旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ   作:シラヌイ321

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インフィナイトは使えない。巨大なクアドラは壊せない。

敵の内側では、一億八千四百万人の時間を支える心臓が止まりかけていた。

勝つためではなく、全員で帰るための最終決戦前編。

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改訂版 第11話 二つ目の心臓

第三篇「第四観測者篇」

第11話 二つ目の心臓

 

 

 

「世界を止めたのは、冷たい心ではない。

 

もう誰も失いたくないと願いすぎた、優しい心だった。

 

だから、それを動かせるのもまた、誰かを諦めない心だけだ」

 

◇

 

終界接続まで 三十六時間十八分二秒

 

 百二十七年後の空を、黒金の光が埋めた。

 

 都市ほど巨大なクアドラが、右の掌を開いている。

 

 その左眼には青。

 

 右眼には赤。

 

 胸部の黄金歯車には、未来のレンとアカリが判断核として繋がれていた。

 

 黒金の光には熱がない。

 

 装甲を焼く力もない。

 

 触れたものから、次の行動だけを奪う。

 

『終端固定光(ターミナル・ロック)。迎撃ではなく回避を推奨します』

 

 青銀のアズールが、青い円環を展開する。

 

 操縦席で、蒼羽レン(あおば・れん)は光の密度を読んだ。

 

「回避経路がない」

 

『現時点では、ありません』

 

「三秒後は」

 

『中央部に〇・八秒の空白が発生します』

 

 赤金のフレアが、アズールの右を駆ける。

 

『〇・八秒では足りません』

 

 緋月アカリ(ひづき・あかり)は、赤い操縦環を前へ倒した。

 

「足りないなら、速くする!」

 

『操縦者らしい回答です。推進器への負担は回答になっていません』

 

「帰ってから聞く!」

 

 フレアの背部から、赤い光が爆ぜる。

 

 だが、未来のレンの声が空から降った。

 

『三秒後、二機は中央を通過する』

 

『フレアが先行。アズールが後方を固定する』

 

 クアドラの人差し指が動く。

 

 三秒後に生まれるはずだった空白が、先に閉じていった。

 

『予測行動を破棄してください』

 

 二機のAIが、ほとんど同時に告げる。

 

 レンは青い操縦環を引いた。

 

「アカリ、止まれ」

 

「この速度で?」

 

「今」

 

「先に理由!」

 

 叫びながらも、アカリは全推進を切った。

 

 フレアの身体が、慣性だけで黒金の光へ滑る。

 

 アズールが青い円環を、フレアの腰へ重ねた。

 

「アイオン・ロック」

 

 赤い機体の位置だけが、空中へ固定される。

 

 直後、クアドラの巨大な掌が横へ振られた。

 

 固定されていない空間が、光の格子ごと押し流される。

 

 その場に残されたフレアの上下を、黒金の光が通り過ぎた。

 

 アズールは掌の外側へ弾き飛ばされる。

 

 レンは回転する機体を立て直し、フレアの固定を解除した。

 

「今のが理由だ」

 

「説明が結果より遅い!」

 

「説明したら、未来の俺にも聞かれる」

 

「それは分かるけど、一言くらい足して!」

 

『今後の指示候補に「信じてくれ」を追加します』

 

 アズールの機体AIが、淡々と提案した。

 

『フレア判断系は、採用を支持します』

 

「二機とも、今は戦闘に集中して」

 

 アカリの声には、怒りより笑いが混じっている。

 

 その小さな違いを、クアドラは予測できなかった。

 

『固定未来との不一致、〇・〇〇二パーセント』

 

 未来のレンが沈黙する。

 

 未来の記録では、二人は戦場で初めて出会った。

 

 互いに触れたのも、崩れた機体から救い出すためだった。

 

 けれど現在の二人は、ただ会いたいと願って同じ地面へ立った。

 

 あの時に生まれた白い信号が、二機の間で細く脈打っている。

 

「予測は外せる」

 

 レンが言う。

 

「少しだけね」

 

「少しでいい」

 

「うん。少しを増やそう」

 

 二機が、同じ空で背中を合わせた。

 

 声の遅れはない。

 

 位相の壁もない。

 

 同じ重力の中で、初めて並んで戦っている。

 

◇

 

 倒れた金色の塔の陰を、白い小型艇が低く飛ぶ。

 

 カイン・ヴァイスが、紫色の通信線を開いた。

 

「未来の俺。聞こえるか」

 

 返るのは砂嵐だけだ。

 

 通信が切れる直前、彼は一つの言葉を残していた。

 

 クアドラには、心臓が二つある。

 

 一つは、未来を固定する心臓。

 

 もう一つは。

 

「同じところで言葉を切る癖まで似なくていい」

 

 カインが出力を上げる。

 

 計器の端から火花が散った。

 

 ニルが、紫色の線へ白い指を重ねる。

 

『選択反応を確認。弱いですが、消えていません』

 

「なら、返事をさせる」

 

『方法は』

 

「近づく」

 

『詳細が不足しています』

 

「俺にも不足している」

 

 ノア・スキフが、塔の陰から飛び出した。

 

 クアドラの胸部へ向け、一気に上昇する。

 

 巨大な左眼が、小型艇を捉えた。

 

『小型艇を停止させる』

 

 未来のレンの宣告と同時に、黒金の光が降る。

 

 アズールがクアドラの視界へ飛び込んだ。

 

「見ているのは、こっちだ」

 

 青い円環が巨大な左眼を覆う。

 

 反対側では、フレアが右眼へ赤い蹴りを叩き込んだ。

 

「今のうち!」

 

 ノア・スキフが、二つの眼の間を抜ける。

 

 胸部の黄金歯車へ近づいた瞬間、紫色の通信が戻った。

 

『遅い』

 

 現在のカインと同じ声。

 

 ただし、長い時間を越えた疲れが混じっている。

 

「百二十七年待った相手への挨拶が、それか」

 

『お前なら同じことを言う』

 

「言わない」

 

『今、言った』

 

『一致率、九十九・八パーセントです』

 

 ニルが二人の声紋を比較した。

 

「残り〇・二が重要だ」

 

『そこまで同じことを言うとは思わなかった』

 

 未来のカインが、ほんの少し笑う。

 

 笑いはすぐ、低い声へ戻った。

 

『時間がない。二つ目の心臓を見せる』

 

 紫色の立体図が開く。

 

 クアドラの胸部には、上下二つの動力核があった。

 

第一心炉 終端心炉(ターミナル・ハート)

 

『未来のレンとアカリの承認記録を基準に、最も多くの人間が生き残る一瞬へ世界を固定する』

 

第二心炉 ノア心炉(ノア・ハート)

 

『クアドラへ改造される前のノア・ギアから残った心臓だ』

 

『乗せた全員を、生きた時間へ帰す。その最初の目的だけを、まだ捨てていない』

 

『なぜ、クアドラは破壊しなかったのですか』

 

 ニルが白い球体を見つめる。

 

『できなかった』

 

『一億八千四百万人の生命維持網は、ノア心炉から伸びている』

 

『切れば、守る対象が全員死ぬ』

 

 未来を止めた機械は、未来を生かす船の心臓を壊せなかった。

 

 だから黒い装甲で封じ、声だけを奪った。

 

「起こす方法は」

 

『三段階だ』

 

第一。四連観測環を、〇・三秒以内の差で止める。破壊はするな。

 

第二。現在のノア・ギアから帰還呼号を送り、ニルとミラが両側から心炉を起こす。

 

第三。未来のレンとアカリに、自分の承認環を外してもらう。

 

「力ずくでは」

 

『外れない』

 

『あの二人が、もう一度失うかもしれない未来を、自分で選ばなければならない』

 

 カインは、空で戦うアズールとフレアを見た。

 

 二機で四枚。

 

 しかも未来の二人が、その動きを先に知っている。

 

「無茶を言う」

 

『俺たちの仕事だ』

 

 現在のカインは、口元だけで笑った。

 

「それは認める」

 

◇

 

『作戦情報を受信しました』

 

 四連観測環は、青、赤、零、終界の四方向を同時に観測する巨大な歯車だ。

 

 一枚でも回っていれば、ノア心炉が選ぶ帰還路をクアドラが先に塞ぐ。

 

 破壊すれば、時間固定された人々への生命維持線が切れる。

 

 回転だけを、〇・三秒以内に止めなければならない。

 

『アズール単独で同時固定できるのは、三枚です』

 

『フレア単独で逆回転させられるのは、二枚です』

 

「足せば五枚」

 

 アカリが言う。

 

「同じ場所にいないから、単純には足せない」

 

「また先に難しい方を言う」

 

「でも、できないとは言ってない」

 

『二機の機能交換を提案します』

 

 アズールがフレアの加速を借りる。

 

 フレアがアズールの固定を借りる。

 

 以前にも使った方法だ。

 

 だが未来のアカリが、先回りして告げた。

 

『交換後の攻撃も記録にある』

 

 クアドラから、四本の黒金光索が伸びる。

 

 アズールが加速すれば、その進路を切る。

 

 フレアが円環を出せば、観測環の周期を変える。

 

 未来の二人は、借りた力の使い方まで知っていた。

 

 レンは、青と赤の接続線を見る。

 

「転送する」

 

 アカリも意図を理解した。

 

「でも、借りない」

 

『確認。機能を移動せず、感覚情報だけを共有しますか』

 

「相手が動く直前の感覚だけでいい」

 

『言語情報は除外します』

 

「説明すると読まれるからね」

 

『操縦者アカリ。説明されなくても実行できますか』

 

「さっき実際にやらされたから」

 

「悪かった」

 

「謝るのは帰ってから。今は使う」

 

 二本の位相線が、白い同界接触信号へ重なった。

 

 機能も、操縦権も渡さない。

 

 アズールの中へ、アカリが加速を選ぶ直前の呼吸が届く。

 

 フレアの中へ、レンが固定点を見つけた時の静けさが届いた。

 

『新規接続方式、登録名クロス・センス』

 

『今回は、命名が早いです』

 

『今そこ褒めるところ!?』

 

『青側判断系、感覚差を保持します』

 

『赤側判断系、同一化を拒否。異なる判断のまま接続します』

 

 二つのAIも、一つにはならない。

 

 違う声のまま、二人の間を繋ぐ。

 

 レンが言葉にするより先に、アカリは動いた。

 

 フレアが第一観測環へ突進する。

 

 クアドラは赤い進路へ光索を集中した。

 

 その直前、アカリの中へレンの固定点が届く。

 

 フレアは拳を引いたまま、歯車の中心を通過した。

 

 殴らない。

 

 赤い足だけを、回転軸へ触れさせる。

 

 アズールが円環を放った。

 

 フレアの足先を経由して、第一観測環を内側から固定する。

 

一枚目、停止。

 

 固定はまだ仮止めだ。

 

 レンが集中を切れば、すぐに回り始める。

 

 アズールは第二観測環へ向かった。

 

『右へ加速する』

 

 未来のレンが読む。

 

 だが、アズールは加速しない。

 

 レンの中に届いたのは、アカリの前へ出る意志だけだ。

 

 青い機体は通常推進のまま、最短ではない左へ回った。

 

 黒金の光索が、誰もいない右側を貫く。

 

 アズールの右手が、第二観測環の軸を掴んだ。

 

二枚目、停止。停止差、〇・一秒。

 

 第三と第四の観測環が、互いから遠ざかる。

 

 クアドラが二枚の間へ空間を追加していた。

 

 このままでは、二機が別々に向かっても間に合わない。

 

 フレアへ、レンの固定感覚が届く。

 

 アカリは第三観測環を殴らず、何もない空間へ左拳を突き出した。

 

「ここ!」

 

 アズールが円環を、その拳へ重ねる。

 

 フレアの拳と第三観測環の距離が、青い輪の内側へ固定された。

 

 赤い瞬間加速が、固定された距離だけを一気に走る。

 

 拳が遠方の回転軸へ届いた。

 

 歯車を壊さず、逆向きの力を与える。

 

三枚目、停止。停止差、〇・二秒。

 

 残る第四観測環へ、クアドラの左手が伸びた。

 

 都市区画ほどの掌が歯車を包み、二機の視界から隠す。

 

「届かない!」

 

『いいや、届く』

 

 紫色の小型艇が、クアドラの手の甲を走った。

 

 カインはノア・スキフに残された最後の航路修正推進を、使い切る。

 

 白い艇が、巨大な指の隙間へ滑り込んだ。

 

「小型艇で止める気?」

 

『止めるのは俺じゃない』

 

 後部席で、ニルが両目を開く。

 

 青い右目。

 

 赤い左目。

 

 その間に、自分で選んだ白い位置情報が生まれた。

 

『第四選択固定』

 

 白い光が、第四観測環の回転軸へ刺さる。

 

 一秒だけ。

 

 命令された位置ではなく、ニルが選んだ位置へ歯車を留めた。

 

四枚目、停止。停止差、〇・二八秒。

 

許容値〇・三秒以内

 

 四連観測環が、同時に沈黙した。

 

 クアドラの胸部下側で、黒い装甲がゆっくりと開く。

 

 白い球体が、百二十七年ぶりに光を受けた。

 

二つ目の心臓。

 

◇

 

 百二十七年前。

 

 現在のノア・ギアでは、終界との通信が途絶えたままだった。

 

 作戦室の中央には、潜入班が最後にいた座標だけが残っている。

 

 青。

 

 赤。

 

 紫。

 

 白。

 

 どの光も動かない。

 

 白瀬ユナ(しらせ・ゆな)が、ヴァイスの零座標核へ届く雑音を何度も巻き戻した。

 

「周期があります」

 

 御堂カナメ(みどう・かなめ)艦長が問う。

 

「通信か」

 

「信号になる前の信号です」

 

 真壁ゲンゴ(まかべ・げんご)が解析卓を覗き込む。

 

「もっと分かる言い方をしろ」

 

「向こうから、扉を叩いています」

 

 格納庫で片膝をつく黒銀機ヴァイスの胸部が、弱く明滅した。

 

 操縦者のカインは終界にいる。

 

 今はアウレル・ゼロが、遠隔卓から零座標核の出力だけを監視している。

 

 彼は震える指で、明滅の周期を追った。

 

「ノア・ギア初期型の帰還要求だ」

 

「百二十七年後の本艦が、こちらを呼んでいるのか」

 

「艦そのものではありません」

 

 アウレルが古い設計記録を開く。

 

「改造される前の目的だけが、まだ残っている」

 

境界研究船ノア・ギア 乗員三十二名

 

非常時帰還規則

 

最後の一名が船外にいる限り、帰還航行を終了してはならない

 

 初期起動文が表示される。

 

『全員を帰すまで、本艦は航行を終えない』

 

 誰かを選んで捨てる兵器になる前、ノア・ギアは帰れない者を迎えに行く船だった。

 

 ゲンゴが息を吐く。

 

「未来の化け物にも、船だった頃の意地が残ってたか」

 

「起動文だけでは届かない」

 

 ユナが必要出力を算出する。

 

「ヴァイスの残存出力では、十一パーセント不足します」

 

「ノア・ギアから回せ」

 

 カナメの命令に、ユナが顔を上げた。

 

「生命維持を除き、全区画を停止する必要があります」

 

 蒼界側通信。

 

 紅界側通信。

 

 格納庫の照明。

 

 防衛装置。

 

 帰還した機体を受け入れる整備設備まで、止めなければならない。

 

 ゲンゴが腕を組む。

 

「帰ってきた三機を、暗闇で手工具だけ使って直せと?」

 

「帰ってくる者がいるなら、灯りは後で点けられる」

 

 カナメは迷わない。

 

 ゲンゴは数秒だけ天井を見た。

 

「分かりましたよ。帰ってきたら、全員に工具を持たせます」

 

 ノア・ギアの照明が、後方区画から順に消えていく。

 

 青い通路も、赤い通路も、同じ黒へ沈んだ。

 

 残った電力が、ヴァイスへ集まる。

 

 アウレルは遠隔卓の生体接続を開いた。

 

 拘束環の下に残る傷が、赤く光る。

 

 かつて第三の杭へ繋がれていた痕だ。

 

「この座標は、私の理論が開いた」

 

「なら、閉じるためではなく、帰すために使う」

 

「生体負荷が上昇しています」

 

 ユナが警告する。

 

「構わない」

 

「アウレル」

 

 カナメの声に、男は顔を上げた。

 

「死んで責任を終えることは許可していない」

 

 長い沈黙の後、アウレルは頷く。

 

「承知しています、艦長」

 

 初めて、そう呼んだ。

 

 ヴァイスの紫色核が開く。

 

 現在のノア・ギアから零座標へ、細い白い信号が放たれた。

 

帰還呼号

 

『全員を帰すまで、本艦は航行を終えない』

 

 百二十七年の暗闇を越え、船の言葉が未来へ向かった。

 

◇

 

 終界のクアドラ内部。

 

 四連観測環が止まったことで、ノア心炉へ続く通路が開いていた。

 

 カインはノア・スキフを、白い球体へ接触させる。

 

「ニル。行け」

 

『カインは』

 

「ここで出口を残す」

 

『一人で選ばないと約束しました』

 

「だから通信を切らない」

 

 ニルは一度だけ頷き、小型艇から白い通路へ踏み出した。

 

 足元には、一億八千四百万人の名前が流れている。

 

 家族へ手を伸ばした者。

 

 帰宅の途中だった者。

 

 喧嘩をしたまま仲直りできなかった者。

 

 何も知らず眠っていた者。

 

 数ではない。

 

 一つずつ違う、止まった時間だった。

 

 白い心炉の前には、ミラが立っている。

 

 その右手には、黒金の刃が握られていた。

 

「それ以上、進まないでください」

 

 刃先が、ニルの喉へ向く。

 

「侵入者を排除します」

 

 声は震えていた。

 

 ニルは止まらない。

 

『あなたは先ほど、私たちが機体へ戻る通路を開きました』

 

「機能障害です」

 

『では、なぜ今も刃が震えているのですか』

 

「制御遅延です」

 

『なぜ、自分の名前を選んだのですか』

 

 ミラの黒い右目が、排除命令を繰り返す。

 

 金色の左目が、足元を流れる名前を映した。

 

「私は帰還端末です」

 

『はい』

 

「終界を現在へ帰すために造られました」

 

『はい』

 

「現在の人々を消しても、終界の人々を残します」

 

『それを選んだのは、あなたですか』

 

 刃が、ニルの皮膚へ触れる寸前で止まった。

 

「私は、選択するために造られていません」

 

『私も、そうでした』

 

 ニルは、刃の向こうへ手を伸ばす。

 

『以前の私は、二人のどちらかを選ぶ鍵でした』

 

『でも、選ばなかった』

 

「その結果、全員が死ぬかもしれません」

 

『はい』

 

「怖くありませんか」

 

『怖いです』

 

 ニルは迷わず答えた。

 

『怖くないから選ぶのではありません』

 

『怖いと言える相手がいるから、一人では選ばずに済みます』

 

 ミラの金色の目から、一滴の涙が落ちる。

 

『私は、あなたではありません』

 

「知っています」

 

『あなたも、私ではありません』

 

「はい」

 

『なら、同じ答えを選ぶ必要はありません』

 

「違う答えを選んでも、隣にいていいのですか」

 

『レンとアカリは、そうしています』

 

 黒金の刃が、ミラの手から落ちた。

 

 白い名前の海へ沈み、音もなく消える。

 

 ニルが右手を差し出した。

 

 ミラは、その手を握る。

 

 青と赤。

 

 黒と金。

 

 現在から生まれた端末と、未来で生まれた端末。

 

 四つの瞳から、白い光が一つの心炉へ流れ込んだ。

 

双端起動

 

 二人を一つにする起動ではない。

 

 別々の存在が、別々の判断を持ったまま、同じ扉を開くための入力だった。

 

「私は、ミラです」

 

『私は、ニルです』

 

「終界の人々を救います」

 

『現在の人々も救います』

 

「どちらかではなく」

 

『全員を帰します』

 

 その時、百二十七年前から白い信号が届いた。

 

『全員を帰すまで、本艦は航行を終えない』

 

 ノア心炉が鼓動する。

 

一度。

 

二度。

 

 白い名前の海が波打つ。

 

三度目に、心臓は白く燃え上がった。

 

◇

 

 白い光が、クアドラの胸部を内側から押し開く。

 

 一億八千四百万人へ伸びていた生命維持線が、金色から白へ変わり始めた。

 

 青と赤の棺の中で、未来のアカリが息を呑む。

 

『この光、覚えてる』

 

『ノア・ギアの光だ』

 

 未来のレンも、白い帰還灯を見た。

 

 まだ二人がクアドラへ入る前。

 

 戦場から避難者を運んだ夜。

 

 定員を越えた母艦で、最後の救助艇を待った時に見た光。

 

『私たちは、これを残していたのに』

 

『止めた』

 

 未来のレンの声は、誰かを責めるものではなかった。

 

『帰れない者を増やさないために、誰も出発できない世界を選んだ』

 

 現在のレンは、アズールの右手をクアドラの胸部へ固定する。

 

「なら、今から選び直せる」

 

『選び直して失敗すれば、全員が死ぬ』

 

「選ばなくても、心炉は尽きる」

 

『三十六時間後だ』

 

「止まったままの三十六時間だ」

 

 フレアがアズールの隣へ着地した。

 

「怖いなら、私たちも一緒に怖がる」

 

 アカリが未来の自分を見る。

 

『それで死んだ人は戻らない』

 

「戻らない」

 

 アカリは否定しなかった。

 

「八百三十万人を忘れない」

 

「でも、その人たちを理由に、今生きている人の明日まで奪わない」

 

 未来のアカリの瞳が揺れる。

 

 その瞬間、クアドラの機械音声が会話を切った。

 

『選択保存体の判断を不安定と認定』

 

『終端心炉を自律固定へ移行』

 

 黒金の拘束環が、二つの棺を包む。

 

『操縦権が切られた』

 

『待って。私たちはまだ――』

 

『過去の承認記録を優先』

 

 クアドラは、造った者の今の意思さえ必要としなくなった。

 

 一度与えられた命令を、永遠に実行する機械へ戻る。

 

 停止した四連観測環が、外側から砕け始めた。

 

 生命維持の出力路まで捨て、すべての力を終端心炉へ集めている。

 

生命維持出力 十三パーセント

 

零座標退避準備 開始

 

残存時間 二十二分〇〇秒

 

 終界の街へ、紫色の波が広がる。

 

 最初の街区が、人々と建物を包んだまま半透明になった。

 

 だが、完了率は〇・〇〇一パーセント。

 

 この速度では間に合わない。

 

「出力が足りない」

 

『ノア心炉は起きた。だが終端心炉が全出力の八十七パーセントを奪っている』

 

「止めれば生命維持も切れる?」

 

『壊せば切れる。回転方向だけを変えろ』

 

「方法は」

 

『黄金座標を、終端ではなく帰還へ繋ぐ』

 

 答えた未来のカインの声は、先ほどより薄かった。

 

 現在のカインが気づく。

 

「お前、消えかけているのか」

 

『帰路人格は、道を渡すための記録だ』

 

『ノア心炉が起きれば、役目は終わる』

 

「勝手に終えるな」

 

『自分に言われると、腹が立つな』

 

 紫色の人影が、ノア・スキフの前へ現れた。

 

 今のカインより年を重ね、片方の肩が光の砂になっている。

 

『俺は、ニルを失った』

 

 未来のカインは、ノア心炉の中にいる白髪の少女を見た。

 

『救助を急ぐために、あいつを一人で残した』

 

『正しい順番だと思った』

 

「道を残したことまで、間違いにするな」

 

『慰める気か』

 

「事実だ」

 

 現在のカインは、未来の自分をまっすぐ見る。

 

「ただし、置いていったことはニルに謝れ」

 

『相変わらず容赦がない』

 

「お前もだ」

 

 未来のカインは、小さく笑った。

 

『お前は、同じ俺になるな』

 

「なら、残って見届けろ」

 

『無茶を言う』

 

「俺たちの仕事だ」

 

『それは認める』

 

 紫色の輪郭がほどけていく。

 

 零座標の経路。

 

 街区ごとの退避順序。

 

 現在を上書きせず、終界を一秒先へ移す座標設計。

 

 帰路人格の全記録が、ノア・スキフへ流れ込んだ。

 

 最後に一つだけ、声が残る。

 

『今度は、全員で帰れ』

 

 紫色の人影が消えた。

 

 ノア心炉の中で、ニルはその消失を感じ取る。

 

『選択反応、終了』

 

「生命ではなくなったのですか」

 

 ミラが目を伏せた。

 

『いいえ』

 

 ニルは胸元へ手を置く。

 

『選んだ結果を、私たちへ渡しました』

 

『だから、いなくなったことと、なかったことは同じではありません』

 

◇

 

 クアドラの胸部から、黒金の衝撃が爆発した。

 

 アズールとフレアが、左右へ吹き飛ぶ。

 

 白い亀裂が閉じ、ノア心炉が再び装甲の奥へ隠された。

 

 都市ほど巨大なクアドラの身体が、音を立てて折り畳まれていく。

 

 四連観測環の外殻が砕け、その破片が両腕と両脚へ集まった。

 

 生命維持を担う都市装甲だけが、ノア心炉の白い線に支えられて空へ残る。

 

 黒金の本体は、高層塔ほどの細い人型へ圧縮された。

 

 それでも、アズールとフレアの十倍を超える。

 

 左半身に青い線。

 

 右半身に赤い線。

 

 胸部中央には、未来を固定する黄金歯車。

 

『識別、終端戦闘体クアドラ・エンド』

 

『敵本体と、生命維持区画の分離を確認』

 

『敵本体への打撃を許可。ただし胸部心炉の破壊は禁止』

 

「ようやく殴っていい場所ができた」

 

 アカリがフレアを起こす。

 

「全部じゃない」

 

 レンもアズールを立たせた。

 

「分かってる。回すんでしょ」

 

 クアドラ・エンドが右手を開く。

 

 黒金の槍が形成された。

 

 刃の内側へ、青と赤の未来が交互に映る。

 

『終端選択槍(ラスト・オルタ)』

 

 槍が一度振られた。

 

 終界の空が、三つに分かれる。

 

左には、蒼界だけが残る青い未来。

 

右には、紅界だけが残る赤い未来。

 

中央には、終界が現在を上書きする黒金の未来。

 

『三経路すべてに固定反応』

 

『どの方向を選んでも、二つの世界を喪失します』

 

「また三択」

 

 アカリが槍を見る。

 

「選ばない」

 

 レンは刃ではなく、長い柄を見ていた。

 

「じゃあ、どこへ行く?」

 

「槍の上だ」

 

 アカリが一瞬だけ息を止める。

 

「それ、私が言いそう」

 

「だから説明しなくても分かると思った」

 

「それと説明不足は別!」

 

「アカリ」

 

「何?」

 

「……信じてくれ」

 

 一拍。

 

『候補が採用されました』

 

「今!?」

 

 アカリは笑いながら、赤い操縦環を倒した。

 

「もちろん!」

 

 フレアが赤い瞬間加速を使う。

 

 クアドラ・エンドは、未来のアカリの記録から進路を読んだ。

 

 槍先がフレアの胸部へ動く。

 

 アズールが青い円環を、槍の側面へ固定した。

 

 刃の向きが、一度だけ止まる。

 

 フレアは槍を避けない。

 

 両足で黒金の柄へ着地し、その上を走った。

 

 アズールも円環を足場にして続く。

 

 青でもない。

 

 赤でもない。

 

 黒金でもない。

 

 差し出された選択そのものの上を、二機が駆けた。

 

 クアドラ・エンドの胸部が近づく。

 

『あんな動き、したことない』

 

 未来のアカリが、拘束された棺の中で呟く。

 

『俺たちの記録では、槍を避けた』

 

『なら』

 

『予測できない』

 

 レンが黄金歯車へ、青い円環を重ねる。

 

 アカリがフレアの右拳を引いた。

 

 狙うのは破壊ではない。

 

 回転方向だけを変える。

 

『破壊範囲を、心炉外周へ固定』

 

『衝撃方向を、逆回転へ限定』

 

「クロス・ギア――」

 

インパクト!

 

 赤い拳が黄金歯車へ届く。

 

 青い円環の内側だけで、衝撃が爆発した。

 

 歯車は砕けない。

 

 回転だけが止まる。

 

正回転。

 

停止。

 

逆回転。

 

 終端心炉からノア心炉へ、出力が流れ始めた。

 

生命維持出力 十三パーセント。

 

二十パーセント。

 

三十五パーセント。

 

 紫色の退避波が、一街区、十街区、百街区へ広がる。

 

 だが黄金歯車は、途中で激しく震えた。

 

 青と赤の棺から伸びる二本の固定索が、回転を元へ引き戻している。

 

 未来のレンとアカリが、過去に与えた承認記録。

 

 力では切れない。

 

 本人にしか外せない鎖だった。

 

「未来の俺!」

 

 現在のレンが呼ぶ。

 

「お前が選んだ命令だ。お前にしか外せない!」

 

『外せば、二十二分に全員を賭けることになる』

 

「四人だけで賭けるんじゃない!」

 

 現在のアカリが叫んだ。

 

「終界の人たちも、蒼界も、紅界も、自分で次を選ぶの!」

 

 未来のアカリの手が、承認環へ伸びる。

 

 あと少し。

 

 指先が震えた。

 

 未来のレンは動けない。

 

 彼の目には、第二次双界戦争で失われた八百三十万人の顔が映っている。

 

 正しいと思って開いた門から、攻撃が始まった。

 

 止めようと選んだ作戦で、別の街が消えた。

 

 選ぶたびに、救えなかった者の数が増えた。

 

 だから彼は、数が増えない一瞬へ世界を固定した。

 

 間違いを認めることより、もう一度誰かを失うことが怖かった。

 

『承認記録を保護』

 

 クアドラ・エンドが咆哮する。

 

 黄金歯車が正回転へ戻った。

 

 逆流した出力が、アズールとフレアを弾き飛ばす。

 

 青い機体の左腕が、肩から砕けた。

 

 赤い機体の右腕が、時間ごと固定される。

 

 二機が、黒金の地面へ落ちた。

 

『左腕喪失。右腕および両脚、継続可能』

 

『右腕固定。左腕および両脚、継続可能』

 

退避完了予測 四十七分

 

残存生命維持時間 二十一分五十九秒

 

 このままでは、二十五分一秒足りない。

 

◇

 

 ノア心炉の内部で、ニルとミラも同じ数字を見ていた。

 

「現在方式のフェイズ・ドッキング成功率、零パーセント」

 

 ミラが計算結果を読む。

 

 アズールとフレアが重なり、インフィナイトへ合体すれば、二つの世界に共通する黄金座標が生まれる。

 

 その出力なら、終端心炉を完全に帰還方向へ向けられる。

 

 だが、今ここで合体すれば、黄金座標はクアドラへ直接奪われる。

 

 インフィナイトそのものが、クアドラ・エンドの部品として固定されてしまう。

 

『現在側のヴァイスは届きません』

 

 前回、紫の膜は黄金座標を九十秒だけ隠した。

 

 今は百二十七年の時間差に隔てられ、一秒も覆えない。

 

「方法は、もうありません」

 

『方法がないのではありません』

 

「何が違うのですか」

 

『今までの方法が使えないだけです』

 

 ニルは、二つの心炉を並べた。

 

 未来を固定する終端心炉。

 

 全員を帰そうとするノア心炉。

 

 二つが反対方向へ回っている限り、黄金座標は奪われる。

 

 だが未来のレンとアカリが承認環を外し、二つの心炉が同じ帰還方向へ回れば。

 

 黄金座標は、敵が現在へ侵入する目印ではなく、三つの世界を生きた時間へ繋ぐ道になる。

 

 隠す必要そのものが、なくなる。

 

「合体時間の制限は」

 

 ミラが顔を上げた。

 

『なくなります』

 

 九十秒ではない。

 

 敵の目から逃げるための合体でもない。

 

 全員を帰し終えるまで存在できる、完全なインフィナイト。

 

 ただし、その鍵は現在の二人が持っていない。

 

 未来の二人が、自分で止めた時間を、自分の手で動かさなければならない。

 

◇

 

 クアドラ・エンドが、地面へ落ちた二機へ歩く。

 

 一歩ごとに、終界の空が黒く染まった。

 

 アズールは左腕を失っている。

 

 それでも右腕と両脚は動く。

 

 フレアの右腕は止まっている。

 

 それでも左腕と両脚は残っていた。

 

 レンはアズールの右拳を地面へつく。

 

 アカリもフレアの左拳で身体を起こした。

 

 二機が、もう一度並ぶ。

 

『本当に、まだ戦うの』

 

 未来のアカリが問う。

 

「うん」

 

『勝てる可能性はない』

 

「さっきまで、〇・〇〇一パーセントは助かってた」

 

『それは』

 

「零じゃなかった」

 

 アカリは、自分と同じ顔をした未来を見る。

 

「私も怖い」

 

「ここで選んだことが間違いだったらって、ずっと思ってる」

 

「でも、怖さをなくすために、誰かの時間を止めたくない」

 

 未来のアカリの唇が震えた。

 

『私たちは、八百三十万人を失った』

 

「うん」

 

『次に選べば、もっと失うかもしれない』

 

「うん」

 

『それでも、選べと言うの』

 

「一人では選ばせない」

 

 アカリは即座に答える。

 

「失敗したら、私たちも一緒に背負う」

 

 レンは未来の自分へ言った。

 

「お前が恐れている結果を、なかったことにはしない」

 

「八百三十万人が死んだことも消さない」

 

「だから、その死を理由に、残った一億八千四百万人の明日まで消すな」

 

『お前はまだ、失う前だから言える』

 

 未来のレンが、青い承認環を強く握る。

 

「違う」

 

 現在のレンはアカリを見た。

 

 同じ地面で、同じ空気を吸い、すぐ隣にいる少女を。

 

「失いたくない相手が、今ここにいるから言う」

 

 アカリの目が見開かれる。

 

「それ、今言う?」

 

「今必要だった」

 

「だから説明が急なの!」

 

 それでも、アカリは笑った。

 

 未来の二人は、その笑いを知らない。

 

 世界を救うためではなく、隣の誰かへ本音を渡した時の二人を知らない。

 

『アズール判断系より、未来判断核へ記録を提示します』

 

 青い通信窓に、レンの心拍が表示された。

 

 平常値より高い。

 

『操縦者レンは、成功を確信していません』

 

『それでも操縦権を放棄していません』

 

『フレア判断系より補足します』

 

 赤い通信窓へ、アカリが削除しなかった恐怖反応が並ぶ。

 

『操縦者アカリも、恐怖を解消していません』

 

『恐怖を共有したうえで、前進を選択しています』

 

 二つのAIは励まさない。

 

 成功を約束もしない。

 

 ただ、今の二人が怖くないふりをしていない事実を、未来へ渡した。

 

 レンが未来の自分へ手を伸ばす。

 

「答えを変えろとは言わない」

 

「次の一秒だけ、俺たちに預けろ」

 

 未来のアカリが、赤い承認環へ指をかける。

 

 未来のレンは動かない。

 

 クアドラ・エンドが、終端選択槍を振り上げた。

 

 空へ、三つの結末が開く。

 

零座標退避完了まで、四十七分。

 

生命維持終了まで、二十一分五十九秒。

 

 そこへ、現在のノア・ギアから白い通信が割り込んだ。

 

『聞こえるか』

 

 雑音の向こうで、カナメが呼ぶ。

 

「聞こえる」

 

「見えてないけど、聞こえてる!」

 

『ノア心炉の起動を確認しました』

 

『機体を壊しすぎるな! 今、修理設備まで止めて電力を送ってるんだぞ!』

 

 ユナの報告に、ゲンゴの大声が重なった。

 

「もう少し早く言ってほしかったな」

 

 アカリがフレアの固定された右腕を見る。

 

『帰ってきたら全員に工具を持たせる!』

 

「帰ってから怒られるって」

 

「帰る理由が増えた」

 

 レンは、左腕を失ったアズールを立たせた。

 

『終端心炉が現在接続を加速している』

 

 アウレルの声が、低く続く。

 

『三十六時間の猶予は消えた』

 

『完全接続まで、二十一分五十九秒』

 

 二つの時間が重なった。

 

 終界の生命が尽きる時。

 

 現在が上書きされる時。

 

 どちらも、二十一分五十九秒後。

 

 クアドラ・エンドの槍が振り下ろされる。

 

 アズールとフレアが左右へ跳んだ。

 

 傷ついた二機の間へ、白い同界接触信号が伸びる。

 

 青と赤の半円形コアが、互いを求めて光った。

 

合体要求 危険度測定不能 成功率零パーセント

 

「レン」

 

 アカリが赤い操縦環へ手を置く。

 

「まだだ」

 

 レンも青い操縦環を握った。

 

「分かってる」

 

 今ここで合体すれば、クアドラに奪われる。

 

 必要なのは出力ではない。

 

 未来の二人が、止めた心臓を自分で動かすこと。

 

 未来のアカリが、赤い承認環を見つめる。

 

 八百三十万人の記憶は消えない。

 

 失敗する恐怖も消えない。

 

 それでも、現在の自分が隣にいる。

 

 怖いまま選び、一人では背負わせないと言った自分がいる。

 

『私も、本当は』

 

 未来のアカリが息を吐いた。

 

『もう一度、レンと喧嘩をしたかった』

 

 未来のレンが顔を上げる。

 

『正しい答えを決めるためじゃない』

 

『明日のことで、どうでもいい言い合いをしたかった』

 

 赤い承認環が外れた。

 

 一本目の固定索が切れる。

 

 終端心炉の回転が、大きく揺れた。

 

 未来のレンは、まだ青い承認環を握っている。

 

 クアドラ・エンドが、再び槍を構えた。

 

 未来のアカリが、隣の棺へ手を伸ばす。

 

 二人の間には、今も触れられない距離がある。

 

『レン!』

 

 百二十七年前と同じ名前。

 

 けれど今度は、止まるためではない。

 

 未来のレンが目を閉じた。

 

 八百三十万人の声。

 

 止まった一億八千四百万人の呼吸。

 

 現在の二人が差し出した、次の一秒。

 

 そして白い帰還灯の向こうで、誰かを待ち続けた船の言葉。

 

『全員を帰すまで、本艦は航行を終えない』

 

 青い承認環に、細い亀裂が入る。

 

生命維持終了まで、二十一分五十八秒。

 

完全接続まで、二十一分五十八秒。

 

 九十秒の限界を越えるために必要な、最後の選択。

 

 その答えだけを残し、終界の時計が動き始めた。

 

第12話「選び続ける世界」へ続きます。

 

 

 






 クアドラを生んだのは悪意ではなく、もう失敗したくないという未来のレンとアカリの恐怖でした。その恐怖を否定せず、怖いまま次の一秒を選べるかを、この戦いの問いにしています。

 機体AIも一つには統合せず、違う判断を保ったまま二人を繋いでいます。ニルとミラ、現在と未来のカインも同じく、似ていても別の存在であることを大切にしました。

 よければ、ひとつだけ教えてください。
 いちばん残ったのは、四連観測環の共闘でしたか。ニルとミラの双端起動でしたか。それとも、未来のアカリが最後に口にした願いでしたか。

 感想をいただけると、最終話を書く力になります。

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