赤の通路を開いた。
アズールとフレアへ戻る最短経路。
ニルが震える手を見る。
『今、あなたが選びました』
ミラは苦しそうに答える。
「早く、行ってください」
四人は走った。
背後から黒金の固定膜が迫る。
カインとニルはノア・スキフへ飛び込む。
レンとアカリは、青と赤の通路へ分かれた。
今度は、離れることを恐れない。
その先でまた選べると知っているからだ。
アズールの胸部がレンを迎える。
フレアの操縦席へアカリが滑り込む。
二機が同時に起動した。
青い円環が固定膜を止める。
赤い拳が出口を打ち抜く。
アズール、フレア、ノア・スキフがクアドラの胸部から飛び出した。
金色の地面が遠ざかる。
いや、違う。
都市ほど巨大なクアドラ本体が、立ち上がっている。
黒金の頭部が空を割る。
左の眼に青い光。
右の眼に赤い光。
胸部中央には黄金歯車。
未来のレンとアカリの声が、巨大機から重なる。
『現在の二人へ告げる』
『終界を救うため、黄金座標を回収する』
アカリがフレアをクアドラの右前方へ置く。
レンはアズールで左へ並ぶ。
二機は同じ世界、同じ空、同じ戦場に立った。
通信窓を開かなくても、互いの機体が目の前にいる。
計器へ警告が表示された。
フェイズ・ドッキング危険。
終界内部で合体すれば、クアドラが黄金座標へ直接接続する。
インフィナイトは使えない。
カインのノア・スキフが二機の間へ入る。
『未来の俺。クアドラを止める方法を話せ』
紫色の雑音が返る。
『クアドラには、心臓が二つある』
『青と赤か』
『違う』
『一つは、未来を固定する心臓』
『もう一つは――』
通信が途切れた。
クアドラの巨大な掌が、終界の空を覆う。
アズールとフレアへ向け、時間を止める黒金の光が集まった。
レンが青い操縦環を握る。
「アカリ」
赤い機体が、すぐ隣で拳を構える。
『聞こえてる』
レンはフレアを見る。
「今度は、声だけじゃない」
『うん。見えてる』
二機が、同時に左右へ飛んだ。
同じ世界で出会った最初の日。
二人は、百二十七年後の自分たちと戦うことを選んだ。
終界接続まで、三十六時間十八分二秒。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、レンとアカリが七年越しに初めて同じ地面へ立ち、百二十七年後の自分たちと対面する回でした。
二人が「世界を救うため」だけでなく「ただ会いたいから」手を伸ばしたことが、クアドラにも存在しない選択を生んでいます。
初対面の一言、止まった母子との約束、現在と未来の四人の会話、二人のカインとニルのやり取りなど、印象に残った場面や台詞があれば、感想や「ここすき」で教えていただけるとうれしいです。
次回、第11話「二つ目の心臓」。
インフィナイトを使えない終界で、アズールとフレアは未来の自分たちが動かすクアドラへ挑みます。
あなたなら、自分が失敗した未来を見せられた時、それでも別の答えを選べますか。
第1期は完結まで執筆済みです。毎日21時に更新予定です。